Archive for category 映画

Date: 2月 26th, 2022
Cate: 映画

THE BLUE NOTE STORY(その1)

3月11日から一週間だけ、映画“THE BLUE NOTE STORY”が公開される。

監督はエリック・フリードラ、
製作総指揮はヴィム・ヴェンダース。

どんな映画なのかは、リンク先を見てほしい。
一週間という短い上映期間、
しかも上映劇場は、北海道が一、関東地区(東京)が二、
中部地区が一、近畿地区が二、九州地区が一と少ない。

おそらく割と早くストリーミングでも観ることができるようになるのだろうが、
こういう映画は大きなスクリーンの映画館で観たいもの。

観に行く予定だ。

Date: 2月 19th, 2022
Cate: 映画

WEST SIDE STORY(その3)

ここでもTIDALのことを取り上げるが、
TIDALでは「ウエスト・サイド物語」、
「ウエスト・サイド・ストーリー」のサウンドトラックだけでなく、
バーンスタインによる自作自演盤、ブロードウェイ盤(新旧)が聴ける。

「ウエスト・サイド・ストーリー」以外はMQAで聴ける。
バーンスタイン盤は、MQA(96kHz)で聴ける。

「ウエスト・サイド物語」に特に思い入れのなかった私でも、
バーンスタイン盤はCDで、出てすぐに買っている。
発売時期からいって、てっきりデジタル録音だとばかり思っていたのだが、
TIDALで96kHzで聴けるということは、アナログ録音ということになる。

バーンスタイン盤がMQAで聴けることは、早い時期から知っていた。
でも、改めて聴こう、とは、バーンスタイン好きの私なのに、そう思うことはなかった。

それでも「ウエスト・サイド・ストーリー」を観て帰宅したら、
ひさしぶりに聴いていた。三十数年ぶりに聴いていた。

といっても最初から最後まで通して聴いたわけではなく、
選曲しながらだから、正味半分ほどしか聴いていない。

聴いていて、私にとってのバーンスタインは、やっぱり指揮者だな、と思うとともに、
ジョン・ウィリアムズのことも少し考えていた。

Date: 2月 16th, 2022
Cate: 映画

WEST SIDE STORY(その2)

ミュージカルが好きな人にとっては、
「ウエスト・サイド・ストーリー」は昂奮の一本なのかもしれないが、
ミュージカルが余り好きじゃない私には、夢中になって観ていたとはいえなかった。

冒頭から、いきなりミュージカル全開といった感じで、
そのせいで入り込めないものを感じていたわけで、
そんな私だから「ウエスト・サイド・ストーリー」の映画の出来について、
なにか書こうとは思っていない。

ただ観ていて感じたのは、「ウエスト・サイド・ストーリー」はやはりアメリカの映画だし、
アメリカでなければ撮れない映画だと感じていた。
そうだからこ予告編をみて、大きなスクリーンで観たい、と思ったのだろう──、
と一人で納得していた。

「ウエスト・サイド・ストーリー」で何がいちばん印象に残っているのかといえば、
「Gringo(グリンゴ)」が、セリフの中に何度か出てきたことである。

手塚治虫好きの私は、手塚作品の「グリンゴ」で、その言葉を知った。
「グリンゴ」とは、よそものという意味のスペイン語とのこと。
いわゆる蔑称である。

私の記憶にないだけで、「ウエスト・サイド物語」のセリフにも登場していたのだろう。
そのころ小学生の私には、そんなことはまったく憶えていない。

だからといって「ウエスト・サイド物語」をいま一度観ようとは思っていない。
小学生のころ観た「ウエスト・サイド物語」は、けっこう大きなスクリーンだった。
田舎の映画館だから、意外にも大きいものである。
設備はもう古びていたように記憶している。

ほぼ五十年前のことだ。記憶も古ぼけている。
「ウエスト・サイド物語」と「ウエスト・サイド・ストーリー」を比較しようとも思っていない。

このことに関しては、いろんな人が語るはずだ。

Date: 2月 15th, 2022
Cate: 映画

WEST SIDE STORY(その1)

