Archive for category ディスク/ブック

Date: 4月 19th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その6)

2006年3月号のラジオ技術の五十嵐一郎氏の文章を、もう少し引用しておきたい。
     *
 風間千寿子女史が、プレイエルのランドフスカ・モデルを持参で帰京し、ある年に、上野の文化会館小ホールでハープシコード・リサイタルを行った。わたくしは風間女史宅で何度か実機を聴いていたし、このリサイタルには、めずらしく西条盤鬼が女史の招待に応じて会場にくりだしていた。
 盤鬼は、戦後の演奏会はコルトー以来だといっていた。盤鬼とわたくしは、小ホールの最後部席で聴いた。このとき、高城重躬先生は、最前列のカブリツキで聴いておられた。
 休けい時間のとき、盤鬼は「レコードとおなじいゝ音だ」とわたくしにいった。高城さんは「レコードとずいぶん違う音じゃないか」とわたくしにいった。
 わたくしには、あのとき以来、耳派、感覚派、物理派とかいうような、一言居士の風潮区分けをケイベツするようになった。
 芸術鑑賞にディタッチメントは必至である。そして、だからといって認知距離は、認知の接近度の問題であり、それはスタンスを開けるという以上のことでもあろう。
     *
認知距離(ディタッチメント)という判断。
こういうところが、
西条卓夫氏に《戦後派の選ばれたオーディオとレコード・ファン》といわしめたのではないのか。

Date: 4月 19th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その5)

ラジオ技術 2006年3月号の連載で、
五十嵐一郎(金井稔)氏が、ランドフスカの復刻CDについて書かれている。

見開きの記事の左ページの半分くらいが囲み記事になっている。
そこは、「M夫人と聖ワンダ・ランドフスカ」とある。

松村様
 ごぶさたしております。

という書き出しで始まるこの文章は、五十嵐一郎氏が松村夫人にあてた私信である。
そこに、こうある。
     *
小生は“復刻CDをきいたら、LPをぜひ聴きたまえ”と書いたのです。
 本当は、“LPでとどまらず、何としてでもランドフスカは78s(SP盤)まで戻りなさい”といいたいのです。
     *
そういうものなのだろう。
私は、まだSP盤でランドフスカを聴いていない。

Date: 4月 18th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その4)

「新版 名曲この一枚」を読んでいると、
ワンダ・ランドフスカの演奏を聴いてみたくなる。

ランドフスカの演奏(録音)は、もちろん以前から聴いていた。
けれど、そのころは20代前半ということもあってか、
それほど素晴らしい演奏とは感じなかった。

それに録音も古い。そのことが相俟って、古い演奏と感じてしまった。
ランドフスカと同年代に録音された他の演奏家の録音は、
けっこう聴くことがあるのに、なぜだかランドフスカを遠ざけてしまっていた。

といってもまったく聴いてこなかったわけではないが、
数えるほどしか聴いていない。

それでも西条卓夫氏の文章にふれていると、
もう一度ランドフスカを聴いてみよう、という気持がわいてくる。

幸いなことに、TIDALではMQAで聴ける。
それほど多いわけではないが、平均律クラヴィーアの第一集がある。

以前、平均律クラヴィーアは、
グールドとグルダ、リヒテルの三組のレコード(録音物)があるから、
それで満足している、と書いた。

なのに、こうやってランドフスカのチェンバロによる平均律クラヴィーアを聴きはじめたら、
若いころは聴き続けるのにしんどさを感じていたのに、
すんなりとこちらの耳に入ってくる。

なので、ここ数日はランドフスカをまとめて聴いていた。
西条卓夫氏のような境地で聴いているとは思っていないし、
そこまでたどりつけるないだろうけれど、とにかくいまランドフスカを聴いている。

古めかしさを感じることがなくなっていることに気づく。

Date: 4月 17th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その3・追補)

