Archive for category ディスク/ブック

Date: 4月 13th, 2019
Cate: ディスク/ブック

Hallelujah(その1)

不意打ちのような出逢いがある。
ケイト・ブッシュとの出逢いが、
まさにそうだったことは、以前「チューナー・デザイン考(ラジオのこと)」で書いている。

FMエアチェックしたカセットテープから聴こえてきたケイト・ブッシュに、
まさしく背中に電気が走った──、という感覚を味わった。

ケイト・ブッシュのことは知っていたけれど、
歌謡音楽祭でケイト・ブッシュの歌っている写真をみて、
こういうタイプは苦手だなぁ……、と思っていたくらいだった。

そんな偏見をもっていたにもかかわらず、である。

音楽との不意打ち的な出逢いは、他にもある。

テレビは持っていないので、
日本のテレビドラマを見ることはほとんどないけれど、
海外のテレビドラマは、MacやiPadで見ている。けっこう見ている。

アメリカのドラマ、
クリミナル・マインド FBI行動分析課(原題:Criminal Mind)、
FBI失踪者を追え(原題:Without a Trace)などを見ていると、
毎回ではないが、事件は解決するものの、そこでは人が死に、
決してハッピーエンドでははなく、エピソードによっては、重い後味を残す。

そういう時に流れるのが、“Hallelujah”だ。

レナード・コーエンの曲である。
けれどドラマで使われていたのはレナード・コーエンによるものではなく、
ジェフ・バックリィによる“Hallelujah”だ。

“Hallelujah”との出逢いも、不意打ち的だった。
しみいる、とは、こういう時に使うといえばいいのか。
そういう感じの不意打ちだった。

“Hallelujah”は、ジェフ・バックリィだけでなく、
けっこうな数の人がカバーしていることを、その後知った。

ジェフ・バックリィの“Hallelujah”は、“GRACE”で聴ける。

ケイト・ブッシュにしても、
“Hallelujah”にしても、
カセットテープにFMを録音した音(しかもチューナーもデッキも普及クラス)、
パソコンからの音であったりして、たいした音で出逢ったわけではない。

それだから、よけいに不意打ちと感じるのだろうか。

Date: 4月 10th, 2019
Cate: ディスク/ブック

FAIRYTALES(その4)

ラドカ・トネフの“FAIRYTALES”は、
通常のCDでもあり、MQA-CDでもあり、SACDでもある。
ハイブリッド盤であり、一枚で三つの音が楽しめる。

その3)で、
“FAIRYTALES”が、MQA-CDとSACDのハイブリッド盤であるということは、
自信のあらわれであろう、と書いた。

3月のaudio wednesdayで、“FAIRYTALES”をかけた。
このときはマッキントッシュのMCD350でかけた。
SACDとして鳴らした。

この時の音もなかなかよかった。
アルテックのスピーカーとは思えないほどしっとりした感じで鳴ってくれた。
その鳴り方に、少し驚きもした。

4月のaudio wednesdayで、ULTRA DACでMQA-CDとして鳴らした。
ラドカ・トネフの声が聴こえてきた瞬間、
アルテックって、こんなふうに鳴ってくれるのか? と心底驚いた。

別項「メリディアン ULTRA DACを聴いた(その17)」で引用した瀬川先生の文章を、
今回もまた強く意識していた。

アルテックのスピーカーに、こういう面があったのか、
認識不足といわれようと、ラドカ・トネフが、こんなふうにしっとりと鳴ってくれるとは予想できなかった。

SACDで聴いた音を、しっとりと表現しているけれど、
MQA-CDとULTRA DACで「しっとり」は、虚と実といいたくなるほどの違いがある。

もちろんMCD350とULTRA DACとでは、製品の価格帯が大きく違う。
同列に比較できないのはわかっている。

わかっているけれど、ここでの音の違い、
それもしっとりと表現したくなる音の違いは、そんなことを超えている。

3月のaudio wednesdayでのSACDのラドカ・トネフの歌(声)は、よかった。
よかったけれど、ステレオサウンドの試聴室で、
山中先生が持ってこられたときに聴いているラドカ・トネフの印象とは、やや違っていた。

