アナログプレーヤー好きの方へ
今朝、iPhoneのFancyというアプリで見つけたモノ(指輪)。
アナログプレイヤー好きの方、アナログディスクの好きな方へのプレゼントにいいかも。
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この項の(その10)から(その12)で、
書店からオーディオ雑誌が消えつつ(少なくなりつつ)あることの寂しさを書いた。
つい先日も、発売になったばかりのオーディオ雑誌が前号までは平積みだったのが、
今号から棚に収まるようになっていた。
これは私がよく行く書店での話であって、ほかの書店ではまだ平積みになっていることだろう。
こうやって、また一冊、平積みでなくなった……と思ったわけだが、
そのとき、やっと気がついたことがある。
自分でも、いま気づくなんて……と思ったのは、
平積みでなくなっているのはなにもオーディオ雑誌だけではないということ。
レコード(CD)関係の雑誌も平積みでなくなりつつある、ということに、いまさらながら気がついた。
オーディオ雑誌とレコード雑誌は関係している。
片方だけがものすごく売れて、もう片方がまったく売れない、ということはないはずだ。
両方とも売れるか、両方とも売れないか(そこに少しの時期のズレはあるだろうが)。
いま手元に1970年代のスイングジャーナルがある。
見ていると、オーディオメーカーの広告もかなり載っている。
ステレオの1970年代のバックナンバーも少しあって、これにもレコード会社の広告がかなり載っている。
私が読みはじめたころのステレオサウンドも、そういえばレコード会社の広告が載っていた。
いまもオーディオ誌にレコード会社の広告が、レコード誌にオーディオメーカーの広告が、
それぞれ載っていても、その割合は以前と較べるとぐんと減っている。
オーディオ関係者の中には、オーディオ界はいまのままでいい、という人がいる。
本人から直接聞いたことだから、信じられないと思われる人もいるだろうが、事実である。
そういう人はごくごく少数だと、私は信じている。
多くのオーディオ関係者の人たちは、オーディオ界をよくしていきたいと思っている、と信じている。
それに、仮にいまのままでいい、という人にあえて言いたいのは、
現状維持でいいと、何もせずにいれば確実に悪くなっていくものだ。
現状維持をするためにも、よくしていこう、とやっていかなければならないのに、と。
よくしていくには、オーディオ業界とレコード業界が協力し合うことがこれまで以上に求められるのではないか。
自分自身に言い聞かせるためもあるから、あえて酷な書き方をするが、
コンデンサー型やリボン型にはコーン型ウーファーは合わない、うまくいかない、のは、
結局、低音域の再生が未熟だからだ。
己の未熟さから目をそらして、
従来から云われてきていることだから、とか、そんなふうに捉えていては、
いつまでたっても変らないまま、である。
JBLの375+537-500とジャーマン・フィジックスのTrobadour80(最初の頃はTrobadour40)、
このふたつは比べれば較べるほど大きく異るスピーカーユニットである。
振動板の形状がまず大きく違う。
そして375は剛性をもたせたものにたいしてTrobadour80は振動板ではなく振動膜であり、
さわればぷにょぷにょした感触だ。
しかも発音原理がまったく違う。
375はピストニックモーションなのにたいしてTrobadour80はベンディングウェーヴである。
それに375にはホーンがつく。
あえて共通しているところをあげればどちらも拡散する方向のユニットであることだが、
その指向性は大きく違うことは、Trobadour80の形状、537-500のホーンの形状を見ればわかる。
なのに菅野先生は、どちらにも同じ低音域を組み合わされている。
このことの凄さは、オーディオ歴が長い人ほど理解される、と思う。
菅野先生がJBLの2205にされたのが正確にいつなのかは知らないが、1980年より少し前のことだろう。
それからずっと同じユニット、同じエンクロージュアを使いつづけて20年以上。
なにを、その間求められてきたのか──、
それは菅野先生のリスニングルームにおいての理想的な低音再生ではないか、と思う。
ヤマハのスーパーウーファーYST-SW1000も導入されている。
こういう目に見える変化もあれば、そうでない変化もある。
そうとうにいろいろなことをやられてこられたのだ、と思う。
そうやって音楽を鳴らすオーディオのための土台・基礎としての理想的な低音域を、