(その3)で引用している西条卓夫氏の文章に登場するM・Kは、
ラジオ技術の金井稔氏である、とある方から指摘があった。

金井稔氏なのかも、と思っていたけれど確証がなかっただけにありがたい。

Date: 4月 16th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その3)

松村夫人のことは、瀬川先生も、
ステレオサウンド 7号掲載「音は人なり」の中で触れられている。
     *
「音は人なり」という名言があるが、こと再生装置にかぎらず、精巧な機械になるほど、その持主の心を、あるいはそ置かれる環境を、素直に写し出すもののようである。
 この名言とともに、何かつけて思い出されるのは、福岡にお住まいのM夫人のクレデンザーの音である。
 夫人は、彼を「久礼夫さん」と呼んでおられた。この一事からも、並ならぬ可愛がりかたであったと想像頂けよう。金色のサウンドボックスも、HMV製のあの独特の白い竹針も、最上のコンディションで保存されていた。静かにハンドルをまわし、ピカピカのHMV盤に針を乗せる夫人のうしろ姿は凛として気品があった。それは恰かも、名器に向かう名演奏家の姿であった。
 こういう形で器機に接することのできる人は、女性にはまれなこと、と言ったら失礼な言い方になるかもしれないが、男にだってそうザラに居るわけではない。最初の一音を聴いただけで、クレデンザーが機械蓄音器の最高の名品といわれた所以に合点がいった。
 バイオリンでも、名人が奏きこむに従ってだんだんに音が良くなるそうだ。逆に、せっかく良く鳴っていた楽器でも、素人の手に渡ると一週間で鳴りが悪くなってくるという。M夫人の元で、ティボォ、コルトオ、ランドフスカの、しかも手入れのよいHMV本盤で鳴らしこまれたクレデンザーが、なみの器械の及ばない音で鳴っていたとしても不思議ではない。
 たとえ世界最高といわれた器械でも、たかが手捲蓄音器何ほどのことあるらんと、三極管パラPPのアンプに3ウェイのSPをひっさげて出かけた、十二年前のわたくしの高慢心は、クレデンザーの一音で砕け散った。単に音量感だけとっても、クレデンザーの方が格段に上だった。機械蓄音器から、ああいうたっぷりした音量が流れ出るものであることを、不覚にもそのとき初めて思い知らされた。しかしその後いくつかのクレデンザーを聴いたが、あの音量感、あの音質は別のクレデンザーには無いものだった。やはり奏き手も名人だったのである。今になってわたくしは確信する。あれは紛れもなくM夫人の音だったのだと。
     *
M夫人が、松村夫人である。
《クレデンザーの一音で砕け散った》とある。
この時、瀬川先生が松村夫人の元に持ち込まれたのが、
ラジオ技術 1957年10月号に発表されている
「30年来のレコード愛好家のために、バリスロープ・イコライザつき6F6パラPP・LP再生装置をつくる」
という記事に登場する装置である。

この記事は、こういう書き出しで始まっている。
     *
 本誌のレコード評に毎月健筆をふるっておられる西条卓夫氏から、氏の旧い盤友である松村夫人のために、LP装置を作るようにとのご依頼を受けたのは、まだ北風の残っている季節でした。お話を聴いて、私は少々ためらいました。夫人は遠く福岡にお住いですが、その感覚の鋭さ、耳の良さには、〝盤鬼〟をもって自他ともに許す西条氏でさえ、一目おいておられるのだそうで、LPの貧弱な演奏に耐えきれず未だに戦前のHMVの名盤を、クレデンザーで愛聴しておられるというのです。〝懐古趣味〟と笑ってはいけません。同じレコードを愛する私には、そのお気持が良く判るのでした。
 とにかく、限られた予算と、短かい期日の中で、全力を尽してみようと思いました。
     *
瀬川先生は、松村夫人のクレデンザを聴かれている。
西条卓夫氏はランドフスカの項では、瀬川先生のことも触れられている。
     *
 だが、録音されたランドフスカのクラヴサンの音は、SPの方がより良い味を持っている。最高級のアクースティック蓄音機でイギリス・プレスのSPを聴く際のあえかな美しさは、とても筆舌に尽くし難い。戦後派の選ばれたオーディオとレコード・ファンのM・KやI・Oの両君も、その法外な魅力には脱帽している。
     *
I・Oとは、大村一郎の頭文字で、瀬川先生の本名である。

