Archive for category ディスク/ブック

Date: 10月 30th, 2019
Cate: ディスク/ブック

スピーカー技術の100年II 広帯域再生への挑戦(その2)

ステレオサウンド 54号の特集の座談会のなかで、
ブリランテという固有名詞が出てくる。
     *
瀬川 黒田さんの言葉にのっていえば、良いスピーカーは耳を尾骶骨より前にして聴きたくなると同時に、尾骶骨より後ろにして聴いても聴き手を楽しませてくれる。それが良いスピーカーの一つの条件ではないかと思います。現実の製品には非常に少ないですけれど……。
 そのことで思い出すのは、日本のスピーカーエンジニアで、本当に能力のある人が二人も死んでしまっているのです。三菱電機の藤木一さんとブリランテをつくった坂本節登さんで、昭和20年代の終わりには素晴らしいスピーカーをつくっていました。しかし藤木さんは交通事故、坂本さんは原爆症で亡くなってしまった。あの二人が生きていて下さったら、日本のスピーカーはもっと変っていたのではないかという気がします。
菅野 そういう偉大な人の能力が受け継がれていないということが、非常に残念ですね。
瀬川 日本では、スピーカーをつくっているエンジニアが過去の伝統を受け継いでいないですね。今の若いエンジニアに「ブリランテのスピーカーは」などといっても、キョトンとする人が多い。古い文献を読んでいないのでしょうね。製品を開発する現場の人は、文献で知っているだけでなく、現物を草の根分けても探してきて、実際に音を聴いてほしい。その上で、より以上のものをつくってほしいと思うのです。
 故事を本当に生きた形で自分の血となり肉として、そこから自分が発展していくから伝統が生まれてくるので、今は伝統がとぎれてしまっていると思います。
黒田 たとえば、シルヴィア・シャシュが、コベントガーデンで「トスカ」を歌うとすると、おそらく客席にはカラスの「トスカ」も聴いている人がいるわけで、シャシュもそれを知っていると思うのです。聴く方はカラスと比べるぞという顔をしているだろうし、シャシュもカラスに負けるかと歌うでしょう。その結果、シャシュは大きく成長すると思うのです。
 そういったことさえなく、次から次へ新製品では、伝統も生まれてこないでしょう。
     *
これを読んでから、ずっとブリランテが気になっていたし、
ブリランテのことを少しでも知りたい、と思っていた。

1997年にインターネットをやるようになってから、
これまでに何度か「ブリランテ」で検索したことがある。

けれど何もヒットしなかった。
ブリランテのスピーカーが、いったいどういうモノだったのか、
ユニットの口径以外は、ほとんど知りようがなかった。

「スピーカー技術の100年II 広帯域再生への挑戦」には、ブリランテのことが載っている。
初めて写真を見た。しかもカラー写真である。

「スピーカー技術の100年II 広帯域再生への挑戦」も売れてほしい。
「スピーカー技術の100年III」が出てほしいからである。

Date: 10月 29th, 2019
Cate: ディスク/ブック

静寂から音楽が生まれる

静寂から音楽が生まれる」は、
アンドラーシュ・シフのインタヴューとエッセー集である。

アンドラーシュ・シフは、素晴らしいピアニストだと想っている。
デッカ時代に録音したバッハを聴いて、そう思った。

20代のある時期、シフのディスクをよく聴いていた。
なのにある時からスパッと聴かなくなってしまった。

1990年代は、まったく聴かなくなっていた。
シフを再び聴くようになったのは、
ある人から、誕生日プレゼントといわれ、
シフのゴールドベルグ変奏曲のCDをもらったからだ。

