Archive for category ディスク/ブック

Date: 12月 15th, 2022
Cate: ディスク/ブック

バッハ ヴァイオリン協奏曲

この数日、集中して聴いていたのは、バッハのヴァイオリン協奏曲である。
古い録音から最新録音まで、TIDALで検索してめぼしいと感じた録音をかなり聴いた。

聴いて気づいたことは、私だけのことなのかもしれないが、
他の曲(バッハにかぎらず、他の作曲家の作品)では、
演奏が素晴らしければ、録音の古さはそれほど気にしなかったりするのだが、
バッハのヴァイオリン協奏曲に関してだけは、録音の出来がひどく気になってた。

録音が優れていても演奏が……、というのはいらない。
演奏は優れていても、録音がやや……、というのが、なぜか気になる。

ヒラリー・ハーンがドイツ・グラモフォンに移籍した第一弾となった録音、
ジェフリー・カヘイン指揮ロサンジェルス室内管弦楽団とによる演奏が、
私には、他のどの録音よりも魅力的に感じた。

SACDで出ていたはずだからDSD録音なのか。
TIDALでは88.2kHzのMQAで聴ける。

2003年に出たアルバムを、いまごろ聴いて、うわーっと驚いているしだい。

Date: 12月 13th, 2022
Cate: ディスク/ブック, 映画

MEN 同じ顔の男たち

昨日、映画「MEN 同じ顔の男たち」を観てきた。

予告編をみたときから、ぜひ観たいと思っていた。
予告編以上に不気味というか不快な映画だから、
おもしろい映画だから、観てほしい、とすすめたりはしない。

よく、この内容でR15+で済んだな、と思うようなシーンが終盤にある。
この時代だからこそ可能な映像であるから、よけいに生々しい。

昨晩は帰宅してから、
TIDALで「MEN 同じ顔の男たち」のサウンドトラックをすぐさま検索した。
あった。

映画を観ていない人、観たくない人にも、こちらはおすすめしたい。
音もよい。

Date: 12月 10th, 2022
Cate: ディスク/ブック

Walking In The Dark

“Walking In The Dark”。
ジュリア・ブロックのノンサッチからのアルバムである。

ジュリア・ブロックについては何も知らなかった。
TIDALのニューアルバムのところに表示されていたから、
興味本位で聴いただけなのだが、いいアルバムだけでなく、いい歌手だ。

すでに12月。
オーディオ機器は、年内に素晴らしいモデルが登場する可能性は時間的に少ない。
まずない、といっていい。

けれどレコード(録音物)は違う。
あと三週間ほどで今年は終るけれど、まだまだ素晴らしいアルバムと出合える可能性は、
オーディオ機器よりもずっとずっと高い。

ノンサッチはMQAに積極的である。
44.1kHzのデジタル録音もMQAにしている。
このアルバムももちろんMQA Studio(192kHz)で聴ける。

“Walking In The Dark”はe-onkyoにもある。
けれど、こちらはflacのみで、96kHzだけである。

ジュリア・ブロックの声は、MQAで聴いてもらいたい。

Date: 11月 19th, 2022
Cate: ディスク/ブック

Beethoven · Schumann · Franck / Renaud Capuçon · Martha Argerich

“Beethoven · Schumann · Franck / Renaud Capuçon · Martha Argerich”、
ヴァイオリニストのルノー・カプソンとピアニストのマルタ・アルゲリッチによるライヴ録音。
TIDALで、MQA(48kHz)で聴いた。

2022年4月23日の録音だから、アルゲリッチは80歳。
でも演奏を聴いていると、とうていそんな高齢とはまったく思えない。
この人は、いったい何歳なのか、とおもってしまう。

みずみずしい。
アルゲリッチには、もっともっと長生きしてほしい。
90歳の演奏、100歳になっての演奏。それらを聴いていきたい。

Date: 11月 12th, 2022
Cate: ディスク/ブック

Vitali: Chaconne in G Minor

TIDALのおかげで、今年も聴きたいとおもった録音の多くを聴くことができた。
聴きたいと思ってすぐに聴ける。

このありがたさを、私と同じ世代、上の世代の人たちは実感すると思う。
若い頃、聴きたいと思っても、そうそうすぐには聴けなかった。

学生だったころは、聴きたいと思っても、レコードをすぐには買えなかった。
しかもFM局は、私が住んでいた田舎はNHKだけ。

聴きたいレコードはあっても、そのうちのどれだけを買って聴けたのか。
環境によって大きく違ってくることだけに、そんなことはなかったという人もいれば、
確かにそうだった──、と頷く人もいる。

