シン・エヴァンゲリオン劇場版:||(その2)
4月5日に「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観た。
それから何をしていたかといえば、
「シン・エヴァンゲリオン劇場版」をさかのぼってみていた。
四部作である「シン・エヴァンゲリオン劇場版」。
一作目が「序」であり、「破」、「Q」ときて、「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」。
公開時にみていた。
それを今回の「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のあとに、もういちどみた。
ただし順番は「Q」、「破」、「序」の順番でみた。
そうやってみていくことで気づくことがいくつもあった。
こういう順番でみられることを作り手側は想定していたのか、そうでなかったのか。
こんな見方をしていて、そういえば、ワーグナーの「ニーベルングの指環」もそうだった、
と思い出した。
もちろん最初は順番とおりに聴いていった。
「ラインの黄金」、「ワルキューレ」、「ジークフリート」、「神々の黄昏」と聴いていった。
わりと短期間で聴いていったわけではない。
「ラインの黄金」は一気に聴いた。
けれど、のこりはそうはいかなかった。
二日か三日かけて、聴いていった。
しかも連続しての二日や三日ではなく、そのあいだが数日あいている。
さらに作品ごとのあいだもあいている。
「ラインの黄金」を聴いて、しばらくして「ワルキューレ」だった。
「ワルキューレ」のあと、もっとあけての「ジークフリート」で、
「ジークフリート」と「神々の黄昏」のあいだは、もっとあいていた。
「ラインの黄金」を聴いてから、「神々の黄昏」までは一ヵ月以上かかっている。
そうやって聴いた「ニーベルングの指環」を、今度はさかのぼって聴いていった。
「神々の黄昏」のあとに、あとずいぶんあいだをあけての「ジークフリート」、
またあけての「ワルキューレ」、そして「ラインの黄金」である。
一回目よりも、さらに時間がかかった。
そんな聴き方を、20代のころしていたことを、おもいだしていた。