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Date: 12月 5th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その8)

つづいて登場するのは、マッキントッシュのMC3500だ。
     *
さて、期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音がよくなるだろうと欲張った自分の助平根性にである。
理論的には、出力の大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りになってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングしたほうが、音がのびのび鳴ると思い込んだ欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
MC三五〇〇は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音を響かせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている。もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。
どちらを好むかは、絵の筆法の差によることで、各人の好みにまつほかはあるまい。ただ私の家の広さ、スピーカー・エンクロージァには無用の長物としか言いようのない音だった。自動車にたとえるなら、MC三五〇〇はちょうどレーサーのマシンに似ている。時速三百キロぐらいは出る。だからといって、制限速度はせいぜい百キロ前後のハイウェイや都市を、それで快適に走れるとは限らぬだろう。ハイウェイをとばすにしても、座席のゆったりした、クーラーでもほどよくきいた高級セダンのほうが乗心地はらくだ。そんなような感じがした。
別のエンクロージァで、大邸宅にでも暮らして聴くなら別である。タンノイ・オートグラフが手ごろな私の書斎では、アメリカ人好みのいかにも物量に物を言わせた三五〇ワットは、ふさわしくなかったし、知人に試聴してもらっても、その誰もが音はMC二七五のほうがよい、と言った。
     *
ノイマンのV69について書かれたところに出てくる奈良のN氏は、
ステレオサウンド 47号から再開になった「オーディオ巡礼」に登場する南口氏のことである。
そこで、パッと「五味オーディオ教室」のなかの、この文章に結びつけば、この項の(その6)で引用した
「マランツをマークレビンソンにかえねば出せないような音など、レコードには刻まれていない」
「レコードの特性ではなく音楽を再生する上でマランツ7はもう十分すぎるプリアンプだ」を読んで、
素直に首肯けたことだろう。

でも、当時15の私には、少し無理だった……。

Date: 12月 5th, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その7)

「五味オーディオ教室」には、あまりオーディオ機器の型番は出てこない。
だから、「五味オーディオ教室」に登場してくるオーディオ機器への関心は高くなっていた。

パワーアンプに関しては、当然だけど、マッキントッシュのMC275のことが出てくる。
MC275の他に印象に強く残ったのが、2機種ある。
ひとつは型番が表記してないパワーアンプ。

「メインアンプの性能を向上させるだけでは、家庭で聴く音はかならずしもよくならない」
と題された章で冒頭に、つぎのようにある。
     *
世のオーディオ・マニアは、メインアンプの性能を向上させれば、音がよくなることを知悉している。事実、一九六二年ごろテレフンケンで出した、ノイマンのカッティング・マシンに使用するためのF2a11、EF804s、EZ12という、シロウトの私にはわけのわからぬ真空管を使ったアンプの音を、たまたま奈良のN氏宅で聴いて驚嘆した。
ふつう、ぼくらの知る限り、家庭で聴くメインアンプは(真空管)で最良の音質の得られるのは、マッキントッシュのMC二七五である。ずいぶんいろいろなアンプを私は聴き比べてみたが、従来のスピーカー・エンクロージァを鳴らす限りにおいては、どんな球やトランジスター・アンプよりも、このマッキントッシュMC二七五に、まろやかで深みのある音色、ズバ抜けた低域の自然な豊かさ、ダイナミック・レンジ、高音の繊細さを味わい得た。私だけがそう思うのではなくて、これはオーディオ界の通説だった。
ところがである。N氏宅にも、マッキントッシュMC二七五はあるが、メインを右のわけのわからぬ球のアンプに替えると(プリはマランツ7)、ちょうどラックス級のアンプをマッキントッシュに替えたほどの、すばらしい音色を得られた。たとえば、ジム・ランシングのSG五二〇のもつ音の解像力を、従来のマッキントッシュにプラスしたものと言えばいいだろうか。
     *
当時は、このパワーアンプがいったいなんなのかを知りたかった。
ノイマンのV69だとわかったのは、もうすこし先のことだったが、
五味先生のこの文章を読んだ時、型番もわからぬパワーアンプの姿を妄想していたものだ。