その違いは、いろいろなところに要因があるから、そういうものだろう、という、
ある種の諦め的な受け止め方もしていた。

けれど、どうもそうではないようだ、と気づかされた。

Date: 4月 2nd, 2019
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THE DREAMING(青春の一枚・その1)

私が明日(4月3日)のaudio wednesdayに持っていく「青春の一枚」は、
ケイト・ブッシュの“THE DREAMING”である。

Date: 3月 27th, 2019
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ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その6)

M君が「東大に行くんだ」と語ってくれたとき、私はそんな具体的な夢は持っていなかった。
現実味のない妄想はよくしていたし、それ以上に喘息の発作から解放されたい、
このことがいちばんの夢のようなものだった。

喘息といえば治療のため、小学生のころは、
毎週一回、学校を早退してバスに一時間ほどのり、熊本大学病院に通っていた。

そんなふうに早退した次の日、教室の後方の壁には、鱒の絵が貼られていた。
前日午後の音楽の授業で、
シューベルトの「鱒」を聴いて、心に浮んだことを描くという内容だったようだ。

早退してよかった、と思った。
なんてバカらしい授業なんだ、と思った。
そのころの私は、音楽の授業が嫌いだった。

まして「鱒」を聴いて、鱒の絵を描く。
シューベルトも、そんな授業が行われるようになるとは夢にも思っていなかっただろう。

音楽の授業が、さらに嫌いになった。
音楽も嫌いになっていた。

小学生だった私は、そんなだった。
「五味オーディオ教室」と出逢う数年前の話だ。

T君が視力回復センターに通っていることを知ったときも、
まだ「五味オーディオ教室」に出逢ってない。

中学生にもなると、喘息の発作はかなり治まっていた。
それでも夏、蚊取り線香の煙で発作がおきたことがあった。
その時はT君も一緒で、彼も喘息の発作をおこしていた。

T君とは喘息という共通のことがあった仲でもある。

Date: 3月 27th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その5)

もう一人はT君だ。

T君は、義務教育の九年で、六年は同じクラスだった。
よく互いの家に遊びに行く仲だった。

T君は、中学のころ、視力回復センターに通うようになった。
理由をきくと、航空自衛隊に、戦闘機のパイロットになりたいから、ということだった。

T君の飛行機好きなのは、小学校のころから知っていた。
飛行機に詳しかったし、プラモデルもよく作っていた。

戦闘機のパイロットになるには、裸眼視力がT君の場合、足りなかった。
視力だけではなく、身長も少し足りなかったようだ。

別に小柄というわけではなかった。
私より少し背が低いだけだったけれど、規定の身長には足りなかった。
T君は、だから中学の部活動はバスケットを選んだ。

特にバスケットが好きなわけではなかった。
それでも身長が少しでも伸びる可能性があるのならば、という理由でのバスケットだった。

T君のことを笑う人もいるかもしれない。
そんなことで視力が回復したり、身長が伸びたりするわけないのに、と。
香ばしい青春だこと、と揶揄することだろう。

そうかもしれない。
けれど、T君は夢に向って真剣だった。
T君は賢かった。

そのT君が、わずかな可能性に賭けていた。
本人が、ほんのわずかしか可能性がないことはよくわかっていたのかもしれない。

T君は、中学卒業のころには諦めていたようだった。
高校ではバスケットはやらなかったし、視力回復センターにも通わなくなっていた。

M君とT君のふたりのことを、
この項を書き始めたころから、どこかで書こうと思い始めていた。

どこで書こうか、もそうだが、ここで書くようなことだろうか、とも思っていた。

Date: 3月 26th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その4)

その1)を書いてしばらくして、小学校時代同じクラスだった二人のことを、
なぜだか思い出していた。

一人はM君という。
小学校三、四年のとき、同じクラスだった。
家が近くだったこともあって、帰りは一緒だったこともあるし、M君の家に遊びに行ったこともある。
とはいえ、特に仲がよかった、というほどではない。