リスニングルーム内にかなりの高いレベルで実現されている。
だからこそ、その上にJBLの375+537-500であろうと、ジャーマン・フィジックスのTrobadour80であろうと、
菅野先生が気に入られたスピーカーユニットであれば、うまくいった、と受けとめるべきではなかろうか。
この項の(その14)に書いたことだが、
コンデンサー型スピーカーやリボン型スピーカーに、コーン型ウーファーを足してもうまくいかない、
そんなふうに広く思われているし、実際に既製品で成功例はない、といえる。
けれど、それはあくまでも上にのる、
つまり、まず中高域ありきで、そこにウーファーを足して低音域を伸ばしていこう、という発想のはず。
結局、この発想ではうまくいきっこない、といいたい。
なんども書いているように低音こそが音楽の土台・基礎である。
ここを完璧とまではいかなくても、高いレベルにもっていくことで、
その上にさらに音を築いていく、という発想であればきっとうまくいくはずである。
それは製品という形ではうまくいかないのかもしれない。
あくまでもそのスピーカーシステムを鳴らす部屋込みでの問題であるから、
どんなに高性能なウーファーを持ってきたとしても、
ただ鳴らしていくだけでは理想的な低音域に近づけることは、ほぼ無理といえよう。
一部では、菅野先生の低音再生へのアプローチは、
そのほとんどがグラフィックイコライザーの調整だと思われている方がいる。
たしかにグラフィックイコライザーを積極的に活用されているのは事実だが、決してそれだけではない。
そうやって築き上げられた「低音」のうえに、JBLの375+537-500だけでなく、
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットがのることになったのが数年前のこと。
それまでの菅野先生のJBLの3ウェイのシステムの中心は、
視覚的にも375+537-500だと、私は思ってきた。そう思われている方も少ないと思う。
ウーファーはこれまでにも書いたように変遷がある。
しかし中域に関しては375+537-500のままである。
ほんの一時期、375を2445に換えられたことがあったが、すぐに375に戻されている。
そういうこともあって375+537-500が中心であって、
あくまでも低音的に関しては375+-537-500とのつながり、相性ということを重視しながら調整されてきた、
とそう思い込んでいたわけだ。
それが間違っていたことに気づかされたが、DDD型ユニットの導入である。
もし菅野先生が、375+537-500を中心にシステムをまとめあげてこられていたのであれば、
同じ低音域の上に、375+537-500とはまったく異るスピーカーユニットのジャーマン・フィジックスをのせて、
うまく鳴るはずがない、からだ。
ところが、菅野先生のリスニングルームでは、低音的はまったく同じなのに、
JBLのシステムとしても、ジャーマン・フィジックスのシステムとしても、実に見事に鳴っている。
もちろんジャーマン・フィジックスの導入に当っては、さらなるチューニングをされているはずだ。
それでもジャーマン・フィジックス用に新たな低音域を用意されたわけではない。
私がステレオサウンドで働くようになったのは1982年1月からなので、
私が聴いてきた菅野先生のJBLのシステムのウーファーは、ずっと2205ということになる。
それ以前のウーファーを使われていた時の音は聴いていない。
2205に決められてからの音しか聴いていないわけだが、
それでも菅野先生のリスニングルームでの低音の鳴り方は良くなってきている、と表現するよりも、
成長してきている、といったほうが、ぴったりかもしれない。
2205はマルチアンプで鳴らされているわけで、
パワーアンプとエレクトロニック・クロスオーバー・ネットワークのあいだに
グラフィックイコライザーを挿入されているのはよく知られていることだ。
このことがステレオサウンド 60号に載ったことで、
ウーファーのみにグラフィックイコライザーを使われていると思われている方も少なくないようだが、
これとは別に全帯域にも使っている、ということも聞いている。
グラフィックイコライザーを使うことで、電気的に低域を補整されている。
それだけではない。エンクロージュアと床の間にある台もあれこれ試されているのは話で聞いているし、
パイオニア製のエンクロージュアLE38Aも、以前の写真と比較的最近の写真を比較すると、
はっきりとした違いがみてとれる。
それに、その違いに気づかれた方は、そのまま使われていると思われるかもしれないが、
