Archive for category 映画

Date: 5月 8th, 2022
Cate: 映画

Doctor Strange in the Multiverse of Madness(その1)

「ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス」を観てきた。
IMAX 3Dでの映画鑑賞は久しぶりである。

昨年はIMAX 3Dで一本も映画を観ていない。
上映している映画も少なかったと記憶している。

以前なら、この種の映画ならIMAX 3Dでの上映があるのに──、
そう思える作品でもなかったりしていた。

「ドクター・ストレンジ」本編については何も書かない。
今日驚いたのは、本編が始まる前に流れた「アバター」の予告編についてである。

「Avatar: The Way of Water」は「アバター」の続編で12月公開予定である。
その予告編も、IMAX 3Dだった。

映像のクォリティに驚いた。
この予告編をIMAX 3Dで観られただけでも、
今日映画館に足を運んでよかった、と思えるくらいの出来なのだ。

公開まであと七ヵ月もあるのだから、公開時にはさらにクォリティは向上しているかもしれない。
公開が待ち遠しいと思っているのだが、
世の中には、この種の映画を蔑視する人たちがいる。

CGだけが売りで、内容的には……、と、そんなことをいって否定する。
内容的に……、といいたくなる映画もあるといえばあるけれど、
それにしても、こんなことをいう人は、
IMAX 3Dで上映される作品における情報量を処理できずにいるのではないのだろうか。

スクリーンに映し出される情報量は、IMAX 3Dともなると多い。
それに動きの早いシーンによっては目が追いつかない、と感じたりもする。

私はCGでしっかり作り込まれた映画をIMAX 3Dで観るのは、
スポーツのようなものだと受け止めている。
頭のスポーツである。

ふだんあまり動かしていない(と感じている)頭の部位を、
この種の優れた映画を観ると、鍛えられるような感じがする。

人は、処理し切れない情報量の場合、単純化(省略化)してしまう──、
という説を以前読んだことがある。
脳のオーバーヒートをおこさないようにするため、らしい。

三年ほど前にも、別項で同じようなことを書いているけれど、
「アバター」の予告編を観て、またさらに頭が鍛えられそうな、
つまり情報の処理能力が鍛えられそうな映画登場してくる、
そんなふうにも受け止めていた。

Date: 3月 24th, 2022
Cate: 映画

THE BLUE NOTE STORY(その3)

映画“THE BLUE NOTE STORY”、
最終日の今日、やっと観てきた。

それまでは午前と午後の二回上映だったのが、
3月18日からは午前中一回のみになっているため、
なかなか都合がつかずにぎりぎりになってしまった。

アップリンク吉祥寺は、パルコ吉祥寺の地下二階にある。
アップリンクの前は、そこは書店だった。

吉祥寺に寄るときは、その書店によく行っていた。
この書店が閉店してからはパルコに行くことも極端に減ってしまった。

なので大型のシネマコンプレックスとは、映画館としてのつくりが違う。
天井も高くないし、おおがかりな音響装置があるわけでもない。

ただしスピーカーは田口音響製である。

それに上映中に立って歩く人がいると、その人の影がスクリーンに投影される。
今日はそうだった。
遅れて入ってきた人の影が、スクリーンを横切る。
しかも、この人、完全に終了していないときに出て行ったものだから、また影が横切る。

帽子のシルエットが同じだったから、同じ人のはずだ。

“THE BLUE NOTE STORY”は、熱心なジャズの聴き手ではない私が観ても興味深かった。
いずれストリーミングでも観れるようになるだろうから、その時は観てほしい。

私が個人的に印象に残っている、というか、
いわれてみると、たしかにそうだ、と感じたのは、
ブルーノートは録音しレコードを出すことで、
アメリカの公民権運動の一翼を担っていた、というところだ。

そういう見方をしたことがなかっただけに、
この時代、リアルタイムにブルーノートのレコードを聴いてきた人は、
どう思っているのだろうか──、
そのことが知りたくもなった。

今日(3月24日)は岩崎先生の命日である。
岩崎先生は、この映画にどんな感想をもたれただろうか。

Date: 3月 16th, 2022
Cate: 映画

THE BLUE NOTE STORY(その2)