おそらくM君は私のことなど憶えていないだろう。

そんなM君が、ある日、「ラサールを中学受験して東大に行くんだ」と話してきた。
M君が、そういうことを話してきたきっかけがなんだったか憶えていないし、
こちらとしても、ラサール中学・高校が有名な進学校というぐらいは知っていたけれど、
まさか同じ学校に通っている同級生が、中学受験をするなんて、驚き以外のなにものでもなかった。

当時の私の感覚としては、
同級生はみな小学校のすぐ近くにある中学校に進学するものだと思い込んでいた。
中学までは義務教育だから、わざわざ私立の学校に受験して入学するなんて、
東京とか大阪の都会の話だという認識しかなかった。

M君は、たしかに成績は良かった。

でも同級生にはNさんという、学年一の優秀な女の子がいた。
同じクラスになったことはないけれど、それでもNさんの優秀さは伝わってきていたことも、
驚きにつながっていた。

M君は宣言通り、ラサールに入学した。
中学、高校と首席かそれに近い成績だというウワサが聞こえてきた。
模試でも東大合格間違いなし、という成績だった、らしい。

けれどM君は東大受験に失敗した。
一浪して再び受験した。けれどダメだった、らしい。

本番に弱かったのだろうか。
M君は、有名私大に入学した。

ここまではウワサで聞いて知っていた。

いまになってM君のことを思い出して、そういえば、M君の夢はなんだったのか、と考える。
東大に合格することが夢だったのか。
それとも東大に合格して東大で学び卒業して、そこから先がM君の夢だったのか。

小学四年だった私は、M君に「夢は東大に合格すること?」と訊くことはなかった。
そんなこと考えもしなかったからだ。

M君の夢はなんだったのか、
東大には入れなかったけれど、夢は実現しているのかもしれない。

Date: 3月 26th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その3)

むせかえるような濃密な芳香。

ラルキブデッリによるブラームスの弦楽六重奏曲を聴いた同時に感じたのが、
これだった。

濃密なだけではなかった。
むせかえるような、とつけたくなるほどな芳香の強さだった。

もちろんイヤな芳香だったわけではない。

でも、なせか、私はそういう芳香に、怖れをなすところがあるというだけだ。

聴いていて、ラルキブデッリのブラームスを、もし20代のころ聴いていたら、
さらには10代のころだったら……、そんなことを想像もしていた。

もしかすると、むせかえるような濃密な芳香とは感じなかったかもしれない。
香りたつ、そのぐらいの感じ方だったかもしれない。

少なくとも、怖れをなす──、そんなふうには感じなかったはずだ。

それだけではなかった、感じたことは。
これまでをふり返って、こういう時代が私にはあっただろうか……、
そんなことすらおもっていた。

むせかえるような濃密な芳香といえる時期。
それを、青春と呼ぶのかもしれない。

でも、そうは呼びたくない、という気持も聴いていて感じていた。

菅野先生はよく「若さはバカさ」といわれていた。
「若さはバカさ」といえることは、誰にでもあろう。
思い出して、恥ずかしさでいっぱいになって、音楽を聴いていてひとり赤面するような。

それもラルキブデッリのブラームスを聴いていて、あったことだ。

Date: 3月 22nd, 2019
Cate: ディスク/ブック

La Voix humaine

フランシス・プーランクのオペラ“La Voix humaine”。
オペラといっても歌手は一人。

先日、対訳に気になってGoogleで検索していたら、
いま日本では「人間の声」と訳されているのを知った。

私が“La Voix humaine”を知ったのは、CDが登場したからだった。
この曲の名盤として知られているジョルジュ・プレートル/パリオペラ・コミーク管弦楽団、
ドゥニーズ・デュヴァル(ソプラノ)による演奏が、CD化された。