おそらくそこには、もう一工夫されているはずだ。
それはマッキントッシュのXRT20の写真も、導入時の写真とこれも比較的最近の写真を比較すると、
そこにパイオニアのLE38Aになされたことと同じことに気づかれるはずだ。
これについては菅野先生から直接聞いている。
だから、目に見えるそのままではない、と断言できる。
あれこれいくつものものを試されての一工夫(これは写真を穴が開くほどながめてもわからないこと)をされている。
だから、おそらくLE38Aに関しても、XRT20と同じ一工夫がなされているはずだ。
ウィルソン・ベネッシュのDiscoveryの手法は、ノイズ・コントロールといってもいい。
スピーカーシステムはからくりであると捉え、その中で創意工夫していくものだと考えている私は、
Discoveryの手法は、そこにイギリス的なものを感じとれる気もするし関心もする。
とはいえ、Discoveryの手法のみが、バスレフポートに起因するノイズ対策のすべてではないし、
スピーカーシステムの形態が変れば、その対策も変ってくる。
バスレフポートのノイズを根本的に解決するには、バスレフ型にしなければいい。
密閉型エンクロージュアを採用すれば、バスレフポートのノイズは、当り前すぎることだが発生しない。
だからといって、密閉型がほかの面においてバスレフ型よりも優れているわけでもないし、
どちらがエンクロージュアとして優れているとか劣っている、といったものでもない。
ただ言いたいのは、バスレフポートがあるからバスレフポートに起因するノイズが起る、ということだ。
ノイズに関しては、アクースティック蓄音器時代は、機械的なノイズしかなかった。
そこに電気がはいってきた。
SPの音溝をトレースして得られる振動が電気信号に変換され増幅されスピーカーを駆動して音にするから、
電気の力によって音量の調整が可能になった。
さらにトーンコントロールで音色のコントロールもできるようになった。
電気のメリットはそれなりにあった反面、電気が加わったことで、
それまでの機械的なノイズに電気的なノイズが加わるようになった。
それは密閉型エンクロージュアにバスレフポートという孔がついたことによって、
バスレフポートに起因するノイズが発生したのと同じで、
オーディオにおいては何かそれまでになかった「何か」が加われば、
もちろんその「何か」によるメリットはあるけれど、
必ず、その「何か」に起因するノイズが発生するものだと思っていたほうがいい。
モノーラルからステレオになったときも、その観点からみれば、
もう1チャンネル加わることで、クロストークというノイズが発生することになった。
チャンネル間のクロストークは、モノーラルではありえなかったことである。
「いろんな人と旅をしたけれど、あんたと旅をしたのが一番楽しかった」
『五味一刀斎「不倶戴天の」仇となった「金と女」とのめぐり合いを』を読み終わって、
この五味先生の言葉にもどってくると、
五味先生にとって、千鶴子夫人という存在とタンノイ・オートグラフの存在が重なってくるようなところを感じた。
五味先生は「いろんな人と旅」をしてこられた。
いろんなスピーカーを使ってこられた。
なにを使ってこられたのかは、もうここでは書かない。
五味先生のオーディオ巡礼、西方の音、天の聲をお読みになればわかることだ。
そうやってタンノイのオートグラフというスピーカーシステムとめぐり合われた。
このオートグラフとの出合いも、ここで詳しく書く事もないだろう。
オーディオ機器は決して安いモノではない。
けっこうな値段のモノばかりだし、
いまではおそろしく高価になり過ぎてしまったモノは珍しくなくなっている。
だから、オーディオ機器を購入する時は、しっかりと情報を収集して、
音も、もちろん事前に聴く。それもできれば自宅で試聴して、という方もおられよう。
そういう慎重な購入が、いまでは当り前のようになってきている。
そういう買い方をされる方には、五味先生のオートグラフの購入は信じられないことでしかないだろう。
音を聴かれていないばかりか、実物すら見ずに、
イギリスのHi-Fi YearBookの1963年版に掲載されていた写真とスペックと、
それに価格だけで購入を決意されている。
五味先生が買われたころのオートグラフも、またひじょうに高価なモノだった。
「怏怏たる思いをタンノイなら救ってくれるかもしれぬと思うと、取り寄せずにはいられなかった」五味先生。
このオートグラフが、五味先生にとって終のスピーカーシステムとなる。