レーベルはECMになっていた。ジャケットもデッカ時代とはまるで違う。
十数年ぶりに聴いたシフは、やはり素晴らしいピアニストだった。

それからしばらくはシフの、ECMでのライヴ録音のディスクが出るのが楽しみだった。
パルティータもよかった。
ベートーヴェンのピアノソナタがはじまった。

後期のソナタが出るのが、ほんとうに待ち遠しかった。

「静寂から音楽が生まれる」。
ECMの録音で聴けるアンドラーシュ・シフの演奏は、
まさにそういいたくなる。

そうなのだが、シフのディスクをパタッと聴かなくなってしまっている。
また20代のころと同じことになっている。

なぜなのか、自分でもよくわからない。
「静寂から音楽が生れる」を読めば、なにかつかめるのだろうか。

Date: 10月 18th, 2019
Cate: ディスク/ブック

小林秀雄 最後の音楽会

小林秀雄 最後の音楽会」を見つけた。

最近、音楽関係のコーナーに行かなくなっていた。
今日は、歯の治療で東京駅近くにいた。

たまには丸善に行こう、と思い立った。
八重洲ブックセンターは、やっぱり歯の治療で来た時(二週間ほど前)に寄っている。

いつも行く書店とは違い、たまに行く書店は新鮮である。
なので音楽関係のコーナーものぞいていた。

平積みになっていたのが、「小林秀雄 最後の音楽会」だった。
とにかく、この本が最初に目に飛び込んできた。

メニューインの写真が使われている。
扉には、フラームスの交響曲第一番の直筆譜である。

いい感じが伝わってくる本である。

まだ読み終っていない、どころか、
読み始めてもいない。

ぱらぱらとめくってみただけである。
五味康祐という名前が出てくるのかどうかを、まず知りたかったからだ。

出てくる。
ステレオサウンドという名称も出てくるし、
ステレオサウンド 2号の「音楽談義」も出てくる。

著者の杉本圭司氏は、
ステレオサウンド創刊20周年記念に出た「音楽談義」のカセットテープも聴かれていることがわかる。

そうやって眺めているだけでも、いい本だな、と思う。
だから、とにかく少しでも早く知ってほしかったので、
読まずに書いた次第。

Date: 10月 15th, 2019
Cate: ディスク/ブック

スピーカー技術の100年II 広帯域再生への挑戦(その1)

別項で、無線と実験のことについて書いた。
いくつもの書店をみてまわると、無線と実験が書店から消えてなくなる日は、
そう遠くない──、と感じるからだ。

無線と実験に対して、冷たい奴、と思われたかもしれない。
たしかにそういうところは持っていると自覚しながらも、
無線と実験が消えてしまうと……、と思うところがある。

佐伯多門氏が無線と実験に長期連載されていた「スピーカー技術の100年」が、
昨年夏に一冊にまとめられて出版された。

この手の本を出してくれるところは、いまでは無線と実験ぐらいしかない。
こういう本は、売れてほしい。
だから、ここでも紹介した。

昨年の「スピーカー技術の100年」は、連載のすべてを収めたものではなかったから、
続編を出してほしい、そのためにも売れてほしいからである。

先日、「スピーカー技術の100年II 広帯域再生への挑戦」が出た。
待望の二冊目である。

これも売れてほしい、と思う。

Date: 10月 12th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その9)

「五味オーディオ教室」との出逢いのあと、
ステレオサウンドの存在を知ることになる。
そして、いくつものオーディオ雑誌を読むようになって、
中学の理科の先生になるっていいなぁ、と思っていたのが、
オーディオの世界に入りたい、と変化していった。

中学のころ、成績は良かった方だった。
高校も一年まではそうだった。
でも、それからはオーディオにめり込み過ぎて、どんどん落ちていった。

教科書を持っていくのを忘れても、
カバンにはステレオサウンドが入っていたくらいなのだから、そうなるのは当然である。

高校三年の時、担任の先生から職員室に呼ばれた。
ほかの生徒には見せないのだけど、とことわって、
知能テストの結果を見せてくれた。

けっこう上位だった。
なのに、なぜしっかりと勉強しないのか、と説教された。

それでもオーディオにのめり込んでいった。
オーディオの世界で仕事をしたい、と思うようになっていたけれど、
だからといって具体的にどんなことがしたいのかが決めていたわけでもなかった。