このころ、“La Voix humaine”は「声」と訳されていた。
1980年代後半の話だ。

フランス語はまったくな私でも、“La Voix humaine”をみれば、
「声」ではなく「人間の声」が正確な訳だということはわかる。

それでもずっと「声」で日本では通じるものと思い込んできた。
30年以上そうだった。

それがいつのころからなのかはわからないが、「人間の声」が一般的になっているようだ。

“La Voix humaine”では電話がなくてはならない存在である。
なので、当時出たCDも電話がジャケットに描かれていたし、
昨年廉価盤で登場したワーナークラシック版も、ジャケットは電話である。

「声」に馴染んでいた私には、
なんとも生々しい印象を受けてしまう。

もちろん“La Voix humaine”では、
電話の受話器を手にしての背の語りは進んでいくわけで、
デュヴァルの声は電話を通した声ではない。

だからこその“La Voix humaine”なのかもしれないし、
「人間の声」のほうが、より“La Voix humaine”という作品のことを正確に表わしている──、
そうなのかもしれないとわかっていても、やっぱり私には「声」のほうがしっくりくるし、
「声」だけのほうが、電話の存在を「人間の声」とあるよりも感じてしまう。

このへんになると、感じ方の違いなのであって、
「人間の声」のほうがいいと感じる人のほうが多いのだろうから、
いまでは「人間の声」が一般的なのだろう。

些細なことである。
些細なことついでに書けば、“La Voix humaine”では、
最後に受話器のコードを首に巻きつけて……、という場面がある。

注釈つきでなければ、通用しない時代になるんだろうな、と思う。

Date: 3月 20th, 2019
Cate: ディスク/ブック

BRITTEN conducts MOZART Symphonies 25 & 29

CDも、登場後数年したころから廉価盤があらわれた。
クラシックでいえば、初CD化が廉価盤というのもけっこうある。

ベンジャミン・ブリテン指揮のもーつLとの交響曲との出逢いは、
そんな廉価盤によってだった。

いかにも廉価盤といったジャケット、
少なくともジャケットだけでは買う気になれない、そういう感じのものだった。

けれどブリテン指揮のモーツァルトか、
こんなに安いのか、ということで、手を伸ばした。

廉価盤だからといって、そこに納められている音楽までがそうであるわけがない。
そんなことは承知とはいえ、
ここまで廉価盤的なCDだと、こちらの態度も緩んでしまう。

それでも鳴ってきた音は、すぐにそんな緩んだ、こちらの態度を引き締める。
実を言うと、ブリテンの演奏(指揮)を聴いたのは、これが最初だった。

名盤の誉れ高いカーゾンとのモーツァルトのピアノ協奏曲は、聴いていなかった。
聴いていなかった理由は、以前書いていることのくり返しになるが、五味先生の影響によるものだ。

五味先生の「わがタンノイの歴史」にこうある。
     *
この応接間で聴いた Decola の、カーゾンの弾く『皇帝』のピアノの音の美しさを忘れないだろう。カーゾンごときはピアニストとしてしょせんは二流とわたくしは思っていたが、この音色できけるなら演奏なぞどうでもいいと思ったくらいである。
     *
なので、カーゾンとのピアノ協奏曲は、交響曲よりも早くにCD化されていたが、
手を伸ばすことはなかった。

けれど、カーゾンとのピアノ協奏曲を早くに聴かなかったことを後悔はしなかった。
むしろブリテン指揮のモーツァルトの交響曲を先に(最初に)聴いてよかった、とさえいまは思っている。

だから五味先生には感謝している。

ブリテンのモーツァルトの交響曲は美しい。
廉価盤のCDで聴いても、これだけ美しいのであれば、LPで聴けば……、と考える。

そのころLPを探した。
イギリスのレコード店から定期的に中古盤のリストを送ってもらい、
こまめにチェックしていた時期もある。

結局、見つけられなかったか、LPの入手はあきらめた。
それでも、もっと美しい音なのではないのか、というおもいが消えたわけではなかった。

SACDが出ないのか、と思いつづけていた。
ブリテンのモーツァルトのSACDが、まさかステレオサウンドから発売になるとは思っていなかった。

1月にすでに発売になっていたことを知ったのは、2月も終ろうとしていたころだった。
今回発売になったのは25番と29番である。

私は40番も聴きたい。
ステレオサウンドの、このブリテンのSACDが売れれば第二弾として、40番も発売になるかもしれない──、
そんな期待から、これを書いている。

