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Date: 9月 20th, 2008
Cate: 録音

80年の隔たり(その2)

小学校に上がるまで暮らした家は、
ひんやりしているところも、薄暗いところもあった古い木造家屋だ。 
だから、怖いテレビや本をみたり読んだ夜は、ひとりでトイレに行くのを避けたかった。

いまの、隅々まで光が行き届いた、マンションに住む子供は、そんな思いはしないような気もする。

アコースティック録音から電気による録音、SPからLP、
モノーラルからステレオ、アナログからデジタル、と変化するごとに情報量は増え、
それは隅々まで光が行きとどいた、薄暗さをなくした部屋のようになってしまうのか。
細部までよく見える(聴こえる)。かわりに陰影は薄れていく。 
そんな(陰影なんて)のは、音がマスキングされた結果、
もしくは音をマスキングするものだから、要らない、という人もいて当然だと思うが、
ティボー/コルトーのフランクのヴァイオリン・ソナタを聴いていると、そうじゃないとも思う。 

プログラムソースの情報量は増えている。シュワルツベルグ/アルゲリッチのフランクの、
音の漂う感じ、質感の素晴らしさ、そして実体感の見事さは、
最新の、最良の録音だからこそ捉えたものだろう。 

私たちは、聴こうと思えば、どちらも聴ける世界に住んでいる。 
だから、いまの時代の陰影を求めてみたい。

Date: 9月 19th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その11)

仕事で長距離の移動をされるとき、瀬川先生の旅の供は、
ステレオサウンドから、当時は年二回出ていたハイファイ・ステレオガイドと電卓だと、
ご本人からきいたことがある。

予算やテーマ(鳴らしたいレコードや、どんな音を出したいか)などを自分で設定して、
ページをめくり、このスピーカーに、あのアンプ、カートリッジはこれかな、と楽しくて、
いい時間つぶしになる、とのこと。

私も中学・高校生のとき、同じことをやっていた。
高価なオーディオ機器を、すぐに買えるわけではないけれど、
予算無制限だったら……とか、現実的な価格での組合せや、
自分ではあまり好んで聴かない音楽のための組合せだったら……、こんな感じで。

ただ当時のハイファイ・ステレオガイドは、
アルバイトのできない中学生には、かなり高価な本だった。

Date: 9月 19th, 2008
Cate: 使いこなし

木村伊兵衛か土門拳か

5月29日発売の週刊文春に掲載されている福田和也氏の 
「ハマってしまったアナタに ──木村伊兵衛か土門拳か──」は、 
オーディオについて考えるヒントを与えてくれる(以下引用)。 
     *
土門は被写体に真っ向勝負を挑み、理想の構図、ピントを求めて大きなカメラを何百回とシャッターを切りつづけた。学生時代に絵描きを志した土門にとって、写真は映画同様、自己の世界観を存分に投影しうる、人間主体の芸術でした。
 ところが、土門がその存在を終生意識し続けた木村伊兵衛にとって、写真はもっと不如意なものでした。カメラを使いこなすことは、カメラという機械のメカニズムを受け容れ、自らを合わせていくこと。写真は人間主体の芸術ではなく、むしろその主体性の限界を示してくれる存在で、その限界から先はカメラに結果を委ねるしかない。(中略)
 一眼レフであり、コンパクトであれ、木村のようにその性能に意思を委ねるもよし、土門のようにすべてのパラメーターと格闘して意思の実現を目指すもよし。いずれにせよ、写真は自己認識に関わる豊饒な遊び。だから愉しいのです。 
      *
オーディオにも不如意なところは数多く存在する。それをどう捉えるか、どう処理するのか。 
木村伊兵衛スタイルの人もいるだろうし、土門拳スタイルの人もいるだろう。

どちらがいい悪いではない。

Date: 9月 18th, 2008
Cate: 録音

80年の隔たり(その1)

フランクのヴァイオリン・ソナタの、有名なのは、ティボー/コルトーの演奏だろう。1929年の録音だ。 
アルゲリッチの、アヴァンティ・クラシックへのフランクの録音は、2005年、
ティボー/コルトーの演奏から約80年の隔たりがある。 

1925年にウェスタンが電気によるディスク録音を開発したばかり、
それ以前は、アコースティックによるディスク録音、
ティボー/コルトーの録音はそういう時代に行なわれている。 