映画“THE BLUE NOTE STORY”、
東京では角川シネマ有楽町とアップリンク吉祥寺の二館だけ。

角川シネマ有楽町は、3月11日の公開から一週間で上映は終る。
明日(3月17日)まで、である。

アップリンク吉祥寺は3月24日まで上映している。
明日までは一日二回上映だったのが、午前中の一回のみになる。

Date: 3月 2nd, 2022
Cate: 映画

ようこそ映画音響の世界へ

Netflixで昨日から配信が始まった「ようこそ映画音響の世界へ」。
タイトルそのままの内容だから内容についてはばっさり省略するが、
音、音響に関心がある人ならば、ぜひ見てほしい。

Date: 2月 26th, 2022
Cate: 映画
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WEST SIDE STORY(その4)

以前、別項で引用したことを、ここでもう一度引用しておこう。

河出書房新社の「フルトヴェングラー 最大最高の指揮者」に、
作曲家・伊東乾氏による「作曲家フルトヴェングラー」についての文章がある。

バーンスタインの話から始まる。
     *
 生前のレナード・バーンスタイン(1918-1990)と初めて会ったときの事だ。たまたま学生として参加していた彼の音楽祭で、当時僕がスタッフをしていた武満徹監修の雑誌の企画で「作曲家としてのバーンスタイン」に話を聴くことになった。
 ところが、話が始まって20分位だったか、マエストロ・レニーは突然、何か感極まったような表情になってしまった。
 思いつめたような声で、半ば涙すら浮かべながら
「コープランドには第三交響曲がある。アイヴズには第四交響曲がある。でも自分には何もない」
 と訴え始めたのだ。大変に驚いた。
 反射的に彼の『ウエストサイド・ストーリー』(『シンフォニック・ダンス』)の名を挙げてみたのだが
「ああ、あんなものは……」
 と更に意気消沈してしまった。確かに「シンフォニック・ダンス」はよく知られた作品だが、実はオーケストレーションも他の人間が担当しており、ミュージカル映画の付帯音楽に過ぎないのは否めない。
「誰も僕を、作曲家としてなんか認めていない……」
「いいえ、あなたが一九八五年、原爆40年平和祈念コンサートで演奏された第三交響曲『カディッシュ』は素晴らしかっただから今、僕たちはここに来て、作曲家としてのあなたにお話を伺っているのです。
 自分の信じる通りを誠実に話して、どうにか気持ちを立て直して貰った。
     *
これを引用した別項でも書いたことだが、
グルダは、バーンスタインはジャズがわかっていないと批判していた。

バーンスタインの「ウエスト・サイド・ストーリー」を名曲という人は少なくない。
そうだろうな、と思いつつも、私には退屈だったりする。

耳に残る旋律があるものの、全体を通して聴くことは、もうしない。
そんな私でもバーンスタインが「ウエスト・サイド・ストーリー」を録音したことには、
へんないいかたになるが感謝している。

ホセ・カレーラスとキリ・テ・カナワを起用した「ウエスト・サイド・ストーリー」は、
CDだけでなくLD(レーザーディスク)も発売になった。

一度見ている。
ホセ・カレーラスが、クラシック歌手特有の歌い方がどうしても抜け切らず、
録音現場から立ち去ってしまうシーンがあった。

このことがあったから、
「ウエスト・サイド・ストーリー」での録音があったから、
その十数年後の“AROUND THE WORLD”がある、と感じるからだ。

Date: 2月 26th, 2022
Cate: 映画

THE BLUE NOTE STORY(その1)

3月11日から一週間だけ、映画“THE BLUE NOTE STORY”が公開される。

監督はエリック・フリードラ、
製作総指揮はヴィム・ヴェンダース。

どんな映画なのかは、リンク先を見てほしい。
一週間という短い上映期間、
しかも上映劇場は、北海道が一、関東地区(東京)が二、
中部地区が一、近畿地区が二、九州地区が一と少ない。

おそらく割と早くストリーミングでも観ることができるようになるのだろうが、
こういう映画は大きなスクリーンの映画館で観たいもの。

観に行く予定だ。

Date: 2月 19th, 2022
Cate: 映画

WEST SIDE STORY(その3)

ここでもTIDALのことを取り上げるが、
TIDALでは「ウエスト・サイド物語」、
「ウエスト・サイド・ストーリー」のサウンドトラックだけでなく、
バーンスタインによる自作自演盤、ブロードウェイ盤(新旧)が聴ける。

