Archive for category 1年の終りに……

Date: 12月 23rd, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その19)

その13)で、誰か「ゲスの壁」を書かないだろうか、と書いた。

ゲスは、下司、下種、下衆と書く。
どう書くのがいいのか、あれこれ考えて結局ゲスにした。

辞書には、品性が下劣なこと、また、そのような人やさま、とある。
品性が下劣であっても、知識だけは豊富な人も、私にいわせればゲスである。

本を数多く読んでいる人でも、ゲスな人は残念ながらいる。
どうしてなのだろうか、としばらく考えたことがある。

なんとなくではあるが、こういうゲスな人に共通しているのは、
上書きしかできないのではないだろうか、ということだ。

Date: 12月 19th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その18)

別項でもなんどか書いている「心に近い(遠い)」。
このことを今年は、改めていろんな機会に考えていた。

心に近い音、心に近い音楽、そして心に近い人。

Date: 12月 17th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その17)

ソーシャルメディア、ほぼ毎日眺めていて、
オーディオのことだけでいえば、着弾と出音という単語が、
よく使われるようになったと感じた。

着弾と出音。
私は、どちらも使わない。これからも使うつもりはないが、
使う使わないは、その人が選ぶことであって、とやかくいうことではない──、
とわかっていても、なんだか違和感のようなものをおぼえてしまう。

手に入れたいモノが届く──、
その嬉しさを着弾という単語で表現しているのはわかっている。
でも、もう少しマシないい方はないのか、とも思う。

出音。
こちらは、語感が悪いと感じる。
出音。もうこれだけで私は悪い印象を受けてしまう。

なのに「いい出音だった」みたいな使われかたを見かけると、
へぇ……、という印象しか残らない。

世代の違いなのか、とも思うこともあったけれど、
ソーシャルメディアでは投稿している人の年齢がはっきりとわからないこともあるが、
意外にも若い世代の人だけでなく、けっこう上の世代の人も使っているようだ。

来年以降は、オーディオ雑誌でも、着弾、出音が使われ始めるようになるのか。
それとも、もう使われ始めているのか。

Date: 12月 15th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その16)

Kindle Unlimitedで読めるようになるまで待つつもりだったけれど、
ステレオサウンド 221号のベストバイで、JBLの4309がどう扱われているのか、
それだけが気になって、このところだけを立読みしてきた。

4309の評価はまずまず高かった。
黛 健司氏が、220号での新製品紹介記事に続いて、コメントを担当されている。
まぁ、そうだろうな、と思う。

その文章には、八城一夫、ベーゼンドルファーと出てくる。
ベストバイの一機種あたりのコメントの文字数は少ない。
その制約のなかでの表現なのはわかっている。

それでも、八城一夫、ベーゼンドルファーが、何を意味しているのか、
すぐにわかるのは、私ぐらいがぎりぎりの世代であろう。

私より若い世代になると、何のことだろうか──、となるであろう。
いうまでもなく菅野先生録音のことである。

オーディオラボのレコード(録音物)を聴いてきた、
少しでもいい音で鳴らそうとしてきた人ならば、
八城一夫、ベーゼンドルファーが意味するところを掴める。

こういう書き方をした黛 健司氏に対して何かをいいたいわけではない。
この文章をそのまま掲載したステレオサウンド編集部に、何か言いたいわけでもない。

ただ、そのまま掲載したということが意味するところを考えてみてほしい。
それで意味がわかる人が多い、という判断なのだろう。
つまり、ステレオサウンドの現在の読者の中心年齢層がどこなのか、である。

Date: 12月 11th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その15)

来週月曜日に、ステレオサウンド 221号が出る。
けれどKindle Unlimitedで221号が読めるようになるのは先のことで、
たぶん来年になってからのはず。

なので217号から220号までの四冊をKindle Unlimitedで読み返して、
2021年に登場した新製品で、どれをいちばん聴きたいのかをふり返っていた。

私が聴きたいと思ったのは、JBLの4309である。
220号の新製品紹介で、黛 健司氏が書かれている。

4309の黛 健司氏の文章は、いい。
黛 健司氏の文章すべてがそうだとは言わないけれど、
読んでいると、瀬川先生の文章をよく読んでいる人の文章であり、
ただ読んでいるだけでなく、よく研究している人の文章でもある、と感じることがある。

4309の文章が、まさにそうだった。
ゆえに聴きたい、と思わせてくれた。

Date: 12月 11th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その14)

CR方法については、何度も書いてきている。
2020年いっぱいで終ってしまったaudio wednesdayでは、
CR方法のあるなしの音の変化を、何度か聴いてもらっている。

今年は、CR方法についてのメールを、数人の方からいただいた。
実際に試してみて、効果があった、というメールが数通。

試してみたいけれど、
既製品のスピーカーをいじることには抵抗を感じる、というメールもあった。
そうだろうなぁ、と思うし、同じ人は少なくないとも思う。

友人の一人も、ようやくやってみた、と言っていた。
効果に驚いた、とも言っていた。

とにかく今年はCR方法への反応があった。

Date: 12月 9th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その13)

別項「オーディオの想像力の欠如が生むもの(その72)」で、
ゲスの勘ぐり、と書いた。

「バカの壁」は、養老孟司氏、
「アホの壁」は、筒井康隆氏。

そろそろ、誰か「ゲスの壁」を書いてくれてもよさそうなのに……、
そんなことを何度か感じた一年でもあった。

Date: 12月 6th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その12)

去年(2020年)は、五味先生の没後40年であり、
今年(2021年)は、生誕100年である。

1921年12月20日なので、あと二週間で、ちょうど百年。

百年の年に、私は五味先生の享年と同じ歳になった。
他人にはどうでもいいことであっても、
「五味オーディオ教室」からオーディオの世界に入った私には、
いろいろとおもうことがあった一年だった。