そういう時代を過してきただけに、
TIDALのありがたさは、増していくばかりだ。

TIDALのおかげで、ジャンルに関係なく、そして録音の古い新しいに関係なく、
聴きたいとおもった音楽を、すぐに聴ける。

もちろんTIDALにない曲もある。
それでも聴ける曲のほうが圧倒的に多い。

そうやって今年聴いたもののなかで、
私のなかでは一、二を争うほど印象が強かったのが、
ハイフェッツによるヴィターリのシャコンヌだ。

ヴィターリのシャコンヌは、ずっと以前に聴いている。
誰の演奏だったのか憶えていない。
ハイフェッツではなかったことだけは確かだ。

つまり、あまり印象に残っていない。
それもあって、ヴィターリのシャコンヌを聴いたのはほんとうに久しぶりのことだった。
ハイフェッツの演奏で聴けるから、聴いた──、
そんな軽い気持から、である。

ハイフェッツによる演奏を聴いたことのある人は、いまごろかよ──、というだろう。
自分でも、そう思う。
いまになって、この演奏をすごさを知ったのだから。

ハイフェッツのことは、歳をとるほどによさを強く感じるようになり、
好きになってきている。

そこにヴィターリのシャコンヌである。
まだ聴いたことがないという人は、だまされたと思って聴いてほしい。

Date: 11月 4th, 2022
Cate: ディスク/ブック

So(その3)

五味先生が「フランク《オルガン六曲集》」に、こう書かれている。
     *
 世の中には、おのれを律することきびしいあまり、世俗の栄達をはなれ(むしろ栄達に見はなされて)不遇の生涯を生きねばならぬ人は幾人もいるにちがいない。そういう人に、なまなかな音楽は虚しいばかりで慰藉とはなるまい。ブラームスには、そういう真に不遇の人をなぐさめるに足る調べがある。だがブラームスの場合、ベートーヴェンという偉大な才能に終に及ばぬ哀れさがどこかで不協和音をかなでている。フランクは少しちがう。彼のオルガン曲は、たとえば〝交響的大曲〟(作品一七)第三楽章のように、ベートーヴェンの『第九交響曲』のフィナーレそっくりな序奏で開始されるふうな、偉大なものに対する完き帰依──それこそは真に敬虔な心情に発するものだろう──がある。模倣ではなくて、帰依に徹する謙虚さが誰のでもないセザール・フランクの音楽をつくり出させたと、私には思える。そのかぎりではフランクをブラームスの上位に置きたい。その上で、漂ってくる神韻縹緲たる佗びしさに私は打たれ、感動した。私にもリルケ的心情で詩を書こうとした時期があった。当然私は世俗的成功から見はなされた所にいたし、正確にいえば某所は上野の地下道だった。私はルンペンであった。私にも妻があれば母もいた。妻子を捨ててというが、生母と妻を食わせることもできず気位ばかり高い無名詩人のそんな流浪時代、飢餓に迫られるといよいよ傲然と胸を張り世をすねた私の内面にどんな痛哭や淋しさや悔いがあったかを、私自身で一番よく知っている。そんなころにS氏に私は拾われS氏邸でフランクのこの〝前奏曲〟を聴いたのだ。胸に沁みとおった。聴きながら母を想い妻をおもい私は泣くような実は弱い人間であることを、素直に自分に認め〝前奏曲〟のストイシズムになぐさめられていた。オレの才能なんて高が知れている、何という自分は甘えん坊だったかを痛感した。この時に私は多分変ったのだろう。
     *
《なまなかな音楽は虚しいばかりで慰藉とはなるまい》、
まったく何もうまくいかない時期なんて、誰にでもあるだろう。
私にもあって、だからといって《不遇の生涯を生きねばならぬ人》と、
自分のことを思っていたわけではないけれど、
《なぐさめに足る調べ》を求めた時期がある。

けれど、そんな時に、“Don’t Give Up”は、最後まで聴けなかった──、
その2)に書いた。ほんとうにそうだった。

“Don’t Give Up”を聴き続けるのがつらかったわけではなく、
どこか虚しく聴こえてしまい、途中で聴くのをやめたことがある。

胸に沁みとおってこなかったことに、自分でも唖然とした。

Date: 11月 4th, 2022
Cate: ディスク/ブック

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR(その5)

2023年1月26日から28日までの三日間、
オーチャードホールで、ホイットニー・ヒューストンのホログラムコンサートが行われる。

2020年5月16日と17日、
やはりオーチャードホールでマリア・カラスのホログラムコンサートが開かれるはずだった。

けれどコロナ禍のまっただなか、延期ではなく中止になった。

つい期待してしまう。
ホイットニー・ヒューストンのホログラムコンサートが行われるのならば、
マリア・カラスのホログラムコンサートも、もしかすると復活するかも──、と。

