内田光子のディアベリ変奏曲(その3)
2015年の内田光子の
《スポーツに例えるならば、心技体そろった今だからこそこの難曲に挑戦したい》は、
コンサートでの演奏が前提であるわけで、
ディアベリ変奏曲は一時間弱ほどかかる曲だ。
コンサートでは、ディアベリ変奏曲の途中で休憩を入れるわけにはいかない。
あたりまえすぎることなのだが、
最初から最後まで通しでのディアベリ変奏曲であり、
一時間ほどピアニストは、ディアベリ変奏曲は向きあうことになる。
だからこその心技体そろってなのだろう。
録音では、その点は多少違ってくる。
今回の内田光子のディアベリ変奏曲がどのように録音されたのか詳細は知らない。
コンサートに近い形での演奏・録音だったのかもしれないが、
それでも途中で休憩をはさんでいないとは思えない。
コンサートでのディアベリ変奏曲よりも、録音でのディアベリ変奏曲は、
体力面に関してはいくらかは楽ではあろう。
そう思いながらも、内田光子のディアベリ変奏曲を聴いていると、
けっこう通しで録音したのではないか、という感じもしてくる。
ディアベリ変奏曲は、以前書いているように、あまり頻繁には聴かない。
前回聴いたのは、2020年秋である。
グルダのバッハの平均律クラヴィーア曲集とベートーヴェンのディアベリ変奏曲が、
SACDで登場した時である。
一年半ほどぶりのディアベリ変奏曲を、
内田光子の演奏で、すでに二回聴いているし、
クラウディオ・アラウの演奏も聴いた。
アラウと内田光子のディアベリ変奏曲を聴いて、
こんなにも音が違うのか、と少々驚いてしまった。
アラウは1985年、内田光子は2021年だから、二つの録音には三十六年の隔たりがある。
それだけでなくアラウの録音は44.1kHzで、
内田光子の録音は192kHzで、しかもMQAである。
そんなことは最初からわかっていたことなのだが、それでもこんなに違うのか、と思う。