五味先生の文章はまだつづく。

Date: 12月 4th, 2011
Cate: audio wednesday

第11回公開対談のお知らせ(もう一度再掲)

今週水曜に行います「幻聴日記」の町田秀夫さんとの対談のテーマは、スピーカーについて、です。

12月1日の「幻聴日記」に町田さんが書かれているように、
「スピーカー」というテーマでは、広すぎて、ということですから、
「スピーカーとは何か、何モノ・何者なのか」ということにします。
それでも、まだ広すぎる……。

今回は町田さんによるアトラクションとして「PC AUDIOで聴くSP盤再生の現場」が行われる予定です。
喫茶茶会記には卓上型の蓄音器もあります。

時間はこれまでと同じ夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 4th, 2011
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その19)

音楽(オーディオ)も映画(ホームシアター)も、
送り手側が制作した作品を、専用のハードウェアで再生して家庭で楽しむものであることは共通しているし、
どちらにも制作という現場がある。

録音にはスタジオ、それにクラシックではホールが、それにライヴ録音ではいろんな場所が現場となる。
映画となると、撮影現場はシーンによって違ってくることが当り前のことだから、
一本の映画のなかではスタジオが現場だったり、ロケ地が現場だったりする。

音楽にも映画にも、だから現場はある。
けれどオーディオとホームシアターの再生側では、ひとつ違うところがある。
映画には、映画館が存在する。

映画館で観るものもホームシアターでDVD、Blu-Ray Discを再生して観るものも、
どちらも同じ映画であって、基本的には同一のものである。
最近ではディレクターズ・カットがあり、映画館で上映されたものよりも長尺になっていたりするけれど、
あくまでも一本の映画は、映画館で上映されるものとDVDなどのパッケージメディアになるものは同じものである。

ホームシアターで映画を楽しむとき、パッケージメディアによることが、いまでも圧倒的に多いと思う。
映画館での上映も、フィルム時代ではフィルムというパッケージメディアであったわけだ。
最近では、映画館のデジタル化が進みはじめている、ときいている。
2010年の段階で日本全国の約3割の映画館がデジタル化されていて、
そこに上映のために届くのは、特別な高速デジタル回線による配信だったり、
ときにはBlu-Ray Discによるものらしい。

ずっと昔は映画館のみでしか観られなかった映画を家庭で楽しめるようになってきた。
それも非常に高いクォリティで、
それも老朽化した映画館よりはずっと高いクォリティを家庭で実現することも可能になっていても、
映画の世界には、これからも映画館と家庭の両方で同じ作品を観て楽しめる。

この映画館の存在こそが、ホームシアターの「現場」ではなかろうか、と思っている。

そして「現場」をどう読むのか、にも、このことは深く関わってくる、とも感じている。
私はオーディオの「現場」、ホームシアターの「現場」は、
「げんば」ではなくあえて「げんじょう」ではないかと考えている。

Date: 12月 3rd, 2011
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その18)

1980年代はAV(Audio Visual)と呼ばれていたのが、いまではホームシアターになってしまった、
これはオーディオから派生したものではなくて、やはり別種の似たところのあるもの、と思う。

オーディオもホームシアターも家庭内で、プログラムソースを再生する。
オーディオは音のみ、ホームシアターはそこに映像もある。

AVとまだ呼ばれていたころは映画もだったけれど、
それと同等かときにはそれ以上に音楽もののプログラムソースが目立っていたように感じていた。
まだDVDなどはなく、ディスクのフォーマットとしてレーザーディスクとVHDがあり、
ビデオテープではVHSとβがあったころは、私の印象としてはそんなふうだった。

もっともテレビをずっと持たない生活を送っている私の、映像モノに対する記憶だから、
たまたま個人的に関心をもったのがそうであっただけで、全体としての印象は違うのかもしれないけれど、
それでも音楽もののがAV関係の雑誌で取り上げられることもいまよりも多かったのではないだろうか。

それがいつのまにかホームシアターと呼ばれるようになり、
映画ものの発売枚数は、AVの呼ばれていた時代よりも急速に増えていったような気がする。
音楽ものもけっこうリリースされているのは知っている。
でもAVと呼ばれていた時に観た作品を、もういちどDVDで出ていないか調べてみると、
不思議になかったり、
出ていたとしてもほんのわずかな期間だけでそれほど以前のことでもないのにすでに廃盤だったりするから、
よけいにそんなふうに感じているだけ、ともいえよう。

