Archive for category ディスク/ブック

Date: 1月 5th, 2017
Cate: ディスク/ブック

能×現代音楽 Noh×Contemporary Music(その1)

能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」。

昨晩のaudio wednesdayで聴いた。
初めて聴くCDである。

「セッティングとチューニングの境界」をテーマに、
最初は私がもってきたCDに絞って鳴らしていた。
あるレベルまで行ったので、常連のHさんが持参されたCDをかけることにした。
そのCDが、「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」だった。

現代音楽です、といわれてHさんはCDを手渡してくれた。
ジャケットは、青木涼子氏の真正面のアップである。
ジャケットには、Nohとある。
Noh(能)ということは、ジャケットの写真からもなんとなくではあるが伝わってくる。

私の音楽の聴き方は偏っている。
クラシックが主とはいっても、クラシック全般をくまなく聴いているわけではない。
偏り具合はわかっているつもりだし、
現代音楽はあまり聴かないし、能も同じだ。

そんな偏った聴き手の私だから、
能? 現代音楽? 青木涼子?
正直、そんな感じだった。

聴けばわかることだが、確かに能であり、現代音楽である。
退屈するかな、と思わなかったわけではないが、
現代音楽、能からはかなり遠くにいる偏った聴き手の私に、それは新鮮だった。

世の中に、それこそ数えきれないCDがある。
一人の人間がすべてのCDを聴くことは不可能ほどある。

聴いたことのあるCD(音楽)よりも、
聴いていない、聴いたことのないCD(音楽)の方が圧倒的に多く存在する。

「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」も、
Hさんが持参されなかったら聴いたことのない、
そしてこれから先も聴くことのなかった存在であったろう。

「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」とにかく新鮮だった。
別項で書いているように、
ベートーヴェンの「第九」の新しい録音を聴かなくなった「耳」にも新鮮に響いた。
そしてスリリングである。

録音も、つまりオーディオ的にもスリリングである。

青木涼子氏のウェブサイト:「青木涼子 能 現代音楽

Date: 6月 24th, 2016
Cate: ディスク/ブック

「聴覚の心理学」

先日「聴覚の心理学」という本を手に入れた。
共立出版株式会社の現代心理学体系の一冊であり、昭和32年(1957年)に出版されている。

私が手に入れたのは昭和39年の初版第三刷。
ずいぶん前の本であり、しかも注文伝票(しおり状のもの)がついたままなのだから、
どこかの書店に売れずに残ったものだったのかもしれない。

著者は黒木総一郎氏。
奥付の著者紹介には、こう書いてある。
     *
大正3年神戸市に生る。
昭和12年東京大学文学部心理学科卒業後、同大学文学部副手、助手、嘱託を歴任、その間東京市立聾学校、陸軍航空通信学校嘱託などを兼任。
戦後外務省嘱託、相模女子大講師などを経て、昭和25年日本放送協会に入り、現在同協会技術研究所音響効果研究室主任。なお昭和25年夏から一年余米国に留学、アイオワ大学およびハーヴァード大学大学院学生として、またMIT電子工学研究所客員として音響心理学を専攻した。
     *
ほとんど忘れかけていた本である。
この本のことを知ったのは、ラジオ技術の別冊に武末数馬氏が書かれていたからだ。
そのころ手に入れようといくつか古書店を探しても見つからなかった。
それでいつしか忘れかけていた。

それをたまたま思い出して(といっても書籍名だけである)、検索してみた。
うろ覚えに近かったけれど、インターネットは便利になったと、こういうときに感じる。
筆者名もすぐに出てくる。そしてインターネットで注文した。