「ウエスト・サイド・ストーリー」以外はMQAで聴ける。
バーンスタイン盤は、MQA(96kHz)で聴ける。

「ウエスト・サイド物語」に特に思い入れのなかった私でも、
バーンスタイン盤はCDで、出てすぐに買っている。
発売時期からいって、てっきりデジタル録音だとばかり思っていたのだが、
TIDALで96kHzで聴けるということは、アナログ録音ということになる。

バーンスタイン盤がMQAで聴けることは、早い時期から知っていた。
でも、改めて聴こう、とは、バーンスタイン好きの私なのに、そう思うことはなかった。

それでも「ウエスト・サイド・ストーリー」を観て帰宅したら、
ひさしぶりに聴いていた。三十数年ぶりに聴いていた。

といっても最初から最後まで通して聴いたわけではなく、
選曲しながらだから、正味半分ほどしか聴いていない。

聴いていて、私にとってのバーンスタインは、やっぱり指揮者だな、と思うとともに、
ジョン・ウィリアムズのことも少し考えていた。

Date: 2月 16th, 2022
Cate: 映画

WEST SIDE STORY(その2)

ミュージカルが好きな人にとっては、
「ウエスト・サイド・ストーリー」は昂奮の一本なのかもしれないが、
ミュージカルが余り好きじゃない私には、夢中になって観ていたとはいえなかった。

冒頭から、いきなりミュージカル全開といった感じで、
そのせいで入り込めないものを感じていたわけで、
そんな私だから「ウエスト・サイド・ストーリー」の映画の出来について、
なにか書こうとは思っていない。

ただ観ていて感じたのは、「ウエスト・サイド・ストーリー」はやはりアメリカの映画だし、
アメリカでなければ撮れない映画だと感じていた。
そうだからこ予告編をみて、大きなスクリーンで観たい、と思ったのだろう──、
と一人で納得していた。

「ウエスト・サイド・ストーリー」で何がいちばん印象に残っているのかといえば、
「Gringo(グリンゴ)」が、セリフの中に何度か出てきたことである。

手塚治虫好きの私は、手塚作品の「グリンゴ」で、その言葉を知った。
「グリンゴ」とは、よそものという意味のスペイン語とのこと。
いわゆる蔑称である。

私の記憶にないだけで、「ウエスト・サイド物語」のセリフにも登場していたのだろう。
そのころ小学生の私には、そんなことはまったく憶えていない。

だからといって「ウエスト・サイド物語」をいま一度観ようとは思っていない。
小学生のころ観た「ウエスト・サイド物語」は、けっこう大きなスクリーンだった。
田舎の映画館だから、意外にも大きいものである。
設備はもう古びていたように記憶している。

ほぼ五十年前のことだ。記憶も古ぼけている。
「ウエスト・サイド物語」と「ウエスト・サイド・ストーリー」を比較しようとも思っていない。

このことに関しては、いろんな人が語るはずだ。

Date: 2月 15th, 2022
Cate: 映画

WEST SIDE STORY(その1)