2005年のアルゲリッチになると、デジタル録音、それもDSD方式で、5.1チャンネルでの収録。
言葉で書く以上に、その差は大きい。

ティボー/コルトー盤は、いまでもよく聴く。
フランクのヴァイオリン・ソナタが聴きたいときはもちろん、
音が良くなったときにも必ずかける。 

古い古い録音だが、音が良くなると、コルトーのピアノの音に驚く。
素晴らしいピアニストだと思っていたが、こんなに素敵なピアニストだったのか、と、
その音の美しさに聴き惚れる。

Date: 9月 18th, 2008
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(その1)

「音楽性」という言葉ほど、便利な言葉はないように思っている。
この機種は音楽性がある、とか、豊かだとか、もしくは貧弱だとか。
音そのものはよいが音楽性が感じられない、というふうに一刀両断にできたりもする。

音楽性とは、なんなんだろうか。

2006年暮、友人にさそわれて、とある高級オーディオばかりを扱う販売店の試聴会にでかけた。
スピーカーは2機種。どちらも1千万円弱(当時)する。
2つのスピーカーの厳密な比較試聴というよりも、それぞれの世界を味わってください、
という感じで、それぞれのスピーカーには、異るアンプとCDプレーヤーが組み合わされていた。

最後にかけられたのは、ラミレスのミサ・クリオージャであった。
ホセ・カレーラスのではなく、アルゼンチンの大御所、メルセデス・ソーサの歌唱によるもの。
はじめて聴くディスクだが、
それでも、あきらかにAのスピーカーから鳴ったソーサの歌い方はおかしい、と感じた。
ソーサほどの歌手が、ミサ・クリオージャをこんなふうに歪めて歌うわけがない。
こんな歌い方ではなく、敬虔に歌うはずである。
ミサ・クリオージャという音楽、メルセデス・ソーサをすこしでも知っていれば、そう思えるはず。

そんな疑問が消えぬうちに、もうひとつのスピーカーからソーサの歌声が鳴ってきた。
正しい歌い方だ。これは、もう直感だ。

なるほどAのスピーカーの世評は高い。ステレオサウンドでも、ひじょうに高く評価されている。
けれど、ミサ・クリオージャをこんなふうに歪めて鳴らしているということは、
ラミレスに関しては、音楽性を歪めている、と言い換えてもいいだろう。

このとき、音楽性という、この便利な言葉、とても曖昧な意味で使われることの多い言葉を、
すくなくとも、私自身の中で意味付けられるような感じがした。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: KEF, LNP2, LS5/1A, 瀬川冬樹

LS5/1Aにつながれていたのは(その2)

FMfanの巻頭のカラーページで紹介されていた
瀬川先生の世田谷のリスニングルームの写真に写っていたLS5/1Aの上には、
パイオニアのリボントゥイーターPT-R7が乗っていた。

LS5/1Aの開発時期は1958年。周波数特性は40〜13000Hz ±5dB。
2個搭載されているトゥイーター(セレッションのHF1300)は、位相干渉による音像の肥大を防ぐために、
3kHz以上では、1個のHF1300をロールオフさせている(トゥイーターのカットオフ周波数は1.75kHz)。
そのまま鳴らしたのでは高域のレスポンスがなだらかに低下してゆく。
そのため専用アンプには、高域補正用の回路が搭載されている。
専用アンプは、ラドフォード製のEL34のプッシュプル(LS5/1はリーク製のEL34プッシュプル)だが、
瀬川先生は、トランジスターアンプで鳴らすようになってから、真価を発揮してきた、と書かれている。

いくつかのアンプを試されたであろう。JBLのSE400Sも試されたであろう。
その結果、スチューダーのA68を最終的に選択されたと想像する。

もちろんA68には高域補整回路は搭載されていない。
おそらくLNP2Lのトーンコントロールで補正されていたのだろう。
さらにPT-R7を追加してワイドレンジ化を試されたのだろう。

これらがうまくいったのかどうかはわからない。

瀬川先生の世田谷のリスニングルームにいかれた方何人かに、
このことを訊ねても、PT-R7の存在に気づかれた人がいない。
だから、つねにLS5/1Aの上にPT-R7が乗っていたわけではなかったのかもしれない。

LNP2とA68のペアで鳴らされていたであろうLS5/1Aの音は、想像するしかない。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: LNP2, LS5/1A, 瀬川冬樹