読み終えたわけではないから、目次だけを書き写しておく。

第1章 聴覚刺戟の性質
 第1節 音波
 第2節 音の波形
 第3節 音響スペクトル
 第4節 周波数の測定
 第5節 音の強さ
 第6節 デシベル
第2章 聴覚の生理学
 第1節 耳と聴覚
 第2節 外耳
 第3節 中耳
 第4節 内耳
 第5節 聴神経
 第6節 聴覚中枢
 第7節 聴覚異常
第3章 音の心理物理学
 第1節 音ときこえ
 第2節 可聴範囲
 第3節 マスキング
 第4節 弁別限
 第5節 音の周波数と高さ
 第6節 音の強さと高さ
 第7節 両耳効果と音の定位
 第8節 音の変化の知覚
 第9節 音色の知覚
第4章 音のない世界 ──ろうと難聴──
 第1節 聴力とは
 第2節 各種聴力検査法の比較
 第3節 純音聴力検査
 第4節 骨導聴力の検査
 第5節 語音聴力の検査
 第6節 各種聴力検査と補聴器
 第7節 年齢と聴力
 第8節 騒音と聴力
第5章 音だけの世界
 第1節 聴覚と通信
 第2節 言葉の伝送
 第3節 音楽の伝送
 第4節 Hi-Fiの問題

 附録1 オージオメーター(規格)
 附録2 指示騒音計(規格)
 附録3 簡易騒音計(規格)
 附録4 デシベル換算表

これを見て興味を持つ人もいれば、まったく持たない人もいよう。 

Date: 5月 19th, 2016
Cate: Kate Bush, ディスク/ブック

So(その1)

30年前の5月19日、ピーター・ガブリエルの五枚目のアルバム”So”が登場した。

当時ステレオサウンド編集部にいたO君が教えてくれたアルバムだった。
ケイト・ブッシュを聴く私に、プログレッシブロック好きのO君が、
「ピーター・ガブリエルのアルバムでデュエットしていますよ」と教えてくれた。

ステレオサウンドがある六本木にはすでにWAVEがあった。
けれどなぜかまだ”So”は入荷していなくて、O君に連れられて渋谷のCiscoに行った。

“So”はレジ横の柱に、他の売れ筋のCDと一緒に貼ってあった。
すぐに買って帰った。

ケイト・ブッシュが参加している三曲目から聴きたかったけど、
一曲目から聴き始めた。
“Red Rain”、”Sledgehammer”と聴いて、お目当ての三曲目。

すぐにケイト・ブッシュが歌いだすわけではない。
待つ。もどかしく待つ。

ケイト・ブッシュが”Don’t Give Up”と歌う。
“Never Give Up”ではなく”Don’t Give Up”と歌う、
聴き手に語りかけるかのように歌う。

“So”を聴き終り、もう一度”Don’t Give Up”を聴いた。

歌詞の意味が知りたくて日本盤も買った。

あの日から、何度聴いたのだろう。
30年の間にはいろんなことがあった。
どんな人であろうと、いろんなことがある。

1月に久しぶりに”Don’t Give Up”を聴いた。
“Never Give Up”ではなく”Don’t Give Up”でよかった、と30年前よりも深く思っていた。

Date: 11月 8th, 2015
Cate: ディスク/ブック

「音楽と音響と建築」

1972年に鹿島出版会から「音楽と音響と建築」という本が出ている。
レオ・L・ベラネク(Leo L. Beranek)の本である。

この本の存在を知ったのは、ステレオサウンドに入ってからである。
バックナンバーを読んでいて、こういう本があるのか、
買おうと思っていたのが見つけられずに、そのまま忘れてしまっていた。

それを思い出したというか、
調べものをするためにステレオサウンド 26号をひっぱりだしていた。
調べたいこと(というより確認したかったこと)はすぐにすんだ。
ぱらぱらページをめくっていた。

そして「音楽と音響と建築」の存在を知った記事にふたたび出あった。
保柳健のレコード時評という記事で、26号の回には「無形の価値」というタイトルがついている。

26号は1973年に出ている。
このころ、三菱地所が東京・内幸町のNHK会館跡地を落札したことが話題になっていた(らしい)。
「無形の価値」のそのことから始まる。

