Archive for category 1年の終りに……

Date: 11月 28th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その10)

何度も書いているように、ことしはTIDALでばかり音楽を聴いていた、といえる。
TIDALでしか聴かなかったわけではないが、大半がTIDALだった。
意図的にTIDALで聴いていた。

クラシックにかぎってもTIDALで聴いていた。
これまで聴いてこなかった新しい演奏家も積極的に聴いてきた。

それほど多くはなかったけれど、いいな、と思える演奏家が何人かいた。
これからに注目したい演奏家もいた。

そうやって初めての演奏家、
これまで聴いてきた演奏家の新しい演奏を聴いて、そういえば──、と戻る。

新しいピアニストの演奏をたっぷり聴いたあとで、グレン・グールドを聴く。
1982年に亡くなっているのだから、グールドの演奏(録音)は四十年以上前である。

なのにいま聴いても新鮮であり、
その素晴らしさが、昔のめり込んで聴いていた時以上に感じられる。

グールドだけではない、20代のころ、のめり込んで聴いていた人たちの演奏は、
まったく古びていないどころか、輝きを増しているようにすら感じてしまう。

Date: 11月 22nd, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その9)

新月に出逢う(その1)」で書いているように、
2月12日、新月の夕刻に、ある人形と出逢った。

Enという人形作家の、Eleanorという作品だ。

今年もまだ一ヵ月ちょっとある。
何があるかはわからない。
それでも、今年イチバンといえる新しい出逢いは、これである。

Date: 11月 18th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その8)

その6)へのfacebookのコメントに、こうあった。

秘伝のタレという表現を、揶揄する意味で使うことは、
実際に秘伝のタレを日々使い、数十年、それ以上守り続けている飲食店に対して、
失礼ではないか、と。

私もこのことは、秘伝のタレをネガティヴな意味で、
MQAを全否定する文章で見かけた時から、そう感じていた。
MQAについても誤解しているようだけど、秘伝のタレに関しても誤解している人たち。

同じように感じる人が、やはりいる。
なのに、秘伝のタレという表現の使い方について何も書いてこなかったのは、
こういう使い方をする人たちにそのことを指摘すると、
今度は「化学調味料たっぷり」といった表現を使ってきそうだから──、と思ったためである。

別項で書いている「不遜な人たち」の、品性のカケラもない表現というか、
言葉の使い方にソーシャルメディアに触れていると、どうしてもぶち合ってしまう。

来年はもっとそんなことが多くなるのだろう……。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その7)

TIDALがあるおかげなのかもしれないが、
今年は「クラシックを聴き続けてよかった」と実感している。

四十数年聴いてきて、いままでそんなふうに思ったことはなかっただけに、
齢をとったのかも……、と思いながらも、
そんなことはどうでもいいわけで、ほんとうに聴き続けてよかった。

私はクラシックを主に聴き続けてきたからそう思うわけで、
クラッシクでなければならないわけではない。

ジャズでもいい、ロック・ポップスでもいいし、歌謡曲でもいい。
好きな音楽を永い時間、聴き続けていることが大切なのであって、
そのことをいつの日か、実感できるようになる、というだけのことだ。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その6)

一年前の11月17日からTIDALを使い始めた。
丸一年、ほぼ毎日、TIDALで音楽を聴いてきた。

ソニー、クラシカル、ソニー・ミュージックの音源のMQA配信が、
今夏から行われるように、TIDALで聴く時間は増える一方。

グレン・グールドがMQA Studioを聴けるようになったのは、
今年一番嬉しかったことであり、これ以上の喜びは、これから先もそうそうないように思う。

グールドのハイドン、モーツァルト、バッハをMQA Studioで聴ける。
ありきたりの表現になっしまうが、まさに至福の一時であるし、
スリリングな時間でもある。

MQAの音を、秘伝のタレをかけた音、と酷評する人が、オーディオ業界には数人いる。
この人たちは、どういうシステムで、
どういう聴き方をしての「秘伝のタレ」という表現なのだろうか。

グールドをMQAで聴きたければいまのところTIDALしか手はない。
だから来年もTIDALで音楽を聴く時間は増えることはあっても、減ることはない。

Date: 11月 11th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その5)

私が選んだのは、ACT-Threeだ。
ACTシリーズのウェブページを何度見ても、ACT-Threeだけがひときわ目を惹く。

ACT-Tree。
つまり第三幕である。

そうか、第三幕か。
強引に自分の人生にこじつけるならば、
ACT-Threeにしてからの日々は、第三幕ということになるのか。
だとしたら、第一幕はどこからどこまで、
第二幕はいつからだったのか──。