「ウエスト・サイド・ストーリー」を観てきた。
1961年公開の「ウエスト・サイド物語」も、ずっと昔(1970年代)に観ている。

私が観たのは、小学生のころだったはずだ。
当時、課外授業のかたちで映画鑑賞があった。
どこかが推薦している映画を、映画館で観る。

小学生のころの記憶だから、不確かなところもあるけれど、
観なくてはならない映画だったから「ウエスト・サイド物語」を観ていた。

「ウエスト・サイド物語」を観たのは、この一度きりである。
ミュージカルがあまり好きじゃないということも、みなかった理由の一つだ。

そんな私が「ウエスト・サイド・ストーリー」は観に行った。
スピルバーグがリメイクするという情報は前から知っていたけれど、
興味を持つことはなかった。

それでも映画を観に行くと、本編上映前に、
予告編やら最新映画情報などが流れる。

「ウエスト・サイド・ストーリー」もそうだった。
撮影が行われている時期から、最新情報としてその映像が流れていた。

そして去年、予告編が流れるようになった。
なにかの映画を観に行くたびに、
「ウエスト・サイド・ストーリー」の予告編をみることになる。

予告編を一度でも、映画館でみると、
これは大きなスクリーンで観たい、そう思うようになり、今日観てきた。

Date: 2月 7th, 2022
Cate: 映画

Ghostbusters: Afterlife

「ゴーストバスターズ/アフターライフ」を観てきた。
映画の内容には触れないが、ひとつ気になることがあった。

ポッドキャスト少年が登場する。
彼はソニー製のヘッドフォンを首にかけている。
それはいいのだが、なぜか左右を反対にかけているのだ。

ポッドキャスト少年がヘッドフォンを首に掛けているシーンはいくつもある。
そのすべてのシーンで、左右が反対なのだ。
ということは、意図的に反対にかけている、としか思えない。

制作会社はコロムビアピクチャーズで、
いうまでもなくソニーグループ傘下の映画スタジオである。

なのにソニー製のヘッドフォンを左右反対にかけているシーンを、
誰も気づかなかったのか。

Date: 1月 27th, 2022
Cate: 映画

HOUSE OF GUCCI

「ハウス・オブ・グッチ」を観てきた。
TOHOシネマズ日比谷のスクリーン1での上映だった。

映画の内容や感想について書きたいのではなく、
いくつかのシーンで、時計の秒針の音がはっきりと聞こえてくる。
ちょっと意外でもあった。

TOHOシネマズ日比谷で観ることが多い。
IMAXやドルビー・アトモスでの上映だと、スクリーン1ではなく、
スクリーン4やスクリーン5である。

スクリーン1での映画は、そういえばひさしぶりかも……、と思いながら、
本編上映前に流れる、毎回同じの鑑賞マナーや盗撮禁止の短い動画。

これらの音の印象が、スクリーン4、スクリーン5とはちょっと違う。
音の定位がいいのだ。

そういえば2020年の終りごろに、
サウンドシステムのチューニングを行ったというニュースがあったのを思い出す。

それがどのスクリーンなのかはわからなかったが、スクリーン1がそうなのは間違いないだろう。
そのことがあって、「ハウス・オブ・グッチ」での時計の秒針の音だったのか。

他の映画館では、そのあたりどうなんだろうか。

Date: 12月 3rd, 2021
Cate: 映画

JUDY(追補)

映画「JUDY」(邦題:ジュディ 虹の彼方に)。
映画公開は2020年3月ごろだったから、意外と時間がかかったけれど、
Amazon Prime Videoでの配信が始まった。

Date: 10月 12th, 2021
Cate: 映画

NO TIME TO DIE

007シリーズの最新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」。
この映画を観終ってすぐの感想は、五味先生はなんといわれるだろうか、だった。

007シリーズは好きだから、高校生になってから上映されてきた作品は、
すべて映画館で観ている。

そういえば、そのころの007の映画は正月映画としての娯楽大作的扱いだった。
そう007は、死なないのだ。

これから先は「ノー・タイム・トゥ・ダイ」の結末について間接的に触れる。
なのでネタバレが絶対にイヤという人は読まないでほしい。

五味先生は「音楽に在る死」の冒頭に、こう書かれている。
     *
 私小説のどうにもいい気で、我慢のならぬ点は、作者(作中の主人公)は絶対、死ぬことがない所にある。如何に生き難さを綴ろうと、悲惨な身辺を愬えようと「私」は間違っても死ぬ気遣いはない。生きている、だから「書く」という操作を為せる。通常の物語では、主人公は実人生に於けると同様、いつ、何ものか——運命ともいうべきもの——の手で死なされるか知れない。生死は測り難い。まあいかなる危機に置かれても死ぬ気づかいのないのは007とチャンバラ小説のヒーローと、「私」くらいなものである。その辺がいい気すぎ、阿房らしくて私小説など読む気になれぬ時期が私にはあった。
 非常の事態に遭遇すれば、人は言葉を失う。どんな天性の作家も言葉が見当らなくて物の書ける道理はない。書くのは、非常事態の衝撃から醒めて後、衝撃を跡づける解説か自己弁明のたぐいである。我が国ではどういうものか、大方の私小説を純文学と称する。借金をどうしたの、飲み屋の女とどうだった、女房子供がこう言った等と臆面もなく書き綴っても、それは作者の実人生だから、つまり絵空事の作り話ではないから何か尊ぶべきものという暗黙の了解が、事前に、読み手と作者の間にあるらしい。ばからしいリアリズムだ。勿論、スパイ小説にあっても主人公はいかなるピンチからも脱出するに相違ない。ヒーローが敵国の諜報団にあっ気なく殺されるのではストーリーは成立しない。この、必ず生きぬけるという前提が、読者を安心させているなら、救われているのはヒーローではなくて作者である。救われたそんな作者の筆になるものだから、読む方も安心していられる。つまり死ぬ気遣いのないのが実は救いになっていて、似た救いは私小説にもあるわけだろう。どれほど「私」が生きるため悪戦苦闘しようと、とにかく彼はくたばることがないのだから。
     *
007シリーズでは、ほぼ毎回、敵の詰めの甘さがひっかかることがある。
ストーリーを成立させるためなのはわかっているから、目くじら立てることではない。