「音楽と音響と建築」は、ここに登場してくる。
その部分を引用しておく。
     *
 もう一つ、わたしに〝音響〟というものがいかに大切であるかを教えてくれたのは、レオ・L・ベラネクという人が書いた「音楽と音響と建築」という本だった。これは鹿島建設技術研究所の長友宗重さんと、寺崎恒正さんによって訳され、鹿島出版会から発行されている。
 内容は、音楽とそれが演奏される場とのかかわり合い、それもバロック以前から現代までの、むしろ音楽史的な考察。バルビロリ、ラインスドルフ、シェルヘン、ボールド、マルケビッチ、ミュンシュ、オーマンディ、クーセヴィッキーライナー、ワルター、サージェント、ギブソン、スターン、ソロモン等々の各国の演奏者たち、あるいは数多くの評論家やジャーナリストなどの、音楽と音響についての対話。
 そして圧巻は、世界の代表的な音楽会場──例えばブエノスアイレスのコロン劇場、ウィーンの楽友協会大ホール、パリの国立歌劇場、バイロイトの祝祭劇場、ボンのベートーヴェン・ホール、ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールなど、十五ヵ国、五十四ヵ所──のデータ、それも建築音響的というより、実際にそのホールで音楽を鑑賞した感覚的な報告を主体にした部分である。
 著者はさらに、ホールがもつ数々の感覚的な要素──聴覚的ばかりでなく、視覚的、あるいはもっと皮膚感覚的なものまで含めて──、それをいかに言葉で表現するかに最新の注意をはらい、もう一歩を進めて、音響建築技術的な数値のデータに置き換える大変な作業にまで発展させている。例えば〝音の暖かさ〟についてだけでも、実測データと多くの人の証言、あるいは使用されている建築材料などを細かく突き合せて、五ページにわたって記述するとともに、それを数値化している。
     *
このあとに保柳氏は、ベラネクが「音楽と音響と建築」が書かれた動機に感動した、と続けられている。
ここから先に興味のある人はステレオサウンド 26号を読んでいただきたい。

とにかく、今日、この本を思い出した。
インターネットですぐさまこの本の古書が探し出せて注文ができてしまう。
ほんとうに便利な世の中だと思う。
「音楽と音響と建築」が届くのが待ち遠しい。

Date: 10月 16th, 2015
Cate: ディスク/ブック

「レコードと暮らし」

夏葉社から「レコードと暮らし」という本が出ている。
筆者の田口史人氏は東京・高円寺で「円盤」というレコード店を営まれている、とある。

夏葉社のサイトに書いてある紹介文には《音楽というよりも、レコードという「もの」の本です》とある。
「レコードと暮らし」に登場する235枚のレコードは、音楽ではなく、
《農協からのお知らせや、企業からの宣伝や、我が母校の校歌や、アイドルのひそひそ話など》をおさめたレコードだ。

紹介文の最後に《おもしろいです。》とある。
たしかにおもしろい。

そしてジョン・ケージの
「音楽は音である。コンサートホールの中と外とを問わず、われわれを取り巻く音である。」を思い出せる。

これはオーディオ機器の音にも深く関係している。
別項でいずれ書いていくが、
そのオーディオ機器を生み出した空間はどこなのか。

オーディオメーカーの試聴室なのか、
開発者のリスニングルームなのか、
それともオーディオメーカーの実験室なのか。

Date: 9月 9th, 2015
Cate: ディスク/ブック

Children of Sanchez(その2)