そんな、どうでもいいことを考えていた。
なんとなく、そういうことなのかぁ、という予感だけはある。

その予感が当っているのならば、第三幕を迎えることができよう。

第三幕を迎えられたとして、第四幕は始まるのか、それとも第三幕で終るのか。

Date: 11月 10th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その4)

昨日(11月9日)、別項に書いているように川崎先生の講演に行ってきた。
金曜日に講演があることを知って、土曜日にメガネを新調しに行った。

川崎先生の講演に行ったことのある人ならばわかっていることなのだが、
川崎先生デザインのメガネの装着率はひじょうに高い。

それに二年ぶりの川崎先生の講演である。
ならばメガネを新たにつくろうと思った。

今年の春に、川崎先生デザインのACTシリーズが発表になり、販売されている。

ACT-OneからACT-Fiveまで五つのフレームが発表になった。
さらに五つが加わって、ラインナップはACT-Tenまである。

最初のラインナップを見た時から決めていた。
これだ、と思うフレームがあった。

そうなると似合う似合わないはどうでもいい、となってしまう。
そのくらい欲しかったのだが、懐事情から我慢していた。

欲しいと思い続けて半年も我慢していると、
このつまずるずると買わずに──、ということになってしまいがち。

川崎先生の講演が、だからきっかけだった。
「つくろう」と思って土曜日に出掛けて行った。

月曜日は仕上がる、ということで火曜日に間に合う。
なので11月8日から新しいメガネにしている。

Date: 11月 8th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その3)

2020年が、五味先生没後40年、
2021年の今年が、瀬川先生没後40年。

2020年には、タンノイのコーネッタを、ヤフオク!で手に入れた。
ステレオサウンドがキット販売したのを、誰かが組み立てたモノではなく、
別項で書いているように、はっきりと専門とする職人の手によるコーネッタである。

今年になって、そのことがわかり、いい買物をしたな、と実感している。

2021年には、SAEのMark 2500を手にいれた。
これもヤフオク!であり、ヤフオク!の相場よりも半分以下で落札できた。
こちらも程度はいい。

五味先生の没後40年の2020年にタンノイ、
瀬川先生の没後40年の2021年にMark 2500である。

不思議な縁が二年続いた。

こういうオーディオ機器の手に入れ方は、若い人にはすすめない。
歳をとっていくと、向うの方からやって来た──、
そんなふうに錯覚することがある。

Date: 11月 6th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2016年をふりかえって(その9)

2021年の間違いではない。
2016年をふりかえって、である。

今年の7月14日に、「2016年をふりかえって(その8)」を書いている。

五年前の2016年11月6日に、東京デザインウィークで火災が起った。
遺族と東京デザインウィークとの裁判は、まだ続いている、らしい。

11月7日が瀬川先生の命日、
その前日ということもあって、11月6日になるとおもいだす。

Date: 11月 3rd, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その2)

audio wednesdayはちょうど十年続いた。
なので毎月第一水曜日は、audio wednesdayということはそれが日常になっていた。

それが今年はまったくないわけで、
それでも第一水曜日が近くなると、今年もやっていたとしたら、
今月のテーマはこれだな、とひとりおもっていた。

今年はアストル・ピアソラの生誕百年でもあったから、
ピアソラだけの一日もやりたかったし、
ソニー・クラシカル、ソニー・ミュージックのMQAの配信が行われるようになったので、
これもやりたかった。

他にも三つほどやりたかったことはあったが、
オーディオの、こういうことに関しては、音が出せる空間が確保できなければ、
そしてシステムも用意できなければ、やれない。

今日は11月3日で、第一水曜日だ。
もし今日audio wednesdayをやっているとしたら、
SAEのMark 2500を持参して鳴らしていた。
瀬川先生の命日も近いのだから。

Date: 11月 1st, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その1)