Date: 3月 17th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その5)

早とちりしないでほしいのだが、
ケイト・ブッシュの“THE DREAMING”を聴くのに、アルテックのスピーカーが最適だとは思っていない。

3月6日のaudio wednesdayでの“THE DREAMING”に点数をつけるとすれば、
60点くらいだと自分では思っている。

厳しい点数をつけようとは思っていないし、
“THE DREAMING”をこれまで鳴らしてきての感覚からいえば、
まだまだ、というのが本音である。

アルテックのスピーカーの特質と、
“THE DREAMING”の世界(私が勝手に求めている世界)とには、ズレを感じなくもない。

それでも60点の“THE DREAMING”は、聴いていて楽しかった。
最初から最後の曲まで、数曲飛ばしたけれど、かけていた。

うんざりしたり、退屈する人も出てくるかもしれない、と思いつつも、
鳴らしたいディスクは、こんなふうに鳴らしたい。

鳴らし終って、誰かがぼそっと「かっこよかった」といってくれた。
嬉しい一言である。

ケイト・ブッシュの“THE DREAMING”はを、そういうふうに受け止めてくれたのが嬉しいし、
結局、自慢話、自惚れやろうかよ、といわれても、
3月6日の“THE DREAMING”の音(つまり私が鳴らした音)も、ある程度はかっこよかった、と思っている。

久しぶりに“THE DREAMING”を、ほぼ通しで聴いた。
“THE DREAMING”は愛聴盤だったのかは、いまでもなんともいえないが、
“THE DREAMING”は、私にとって(こんな表現は使いたくないが)青春の一枚だった。

Date: 3月 16th, 2019
Cate: ディスク/ブック

un pugno di stelle

オルネッラ・ヴァノーニ(Ornella Vanoni)というイタリアの女性歌手を知ったのは、
ステレオサウンド 47号掲載の「イタリア音楽の魅力」であった。
黒田恭一、坂清也、河合秀朋(キングレコード第二制作室プロデューサー)三氏の座談会で、
この記事がきっかけで、オルネッラ・ヴァノーニを聴くようになった。
(オルネラ・ヴァノーニが、日本では一般的な表記だが、
黒田先生はオルネッラ・ヴァノーニとされていたので、ここてもそれに倣う。)

といっても熱心に聴いていたとは、とうていいえない聴き方だった。
気まぐれに、レコード店で、ふとオルネッラ・ヴァノーニの名前を思い出しては探し、
その店にたまたまオルネッラ・ヴァノーニのレコードがあったならば手にして、
買おうかどうか迷って買うこともあったし、そうでないこともあった。

2000年をこえたころに、数枚まとめてCDを買ったこともある。
オルネッラ・ヴァノーニは、1934年生れ。

黒田先生はオルネッラ・ヴァノーニがお好きだった。
ステレオサウンド別冊High-Technic Seriesの三冊目、
トゥイーターの号でも、巻末にオルネッラ・ヴァノーニのレコードを、
トゥイーターの比較試聴に向いている、ということで、
それもあくまでもオルネッラ・ヴァノーニが好きだから、ということで挙げられていた。

黒田先生によると、オルネッラ・ヴァノーニは一度も来日していない。
黒田先生はオルネッラ・ヴァノーニのコンサートを聴いてみたい、とも書かれていた。

一度NHKでオルネッラ・ヴァノーニのイタリアでのコンサートを録画したものが放送された。
私は見ていないのだが、そこではオルネッラ・ヴァノーニの歌のところでは、
字幕が省かれていた、そうだ。