Date: 4月 16th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その2)

グレン・グールドの二度目のゴールドベルグ変奏曲が出た時、
ラジオ技術の連載で、西条卓夫氏はそれほど高く評価はされてなかった──、
と記憶している。

ゴールドベルグ変奏曲はワンダ・ランドフスカの演奏にかぎる──、
的なことも書かれてあってと記憶している。

西条卓夫氏はランドフスカに熱をあげられていたことは、よく知られていた。

名曲この一枚」にも、ランドフスカのレコードは登場する。

ゴールドベルグ変奏曲のところで、こう書かれている。
     *
その一つにこの「ゴルトベルク」のSPがある。何しろ、ランドフスカが入れた大もののしかも稀代の名曲の初登場というので、知る限りの同好の士を招き、息づまるような雰囲気の中で聴いた。果然、そこには私たちのバッハ、本当の音楽が見出された。エネスコのバッハと同じく、最も好ましい。
 盤友のH・M氏夫人などは、これを聴いて命拾いまでしている。そのあらましはこうだ。
 三十年近くも前のこと、彼女は外科手術の予後が悪く、敗血症をひき起こした。早速Q大病院に入って加療に努めたが、とうとう危篤状態に陥ってしまった。特効薬のペニシリンやズルフォン剤がなかった当時のこととて、万やむを得ない成り行きだったといえよう。
 彼女は、主治医から「翌朝までは持つまい」といわれた当夜、日ごろ最も愛聴していたこのSPを、今生の思い出に病室でかけてもらった。開曲の「ありあ」が静かに流れ出すと、彼女の瞳は和やかな色を見せ、唇には微笑みさえ浮かべられた。そして、「第十一変奏曲」に入るころ、安らかな眠りに落ちて行った。枕許の人たちは、そとの清らかな臨終の姿に、思わず涙を新しくしたという。
 だが、一夜明けると、不思議にも病状は急反転して快方に向かい、間もなく本復してしまった。病院をあげて、これには全く唖然とするほかなかった。
 ランドフスカも、戦後私からの知らせで、非常に感動していた。バッハとランドフスカが生んだ現代の奇蹟として、特筆に値しよう。
     *
ここに出てくるQ大病院とは九大病院のことであり、
H・M氏夫人とは、松村夫人のことである。

ステレオサウンド 62号、「音を描く詩人の死」の中に松村夫人のことが触れられている。

Date: 4月 11th, 2022
Cate: ディスク/ブック

内田光子のディアベリ変奏曲(その3)

2015年の内田光子の
《スポーツに例えるならば、心技体そろった今だからこそこの難曲に挑戦したい》は、
コンサートでの演奏が前提であるわけで、
ディアベリ変奏曲は一時間弱ほどかかる曲だ。

コンサートでは、ディアベリ変奏曲の途中で休憩を入れるわけにはいかない。
あたりまえすぎることなのだが、
最初から最後まで通しでのディアベリ変奏曲であり、
一時間ほどピアニストは、ディアベリ変奏曲は向きあうことになる。

だからこその心技体そろってなのだろう。
録音では、その点は多少違ってくる。

今回の内田光子のディアベリ変奏曲がどのように録音されたのか詳細は知らない。
コンサートに近い形での演奏・録音だったのかもしれないが、
それでも途中で休憩をはさんでいないとは思えない。