黒田先生は「サンチェスの子供たち」でもっともよく聴くのは、
第一面第一曲の「サンチェスの子供たち序曲」と第二面第三曲の「コンスエロの愛のテーマ」と書かれている。

「サンチェスの子供たち序曲」は14分07秒かけて演奏される。
どんな曲か。
     *
「サンチェスの子供たち序曲」は、ギターを伴奏に、ドン・ポッターがスパニッシュ・フレイヴァーのメロディーをうたって、開始される。そこでうたわれる、チャック・マンジョーネの書いたヒューマニスティックな詩がまた、じつにすばらしい。ドン・ポッターがうたい終ると、打楽器群がリズムをきざみはじめ、ブラスが鋭くつっこんでくる。少し音量をあげめにしてきいていると、そこは、オーディオ的にもまことにスリリングだ。音楽のつくりは決して複雑ではないが、この音楽は、音楽の性格として、細部まで鮮明にききとれた方がはるかに音楽的たのしみが大きくなるものだ。
     *
瀬川先生による試聴会で「サンチェスの子供たち」がかけられたときも、
やはり「サンチェスの子供たち序曲」だった。

この曲をかけられる前に簡単な説明があった。
黒田先生が書かれていることは同じことだった。
だから初めて聴く曲とはいえ、
ギター伴奏の歌が終ればドラムが鳴り出すことはわかっていた。
そしてブラスも加わる。

《オーディオ的にもまことにスリリングだ》と書かれているように、
ほんとうにそうだった。
この部分がそういうスリリングなところだと文章で知ってはいても、
実際に鳴ってきた音は、ほんとうにスリリングだった。

ドン・ポッターが歌う。
 Without dreams of hope and pride s man will die
 Though his flesh still moves his heart sleep in the grave
 Without land man never dreams cause he’s not free
 All men need a place to live with dignity

 Take the crumbs from starving soldiers, they won’t die
 Lord said not by bread alone does man survive
 Take the food from hungry children, they won’t cry
 Food alone won’t ease the hunger in their eyes

 Every Child belongs to man kind’s family
 Children are the fruit of all humanity
 Let them feel the love of all the human race
 Touch them with the warmth, the strength of that embrace

 Give me love and understanding, I will thrive
 As my children grow my dreams come alive
 Those who hear the cries of children, God will bless
 I will always hear the children of sanchez

黒田先生は《わざわざ日本語におきかえることもないと思うので》、そのまま書き写されている。
辞書をひきながら意味を知ろうとした。
     *
このヒューマンな内容の詩と、その音楽と、目を閉じて、キリストのような髭をたくわえた顔をほころばせているチャック・マンジョーネの表情とが、もののみごとに一致している。その詩も、その音楽も、その表情も、大好きだ。大好きだから、うたわれる詩にじっと耳をかたむける。演奏される音楽をせいいっぱいききたいと思う。ジャケットに印刷されているチャック・マンジョーネの表情に目をこらす。むろん、再生装置が不充分だと、そのレコードにおさめられている音楽が十全にたのしめないというわけではない。ただ、ききては、もっとききたいと思う。さらに、よりいっそう、もっとききたいと思う。大好きな音楽だからだ。そこではじめて、音楽をきくための「道具」である再生装置が、関与する。
     *
ここに書かれていることは、すこしも大袈裟ではない。
「サンチェスの子供たち」を聴いたあと、
あらためて黒田先生の《「サンチェスの子供たち」を愛す》を読んだものだ。

瀬川先生の試聴会のあとに「サンチェスの子供たち」を買った。
輸入盤を買った。

Date: 9月 9th, 2015
Cate: ディスク/ブック

Children of Sanchez(その1)

チャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」の存在を知ったのは、ステレオサウンドだった。
ステレオサウンド 49号での、黒田先生の《「サンチェスの子供たち」を愛す》を読んで、だった。