Date: 11月 3rd, 2022
Cate: ディスク/ブック

BOND 25

“BOND 25”は、007の映画25作目にあわせた録音で、
9月下旬に発売になっている。

TIDALでも9月23日から聴けるようになっていて、
facebookに投稿して、ここでも書こうと思っていたのを忘れてしまっていた。

一曲目は“James Bond Theme”、
あのおなじみのテーマ曲である。
これが、演奏も録音もいい。

ジャケットをみても、どこのレーベルから発売になっているのかわからないが、
デッカである。
デッカの最新録音らしい、いい録音である。

聴いていて気持ちよい。
しかめっ面して聴くものではない。

TIDALはMQA(96kHz)で聴ける。
e-onkyoでも配信されている。flacとMQA、どちらも96kHz。

Date: 10月 24th, 2022
Cate: ディスク/ブック

TÁR (Music from and inspired by the motion picture)

映画「TÁR」(邦題は未定、日本公開は2023年予定)は、
架空の人物、リディア・タールが主人公で、ケイト・ブランシェットが演じている。

“TÁR (Music from and inspired by the motion picture)”は、
サウンドトラック盤ということになるが、素直にそう呼べない面もある。

このサウンドトラック盤には、マーラーの交響曲第五番のリハーサル風景がおさめられている。
この五番、このまま最後まで聴きたい、
ぜひ改めて全曲演奏・録音してほしい、とつよく願うほどに、
バーンスタインの再録を聴いた時と同じくらいの昂奮を感じていた。

オーケストラはドレスデン・フィルハーモニーなのだが、
指揮者は誰なのか。
ケイト・ブランシェットその人のようである。

ケイト・ブランシェットは才能ある女優だと思っている。
けれど指揮まで、しかもほんとうに彼女が指揮しての、このマーラーの五番ならば、
なんという才能だろうか、と感嘆するしかない。

短い時間だから、可能だった指揮なのか、それとも最後まで指揮できるのか。

“TÁR (Music from and inspired by the motion picture)”のジャケットは、
アバドによる五番のジャケットを想わせる。

Date: 10月 22nd, 2022
Cate: ディスク/ブック

The Complete Recordings on Warner Classics CHARLES MUNCH

“The Complete Recordings on Warner Classics CHARLES MUNCH”、
この十三枚組のCDボックスが発売になったのは、四、五年前か。

EMI、エラートでの録音全集である。
オーケストラはパリ管弦楽団、ラムルー管弦楽団、フランス国立放送管弦楽団、
パリ音楽院管弦楽団。

ミュンシュとパリ管弦楽団。
五味先生の文章を読んだ時から聴きたいとおもっていた録音。
     *
 この七月、ヨーロッパへ小旅行したおり、パリのサントノレ通りからホテルへの帰路——マドレーヌ寺院の前あたりだったと思う——で、品のいいレコード店のショーウインドにミュンシュのパリ管弦楽団を指揮した《ダフニスとクローエ》第二組曲を見つけた。
 いうまでもなくシャルル・ミュンシュは六十三年ごろまでボストン交響楽団の常任指揮者で、ボストンを振った《ダフニスとクローエ》ならモノーラル時代に聴いている。しかしボストン・シンフォニーでこちらの期待するラヴェルが鳴るとは思えなかったし、案のじょう、味気のないものだったから聴いてすぐこのレコードは追放した。
 ミュンシュは、ボストンへ行く前にパリ・コンセルヴァトワールの常任指揮者だったのは大方の愛好家なら知っていることで、古くはコルトーのピアノでラヴェルの《左手のための協奏曲》をコンセルヴァトワールを振って入れている。だが私の知るかぎり、パリ・コンセルヴァトワールを振ってのラヴェルは《ボレロ》のほかになかった。もちろんモノーラル時代の話である。
 それが、パテ(フランスEMI)盤でステレオ。おまけに《逝ける王女のためのパバーヌ》もA面に入っている。いいものを見つけたと、当方フランス語は話せないが購めに店に入った。そうして他のレコードを見て、感心した。
(中略)
 シャルル・ミュンシュの《ダフニスとクローエ》そのものは、パリのオケだけにやはりボストンには望めぬ香気と、滋味を感じとれた。いいレコードである。
(「ラヴェル《ダフニスとクロエ》第二組曲」より)
     *
このCDボックスの発売以前に、単売されていたCDで聴いている。
すべてを聴いていたわけではないが、ブラームス、ベルリオーズ、ラヴェルなどは、
もちろん聴いている。

