新版 名曲この一枚(その3)
松村夫人のことは、瀬川先生も、
ステレオサウンド 7号掲載「音は人なり」の中で触れられている。
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「音は人なり」という名言があるが、こと再生装置にかぎらず、精巧な機械になるほど、その持主の心を、あるいはそ置かれる環境を、素直に写し出すもののようである。
この名言とともに、何かつけて思い出されるのは、福岡にお住まいのM夫人のクレデンザーの音である。
夫人は、彼を「久礼夫さん」と呼んでおられた。この一事からも、並ならぬ可愛がりかたであったと想像頂けよう。金色のサウンドボックスも、HMV製のあの独特の白い竹針も、最上のコンディションで保存されていた。静かにハンドルをまわし、ピカピカのHMV盤に針を乗せる夫人のうしろ姿は凛として気品があった。それは恰かも、名器に向かう名演奏家の姿であった。
こういう形で器機に接することのできる人は、女性にはまれなこと、と言ったら失礼な言い方になるかもしれないが、男にだってそうザラに居るわけではない。最初の一音を聴いただけで、クレデンザーが機械蓄音器の最高の名品といわれた所以に合点がいった。
バイオリンでも、名人が奏きこむに従ってだんだんに音が良くなるそうだ。逆に、せっかく良く鳴っていた楽器でも、素人の手に渡ると一週間で鳴りが悪くなってくるという。M夫人の元で、ティボォ、コルトオ、ランドフスカの、しかも手入れのよいHMV本盤で鳴らしこまれたクレデンザーが、なみの器械の及ばない音で鳴っていたとしても不思議ではない。
たとえ世界最高といわれた器械でも、たかが手捲蓄音器何ほどのことあるらんと、三極管パラPPのアンプに3ウェイのSPをひっさげて出かけた、十二年前のわたくしの高慢心は、クレデンザーの一音で砕け散った。単に音量感だけとっても、クレデンザーの方が格段に上だった。機械蓄音器から、ああいうたっぷりした音量が流れ出るものであることを、不覚にもそのとき初めて思い知らされた。しかしその後いくつかのクレデンザーを聴いたが、あの音量感、あの音質は別のクレデンザーには無いものだった。やはり奏き手も名人だったのである。今になってわたくしは確信する。あれは紛れもなくM夫人の音だったのだと。
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M夫人が、松村夫人である。
《クレデンザーの一音で砕け散った》とある。
この時、瀬川先生が松村夫人の元に持ち込まれたのが、
ラジオ技術 1957年10月号に発表されている
「30年来のレコード愛好家のために、バリスロープ・イコライザつき6F6パラPP・LP再生装置をつくる」
という記事に登場する装置である。
この記事は、こういう書き出しで始まっている。
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本誌のレコード評に毎月健筆をふるっておられる西条卓夫氏から、氏の旧い盤友である松村夫人のために、LP装置を作るようにとのご依頼を受けたのは、まだ北風の残っている季節でした。お話を聴いて、私は少々ためらいました。夫人は遠く福岡にお住いですが、その感覚の鋭さ、耳の良さには、〝盤鬼〟をもって自他ともに許す西条氏でさえ、一目おいておられるのだそうで、LPの貧弱な演奏に耐えきれず未だに戦前のHMVの名盤を、クレデンザーで愛聴しておられるというのです。〝懐古趣味〟と笑ってはいけません。同じレコードを愛する私には、そのお気持が良く判るのでした。
とにかく、限られた予算と、短かい期日の中で、全力を尽してみようと思いました。
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瀬川先生は、松村夫人のクレデンザを聴かれている。
西条卓夫氏はランドフスカの項では、瀬川先生のことも触れられている。
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だが、録音されたランドフスカのクラヴサンの音は、SPの方がより良い味を持っている。最高級のアクースティック蓄音機でイギリス・プレスのSPを聴く際のあえかな美しさは、とても筆舌に尽くし難い。戦後派の選ばれたオーディオとレコード・ファンのM・KやI・Oの両君も、その法外な魅力には脱帽している。
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I・Oとは、大村一郎の頭文字で、瀬川先生の本名である。