LS5/1Aにつながれていたのは(その1)

「なぜ、これだけなの?」と思ったのも、ほんとうのところである。 
1982年1月、ステレオサウンド試聴室隣の倉庫で、
瀬川先生の愛機のLS5/1A、LNP2L、A68を見た時に、
そう思い、なんともさびしい想いにとらわれた。 

それからしばらくして、4345がどこに行ったのかをきいた。
それでも、なぜ、これだけなのか、と当時はずっと思っていた。 

けれど、いま思うのは、この3機種こそ、
瀬川先生にとっての愛機だったのだということである。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 楷書/草書

楷書か草書か(その2)

楷書か草書かで言えば、カラヤンのスタジオ録音は楷書であろう。 
70年代の録音を聴くと、そう感じる。

楷書、草書のふたつだけで区分けすることの無理があるのはわかっている上で、 
5月発売になった、最後の来日公演のライヴ録音のなかのブラームスの交響曲第1番は、
楷書なのかと、自問する。考えこんでしまう。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 楷書/草書

楷書か草書か(その1)

アバドのマーラーは、私にとっては、1980年前後にシカゴ響との旧録のほうが、
そのなかでも交響曲第1番は、ひときわ印象ぶかいものとなっている。 

1982年夏にステレオサウンド別冊として出た「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」の取材で、
アバドによる第1番をはじめて聴いたとき、
第1楽章出だしの緊張感、カッコウの鳴き声の象徴といわれているクラリネットが鳴りはじめるまでの、
ピーンと張りつめた、すこしひんやりした朝の清々しい空気の描写に、
息がつまりそうな感じに陥ったのを、はっきりとおぼえている。

ステレオサウンドにはいってまだ数ヶ月。
長時間の、しかも数日続く試聴にまだなれていなくて、
さらに、たとえば4344の試聴にしても、4343との比較、
アンプも3通りほど用意してという内容だっただけに、
試聴室の雰囲気も緊張感がみなぎっていて、そこにアバドの演奏で、ぐったりになったものだ。 

いったい、何度聴いたのだろう……。

だからというわけではないが、じつは随分長い間、アバドの1番は聴いてこなかった。
なのに去年暮、ふと聴きたくなってあらためてCDを購入した。 
82年から25年の間に、いくつかの第1番を聴いた。
バーンスタインの再録ももちろん聴いている。 

ひさしぶりのアバドの演奏を聴いて感じたのは、
「このころのアバドは楷書で、バーンスタインは草書」ということ。 

こういう区分けはあまりやらないほうがいいのはわかっていても、
楷書か草書かで、自分の好きな演奏家や音を照らし合わせてみるのはおもしろい。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 単純(simple), 言葉

シンプル・イズ・ベストはほんとうか

あいかわらず言われつづけている、シンプル・イズ・ベスト。 
肯定する人、そんなのは単純思考だと否定する人がいる。

単純なものが最善ではなく、
フルトヴェングラーの言葉にあるように「偉大なるものはすべて単純である」こそ、
真理であり、不変と言えよう。 

偉大なるという言葉が少々大仰ならば、
最善なるものは単純である、ベスト・イズ・シンプルでもいい。 

そして大事なのは、ほんとうにシンプル(単純)であるということは、
どういうものかを、見極めることであり、これが難しい。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(その10)

瀬川先生が「良い音とは」について、熊本のオーディオ店でのイベントで語られたことは、興味深い。

良い音を体の健康状態に例えられて、健康なときは、体の存在感を意識しない。
でも怪我をしたり病気にかかると、怪我をしたところや病気になったところを意識してしまう。
だからその存在を意識させないのが、良い音の最低条件である、と。

なぜ最低条件かと言うと、話の続きがあるからだ。

おいしいものを食べたときに舌の存在を意識する。
さらに下世話な話になるけど、ヘソの下にあるモノも快感によって、
その存在を主張するし、存在を意識する。
良い音とは、そういうものだろう、ということだった。

瀬川先生が、もしバウエン製モジュールのLNP2を聴かれたら、
失望されたかもしれないと思う理由が、ここにある。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 再生音, 言葉

