ヘルマン・プライの「冬の旅」(その3)
「冬の旅」を初めて聴いたのは、ハタチごろで、
フッシャー=ディスカウの歌唱による録音だった。
おもしろいというか、ふしぎといおうか、
そのころは「冬の旅」が青年が旅する歌であり、「青春」の歌であることはわかっていても、
そのことを意識しながら聴いていたとはいえなかったのが、
いまになって(あと数ヵ月で六十になる)、「冬の旅」が「青春」の歌であることを、
意識するようになってきている。
だからヘルマン・プライの「冬の旅」がいまの私に響いてくるのかもしれない。
「冬の旅」はドイツ語だから、いまも昔もわかっているわけではない。
もちろん対訳は何度か読んでいるから、おおまかに何を歌っているのかはわかるけれど、
それもほんとうにおおまかでしかない。
そんな聴き手(私)の心に、
ヘルマン・プライの「冬の旅」は「青春」の歌として響いてくる。
落穂拾い的な聴き方をしているけれど、
今回はそれでよかった、と思っている。
ハタチごろの私には、ヘルマン・プライの「冬の旅」は響いてこなかったかもしれないからだ。