こんな書き出しではじまっている。
     *
 なにかというとそのレコードをきく。今日はたのしいことがあったからといってはきき、なんとなくむしゃくしゃするからといってはきき、久しぶりに友人がたずねてきてくれたからといってはきき、つまりしじゅう、のべつまくなしにきくレコードがある。そういうレコードは棚にしまったりしないで、いつでもすぐかけられるように、そばにたてかけておく。そうなるともう、そのレコードにおさめられている音楽を、音楽としてきいているのかどうか、さだかでない。
 もしかすると、ききてとして、多少気持のわるいいい方になるが、そのレコードできける音楽に恋をしてしまっているのかもしれない。さしずめコイワズライ、熱病のような状態だ。若い恋人たちが、さしたる用事があるわけでもないのに、愛する人に会おうとするのに、似ている。きいていれば、それだけで仕合せになれる。
     *
黒田先生にとって1978年後半の、
そういうレコードがチャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」だった。

「サンチェスの子供たち」は同タイトルの映画用の音楽であり、
いわゆるサウンドトラック盤である。

黒田先生は、
《今のチャック・マンジョーネがいい。今のチャック・マンジョーネにあっては、ともかく、自分のいいたいことと、それをいうべきわざとのバランスがとれている。どこにも無理がない。ひとことでいえば、のっている──ということになるのだろう。そして、そういう今のチャック・マンジョーネの頂点にあるのが、まちがいなく「サンチェスの子供たち」だ。》と書かれている。

いいレコードだ、ということが素直に伝わってくる。
でも、当時高校一年の私はすぐには買わなかった(買えなかった、ともいえる)。

「サンチェスの子供たち」は二枚組だった。
黒田先生は輸入盤で3600円だった、と書かれていた。

東京ではこの値段で買えたであろうが、
地方ではもう少し高かったように記憶しているし、まず輸入盤をおいている店も少なかった。

「サンチェスの子供たち」を聴いたのは、自分で買ったものではなかった。
熊本のオーディオ店が定期的に瀬川先生を招いての試聴会を行っていた。
そこで「サンチェスの子供たち」を聴いた。

Date: 2月 29th, 2012
Cate: ディスク/ブック

「鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言」

1989年に小学館からサライが創刊された。
巻頭記事は安岡章太郎氏のインタヴュー記事で、これが読みたくて手にとりそれ以降数年間は毎号購入していた。
初期のサライではオーディオが取り上げられたこともあった。
世界の著名人のオーディオマニアとその愛用のオーディオを紹介する、というものだった。
内容的に物足りなさを感じたものの、大手出版社だからこそできる内容でもあった。
ゴルバチョフもオーディオマニアで(たしか)SMEを使っている、とあったのを憶えている。
ロードバイク(自転車)が取り上げられている号もあった。

特集記事も面白いものがあったけれど、やはり毎号楽しみにしていたのは巻頭のインタヴュー記事だった。
安岡章太郎氏もそうたったし、そのあとにつづいて登場した人たち皆、
「50すぎてからが面白くなった」といったことを言っていたのが、
当時20代半ばという、50までの中間点にちょうどいた私には印象深かった。
「50からなのかぁ……」とおもっていた。

西岡常一氏のことを知ることができたのは、サライの、そのインタヴュー記事だった。
ちょうど西岡氏の「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」が
小学館から出る直前ということもあっての登場だったのだろうが、面白かった。
だから「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」も発売日にすぐさま購入した。

オーディオとはもちろん直接関係のない本ではあるものの、学ぶところは多い。
いま読み返しても、多い。

「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」を、あの時、読んでいておもっていたことがある。
「木に学べ」は「音に学べ」にできる。
法隆寺、薬師寺は、読み手が愛聴する音楽作品をあてはめればいい、ということだ。

来年、私も50になる。
50になる前に中間点でおもったことを思い出したのは、
鬼に訊け 宮大工 西岡常一の遺言」という映画が、ちょうどいま公開されていることを知ってからだ。

Date: 12月 11th, 2008
Cate: ディスク/ブック

カンターテ・ドミノのCD

カンターテ・ドミノのCDのことで補足しておく。
赤色と黒色、2つのレーベルが存在していたのは、そんなに長い期間ではないはずだ。

最初に発売されたCDではなく、あくまで1987年、88年ごろの輸入CDについてである。
知人がやはり同じ時期に購入したのは赤色レーベル(正相盤)だった。
逆相盤は、ほんの一時期、市場に出廻ったものなのだろう。