なぜHi-Fi YearBookを見た時に、そう感じられ思われたのか──。
五味先生の書かれたものを読んでも、オートグラフ以前にタンノイのスピーカーをご自身で鳴らされているけれど、
決してそれは、素晴らしい音とまではいえない音だったことはわかる。
「かんぺきなタンノイの音を日本で誰も聴いた者はいない」、そんな時代に決意されたのは、
ある種の予知能力なのではなかったのか、と週刊新潮の記事を読んで、そう思った。
5年前だったか、週刊新潮が創刊50周年を記念して創刊号を復刊したことがあった。
創刊号をそのまま復刊しただけでなく、
それまでの週刊新潮にたずさわってきた人たちによる興味深い文章もよせられていた。
巻頭には齋藤十一氏についての文章があった。
それから齋藤夫人のインタビュー記事も載っていた。
そのどちらにも五味先生の名前が登場していた、と記憶している。
五味先生の筆の遅いのはよく知られていたことで、
週刊新潮では印刷所の一角に小さな和室をつくり、
そこに〆切間際というよりも〆切をすぎたときに五味先生をカンヅメにして原稿を執筆してもらっていた、とある。
けれどちょっと目を離すと、銀座のママに電話して原稿をほったらかしていなくなってしまうらしい。
『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』にも同じようなエピソードがある。
取材に旅行に出かけるというので、担当編集者が駅まで送りに行ったときのことだ。
五味先生は「それじゃ」といって列車に乗り込む。いい忘れたことがあった編集者はその列車にとってかえすも、
五味先生はいない。なんととなりのホームで、水商売風の女性と別の列車に乗り込もうとされていたとか。
また温泉宿にカンヅメになったときも……。
五味先生は、たしかに「いろんな人と旅」をされていた、と週刊新潮の記事にはある。
さらに「とっかえひっかえ、実にコマメに、様々な女性を連れて歩いた人」ともある。
記事の最後の方には、そして、こう書いてある。
五味先生と特に親しかった知人の話として、
「無名のころから、めぐり合いたしと追いまわしたのはカネと女。ただし、結果としていえば、カネは一文も残らず、女もロクな女には出会わなかった」。
五味先生が剣豪作家として流行作家になられる前の窮乏した生活については、
オーディオ巡礼や西方の音のなかでもふれられている。
剣豪小説が流行になり、そんな状態は脱しながらも、入ってきたものを右から左へと使いまくる人だったそうだ。
だから、亡くなった後の預金通帳には、日本国民の平均貯蓄にははるかに及ばぬ金額が記入されていた……。
『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』は、
ロクな女と出会わなかったけれど、
ここでいう「女」の中で、千鶴子夫人だけは例外であったことは、
先にあげた故人の「いろんな人と旅をしたけれど……」という言葉が証明している、といえよう、と結んでいる。
週刊新潮1980年4月17日号の記事は、
タイトルは、当時の週刊新潮の編集方針であった俗物主義的ではあるけれど、内容は違う。
読めば、そのことはわかる。
この記事を読み終り思っていたことは、五味先生とスピーカーのめぐり合い、である。
ステレオサウンドの古いバックナンバーを読み返せば、
瀬川先生がカセットデッキの試聴をされていたり、カセットデッキについてなにかを書かれている記事が、
ほかの評論家の方々に比べて少ないことに気づかれるだろう。
FM fanに「オーディオあとらんだむ」という連載をされていた。
そのなかで、「本当に性能の向上したカセット」というタイトルで2回記事を書かれている。
こんな出だしではじまる。
*
別冊FM fanの26号で、カセットデッキのテスト・レポートを担当したところ、本ができてから、ずいぶんいろいろの人たちに、不思議な顔をされた。ひと言でいえば、この私が、カセットに、本当に興味を持っているのだろうか、というのである。
少し前までは、たしかに、私は「カセットぎらい」で通してきた。それは、カセットテープという方式自体がきらいなのではなく、その音質の良くないことに、どうしても我慢がならなかったから、だ。
けれど、いまはもう違う。ここ1〜2年来、新開発されたカセットテープや、新型のデッキを聴いてみれば、その音質が、数年前と比べて、まさに飛躍的に向上していることは、もはや誰の耳にもはっきりわかる。カセットシステムが、本当の意味で、オーディオ装置のプログラムソースの座を確立し始めたことを、私自身もようやく認めてよいという心境になってきた。