「ウエスト・サイド・ストーリー」を観てきた。
1961年公開の「ウエスト・サイド物語」も、ずっと昔(1970年代)に観ている。

私が観たのは、小学生のころだったはずだ。
当時、課外授業のかたちで映画鑑賞があった。
どこかが推薦している映画を、映画館で観る。

小学生のころの記憶だから、不確かなところもあるけれど、
観なくてはならない映画だったから「ウエスト・サイド物語」を観ていた。

「ウエスト・サイド物語」を観たのは、この一度きりである。
ミュージカルがあまり好きじゃないということも、みなかった理由の一つだ。

そんな私が「ウエスト・サイド・ストーリー」は観に行った。
スピルバーグがリメイクするという情報は前から知っていたけれど、
興味を持つことはなかった。

それでも映画を観に行くと、本編上映前に、
予告編やら最新映画情報などが流れる。

「ウエスト・サイド・ストーリー」もそうだった。
撮影が行われている時期から、最新情報としてその映像が流れていた。

そして去年、予告編が流れるようになった。
なにかの映画を観に行くたびに、
「ウエスト・サイド・ストーリー」の予告編をみることになる。

予告編を一度でも、映画館でみると、
これは大きなスクリーンで観たい、そう思うようになり、今日観てきた。

Date: 2月 7th, 2022
Cate: 映画

Ghostbusters: Afterlife

「ゴーストバスターズ/アフターライフ」を観てきた。
映画の内容には触れないが、ひとつ気になることがあった。

ポッドキャスト少年が登場する。
彼はソニー製のヘッドフォンを首にかけている。
それはいいのだが、なぜか左右を反対にかけているのだ。

ポッドキャスト少年がヘッドフォンを首に掛けているシーンはいくつもある。
そのすべてのシーンで、左右が反対なのだ。
ということは、意図的に反対にかけている、としか思えない。

制作会社はコロムビアピクチャーズで、
いうまでもなくソニーグループ傘下の映画スタジオである。

なのにソニー製のヘッドフォンを左右反対にかけているシーンを、
誰も気づかなかったのか。

Date: 1月 27th, 2022
Cate: 映画

HOUSE OF GUCCI

「ハウス・オブ・グッチ」を観てきた。
TOHOシネマズ日比谷のスクリーン1での上映だった。

映画の内容や感想について書きたいのではなく、
いくつかのシーンで、時計の秒針の音がはっきりと聞こえてくる。
ちょっと意外でもあった。

TOHOシネマズ日比谷で観ることが多い。
IMAXやドルビー・アトモスでの上映だと、スクリーン1ではなく、
スクリーン4やスクリーン5である。

スクリーン1での映画は、そういえばひさしぶりかも……、と思いながら、
本編上映前に流れる、毎回同じの鑑賞マナーや盗撮禁止の短い動画。

これらの音の印象が、スクリーン4、スクリーン5とはちょっと違う。
音の定位がいいのだ。

そういえば2020年の終りごろに、
サウンドシステムのチューニングを行ったというニュースがあったのを思い出す。

それがどのスクリーンなのかはわからなかったが、スクリーン1がそうなのは間違いないだろう。
そのことがあって、「ハウス・オブ・グッチ」での時計の秒針の音だったのか。

他の映画館では、そのあたりどうなんだろうか。

Date: 12月 3rd, 2021
Cate: 映画

JUDY(追補)

映画「JUDY」(邦題:ジュディ 虹の彼方に)。
映画公開は2020年3月ごろだったから、意外と時間がかかったけれど、
Amazon Prime Videoでの配信が始まった。

Date: 10月 12th, 2021
Cate: 映画

NO TIME TO DIE

007シリーズの最新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」。
この映画を観終ってすぐの感想は、五味先生はなんといわれるだろうか、だった。

007シリーズは好きだから、高校生になってから上映されてきた作品は、
すべて映画館で観ている。

そういえば、そのころの007の映画は正月映画としての娯楽大作的扱いだった。
そう007は、死なないのだ。

これから先は「ノー・タイム・トゥ・ダイ」の結末について間接的に触れる。
なのでネタバレが絶対にイヤという人は読まないでほしい。

五味先生は「音楽に在る死」の冒頭に、こう書かれている。
     *
 私小説のどうにもいい気で、我慢のならぬ点は、作者(作中の主人公)は絶対、死ぬことがない所にある。如何に生き難さを綴ろうと、悲惨な身辺を愬えようと「私」は間違っても死ぬ気遣いはない。生きている、だから「書く」という操作を為せる。通常の物語では、主人公は実人生に於けると同様、いつ、何ものか——運命ともいうべきもの——の手で死なされるか知れない。生死は測り難い。まあいかなる危機に置かれても死ぬ気づかいのないのは007とチャンバラ小説のヒーローと、「私」くらいなものである。その辺がいい気すぎ、阿房らしくて私小説など読む気になれぬ時期が私にはあった。
 非常の事態に遭遇すれば、人は言葉を失う。どんな天性の作家も言葉が見当らなくて物の書ける道理はない。書くのは、非常事態の衝撃から醒めて後、衝撃を跡づける解説か自己弁明のたぐいである。我が国ではどういうものか、大方の私小説を純文学と称する。借金をどうしたの、飲み屋の女とどうだった、女房子供がこう言った等と臆面もなく書き綴っても、それは作者の実人生だから、つまり絵空事の作り話ではないから何か尊ぶべきものという暗黙の了解が、事前に、読み手と作者の間にあるらしい。ばからしいリアリズムだ。勿論、スパイ小説にあっても主人公はいかなるピンチからも脱出するに相違ない。ヒーローが敵国の諜報団にあっ気なく殺されるのではストーリーは成立しない。この、必ず生きぬけるという前提が、読者を安心させているなら、救われているのはヒーローではなくて作者である。救われたそんな作者の筆になるものだから、読む方も安心していられる。つまり死ぬ気遣いのないのが実は救いになっていて、似た救いは私小説にもあるわけだろう。どれほど「私」が生きるため悪戦苦闘しようと、とにかく彼はくたばることがないのだから。
     *
007シリーズでは、ほぼ毎回、敵の詰めの甘さがひっかかることがある。
ストーリーを成立させるためなのはわかっているから、目くじら立てることではない。