同じディスクを複数枚購入するとわかることがある。
グレン・グールドのゴールドベルグ変奏曲の輸入CDも、最初の頃は日本プレスだったが、
途中からアメリカ・プレスに変わっている。

ケイト・ブッシュのCDも、最初のドイツ・プレスだったのが、イギリス・プレス、
それも最初はニンバスによるプレスに変り、EMIのプレスと、少なくとも3回変わっている。

プレス工場が違えば音も変ってくるのは当然だが、国内盤で、同じディスクを3枚買って聴きくらべてみると、
プレスの微妙な差があるのか、3枚とも、わずかとはいえ音が違う。

3枚も購入したのは、当時、ステレオサウンドの試聴でもよく使われていた
インバル指揮のマーラーの交響曲第4番の金蒸着CDだ。

私が3枚とも購入したわけではなく、頼まれた分も含めてで、
こういう機会はあまりないからと、試しで3枚とも聴いてみたわけだ。

このころ、CDを乗せたトレイを一度引っ込めて、また出して、ディスクには手をふれずに、
もう一度トレイを戻して再生すると、ディスクのセンタリングがきちんと出ているか出ていないか、
そのせいでサーボ量が変化するのだろうか、少なくない音の変化のするCDプレーヤーが少なくなかった。

うまくセンタリングがピシッと決ると一回目で、いい音が出るが、
たいてい2回目の方が好ましい結果が得られることが多かった。

こういったことをふまえた上での比較試聴でも、やはり3枚のディスクに差はあった。
やや平面的になるものがあった。

アナログディスクのころ、同一スタンパーからプレスされたディスクでも、
つまり同じロットのディスクでも最初の方でプレスされたものと、最後の方のプレスとでは、
音が違うと言われていた。
だから音にこだわるレコード会社はスタンパー1枚あたりのプレス数を制限していたときいている。

CDもそれと同じような理由かもしれないし、まったく違う理由によって音が変ってくるのかもしれない。

Date: 12月 6th, 2008
Cate: ディスク/ブック

富田嘉和氏推薦の本2冊

「GROUNDING AND SHIELDING TECHNIQUES IN INSTRUMENTATION」と
「NOISE REDUCTION TECHNIQUES IN ELECTRONIC SYSTEMS」。

一冊目の著者は Ralph Morrison、二冊目は Henry W. Ott。
タイトルが示すとおり、ノイズ対策として有効なアースとシールドについて書かれた本だ。

私が持っているのは「GROUNDING」のほうが1986年の第3版、
「NOISE」のほうが1988年の第2版。
この本を紹介していたのは、富田嘉和氏。ラジオ技術の記事で知った。

富田氏の名前をはじめて見たのは、
ステレオサウンドの38号「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」での、
瀬川先生のページにおいてである。

マークレビンソンのLNP2の上にシルバーパネルの、自作アンプが置いてある。
このアンプの製作者が富田氏だ。

聴取位置左側の壁には、JBLのSG520が2台、マランツの#7が収められている。
LNP2と富田氏のプリアンプは、聴取位置のすぐ前、手の届くところに置かれている。
これはSG520、#7よりもLNP2と富田氏のアンプを常用されていたわけだ。

この時から富田氏への興味ははじまった。
その富田氏が、80年代おわりから90年代はじめにかけてラジオ技術で書かれた記事は、
いま読んでも示唆に富んでいると思っている。
記事中で推薦されていたのが、上記の2冊である。

記事を読んで、日本橋の丸善に注文を出し手に入れた。どちらも1万円前後の本だった。

アースやシールドについて知りたければ、そして語りたければ、一読しておきたい内容の本だ。

さきほどAmazon.comで検索してみたら、驚いた。
「GROUNDING」は第4版になっていたが、見間違いかと思う値段がついているのだ。