*
ちょうど同じころ、
熊本のオーディオ販売店が定期的に催していた瀬川先生による「オーディオ・ティーチイン」でも、
カセットデッキの取り上げられた回があった。
そのときも、同じことを言われていたのを思い出す。
オーディオ雑誌の編集者からカセットデッキのテストをやってほしい、という依頼があると
「いいよ、だけどおれがテストしたら、カセットについてクソミソに言うが、それでもいいか?」
と聞き返されたそうだ。
編集者は逃げて行ってしまう、とオーディオあとらんだむの99回目に書かれている。
つまり一部の高級クラスのカセットデッキには一応の満足のゆくものはあっても、
一般的な水準という意味では、音の入り口となるレコードプレーヤー、FMチューナーと比較すると、
まだまだのレベルであった。
レコードプレーヤー、FMチューナーだと普及クラスのモノでも、
たとえばJBLの4343と組み合わせても、なかなかの音が楽しめるのけれど、
ある時期までのカセットデッキだと4343と組み合わせると、再生音に本当の美しさが感じとりにくい、と。
このことが瀬川先生にとっての評価のひとつの基準であり、
オーディオあとらんだむの中でも、こう書かれている。
*
しかし、私自身は、カセットの音質に、これだけは譲れない、というかなり厳格な基準を自分なりにあてはめてきた。ここ数年間の目ざましい向上についても、知らないわけではないが、それでも、私自身の基準には、大半のテープやデッキが、まだ到達していなかった。
*
そして、レコードプレーヤー、FMチューナーにくらべ、カセット(テープ、デッキをふくめて)、
甘やかされていたのは、少しおかしいのではないだろうか、とも書かれている。
オーディオ機器を試聴して、そのことについてふれていくときの「厳格な基準」、
これは瀬川先生の文章を通して読んでいけば、自然と伝わってくるはずだ。
だから、読んで信じられた。
「これだけは譲れない、というかなり厳格な基準」──、
評論に必要なこと、である。
『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女」とのめぐり合い』は、旅のことから始まる。
ちょうど二年前、という書出しで始まるから、
1978年に、3月から4月にかけて五味先生は千鶴子夫人を連れてヨーロッパ旅行に出かけられている。
この旅行のことは、「想い出の作家たち」(文藝春秋)におさめられている五味千鶴子氏の文章にもある。
この旅が終りに近づいたころ、
「いろんな人と旅をしたけれど、あんたと旅をしたのが一番楽しかった」
と口にされた、とある。
この旅行の3年前に、芸術新潮に連載されていた「西方の音」でマタイ受難曲について書かれた文章の書出しが、
「多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」である。
五味先生はオーディオの本のほかに、観相・手相の本も出されている人だ。
自分の掌を見つめて、「ガンの相が出ている」といわれていた、そうだ。
また「ガンは予知できるのだ」ともいわれていた、と記事にはある。
予知は自身の死についてだけではなく、昭和28年の「喪神」での芥川賞受賞も、また予知されている。
このところを、また週刊新潮の記事から引用しておく。
*
昭和二十八年、『喪神』で芥川賞を受賞した時も、選考発表の日に、奥さんに向って「今度の芥川賞はオレが選ばれるよ。ただし二つに割れるな」といった。
なにしろ当時は、この一作しか発表されていなかったのだから、これを聞いた千鶴子夫人は、「何を、バカな……」と思った。が、その日の深夜、練馬の都営アパートの五味家に届いた電報は、授賞の知らせだった。しかも、松本清張氏との二人受賞だった。
むろん、批評家や編集者から事前に何か情報を聞かされていたわけではないという。
*
この年の芥川賞の選考については、週刊文春の、ずっとあとの別の記事で読んだことがある。
ほとんどの選考委員は松本清張氏を推していて、
五味先生を強力に推していたのは坂口安吾氏だった、ということだ。
五味先生の、この不思議な予知能力を日常生活のなかでも折にふれて発揮していたそうで、
「お父さんはエスパーみたい」といわれていたそうだ。
都立多摩図書館に行ってきた。
歩いて行こうと思えば歩いて行ける距離にあるし、
国会図書館に較べたら雑誌の所蔵数は少ないというものの、
閲覧・コピーも国会図書館よりもずっと簡単なだけに、月に2回ほど出向いている。
いま都立多摩図書館ではイベントをやっている。
といってもそんなに大げさな催しではなく、図書館の一角の展示スペースを利用しての、そういう程度のものである。