そんな NHKのやり方を、黒田先生は、無謀で投げやりで、愛情のない所業とまで、
何かか書かれていたのを読んだ記憶がある。

大好きなオルネッラ・ヴァノーニが、粗雑に扱われていたように感じ、腹が立った、とも。

私は黒田先生ほど、オルネッラ・ヴァノーニの歌を好きにはなれなかった。
それでもふと聴きたくなることはある。

さきほど、特にきっかけらしいことはなかったのに、
そういえばオルネッラ・ヴァノーニは? と思った。
もう亡くなっているのかも……、と思いながら検索してみたら、
なんといまだ現役の歌手である。

2018年2月には新譜も出ている。
“un pugno di stelle“である。
直訳すれば、一握りの星である。

聴いてみたい。
同じイタリアの歌手でも、ミルバとオルネッラ・ヴァノーニとでは歌い方が大きく違う。
ミルバのように熱唱することは、オルネッラ・ヴァノーニはない。
かといって情感を込めて、という歌い方でもない。

だから、私はのめり込んで聴くようにはならなかったともいえるのだが、
それでも聴いてみたい、とおもわせるオルネッラ・ヴァノーニである。

Date: 3月 15th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その4)

だからといって10cmのフルレンジに戻すのは、
オーディオマニアとして癪である。

それに“THE DREAMING”においても、
スタティックの印象が残っている点を除けば、SL600で聴く方をとる。

それでもSL600をThe Goldで鳴らしたときの音を想像しながら、
“THE DREAMING”を10cmフルレンジで聴いていた。
そこで期待は、どうしても膨らんでいく。

膨らんでいったからこその少々の期待外れなのかも……、と思い込もうとした。
それでも10cmフルレンジの音は、強く耳に残っていた。

もう一度10cmフルレンジにして、徹底的に比較試聴することはしなかった。
あくまでもSL600のままで、10cmフルレンジで感じた良さも鳴らしていきたい。

そこから先は、けっこういろんなことをやった。
ずいぶんと音は変っていった。
けれど、スタティックな印象は,どこかに残っている。

これはもう録音に起因するものだ──、
そう思い込めればシアワセなのだが、10cmフルレンジの音をすでに聴いている。

2019年3月6日、
audio wednesdayではじめてケイト・ブッシュをかけた。
まったく鳴らしてこなかったわけではない。
ピーター・ガブリエルの”Don’t Give Up”は鳴らしている。

”Don’t Give Up”でケイト・ブッシュの歌声は聴いていた。
それ以上、ケイト・ブッシュをかけようとは、まだ思わなかった。

ここにきて、ようやく鳴らしてみようか、という気がおきてきていた。
2018年にはリマスター盤が登場した。

期待は半分という気持で、喫茶茶会記のアルテックで“THE DREAMING”を鳴らした。
そこで鳴っていた音を聴いて、
以前どうしても払拭できなかったスタティックな印象(スタティックなアクセント)が、
もうそこにはまったくといっていいほど感じなかった。

そういえば10cmのフルレンジもアルテックだった。

Date: 3月 15th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その3)

The Goldを購入したころに鳴らしていたスピーカーは、セレッションのSL600だった。
いくら分解クリーニングをしたとはいえ、いきなりSL600を接ぐ度胸はなかった。

まずはこわれてもいい、と思えるスピーカーを接いで鳴らした。
10cm口径のフルレンジである。
とにかくこのスピーカーで一週間、まったく不安を感じさせない動作と音であれば、
SL600を鳴らそう、と決めた。

凝ったエンクロージュアに入っていたわけではないし、
床に直置きで鳴らした小口径のフルレンジからは、
やっぱり The Goldと思える音が鳴ってきた。

高価でもないフルレンジがよく鳴る。
こんなにも鳴ってくれるのか、と思えるほどに鳴ってくれた。

二時間ほど聴いて、SL600にしたかった。
けれど我慢した。
三日ほど聴いて、ますますSl600にしたかった。
それでも我慢した。

とにかく一週間は様子をみようと決めたのだから。

五日あたりで“THE DREAMING”をかけてみた。
ここでまた驚いた。
こんなふうに鳴るのか、という驚きがあった。

ここでSL600にしようと、そうとうに心が動いた。
もう五日間、安定して鳴っている。

ここでSL600にしても、何の問題も発生しないはず。
それでも我慢して、六日目も“THE DREAMING”を聴いて、
七日目も“THE DREAMING”を聴いて、
ようやく八日目にSL600に接ぎかえた。

