能×現代音楽 Noh×Contemporary Music(その1)
「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」。
昨晩のaudio wednesdayで聴いた。
初めて聴くCDである。
「セッティングとチューニングの境界」をテーマに、
最初は私がもってきたCDに絞って鳴らしていた。
あるレベルまで行ったので、常連のHさんが持参されたCDをかけることにした。
そのCDが、「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」だった。
現代音楽です、といわれてHさんはCDを手渡してくれた。
ジャケットは、青木涼子氏の真正面のアップである。
ジャケットには、Nohとある。
Noh(能)ということは、ジャケットの写真からもなんとなくではあるが伝わってくる。
私の音楽の聴き方は偏っている。
クラシックが主とはいっても、クラシック全般をくまなく聴いているわけではない。
偏り具合はわかっているつもりだし、
現代音楽はあまり聴かないし、能も同じだ。
そんな偏った聴き手の私だから、
能? 現代音楽? 青木涼子?
正直、そんな感じだった。
聴けばわかることだが、確かに能であり、現代音楽である。
退屈するかな、と思わなかったわけではないが、
現代音楽、能からはかなり遠くにいる偏った聴き手の私に、それは新鮮だった。
世の中に、それこそ数えきれないCDがある。
一人の人間がすべてのCDを聴くことは不可能ほどある。
聴いたことのあるCD(音楽)よりも、
聴いていない、聴いたことのないCD(音楽)の方が圧倒的に多く存在する。
「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」も、
Hさんが持参されなかったら聴いたことのない、
そしてこれから先も聴くことのなかった存在であったろう。
「能×現代音楽 Noh×Contemporary Music」とにかく新鮮だった。
別項で書いているように、
ベートーヴェンの「第九」の新しい録音を聴かなくなった「耳」にも新鮮に響いた。
そしてスリリングである。
録音も、つまりオーディオ的にもスリリングである。
青木涼子氏のウェブサイト:「青木涼子 能 現代音楽」