《パリのオケだけにやはりボストンには望めぬ香気と、滋味を感じとれた》、
五味先生は、そう書かれている。
聴けば、わかる、そのとおりなのだ。

TIDALにも“The Complete Recordings on Warner Classics CHARLES MUNCH”はある。
私がTIDALで聴くようになったときからある。

今回、改めて聴いて、
《パリのオケだけにやはりボストンには望めぬ香気と、滋味を感じ》とっていた。

TIDALでは、MQAで聴ける。
ボストン交響楽団との録音も、MQA Studioで聴ける。

だからよけいに《パリのオケだけにやはりボストンには望めぬ香気と、滋味》が感じられる。

Date: 10月 20th, 2022
Cate: ディスク/ブック

マーティン・シュタットフェルトのゴールドベルグ変奏曲

十数年前、車での移動中にふと耳に飛び込んできたゴールドベルグ変奏曲。
私一人で乗っていたわけではなくて、他の人も同乗していたし、
ラジオの音量も大きかったわけではなかった。

聴こえてくるのは、ところどころ聴こえなかったりしたゴールドベルグ変奏曲だった。
それでも、誰の演奏なの? と気になるくらいには、魅力的な演奏に思えた。

グレン・グールドではないことはわかっていた。
すくなくとも、私がそれまで聴いてきたゴールドベルグ変奏曲とも違う演奏。
誰なのか、ひじょうに気になったものの、
演奏家の名前を聞く前に車から降りることになってしまい、そのまま月日だけが過ぎていった。

ときどき、あれは誰の演奏だったのか? と思い出すことはあったけれど、
聴いたことのないゴールドベルグ変奏曲のCDをかたっぱしから購入して聴く、
そこまでやる気力はなかった。

そうこうしているうちに、忘れてしまっていた。
今年グレン・グールド生誕90年ということで、
そういえば、あれは誰だったのか? と思い出してもいた。

今日、twitterを眺めていたら、ソニー・クラシカルが、
マーティン・シュタットフェルトのことをツイートしていた。

この人だったのかもしれない。
ソニー・クラシカルと契約している演奏家だから、TIDALで聴けるはず。
確かに、マーティン・シュタットフェルトのアルバムはある。

ゴールドベルグ変奏曲もある。
MQA Studioで、もちろん聴ける。

不思議なもので、もう十数年も前に、ほんのわずか聴いただけの演奏なのに、
あぁ、この演奏だ、となる。

ソーシャルメディアとTIDAL、
この二つがなかったならば、まだ聴けずにいたことだろう。

Date: 10月 12th, 2022
Cate: ディスク/ブック

La Veillée de NOËL

スージー・ルブラン(Suzie LeBlanc)の“La Veillée de NOËL”。
今日、知ったばかりのアルバムだ。

といっても今年発売になったCDではなく、2014年12月に発売されている。
八年経ったいま、ようやく知ったところだ。

しかもスージー・ルブランについても、まったく知らなかった。
スージー・ルブランは、1961年10月27日生れ。

なので少なからぬ録音を行っている。
なのに、今日初めて知って、初めて聴いた。

TIDALがなければ聴くことはなかっただろう。

スージー・ルブランの声はとてもいい。
どんな声か、ときかれると、答えにくい。

マリア・カラスのように強烈な個性があって、という声ではない。
柔らかいし、ぬくもりがある。
だからといって腑抜けた声、表現ではない。

スージー・ルブランの声が硬かったり、きつい感じになったり、
反対に芯のない声のようにきこえたりしたら、
それはその人のシステムの音が悪い、といいたくなる。

“La Veillée de NOËL”はMQA(88.2kHz)で配信されている。
スージー・ルブランの声は、MQAで聴いてほしい、と思っている。

スージー・ルブランの声の特質を、MQAはあますところなく発揮してくれるように感じられる。
スージー・ルブランをもっと早くに知る機会はあったのかもしれないが、
いま(今日)でよかった、とも感じている。

MQAで聴くことができたからだ。
変な言い方だが、それほどスージー・ルブランの声(表現)はMQAとの相性がいい。

Date: 9月 25th, 2022
Cate: Glenn Gould, ディスク/ブック

Gould 90(その5)

日付が変って、今日は9月25日。
グレン・グールドの誕生日であり、グールドが生きていれば九十歳なのだが、
九十歳のグールドというのはなかなか想像がつかない。

今年はグレン・グールド生誕九十年、没後四十年ということで、
ソニー・クラシカルからいくつかの企画モノが発売になる。

いちばんの話題は、
1981年録音のゴールドベルグ変奏曲の未発表レコーディング・セッション・全テイク。
もちろん予約しているが、発売日が変更になり10月だ。

もう少し待つことになるわけだが、
今回の生誕九十年でひとつ期待していることがある。

別項で書いている“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”。
今夏、ようやく発売になった。
TIDALでの配信も始まった。