期待以上の音でSL600は鳴ってくれた。
数枚のディスクをかけてから、“THE DREAMING”をかける。

こちらの期待は、かなり大きくなっている。
10cmのフルレンジで、あれだけ鳴ってくれたのだから──、という期待があった。

SL600のほうが、10cmフルレンジよりもほぼすべての点でよかった。
けれど“THE DREAMING”では、
10cmフルレンジではスタティックな印象が消えてしまっていたのに、
SL600では残っている。

完全に払拭されていたわけではなかった。
これには少々落ち込んだ。

Date: 3月 15th, 2019
Cate: ディスク/ブック

THE DREAMING(その2)

20代のころ、
私のオーディオはケイト・ブッシュの“THE DREAMING”をどう鳴らすかが、
大きなテーマの一つとして、ずっとあった。

LPが発売されたとき、イギリス盤の他にも日本盤も買っている。
音の点ではイギリス盤なのだが、
どうしても日本語訳が欲しくて、日本盤も買っていた。

イギリス盤の“THE DREAMING”を聴いての不満は、
日本盤で解消されることはなかった(当り前のことだが)。

CDが登場してからも、三枚ほど買っている。
リマスターとか、そういうことではなく、
当時ヨーロッパのCDは入荷時期によってプレス工場が違っていることが多かった。

“THE DREAMING”も最初に買ったCDは西ドイツプレス、
二枚目と三枚目はイギリスプレスだったが、工場が違っていた。

それぞれに音の違いは、確かにある。
それでもスタティックな印象は,常にあった。

ならば、そういうものだと諦められるといいのだが、
オーディオのおもしろい、そして不思議なことは、
意外なところで、そうでない音を聴かせてくれることがある。

“THE DREAMING”に関しても、そういえることがあった。
1985年12月、SUMOのTHE Goldの中古を、秋葉原で見つけた。

欲しい、と思っていたアンプだっただけに、その場で購入を決めた。
とはいえ、THE Gold(にかぎらずボン所る設計のアンプ)は、
故障率200%と冗談めいて語られていた。

そういうアンプだから、The Goldが届いてまずやったことは、
分解して、各部のクリーニングだった。

プリント基板も、パワートランジスターを固定しているネジまで、
クリーニングできるところはすべてやった。
そして組み立てての音出しである。

Date: 3月 10th, 2019
Cate: ディスク/ブック

知識人とは何か(その2)

エドワード・W・サイードの「知識人とは何か」を読み終えたわけではない。

第三章の「専門家とアマチュア」は読み終えている。
この章に、こうある。
     *
 では、知識人にかかる圧力は、今日、どのようなかたちで存在しているのだろうか。そしてそれは、わたしが専門主義(プロフェッショナリズム)と呼んだものとどのようにかかわるのだろうか。ここで論じてみたいのは、知識人の独創性と意志とを脅かすかに思われる四つの圧力である。これら四つの圧力のうち、どれひとつとして特定の社会にしかみられないというものはない。どれも、あらゆる社会に蔓延しているのだが、その蔓延ぶりにもかかわらず、そうした圧力にゆさぶりをかけることはできる。そのようなゆさぶりをかけるもの、それをわたしはアマチュア主義(アマチュアリズム)と呼ぼう。アマチュアリズムとは、専門家のように利益や褒賞によって動かされるのではなく、愛好精神と抑えがたい興味によって衝き動かされ、より大きな俯瞰図を手に入れたり、境界や障害を乗り越えてさまざまなつながりをつけたり、また、特定の専門分野にしばられずに専門職という制限から自由になって観念や価値を追求することをいう。
     *
エドワード・W・サイードのいう四つの圧力については、ここでは引用しない。
ぜひ「知識人とは何か」を手にとってほしい。

ここで考えていきたいのは、サイードのいうところのアマチュア主義についてである。