コンサートでのディアベリ変奏曲よりも、録音でのディアベリ変奏曲は、
体力面に関してはいくらかは楽ではあろう。

そう思いながらも、内田光子のディアベリ変奏曲を聴いていると、
けっこう通しで録音したのではないか、という感じもしてくる。

ディアベリ変奏曲は、以前書いているように、あまり頻繁には聴かない。
前回聴いたのは、2020年秋である。

グルダのバッハの平均律クラヴィーア曲集とベートーヴェンのディアベリ変奏曲が、
SACDで登場した時である。
一年半ほどぶりのディアベリ変奏曲を、
内田光子の演奏で、すでに二回聴いているし、
クラウディオ・アラウの演奏も聴いた。

アラウと内田光子のディアベリ変奏曲を聴いて、
こんなにも音が違うのか、と少々驚いてしまった。

アラウは1985年、内田光子は2021年だから、二つの録音には三十六年の隔たりがある。
それだけでなくアラウの録音は44.1kHzで、
内田光子の録音は192kHzで、しかもMQAである。

そんなことは最初からわかっていたことなのだが、それでもこんなに違うのか、と思う。

Date: 4月 8th, 2022
Cate: ディスク/ブック

内田光子のディアベリ変奏曲(その2)

今日(4月8日)は、内田光子の「ディアベリ変奏曲」の発売日である。
MQA-CDで発売されている。

買おうと思っていたけれど、TIDALで先に聴いてしまった。

2015年、内田光子はサントリーホールで「ディアベリ変奏曲」を弾いている。
その時のインタヴューが、毎日新聞のサイトで公開されている。

そこには、こうある。
《スポーツに例えるならば、心技体そろった今だからこそこの難曲に挑戦したい》。

当時、このインタヴューを読んでいた。
心技体そろった今、とあるのだから、
一年以内くらいに「ディアベリ変奏曲」を録音するものだとばかり思ってしまった。
そうそう心技体そろった状態を維持できるとは思えなかったからだ。

録音は2021年10月である。
日本で「ディアベリ変奏曲」を弾いてから、まる六年経っている。

いまも心技体そろっている、ということなのか。
内田光子は1948年12月20日生れだから、
録音のときは、73歳になる少し前である。

「ディアベリ変奏曲」のディスクは、そう多くは持っていない。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタほどには頻繁に聴かない、ということもある。

それでもグルダの録音とクラウディオ・アラウの晩年の録音は、
素晴らしいと感じている。

この録音は1985年4月。
アラウは1903年2月6日生れだから、この時82歳。

Date: 4月 4th, 2022
Cate: ディスク/ブック

グールドの「熱情」

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第23番には、
「熱情」という通称がついている。

この通称にとらわえてしまうと、演奏の評価を誤ってしまうのかもしれないが、
それでもグレン・グールドの「熱情」は、
グールドによるベートーヴェンの他のピアノ・ソナタほどには際立っているとは、
これまで感じたことはなかった。

「熱情」をそれほど聴くわけではない。
他のピアニストの演奏でも、それほど聴かない。

昨年、TIDALでグールドのコロムビアでのすべての録音がMQA Studioで聴けるようになってから、
すべてのアルバムを聴き直しているところ。

今日は、「熱情」がおさめられているアルバムを聴いていた。
前回、グールドの「熱情」を聴いたのがいつだったのか、
正確に思い出せないほどにひさしぶりのグールドの「熱情」となった。

第二楽章を聴いていて、ハッとした。
こんなに美しかったか、とハッとした。

ピアノの演奏よりも、むしろグールドのハミングの美しさに、ハッとしたものだった。

MQAだからなのだ、と勝手に思っている。

Date: 4月 1st, 2022
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ブルーノ・ワルターの「田園」(その2)

ワルター好きの何人かの知人の口から、
そういえば「田園」について、なにかを聞いた記憶がない。

不思議なもので、数人の知人がワルターの指揮について語るのは、
ブラームスについてが多かった。

たまたま、私の知人でワルター好きという数人がそうだった、というだけで、
多くのワルター好きの人がそうだとは思っていないのだが、
それでも、ごく少数のサンプルなのはわかっていても、
このことはなかなかに興味深いな、と感じている。