同時に“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”も新たに配信しなおされた。
TIDALでは、これまでMQA Studio(44.1kHz)だったのが、
“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の配信が始まったら、
MQA Studio(176.4kHz)に変更されていた。

TIDALではグレン・グールドのアルバムもMQA Studio(44.1kHz)で配信されている。
これらがもしかすると、
MQA Studio(88.2kHz)かMQA Studio(176.4kHz)かになるかも──、
という儚い期待である。

グールドのアルバムは、以前CDボックスが発売された時に、
すべてDSDマスタリングされている。
だから88.1kHz、176.4kHzに期待したくなる。

同時に七年前のことも思い出す。
CDボックスだけでなく、USBメモリー版も発売になった。

この時、amazon、HMV、タワーレコードなどのサイトでは、
24bit/44.1kHz FLACとなっていたが、
ソニー・クラシカルのサイトでは、USBメモリー版はハイレゾ 24bit/96kHz FLACと書いてあった。
結局、ソニー・クラシカルのサイトも44.1kHzになっていた。

このこともあるから、もしかする今回こそ──、と期待してしまう。

Date: 9月 20th, 2022
Cate: ディスク/ブック

ベートーヴェン: ピアノと管楽のための五重奏曲

ベートーヴェンのピアノと管楽のための五重奏曲。
よく聴く曲ではない。
ディスクも持っていないわけではないが、
積極的に購入してのディスクとは言えなかったりする。

前回、この曲の聴いたのはいつだったのか、もう正確には思い出せないほど聴いていない。
今日、ふと思い立ってTIDALで聴いていたところだ。
     *
そして他に、ちょっと変ったところでは、初期の作品で、ピアノと木管のための五重奏曲・変ホ長調・作品16、ピアノをウラディミール・アシュケナージが弾き、ロンドン・ウィンド・ソロイスツとの合奏の1枚だ(SLA6247)。これも、新しい録音ではないし、今、買えるかどうかはわからないが、これは大変録音がいい。アシュケナージも、今とちがって清新で、大家の風格というより、純粋で単純といってよい快演である。
     *
菅野先生が、朝日新聞社が発行していた「世界のステレオ」に、
「ベートーヴェン 私の愛聴盤」のタイトルで書かれていた短い文章に、それは出てくる。

さきほどまで聴いていたのも、アシュケナージとロンドン・ウィンド・ソロイスツによる演奏だ。
「世界のステレオ」は、オーディオブームだったころに出ている。
1970年代後半のオーディオのムックである。

菅野先生の「ベートーヴェン 私の愛聴盤」は、ずいぶん以前に読んでいる。
それでも、この菅野先生の文章に登場するディスクのなかで、
アシュケナージの、このディスク(録音)だけは聴いてこなかった。

特に、これといった理由があるわけではなく、なんとなくでしかない。
アシュケナージも、いつのころからかすっかり大家になってしまっている。

岡先生は、1980年代からのアシュケナージの演奏を高く評価されていた。
岡先生と菅野先生、二人のベートーヴェン対談を聞きたかった。

Date: 9月 11th, 2022
Cate: ディスク/ブック

ヘルマン・プライの「冬の旅」(その3)

「冬の旅」を初めて聴いたのは、ハタチごろで、
フッシャー=ディスカウの歌唱による録音だった。

おもしろいというか、ふしぎといおうか、
そのころは「冬の旅」が青年が旅する歌であり、「青春」の歌であることはわかっていても、
そのことを意識しながら聴いていたとはいえなかったのが、
いまになって(あと数ヵ月で六十になる)、「冬の旅」が「青春」の歌であることを、
意識するようになってきている。

だからヘルマン・プライの「冬の旅」がいまの私に響いてくるのかもしれない。

「冬の旅」はドイツ語だから、いまも昔もわかっているわけではない。
もちろん対訳は何度か読んでいるから、おおまかに何を歌っているのかはわかるけれど、
それもほんとうにおおまかでしかない。

そんな聴き手(私)の心に、
ヘルマン・プライの「冬の旅」は「青春」の歌として響いてくる。

落穂拾い的な聴き方をしているけれど、
今回はそれでよかった、と思っている。

ハタチごろの私には、ヘルマン・プライの「冬の旅」は響いてこなかったかもしれないからだ。