でも、後少し詰めがしっかりしていれば、野望がかなうのに……、
そんなふうに感じている人はけっこう多いのではないか。

ダニエル・クレイグ主演の007シリーズは、
「ノー・タイム・トゥ・ダイ」を観に行く前に、プライムビデオで四作品をもう一度観ていた。

それでも安心しながら観ていたのは、五味先生が書かれている通りであるからだ。
だからこそラスト近くになっての展開は、もしかして……、と思わせる。

それでも007……だからというおもいもあった。

「音楽に在る死」のなかほどで、こうも書かれている。
《死のつらさを書かぬ作者は、要するに贋者だ》。

007シリーズでは、多くの登場人物が死ぬ。
けれど、それらは死のつらさをえがいたものとは、ほとんどいえない。

「ノー・タイム・トゥ・ダイ」のあのシーンは、妙に明るくえがかれている。
だから、そこには死のつらさがない、とは思わない。

Date: 4月 17th, 2021
Cate: 映画

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||(その2)

4月5日に「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観た。
それから何をしていたかといえば、
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」をさかのぼってみていた。

四部作である「シン・エヴァンゲリオン劇場版」。
一作目が「序」であり、「破」、「Q」ときて、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。

公開時にみていた。
それを今回の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のあとに、もういちどみた。

ただし順番は「Q」、「破」、「序」の順番でみた。
そうやってみていくことで気づくことがいくつもあった。

こういう順番でみられることを作り手側は想定していたのか、そうでなかったのか。
こんな見方をしていて、そういえば、ワーグナーの「ニーベルングの指環」もそうだった、
と思い出した。

もちろん最初は順番とおりに聴いていった。
「ラインの黄金」、「ワルキューレ」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」と聴いていった。
わりと短期間で聴いていったわけではない。

「ラインの黄金」は一気に聴いた。
けれど、のこりはそうはいかなかった。
二日か三日かけて、聴いていった。

しかも連続しての二日や三日ではなく、そのあいだが数日あいている。
さらに作品ごとのあいだもあいている。

「ラインの黄金」を聴いて、しばらくして「ワルキューレ」だった。
「ワルキューレ」のあと、もっとあけての「ジークフリート」で、
「ジークフリート」と「神々の黄昏」のあいだは、もっとあいていた。

「ラインの黄金」を聴いてから、「神々の黄昏」までは一ヵ月以上かかっている。
そうやって聴いた「ニーベルングの指環」を、今度はさかのぼって聴いていった。

「神々の黄昏」のあとに、あとずいぶんあいだをあけての「ジークフリート」、
またあけての「ワルキューレ」、そして「ラインの黄金」である。

一回目よりも、さらに時間がかかった。
そんな聴き方を、20代のころしていたことを、おもいだしていた。

Date: 4月 6th, 2021
Cate: 映画

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||(その1)

今年最初の映画館での映画は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」だった。
平日の昼間、さほど混んでいなかった。

映画の出来、内容については人それぞれで賛否あったり、好き嫌いもあるようだ。
でも観ていると、これだけ時間をふくめて心血注いでつくられた作品は、
そう多くないと思っていた。

これだけだったら、ここでは書かないのだが、
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」も、「願い」だった。

昨年12月にみた「ワンダーウーマン1984」もそうだった。
願いの成就には、高い代償をともなう。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」では、「願いと報い」だった。

昨年最後に観た映画と今年最初に観た映画で、
「願いと報い」である。

Date: 12月 27th, 2020
Cate: 映画

映画の音、ホームシアターの音(その1)