Date: 12月 3rd, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その11)

今年(2021年)は、瀬川冬樹没後40年ということもあって、
ステレオサウンド 220号には、
『没後40年 オーディオの詩人「瀬川冬樹」が愛した名機たち』が載っている。

一年半前のステレオサウンド 214号には、
五月女 実氏の「五味康祐先生 没後40年に寄せて」という記事が載った。

けっこうなことである──、
と思いつつも、
2017年のステレオサウンドには、
岩崎先生の没後40年に関する記事が、どうしてなかったのか。
そのことを今年は思ってしまった。

2027年発売のステレオサウンドに、没後50年ということで岩崎先生の記事が載るのだろうか。

Date: 11月 28th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その10)

何度も書いているように、ことしはTIDALでばかり音楽を聴いていた、といえる。
TIDALでしか聴かなかったわけではないが、大半がTIDALだった。
意図的にTIDALで聴いていた。

クラシックにかぎってもTIDALで聴いていた。
これまで聴いてこなかった新しい演奏家も積極的に聴いてきた。

それほど多くはなかったけれど、いいな、と思える演奏家が何人かいた。
これからに注目したい演奏家もいた。

そうやって初めての演奏家、
これまで聴いてきた演奏家の新しい演奏を聴いて、そういえば──、と戻る。

新しいピアニストの演奏をたっぷり聴いたあとで、グレン・グールドを聴く。
1982年に亡くなっているのだから、グールドの演奏(録音)は四十年以上前である。

なのにいま聴いても新鮮であり、
その素晴らしさが、昔のめり込んで聴いていた時以上に感じられる。

グールドだけではない、20代のころ、のめり込んで聴いていた人たちの演奏は、
まったく古びていないどころか、輝きを増しているようにすら感じてしまう。

Date: 11月 22nd, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その9)

新月に出逢う(その1)」で書いているように、
2月12日、新月の夕刻に、ある人形と出逢った。

Enという人形作家の、Eleanorという作品だ。

今年もまだ一ヵ月ちょっとある。
何があるかはわからない。
それでも、今年イチバンといえる新しい出逢いは、これである。

Date: 11月 18th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その8)

その6)へのfacebookのコメントに、こうあった。

秘伝のタレという表現を、揶揄する意味で使うことは、
実際に秘伝のタレを日々使い、数十年、それ以上守り続けている飲食店に対して、
失礼ではないか、と。

私もこのことは、秘伝のタレをネガティヴな意味で、
MQAを全否定する文章で見かけた時から、そう感じていた。
MQAについても誤解しているようだけど、秘伝のタレに関しても誤解している人たち。

同じように感じる人が、やはりいる。
なのに、秘伝のタレという表現の使い方について何も書いてこなかったのは、
こういう使い方をする人たちにそのことを指摘すると、
今度は「化学調味料たっぷり」といった表現を使ってきそうだから──、と思ったためである。

別項で書いている「不遜な人たち」の、品性のカケラもない表現というか、
言葉の使い方にソーシャルメディアに触れていると、どうしてもぶち合ってしまう。

来年はもっとそんなことが多くなるのだろう……。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その7)

TIDALがあるおかげなのかもしれないが、
今年は「クラシックを聴き続けてよかった」と実感している。

四十数年聴いてきて、いままでそんなふうに思ったことはなかっただけに、
齢をとったのかも……、と思いながらも、
そんなことはどうでもいいわけで、ほんとうに聴き続けてよかった。

私はクラシックを主に聴き続けてきたからそう思うわけで、
クラッシクでなければならないわけではない。

ジャズでもいい、ロック・ポップスでもいいし、歌謡曲でもいい。
好きな音楽を永い時間、聴き続けていることが大切なのであって、
そのことをいつの日か、実感できるようになる、というだけのことだ。

Date: 11月 17th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その6)

一年前の11月17日からTIDALを使い始めた。
丸一年、ほぼ毎日、TIDALで音楽を聴いてきた。

ソニー、クラシカル、ソニー・ミュージックの音源のMQA配信が、
今夏から行われるように、TIDALで聴く時間は増える一方。

グレン・グールドがMQA Studioを聴けるようになったのは、
今年一番嬉しかったことであり、これ以上の喜びは、これから先もそうそうないように思う。

グールドのハイドン、モーツァルト、バッハをMQA Studioで聴ける。
ありきたりの表現になっしまうが、まさに至福の一時であるし、
スリリングな時間でもある。

MQAの音を、秘伝のタレをかけた音、と酷評する人が、オーディオ業界には数人いる。
この人たちは、どういうシステムで、
どういう聴き方をしての「秘伝のタレ」という表現なのだろうか。

グールドをMQAで聴きたければいまのところTIDALしか手はない。
だから来年もTIDALで音楽を聴く時間は増えることはあっても、減ることはない。

Date: 11月 11th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その5)

私が選んだのは、ACT-Threeだ。
ACTシリーズのウェブページを何度見ても、ACT-Threeだけがひときわ目を惹く。

ACT-Tree。
つまり第三幕である。

そうか、第三幕か。
強引に自分の人生にこじつけるならば、
ACT-Threeにしてからの日々は、第三幕ということになるのか。
だとしたら、第一幕はどこからどこまで、
第二幕はいつからだったのか──。

そんな、どうでもいいことを考えていた。
なんとなく、そういうことなのかぁ、という予感だけはある。

その予感が当っているのならば、第三幕を迎えることができよう。

第三幕を迎えられたとして、第四幕は始まるのか、それとも第三幕で終るのか。