ただただ漠然とオーディオの世界に進みたい──、
それだけだった。

M君やT君だったら、
オーディオの世界に──、ということでも、
きっと具体的な目標を見つけ、そこへの計画を立てて向っていったことだろう。

私は違っていた。
具体的な目標はなく、ただひたすらオーディオに詳しくなりたい、
誰よりも詳しくなりたい、それだけが、そのころの目標だった。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Musical Illusions and Phantom Words(補足)

“Musical Illusions and Phantom Words”に関係してくる内容のサイトがある。
Illusory sound texture reveals multi-second statistical completion in auditory scene analysis”である。

聴覚の錯覚のデモが、いくつも公開されている。

Date: 7月 4th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Musical Illusions and Phantom Words

Musical Illusions and Phantom Words”。
火曜日の夜に見つけた本である。

翻訳版は出ていない。
今後、出版されるのかどうかはわからない。

著者のDiana Deutsch(ダイアナ・ドイチュ)について、私は何も知らないが、
聴覚の錯覚について半世紀ほど研究・追求されている人らしい。

書名からして、興味深い。
おそらく読めば、ほんとうに興味深い内容なのだろう。
それに出版社がオックスフォードだから、いいかげんな内容ではないはずだ。

火曜日夜に、facebookでシェアした。
私自身は、まだ買うかどうか決めかねていた。

昨晩のaudio wednesdayで、常連のHさんが、
「あの本、Kindle版を買いました」といわれた。

早い! と思った。
Kindleは、知らない単語をクリックすると訳が表示される。
英語に堪能な人ならば、そんな機能は必要としないだろうが、
確かにkindleの、この機能はありかだい。

それに紙の本よりも安い。

Hさんによると、まだ序文のところでも、非常に興味深い内容らしい。

Date: 6月 29th, 2019
Cate: ディスク/ブック

SPIRIT RISING

“Summer Time”がかかっていた。
今日のOTOTENで、光城精工のデモが行われているときに、ちょうどブースに入った。

鳴っていたのは、アンジェリーク・キジョー(Angélique Kidjo)の歌う“Summer Time”だった。
“Summer Time”だということは、聴けば誰でもわかることだけど、
誰が歌っているのか、まったく見当がつかなかった。

iPhoneにインストールしているShazamで調べると、
アンジェリーク・キジョーと表示された。

私が好んで聴く音楽の範囲は、偏っていて狭い。
アンジェリーク・キジョーがどういう人なのか、まったく知らなかった。

知らなくてもiPhoneで、すぐに調べられる。
“Summer Time”は、2012年発売の“SPIRIT RISING”に収められている。

アンジェリーク・キジョーの“Summer Time”、
今日のOTOTENで強く惹かれた一曲である。

Date: 6月 11th, 2019
Cate: ディスク/ブック

全身編集者

さきほど知ったばかりの本だ。

雑誌「ガロ」元副編集長だった白取千夏雄氏の半生記・半世紀──、
と出版社のおおかみ書房のサイトでは紹介されている。
自費出版に近いかたちのようで、書店売りはしていないらしい。

全身編集者」。
もうこれだけで、読みたくなってくる。

Date: 6月 9th, 2019
Cate: ディスク/ブック

FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その3)

6月5日のaudio wednesdayで“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”のSACDをかけた。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”のSACDを、
audio wednesdayでかけるのは三度目。

今回はうまく鳴ってくれる予感はあった。
それでも鳴らしてみないことには、
スピーカーから音の聴かないことには、なんにもいえない。

前回、前々回の“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”の音を聴いている人もいる。
今回初めて聴く人もいる。

最初の音が鳴ってくれば、わかる。
まったく不満がないわけではないが、いい感じで鳴ってくれた。

私がひとりでそう思っているわけではなく、
聴いていた人たちの感想をきいても、そうだった。

一曲目の「地中海の舞踏/広い河」、
特に後半の鳴り方は、冒頭の音からはちょっと想像できない感じで鳴ってくれた。

二人のギタリストがいるステージに、聴き手のわれわれも坐って聴いている、
そんな感じで、しかも演奏者の体温が、曲のクライマックスで上ってくるような感じさえあった。

そんなのは、聴き手の一方的な期待による錯覚といわれれば、そうかもしれない。
同じ音を、あの場で聴いても、そう感じない人もいるはずだ。

今回はそんな人はいなかっただけのことかもしれない。

それでも錯覚できない音と錯覚できる音、
どちらをとるのかとなったら、迷わず錯覚できる音をとる。

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”はライヴ録音である。
ギタリストはステージにいて、観客はステージにはいない。