ワルター好きの知人も「田園」は聴いているはずだ。
なのに、ワルターの「田園」が素晴らしい、とは一度も聞いていないのはどうしてなのだろうか。

ブラームスの演奏については力説する知人なのに、
「田園」については何も語らなかった。

つまりはそれほどいいとは感じていないからなのだろう。
知人の性格からして、そうだ、といえる。

どうしてなのだろうか。

そういえば、内田光子が何かのインタヴューで語っていた。
ブルーノ・ワルターという指揮者は道端に花が咲いていたら、
立ち止って、その花を愛でる。

ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、気には留めても、
足を停めることはなく、そのまま進んでいく──、
これも掲載されている本が手元にないから、
記憶に頼っての引用でしかないが、
これは核心をついているのではないだろうか。

内田光子は、どちらが優れた指揮者か、といいたいのではなく、
二人の指揮者の違いについて語っていた。

交流が途絶えてしまったワルター好きの知人に、なぜ? と訊くことはしない。
訊いたところで、納得できる答が返ってくるとも思えない。

それはそれでいい。どうでもいいことだ。
とにかくワルター/コロムビア交響楽団の「田園」は素晴らしい。

Date: 4月 1st, 2022
Cate: ディスク/ブック

ブルーノ・ワルターの「田園」(その1)

福永陽一郎氏は、ブルーノ・ワルターについて、
ベートーヴェンの『田園」交響曲を指揮するために存在した人──、
そういった書き方をされていた。

音楽之友社から出ていた「私のレコード棚から(世界の指揮者たち)」、
レコード芸術の名曲名盤、そのどちらでも書かれていた、と記憶している。

ワルター好きな人は、多い。
知人でもワルターの演奏を熱心に聴いている人が何人かいる。

さいわいなこと、というべきなのか、
ワルター好きの知人は、福永陽一郎氏の本を読んでいないようだ。
だからといって、こんなことが書かれているよ、と教えたこともない。

知人たちが福永陽一郎氏がワルターについて書いていることを知ったら、
なんというのだろうか。

福永陽一郎氏のワルターの評価は、高くないと記憶している。
いまどちらも本も手元にないので確かめられないけれど、
それでもワルターの「田園」だけは、絶賛といってもいいほどである。

ワルターはウィーン・フィルハーモニーとの録音もある。
1937年の録音である。
こちらも高く評価されているが、
1958年録音のコロムビア交響楽団との演奏は、さらに高い。

ワルターと「田園」交響曲について、
楽想と同心同体である──、
こんなふうに書かれていた、と記憶している。

福永陽一郎氏が書かれたのを読んだのは、20代のころだった。
もちろんワルター指揮の「田園」を買って聴いた。

名演だ、と感じたものの、
正直、福永陽一郎氏がそこまで高く評価される演奏だろうか──、とも思っていた。
それに、20代のころの私は、ベートーヴェンの交響曲に夢中だったけれど、
「田園」はあまり、というか、ほとんど聴かなかった。

その後も、そう変らなかった。
「田園」をすすんで聴くことは、そんなになかった。

ここ十年は、まったく聴いていなかった。
3月、何人かの指揮者の「田園」を、TIDALで聴いていた。

今日、ワルターの「田園」を聴いてみた。
MQA Studio(192kHz)で聴いた。

やっと福永陽一郎氏がいわれていたことがわかった。
ワルターという指揮者と「田園」交響曲の楽想は、
まさに同心同体という印象を受けた。

Date: 3月 27th, 2022
Cate: ディスク/ブック

新版 名曲この一枚(その1)

西条卓夫氏の「名曲この一枚」が復刊している。
二ヵ月ほど前に出ていたのを、昨日知ったばかり。

盤鬼・西条卓夫氏について語る必要はないだろう。

Date: 3月 16th, 2022
Cate: ディスク/ブック

きみの朝

昨晩、e-onkyoのサイトを眺めていたら、
邦楽のシングルランキングに、岸田智史の「きみの朝」が入っていた。

「きみの朝」が流行っていたころは高校生だった。
いまはテレビのない生活を送っているけれど、当時は実家暮らしでテレビもあった。

「きみの朝」はテレビの音楽番組から流れてくるのを何度か聴いている。
でもシングル盤を買って聴こうとは思わなかった。
それでもe-onkyoでランキングに入っているのを見て、ひさしぶりに聴きたくなった。

