ヘルマン・プライの「冬の旅」(その2)
(その1)を読んで、ヘルマン・プライの「冬の旅」を聴かれた方から、
facebookにコメントがあった。
その方はパパゲーノの印象が強すぎて、
プライの「冬の旅」を敬遠されていたようだ。
「冬の旅」といえば、フッシャー=ディスカウだけでなく、
ホッターの「冬の旅」も世評は高い。
いまはどうなのか知らないが、1980年代はそうだった。
「冬の旅」について詳しいことは省くが、
いわば「冬の旅」は、青年が旅する歌であり、「青春」の歌でもある。
そこのところで、ホッターの歌唱はもう青年とは感じられない。
中年をこえて年老いた人のようにも感じられる。
フッシャー=ディスカウの歌唱は年老いているわけではない。
でも、プライの歌唱から感じられる「青春」は、
フッシャー=ディスカウの歌唱からは、私はやや感じとりにくい、というか、
そういうこととは違うところでの歌唱のように感じられる。
コメントの方は、プライの「冬の旅」は、
肩の力の抜けた、というか、穏やかな、何かほっとするような演奏と書かれている。
意外に、ヘルマン・プライの「冬の旅」は聴かれていないのかもしれない。
とにかく、私が書いたのを読んで、プライの「冬の旅」を聴かれた人が、
少なくとも一人はおられたわけで、このことは単純に嬉しい。