今日、ホームシアターで「マトリックス リローデッド」を観ていた。
スピーカーは田口スピーカーのトールボーイ型。

このスピーカーで、この空間で音楽を聴いたことはあったけれど、映画を観たのは初めてだった。

「マトリックス リローデッド」は劇場で観ている。
十七年前のことだから、記憶も少しあやしくなっているのはわかっているが、
それでも劇場で観た時よりもずっと音楽に耳が向いていることに気づいた。

本格的なホームシアターで映画を観たことはないので、なんともいえないのだが、
こういうホームシアターの在り方は、いいな、と思っていた。

今日までは観に行くつもりはなかったのだが、TOHOシネマズ日比谷のサウンドシステムのチューニングが、
より音楽を聴く方向になった、というニュースが最近あった。
大晦日に「ボヘミアン・ラプソディ」を上映する。
こういう状況下ではあるが、混み具合をみてどうしようかな、と思っている。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: 映画

私は、マリア・カラス(追補)

2018年12月に公開された映画「私は、マリア・カラス(MARIA BY CALLAS)」。
DVDは2019年9月に発売になっている。

今日からAmazon Prime Videoでの配信が始まった。

Date: 11月 15th, 2020
Cate: 映画

TENET(補足)

一ヵ月ほど前に、映画「テネット」の音について書いた。

こんな記事があるのを見つけた。
クリストファーノーラン、音がうるさすぎてセリフが聞こえないと文句を言われショックを受ける

ノーラン監督がショックをうけたのは、
《人々がサウンドに関してはこんなにも保守的なのかということに気付いて》である。

「テネット」のサウンドに関しては、《急進的なミックス》ともいっている。
この記事を公開しているシネマトゥデイのサイトで、
「テネット」の音に関しての記事が、もう一本あった。

『TENET テネット』音楽にノーラン監督の呼吸音を使用

「テネット」の音楽を手がけているのは、ルートヴィッヒ・ヨーランソン。
シネマトゥデイの記事では、
「今回のスコアの大部分は、何の音かいまいちわからないギター音や周囲音だったりする。人の呼吸音なども使っているんだ。これはクリストファー(・ノーラン監督)が考えついた案で、クリストファーが自らマイクに吹き込んでくれた呼吸音を細工して、不快な音に仕上げているよ」
とある。

結果として仕上がった音に、ノーラン監督は、
《音色そのものが映画のDNAに織り込まれているかのよう》と語っている。

音色とあるが、私が映画館で体験できたのは、音触といいたいものだった。

Date: 11月 3rd, 2020
Cate: 映画

BORN TO BE BLUE

「CHET BAKER SINGS」のMQA-CDの発売が、なぜ遅れているのか、
その理由は知らない。
発売されるのをじっと待つしかないわけだが、
今日Amazon Prim Videoを眺めていたら、
「ブルーに生まれついて(BORN TO BE BLUE)」があるのに気づいて観ていた。

2016年の映画。
イーサン・ホークが、チェット・ベイカーを演じている。

Amazon Prim Videoでの公開は、3日以内に終了、とある。

Date: 10月 18th, 2020
Cate: 映画

JUDY(その7)

2013年のNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」。
薬師丸ひろ子演じる鈴鹿ひろ美が、最終回に近い回で、歌うシーンがある。

鈴鹿ひろ美はひどい音痴という設定だった。
鈴鹿ひろ美が若いころ、レコードデビューをしようとしたが、
あまりにもヘタなため、小泉今日子演じる天野春子が代りにレコーディングしている。
ゴーストライターならぬゴーストシンガーとして。

その鈴鹿ひろ美が、天野春子が当時歌った曲を歌う。
天野春子が鈴鹿ひろ美に歌の特訓をする。
けれど途中で投げ出してしまう。

歌う当日、天野春子が裏で、ふたたびゴーストシンガーと歌う手はずだったが、
マイクロフォンのトラブルで、鈴鹿ひろ美が歌う。

鈴鹿ひろ美が音痴であることを知る周囲は、どうなるのかはらはらしていたが、
見事な歌唱だった。

そういうシーンがあった。
これをどう解釈するのか。

鈴鹿ひろ美は音痴ではなかったのか。
なぜ、こんなにも見事に歌えたのか。
実力を隠していたのか。

鈴鹿ひろ美は、一流の女優という設定である。
だからこそ、ここでの歌唱は、女優・鈴鹿ひろ美が、歌手を見事に演じたからこそだと思う。

歌手・鈴鹿ひろ美として舞台に立っていたら、ここまで歌えなかっただろう。
私は、そう解釈して、そのシーンを見ていたから、
映画「JUDY」でのレネー・ゼルウィガーの歌唱は素晴らしさは、
レネー・ゼルウィガーが女優として一流だからこそ、なのではないのか、と思ってしまう。