新版 名曲この一枚(その2)
グレン・グールドの二度目のゴールドベルグ変奏曲が出た時、
ラジオ技術の連載で、西条卓夫氏はそれほど高く評価はされてなかった──、
と記憶している。
ゴールドベルグ変奏曲はワンダ・ランドフスカの演奏にかぎる──、
的なことも書かれてあってと記憶している。
西条卓夫氏はランドフスカに熱をあげられていたことは、よく知られていた。
「名曲この一枚」にも、ランドフスカのレコードは登場する。
ゴールドベルグ変奏曲のところで、こう書かれている。
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その一つにこの「ゴルトベルク」のSPがある。何しろ、ランドフスカが入れた大もののしかも稀代の名曲の初登場というので、知る限りの同好の士を招き、息づまるような雰囲気の中で聴いた。果然、そこには私たちのバッハ、本当の音楽が見出された。エネスコのバッハと同じく、最も好ましい。
盤友のH・M氏夫人などは、これを聴いて命拾いまでしている。そのあらましはこうだ。
三十年近くも前のこと、彼女は外科手術の予後が悪く、敗血症をひき起こした。早速Q大病院に入って加療に努めたが、とうとう危篤状態に陥ってしまった。特効薬のペニシリンやズルフォン剤がなかった当時のこととて、万やむを得ない成り行きだったといえよう。
彼女は、主治医から「翌朝までは持つまい」といわれた当夜、日ごろ最も愛聴していたこのSPを、今生の思い出に病室でかけてもらった。開曲の「ありあ」が静かに流れ出すと、彼女の瞳は和やかな色を見せ、唇には微笑みさえ浮かべられた。そして、「第十一変奏曲」に入るころ、安らかな眠りに落ちて行った。枕許の人たちは、そとの清らかな臨終の姿に、思わず涙を新しくしたという。
だが、一夜明けると、不思議にも病状は急反転して快方に向かい、間もなく本復してしまった。病院をあげて、これには全く唖然とするほかなかった。
ランドフスカも、戦後私からの知らせで、非常に感動していた。バッハとランドフスカが生んだ現代の奇蹟として、特筆に値しよう。
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ここに出てくるQ大病院とは九大病院のことであり、
H・M氏夫人とは、松村夫人のことである。
ステレオサウンド 62号、「音を描く詩人の死」の中に松村夫人のことが触れられている。