再生音とは……

小林秀雄賞を受賞された多田富雄氏の、「女は存在で、男は現象」論は、
そのまま音についても当てはまると言えるのではないか。

「生の音(原音)は存在、再生音は現象」と考えていきたい。

Date: 9月 17th, 2008
Cate: 五味康祐, 瀬川冬樹

S氏

五味先生の著作の中に登場するS氏は、齋藤十一氏のことである。 

昭和27、29年ごろ、五味先生、瀬川先生、菅野先生は、
齋藤邸のリスニングルームでタンノイの音を、はじめて体験されている。

瀬川先生は、ステレオサウンド刊「世界のオーディオ TANNOY」に、その日のことを書かれている。
     ※
 はじめてタンノイに音に感激したときのことはよく憶えている。それは、五味康祐氏の「西方の音」の中にもたびたび出てくる(だから私も五味氏にならって頭文字で書くが)S氏のお宅で聴かせて頂いたタンノイだ。
 昭和28年か29年か、季節の記憶もないが、当時の私は夜間高校に通いながら、昼間は、雑誌「ラジオ技術」の編集の仕事をしていた。垢で光った学生服を着ていたか、それとも、一着しかなかったボロのジャンパーを着て行ったのか、いずれにしても、二人の先輩のお供をする形でついて行ったのだが、S氏はとても怖い方だと聞かされていて、リスニングルームに通されても私は隅の方で小さくなっていた。ビールのつまみに厚く切ったチーズが出たのをはっきり憶えているのは、そんなものが当時の私には珍しく、しかもひと口齧ったその味が、まるで天国の食べもののように美味で、いちどに食べてしまうのがもったいなくて、少しずつ少しずつ、半分も口にしないうちに、女中さんがさっと下げてしまったので、しまった! と腹の中でひどく口惜しんだが後の祭り。だがそれほどの美味を、一瞬に忘れさせたほど、鳴りはじめたタンノイは私を驚嘆させるに十分だった。
 そのときのS氏のタンノイは、コーナー型の相当に大きなフロントロードホーン・バッフルで、さらに低音を補うためにワーフェデイルの15インチ・ウーファーがパラレルに収められていた。そのどっしりと重厚な響きは、私がそれまで一度も耳にしたことのない渋い美しさだった。雑誌の編集という仕事の性質上、一般の愛好家よりもはるかに多く、有名、無名の人たちの装置を聴く機会はあった。それでなくとも、若さゆえの世間知らずともちまえの厚かましさで、少しでも音のよい装置があると聞けば、押しかけて行って聴かせて頂く毎日だったから、それまでにも相当数の再生装置の音は耳にしていた筈だが、S氏邸のタンノイの音は、それらの体験とは全く隔絶した本ものの音がした。それまで聴いた装置のすべては、高音がいかにもはっきりと耳につく反面、低音の支えがまるで無に等しい。S家のタンノイでそのことを教えられた。一聴すると、まるで高音が出ていないかのようにやわらかい。だがそれは、十分に厚みと力のある、だが決してその持てる力をあからさまに誇示しない渋い、だが堂々とした響きの中に、高音はしっかりと包まれて、高音自体がむき出しにシャリシャリ鳴るようなことが全くない。
 いわゆるピラミッド型の音のバランス、というのは誰が言い出したのか、うまい形容だと思うが、ほんとうにそれは美しく堂々とした、そしてわずかにほの暗い、つまり陽をまともに受けてギラギラと輝くのではなく、夕闇の迫る空にどっしりとシルエットで浮かび上がって見る者を圧倒するピラミッドだった。部屋の明りがとても暗かったことや、鳴っていたレコードがシベリウスのシンフォニイ(第二番)であったことも、そういう印象をいっそう強めているのかもしれない。
 こうして私は、ほとんど生まれて初めて聴いたといえる本もののレコード音楽の凄さにすっかり打ちのめされて、S氏邸を辞して大泉学園の駅まで、星の光る畑道を歩きながらすっかり考え込んでいた。その私の耳に、前を歩いてゆく二人の先輩の会話がきこえてきた。
「やっぱりタンノイでもコロムビアの高音はキンキンするんだね」
「どうもありゃ、レンジが狭いような気がするな。やっぱり毛唐のスピーカーはダメなんじゃないかな」
 二人の先輩も、タンノイを初めて聴いた筈だ。私の耳にも、シベリウスの最終楽章の金管は、たしかにキンキンと聴こえた。だがそんなことはほんの僅かの庇にすぎないと私には思えた。少なくともその全体の美しさとバランスのよさは、先輩たちにもわかっているだろうに、それを措いて欠点を話題にしながら歩く二人に、私は何となく抵抗をおぼえて、下を向いてふくれっ面をしながら、暗いあぜ道を、できるだけ遅れてついて歩いた。
     ※
「編集者 齋藤十一」という単行本が、冬花社から出ている。
愛聴レコードリストも載っている。