観客の位置で演奏を聴きたいという人には、
今回の音は、ある意味、ひどい音ということになる。

でも、私は“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”のSACDを、
そんな音で聴きたいとは思わない。

演奏者の体温が上昇するのにつれて、
聴き手のこちらの体温も上昇するような音で聴きたい。

そういう音で聴いてこそ、
私は“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”をすごい、とおもう。

Date: 6月 7th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス ヴァイオリン協奏曲二長調 Op.77(その3)

6月5日のaudio wednesdayでは、
ジネット・ヌヴーのヴァイオリン、
シュミット=イッセルシュテット指揮北西ドイツ放送交響楽団による1948年録音のライヴ盤をかけた。

STIL盤ではなく、2016年に出たtahra盤である。
このCDは、今年一度かけている。

その時と今回とでは、電源コードの違いがある。
MCD350とMA7900の電源コード、両方が違っている。
あとはスピーカーのセッティングを、ほんのわずか変えているくらいだ。

第一楽章は22分ちょっと。
鳴り出した最初の音からして、前回とは根本的なところで違っているような気がした。

私だけでなく、ほかの人みな聴き惚れているような感じがした。
第一楽章の最後まで鳴らした。
(私としては、三楽章すべて聴きたいところだったけれど)

1948年といえば、71年前である。
古い録音はよく聴く。
この時代の、他の録音も聴く。

モノーラル録音の古い録音である。
鳴ってくる音を聴けば、新しい録音か古い録音かぐらいは誰でも感じることだ。

今回は、少し違っていた。
聴いていて、1948年という時代そのものを感じていた。

感じていた、と書いてしまったけれど、
1963年生れの私は、1948年がどういう時代だったのかを知っているわけではない。

にも関らず、聴いていて、こういう時代だったのか、と感じていた。
時代の空気を感じた──、
と書けば、そんなバカな、とか、大袈裟な、とか、いわれるであろう。

それでも、そう感じた(錯覚だとしても、だ)。

そして、川崎先生(1949年生れ)は、こういう時代に生れた人なんだ、ともおもっていた。

Date: 6月 4th, 2019
Cate: ディスク/ブック

FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO(その2)

“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”のSACDを、
昨年5月のaudio wednesdayで鳴らした。

びっくりするほど、ひどかった。
その二年前(2016年)に鳴らしたことは、(その1)で書いている。

ウーファーとエンクロージュアは同じでも、
上の帯域は、私物のJBLの2441+2397だった。
アンプも違っていた。

この時はCDだったけれど、聴いていた人の一人が、拍手をしてくれた。
そのくらいうまく鳴ってくれた。

2018年5月の音は、ギターの音色の違いが判然としない。
観客のざわめきも、さほどリアルに感じられない。
なにより聴いていて昂奮してこない。

聴いていると、気になる点ばかりが耳につく。
まったく同じ音になるわけがないのはわかっていたし、
それでも、そこそこ鳴ってくれるという期待はあった。

その数ヵ月後にも一度鳴らしているが、それでも、私が求める鳴り方からはほど遠かった。

明日(6月5日)のaudio wednesdayで、SACDで鳴らそうと思っている。
SACDでの三度目の正直となるか。

Date: 5月 12th, 2019
Cate: ディスク/ブック

音の表現辞典

音の表現辞典」(中村明 著・東京堂出版)を今日、書店で見つけた。
ほとんど行くことのない辞典コーナーで、目に留った一冊だった。

ちょうど別項で「タンノイはいぶし銀か」を書いている。
帯には、
《さまざまな音声・音響をどう語り、微妙なニュアンスの差をどう表現してきたのか? 素のはそうやオノマトペ、比喩表現を中心とする数々の工夫の跡をたどる。》
とある。

