Date: 10月 18th, 2020
Cate: 映画
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JUDY(その7)

2013年のNHKの連続テレビ小説「あまちゃん」。
薬師丸ひろ子演じる鈴鹿ひろ美が、最終回に近い回で、歌うシーンがある。

鈴鹿ひろ美はひどい音痴という設定だった。
鈴鹿ひろ美が若いころ、レコードデビューをしようとしたが、
あまりにもヘタなため、小泉今日子演じる天野春子が代りにレコーディングしている。
ゴーストライターならぬゴーストシンガーとして。

その鈴鹿ひろ美が、天野春子が当時歌った曲を歌う。
天野春子が鈴鹿ひろ美に歌の特訓をする。
けれど途中で投げ出してしまう。

歌う当日、天野春子が裏で、ふたたびゴーストシンガーと歌う手はずだったが、
マイクロフォンのトラブルで、鈴鹿ひろ美が歌う。

鈴鹿ひろ美が音痴であることを知る周囲は、どうなるのかはらはらしていたが、
見事な歌唱だった。

そういうシーンがあった。
これをどう解釈するのか。

鈴鹿ひろ美は音痴ではなかったのか。
なぜ、こんなにも見事に歌えたのか。
実力を隠していたのか。

鈴鹿ひろ美は、一流の女優という設定である。
だからこそ、ここでの歌唱は、女優・鈴鹿ひろ美が、歌手を見事に演じたからこそだと思う。

歌手・鈴鹿ひろ美として舞台に立っていたら、ここまで歌えなかっただろう。
私は、そう解釈して、そのシーンを見ていたから、
映画「JUDY」でのレネー・ゼルウィガーの歌唱は素晴らしさは、
レネー・ゼルウィガーが女優として一流だからこそ、なのではないのか、と思ってしまう。

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