Date: 9月 16th, 2008
Cate: 瀬川冬樹, 組合せ

ある組合せ

スペンドールのBCII、ラックスのLX38、ピカリングのXUV/4500Q、 
この組合せは、私にとって、いまでも特別なものである。 

熊本のオーディオ店のイベントに定期的に来られていた瀬川先生。 
ある時、イベントが終了して、まだすこし時間に余裕があったので、
瀬川先生が「今日ここにあるオーディオ機器で、聴いてみたい組合せや機種はありますか」
と言われたので、真っ先に手を上げてお願いしたのが、上記の組合せである。 

このとき、スピーカーは他にJBLの4341があったし、
アンプもマークレビンソンのLNP2やSAEの2500、
カートリッジもピカリングの他に10機種ほど用意されていた。 

BCIIは、別のイベントの時に聴いたことがあった。 
XUV/4500Qは、その日のイベントで聴いたばかり。 
LX38の音は、(たしか)耳にしたことはなかった。
十分にその素性を掴んでいるモノはひとつもなかった。
けれども、これら3つの組合せが、パッと頭にひらめいた。

もっと高価な組合せもお願いできたけれども、
どうしても聴きたかったのは、この組合せで、
BCIIの音に惹かれていただけに、もっともっといい音でBCIIを聴きたい、と思って、である。 

「BCIIにラックスのLX38で、カートリッジはXUV/4500Qでお願いします」と言ったところ、
瀬川先生が「これはひじょうにおもしろい組合せだ。ぼくも聴いてみたい組合せ」と言われ、
わくわくされている感じを受けた。 

そして鳴ってきた音は、いまでも憶えている。 

一曲鳴らし終わった後に、「いやー、これはほんとうにいい音だ。玄人の組合せだ!!」と言われ、
ちょうど最前列の真ん中の席が空いていたので、そこに座られ、
瀬川先生のお好きなレコードを、もう1枚かけられて、
そのときの楽しそうに聴かれていた表情と、「玄人の組合せ」という褒め言葉が、
二重にうれしかった。 

なにせ当時高校2年生(16歳)だった私は、
特に「玄人」という言葉が、うれしくてうれしくて、
ひそかに「才能あるんだな、オレ」と自惚れていた。 

「BCIIとLX38ですこし甘くなりがちになるところを、XUV/4500Qでピリッとさせる。
見事な組合せだ。BCIIとLX38がこんなに合うとは思わなかった」とも言われた。 

その約半年後に、ステレオサウンドの別冊として出たコンポーネントの組合せの本に、
カートリッジは異っていたけど、菅野先生も、BCIIとLX38を組み合わされている。

スペンドール、ラックス、ピカリングは、
私にとって、いわゆる黄金の組合せ、もしくは三位一体の組合せ、である。

Date: 9月 16th, 2008
Cate: 105, 現代スピーカー

現代スピーカー考(その10)

使用ユニットの前後位置合わせを行なったスピーカー、一般的にリニアフェイズと呼ばれるスピーカーは、
キャバスがはやくからORTF(フランスの国営放送)用モニターで採用していた。 
1976年当時のキャバスのトップモデルのブリガンタン(Brigantin)は、
フロントバッフルを階段状にすることで、各ユニットの音源を垂直線上に揃えている。 

リニアフェイズ(linear phase)を名称を使うことで積極的に、
この構造をアピールしたのはテクニクスのSB-7000である。
このモデルは、ウーファー・エンクロージュアの上に、
スコーカー、トゥイーター用サブエンクロージュアを乗せるという、
KEFの#105のスタイルに近い(前にも述べたように、SB-7000が先に登場している)。 

さらに遡れば、アルテックのA5(A7)は、
ウーファー用エンクロージュアにフロントホーンを採用することで、
ホーン採用の中高域との音源の位置合わせを行なっている。 
#105よりも先に、いわゆるリニアフェイズ方式のスピーカーは存在している。