ブラームス ヴァイオリン協奏曲二長調 Op.77(その3)
6月5日のaudio wednesdayでは、
ジネット・ヌヴーのヴァイオリン、
シュミット=イッセルシュテット指揮北西ドイツ放送交響楽団による1948年録音のライヴ盤をかけた。
STIL盤ではなく、2016年に出たtahra盤である。
このCDは、今年一度かけている。
その時と今回とでは、電源コードの違いがある。
MCD350とMA7900の電源コード、両方が違っている。
あとはスピーカーのセッティングを、ほんのわずか変えているくらいだ。
第一楽章は22分ちょっと。
鳴り出した最初の音からして、前回とは根本的なところで違っているような気がした。
私だけでなく、ほかの人みな聴き惚れているような感じがした。
第一楽章の最後まで鳴らした。
(私としては、三楽章すべて聴きたいところだったけれど)
1948年といえば、71年前である。
古い録音はよく聴く。
この時代の、他の録音も聴く。
モノーラル録音の古い録音である。
鳴ってくる音を聴けば、新しい録音か古い録音かぐらいは誰でも感じることだ。
今回は、少し違っていた。
聴いていて、1948年という時代そのものを感じていた。
感じていた、と書いてしまったけれど、
1963年生れの私は、1948年がどういう時代だったのかを知っているわけではない。
にも関らず、聴いていて、こういう時代だったのか、と感じていた。
時代の空気を感じた──、
と書けば、そんなバカな、とか、大袈裟な、とか、いわれるであろう。
それでも、そう感じた(錯覚だとしても、だ)。
そして、川崎先生(1949年生れ)は、こういう時代に生れた人なんだ、ともおもっていた。