11月11日から12月5日まで「雑誌を彩る表紙画家」という催しをやっている。
行けば、なにかやっているので前もって何をやっているかは調べずに行く。
今日もそうだった。
行ってみると、週刊新潮がずらりと並べてある。
1970年代から80年にかけての週刊新潮が、すべてではないにしても表紙を全面見えるように展示してある。
そうやって並んでいる週刊新潮を眺めていたら、あっ、そうだ、と思い、
1980年4月の号を手にした。
4月17日号を手にとっていた。
目次を開く。そこには『五味一刀斎「不倶戴天」の仇となった「金と女の」とのめぐり合い』という、
なんとも週刊新潮らしいタイトルのついた記事が、やはりあった。
4ページの記事。誰が書かれたのかはわからない。
週刊新潮の編集者、というよりも、
そこに書かれていることはそうとうに五味先生と親しかった方ではないか、と思われる。
となると新潮社のS氏、つまり齋藤十一氏が書かれたものではなかろうか、そう思えてくる。
タイトルは、すこし俗っぽい内容を思わせるけれど、
読めば、そういうものでないことはすぐにわかる。
大見出しのところを引用しよう。
*
「多分じぶんは五十八で死ぬだろうと思う」──こう書いたのが五年前のことだった。そして、その通り五十八歳で亡くなった。この異才の作家が、観相の術をよくしたことはつとに知られている。家人が病名を隠して入院させた時も、自分の掌を見つめて、「ガンだな」といった。もっともそうはいいつつ、「医者はガンだっていっているんじゃないか」と不安そうに夫人に聞いたりもした。奔放多情の伝説を残した剣豪作家と、実はきわめつきの愛妻家と、二人の一刀斎がそこにいた……ということかもしれない。
レコードが中点であるのは、アナログディスクにしろCDにしろ、
ある形態をもっているからだ、ともいえる。
いまインターネットを通じての配信が増えてきている。
以前は圧縮音源のみだったのが、CDと同じサンプリング周波数、ビット数での配信もはじまり、
さらにはハイビット・ハイサンプリングでの配信、DSDでの配信も登場してきた。
ドイツ・グラモフォン(デッカ)も、以前は320kbpsのMP3だったのが、
FLACファイル(16ビット、44.1kHz)での配信もはじめている。
しかもMP3の価格とFLACの価格差は、意外と小さい。
それにTrack Detailsをみると、最下段にFormatという項目があり、
デジタル録音のものは、サンプリング周波数とビット数が表示されている。
多くは44.1kHzの16ビットだが、なかには24ビットのものもあるし、ハイサンプリングのものもある。
これを提示しているということは、将来、マスターのフォーマットそのままでの配信が行われるのかもしれない、
と勝手に期待しているわけだが、いつになるのかはなんともいえないが、やらない理由は特にないと思う。
レコード会社が、このようにいくつかのフォーマットで音楽を販売している、という事実は、
レコード(録音物)が、これから先も中点でありつづけるのか、とも思えてくる。
レコード(パッケージがなくなってしまうから、あえて録音物とする)が、
レコードの送り手側にとって最終点、レコードの受け手にとって出発点ということも、
これから微妙に変化してくるかもしれない。
つまりレコードの送り手にとってレコードが最終点だったのは、
レコードの受け手の再生環境に対して、いわば注文をつけることはできないからでもある。
それが同じレコード(録音物)をいくつかのフォーマットで提供しはじめたということは、
レコードの受け手の再生環境に合わせることの、最初のとっかかりとなっている、ともいえよう。
学生のときに読んだように記憶しているから、もう30年ほど前のことになるが、
黒田先生が、レコードについて、レコードの送り手側にとっては最終点であり、
レコードの受け手(聴き手)にとっては出発点になる、
とそういったことを書かれていた。
読んだとき「なるほど、たしかにそうだ」と感心した記憶が強く残っている。
レコードは最終点でもあり、出発点でもある。
どちら側からみるかによって変ってくる。
いまこのことを思い出したのは、
どちら側から見るかによってレコードは最終点になったり出発点になる。
けれどもレコードそのものにおさめられている音楽は変りはしない。
レコードそのものの位置づけは変っても、レコードそのものは変らない。
ということは、レコードは音楽の送り手側と音楽の受け手側の中点であるわけだ。
そのレコードは回転することで、意味をなす。