読みはじめたところで、読み終ったわけではない。
いぶし銀という表現が出てきそうなところに、さっと目を通しただけだが、
残念ながら、いぶし銀と出てこないようだ。

それでも関連しそうなところがいくつある。

「音の表現辞典」を読んだからといって、
優れたオーディオ評論が書けるようになるわけではないが、
読まないのと読んだのとでは、違ってこよう。

「音の表現辞典」には、【透】と【澄】の項目がある。
このブログでは、瀬川先生が、透明よりも澄明をよく使われいてることを取り上げている。

ステレオサウンド 210号を見ていたら、
山本浩司氏によるメリディアンの218の新製品紹介文のなかに、
この澄明が使われている。

《プライスタグが信じられない切れ味のよい澄明なサウンドを聴くことができ》
とある。

ここでの試聴ディスクは、MQA-CDのようであり、
MQA-CDの音は、確かに透明と書くよりも、澄明と表現したくなるよさがある。

「音の表現辞典」の【澄】のところには、こうある。
     *
 三島由紀夫の『金閣寺』には、「金閣、この不均整な繊細な建築は、濁水を清水に変えてゆくような濾過器のような作用をしていた」と、金閣という建築を「濾過装置」に見立てた奇妙な比喩表現が現れ、次いで、「人々の死後のぞめきは、金閣から拒まれはせずに、吹き抜けのやさしい柱のあいだへしみ入って、やがて一つの静寂、一つの澄明にまで濾過された」と展開する。
     *
【透】のところからも引用したくなるが、
興味のある方は、ぜひ「音の表現辞典」を手にとってほしい。

Date: 4月 23rd, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス ヴァイオリン協奏曲二長調 Op.77(その2)

今年はジネット・ヌヴー生誕100周年である。
ヌヴーのリマスターが出るかもしれないぁ──ぐらいの期待はもっていた。

今日タワーレコードからのクラシック新着メールを見ていたら、
GINETTE NEVEU THE COMPLETE RECORDINGS”がある。

EMI録音の、2019年リマスターということである。

ワーナーからは、いまのところMQA-CDは登場していないが、
e-onkyoのサイトをみれば、ワーナー(旧EMI)録音は、MQAでも配信されている。

ということは今回の“GINETTE NEVEU THE COMPLETE RECORDINGS”も、
e-onkyoでのMQAでの配信が行われる可能性が、十分考えられる。

CD四枚組の発売は6月21日である。

Date: 4月 19th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その8)

目標を立てて、そこを目指していく。
しかもいつまでに実現するかという期限を決めて目標に向っていく。
実現したら、次の目標……、
それが成功の秘訣らしい。

菅野先生からも同じ話をきいたことがある。
菅野先生の友人で、アメリカ人がまさにそうだった、ときいている。

目標を立てて、しかもいつまでに実現する、ということも一緒に決めての行動なのだそうだ。
実際、その友人はとんでもなく成功している人だそうだ。

M君もT君も、目標をそれぞれ立てていた。
しかもどちらも期限つきである。

A君は、M君やT君のような具体的な目標は持っていなかった(はずだ)。
A君は、信ずる道を歩んでいっているように、私の目には映る。

20代のころ、A君と会った時に、きこうとしたことがある。
別の道を選ぼうとは考えなかったのか、と。

立ち居振る舞いの物静かなA君である。
そんなことをストレートにきいていたら、どんな表情をしたのか。
表情を変えることなく答えてくれたかもしれない。

私は「五味オーディオ教室」と出逢うまでは、
中学の理科の先生になろうと、思っていた。
中学のころは喘息の発作もほとんどなかったから、こんなことを考えるようになってもいた。
父が中学の英語の教師だったことも影響していた。

「五味オーディオ教室」と出逢ってからも、
一年くらいは、中学の先生っていいなぁ、とけっこう真剣に思っていた。
とはいっても、具体的な目標だったわけではなかった。