「きみの朝」は、だから昨晩ほぼ四十年ぶりに聴いた。
TIDALにあったからだ。
MQA Studio(44.1kHz)で聴ける。

懐しいなぁ、という思いから聴いたわけなのだが、
音がよくて、ちょっと驚いてしまった。

最初、最近録音しなおしたのか、新しい録音なのか、と思ったほど、
いい感じで鳴ってくれる。

「きみの朝」が収録されているのは“Morning”というアルバムなのだから、
流行っていた当時の録音である。

きっかけはどうであれ、「きみの朝」を聴いてよかった。

Date: 3月 7th, 2022
Cate: ディスク/ブック

Ses Enregistrement 1930 – 1956

“Ses Enregistrement 1930 – 1956”は、
イヴ・ナットの録音を集めた15枚組のCDボックスである。
2006年に発売になっている。

TIDALを使うようになって、わりとすぐにイヴ・ナットは検索している。
2019年11月のことである。
けれど、その時、“Ses Enregistrement 1930 – 1956”はMQAで聴けなかった。
私の記憶違い、見落しの可能性もあるが、MQAではなかった、と記憶している。

さきほどふと見てみたら、MQA(44.1kHz)で聴けるようになっている。
ベートーヴェンのピアノ・ソナタも、もちろん含まれている。

イヴ・ナットのベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集は、
菅野先生の愛聴盤でもあった。

イヴ・ナットに師事していたフランスのピアニスト、ジャン=ベルナール・ポミエの全集も、
ナット以来の愛聴盤となった、とステレオサウンド別冊「音の世紀」で書かれていた。
     *
ドイツ系の演奏も嫌いではないが、ベートーヴェンの音楽に共感するフランス系の演奏家とのケミカライズが好きなのだ。ベートーヴェンの音楽に内在する美しさが浮き彫りになり、重厚な構成感に、流麗さと爽快さが加わる魅力とでも言えばよいか?
     *
ポミエのベートーヴェンもMQA(44.1kHz)で聴ける。

Date: 3月 6th, 2022
Cate: ディスク/ブック

内田光子のベートーヴェンのピアノ・ソナタ

3月4日夜、金子三勇士の「Freude」をTIDALで聴いた。
夜遅かったのでヘッドフォンで聴いていた。

リスト編曲によるベートーヴェンの交響曲第九番の四楽章がおさめられている。
これを聴き終ったあと、もう寝るつもりだった。

TIDALは、好きな演奏家をリストにできる。
金子三勇士は、Miyuji Kanekoである。

私のリストではその上に、Mitsuko Uchidaが表示される。
内田光子が、金子三勇士のすぐ上にある。

聴くつもりはなかったのに、ついMitsuko Uchidaのところをクリックしてしまう。
そこにはベートーヴェンのピアノ・ソナタのアルバムも表示される。

第三十一番の一楽章だけ聴こう、と思った。
結局、全楽章を聴いて、三十二番も聴いていた。

一年三ヵ月ぶりに聴く内田光子のベートーヴェンのピアノ・ソナタ。
前にも増して、素晴らしいベートーヴェンの音楽として聴こえてくる。

2006年に発売されている。
出てすぐに買って聴いている。
その時から、素晴らしいベートーヴェンだと感じていた。

それから十六年。
その感動は薄れたり、失われたりすることなく、増しているし濃くなっている。

「人は歳をとればとるほど自由になる」
内田光子は、あるインタヴューでそう語っていた。

私もすこしは自由になっているのだろう。
こんなにも内田光子のベートーヴェンが素晴らしく聴こえるのだから。