今日から11月。
去年は、11月8日から「2020年をふりかえって」を書き始めた。

思いついたことを書いていくことになるので、
残り二ヵ月、ぽつぽつと書いていくつもり。

今年は、昨年までとは違ったことがある。
カレンダーのある生活を送っている。

東京で暮すようになってカレンダーのある暮しは、今年が初めてである。
壁に飾る大きなカレンダーではない。
卓上カレンダーだ。

赤塚不二夫カレンダーである。
赤塚りえ子さんに昨年暮にいただいたものだ。

気づかれている方もいると思うが、
赤塚りえ子さんのお父さんが赤塚不二夫氏だ。

カレンダーのない暮しが長すぎたため、カレンダーをめくる習慣がまったくないことに気づいた。
月の終り近くになって、あっ、カレンダーめくってなかった、ということが、
二度ほどあった。

今日は帰宅後すぐにめくった。
やっと慣れてきたと思ったら、今年は、残り二枚(二ヵ月)。

今年はaudio wednesdayのなかった(やらなかった)一年だった。

Date: 7月 14th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2016年をふりかえって(その8)

今日は2021年7月14日。
なのにタイトルは「2016年をふりかえって」であるのは、
昨日、東京地方裁判所で判決が出たからである。

火災事故とするところもあれば、事件としているところもある。
事故なのか事件なのか。

私は事件と思っている。
今日、書きたいのは、事故か事件かということではなく、
今日、昨日の判決があってから「東京デザインウィーク」で検索してみたら、
裁判の結果が上位に表示されなかったこと。

そして、Wikipediaでは、東京デザインウィーク火災事故ではなく、
日本工業大学作品火災事故として公開されていることを、知った。

出火元は、確かにそうである。
日本工業大学の学生による作品(と呼べるのだろうか)から火が出ている。

けれど……、とどうしてもおもってしまう。

そして東京デザインウィークのウェブサイトを見た。
トップページに「TOKYO DESIGN WEEK 2016 事故について」とある。

クリックする。
「お探しのページが見つかりませんでした。」と表示される。
なんなんだろう……、とおもってしまう。

いくつもの異和感をおぼえてしまう。

Date: 12月 31st, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年の最後に

母方の祖母は、毎日、
変りありませんように、と仏壇の前で手を合せていた。

祖母は私が小学生のときに亡くなっている。
当時は、そんなこと……、と思っていた。

20代、30代のころは、
変りありませんように、が無意味なこととと思っていた。

終息どころか収束の気配すらない新型コロナの一年を過ごして、
祖母の心情が、少しはわかってきたような気がする。

Date: 12月 30th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その18)

雑誌は、知らない世界(分野)への扉でもある。
だから、書店の雑誌コーナーを観るのは楽しい。

まったく知らない世界の雑誌は数多くある。
そのなかで手にとるきっかけとなるのは、表紙だ。

ステレオサウンド 217号の表紙をみていると、
ステレオサウンドは、もう新しい読者をもとめていないのか、とも思う。

定期購読している人ならば、217号の表紙であろうと買う。
その人たちだけを相手に商売をしていくのであれば、それでもいい。

でもそれではいつか尻すぼみに終りを迎えることになる。
新しい読者、これからオーディオに関心をもってくれる人たちを、
書店でとらえるのに、217号の表紙は役に立たないどころか、
逆効果ではないだろうか。

私が最初に手にしたステレオサウンドは41号と「コンポーネントステレオの世界 ’77」だった。
「五味オーディオ教室」で出逢って、オーディオに興味をもっていたから、
ステレオサウンドを手にとった、ということもあるが、
41号の表紙、「コンポーネントステレオの世界 ’77」の表紙は、よかった。

「五味オーディオ教室」とまだ出逢ってなかったとしても、
表紙だけでステレオサウンドを手にとっていたはずだ。

Date: 12月 28th, 2020
Cate: 1年の終りに……

2020年をふりかえって(その17)

ステレオサウンドは四冊、オーディオアクセサリーも四冊。
管球王国、アナログもそうである。
ステレオ、無線と実験、ラジオ技術は十二冊。

一年間で五十冊をこえるオーディオ雑誌が出版されている。
それぞれに表紙がある。

2020年、いちばん印象に残ったのは、
いま書店に並んでいるステレオサウンド 217号の表紙である。

ステレオサウンドの表紙は、
安齊吉三郎氏の時代ではなくなって、ずいぶん経つ。

いまの人が撮るようになって、感心したことはない。
有名な人なのだろうが、表紙のインパクトがずいぶん薄れてしまっている。

そう感じていたし、それが当り前になっていたところに、217号の表紙である。
美しさのかけらもない表紙だ、と思って書店で眺めていた。

ひどく安っぽいのだ。
おまけに季節感も、そこにはまったく感じられない。