でも、後少し詰めがしっかりしていれば、野望がかなうのに……、
そんなふうに感じている人はけっこう多いのではないか。

ダニエル・クレイグ主演の007シリーズは、
「ノー・タイム・トゥ・ダイ」を観に行く前に、プライムビデオで四作品をもう一度観ていた。

それでも安心しながら観ていたのは、五味先生が書かれている通りであるからだ。
だからこそラスト近くになっての展開は、もしかして……、と思わせる。

それでも007……だからというおもいもあった。

「音楽に在る死」のなかほどで、こうも書かれている。
《死のつらさを書かぬ作者は、要するに贋者だ》。

007シリーズでは、多くの登場人物が死ぬ。
けれど、それらは死のつらさをえがいたものとは、ほとんどいえない。

「ノー・タイム・トゥ・ダイ」のあのシーンは、妙に明るくえがかれている。
だから、そこには死のつらさがない、とは思わない。

Date: 4月 17th, 2021
Cate: 映画

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||(その2)

4月5日に「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観た。
それから何をしていたかといえば、
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」をさかのぼってみていた。

四部作である「シン・エヴァンゲリオン劇場版」。
一作目が「序」であり、「破」、「Q」ときて、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。

公開時にみていた。
それを今回の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のあとに、もういちどみた。

ただし順番は「Q」、「破」、「序」の順番でみた。
そうやってみていくことで気づくことがいくつもあった。

こういう順番でみられることを作り手側は想定していたのか、そうでなかったのか。
こんな見方をしていて、そういえば、ワーグナーの「ニーベルングの指環」もそうだった、
と思い出した。

もちろん最初は順番とおりに聴いていった。
「ラインの黄金」、「ワルキューレ」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」と聴いていった。
わりと短期間で聴いていったわけではない。

「ラインの黄金」は一気に聴いた。
けれど、のこりはそうはいかなかった。
二日か三日かけて、聴いていった。

しかも連続しての二日や三日ではなく、そのあいだが数日あいている。
さらに作品ごとのあいだもあいている。

「ラインの黄金」を聴いて、しばらくして「ワルキューレ」だった。
「ワルキューレ」のあと、もっとあけての「ジークフリート」で、
「ジークフリート」と「神々の黄昏」のあいだは、もっとあいていた。

「ラインの黄金」を聴いてから、「神々の黄昏」までは一ヵ月以上かかっている。
そうやって聴いた「ニーベルングの指環」を、今度はさかのぼって聴いていった。

「神々の黄昏」のあとに、あとずいぶんあいだをあけての「ジークフリート」、
またあけての「ワルキューレ」、そして「ラインの黄金」である。

一回目よりも、さらに時間がかかった。
そんな聴き方を、20代のころしていたことを、おもいだしていた。

Date: 4月 6th, 2021
Cate: 映画

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||(その1)

今年最初の映画館での映画は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」だった。
平日の昼間、さほど混んでいなかった。

映画の出来、内容については人それぞれで賛否あったり、好き嫌いもあるようだ。
でも観ていると、これだけ時間をふくめて心血注いでつくられた作品は、
そう多くないと思っていた。

これだけだったら、ここでは書かないのだが、
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」も、「願い」だった。

昨年12月にみた「ワンダーウーマン1984」もそうだった。
願いの成就には、高い代償をともなう。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」では、「願いと報い」だった。

昨年最後に観た映画と今年最初に観た映画で、
「願いと報い」である。