こんな私の印象はどうでもいいことで、いまはホームシアターということになっている。
いうまでもシアターはTheaterで、劇場、映画館であり、映画館は映画を上映するところであり、
劇場はここにコンサートホールも含まれるのかもしれないが、やはり劇場は演劇を上演するところである。

ということはホームシアターは、家庭内劇場、家庭内映画館ということになる。
ホームシアターという語感から、家庭内コンサートホールはイメージしにくい。

いま私はホームシアターをそういうふうに受け取っていて、
その受け取り方のなかで、ホームシアターにおける「現場」について考えると、こちらはすんなり浮んでくる。

Date: 12月 3rd, 2011
Cate: audio wednesday

第11回公開対談のお知らせ(再度)

毎月第1水曜日に行っています公開対談、今月は来週の7日(水)です。
今回は、「幻聴日記」の町田秀夫さんとの対談の二回目です。

対談のテーマはいまのところ決っていませんので、自由テーマになるかもしれません。
今年最後の公開対談です。
2月から始めて、なんとか今年1年やり通せました。
facebookグループの非公開の「audio sharing」では、関西でもやってほしい、という声があるので、
来年は一度は関西でやれれば、と思っています。

時間はこれまでと同じ夜7時からです。
場所もいつものとおり四谷三丁目の喫茶茶会記のスペースをお借りして行ないますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 2nd, 2011
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その17)

オーディオの「現場」──、
それはオーディオ機器が開発されていく現場があるじゃないか、という声はあるだろう。
たしかに、これは現場ではある。
でも自転車の世界にも開発の現場は当然ある。
その現場の他に、自転車の魅力をもっとも身近に感じさせてくれる「現場」としてレースがある。

私が初めてロードレースを見に行ったのは、1995年、宇都宮の森林公園で毎年行われているジャパンカップだった。
ジャパンカップは、ツール・ド・フランスを走る自転車選手の参加することもある、
日本で開かれるロードレースのなかでは、レベルも高く、
きっとヨーロッパのレースはこんな感じなのだろうか、と思わせてくれる。

レース会場に足をはこべば、写真や動画からでは感じられない要素があることに、当然気がつく。
まず匂いがある。
ロードレーサーはレース前にマッサージを受けている。そのとき使われるオイルの匂いがする。
そして音。

音に関してはテレビでレースを見ていても、ある程度は聴くことはできても、
生のレースで耳にする音は、もっともっと多い。

ジャパンカップは小高い山を含む周回レースで、頂上で選手が来るのをまっていると、
下からざわめきと撮影のためのヘリコプターの音が大きくなってくる。
そして選手が頂上に達する、わずか手前ではいっせいにディレイラー(変速機)が切り替わる音がする。
選手は頂上は一息つくことなく加速して山を駆け降りていく。
そのため頂上で変速していては加速が遅くなる。だから手前で変速する。

このときの音の大きさには驚く。そして選手は少しでも最短距離を走ろうとするため、
観客の目の前をかなりのスピードで通過していく。
そのとき、風もおこる。

テレビや写真では感じとりにくい、感じられない、これらの要素がレースという現場を記憶に刻みつけてくれる。

Date: 12月 2nd, 2011
Cate: ショウ雑感

2011年ショウ雑感(その6)

ステレオサウンド 47号が出たとき、五味先生のオーディオ巡礼がカラーページに載っていた。
これは、うれしかった。

47号の約2年前に「五味オーディオ教室」を読みオーディオの世界にはいってきた。
それだけ五味先生の影響は大きくて、その五味先生の新しい文章が読める、ということでうれしかった。

しかも登場されている方は、南口重治氏。
そこに五味先生のこんな文章がある。
     *
マランツ7は私の知るかぎり、現在でも最高のプリアンプである。マランツをマークレビンソンにかえねば出せないような音など、レコードに刻まれてはいない。SN比、ボリューム操作に円滑さを欠く二点を除いては、7をLNPに変えて音が良くなるなら、それは、パワーアンプ以下のどこかで不備な点があるからだと私は思っている。それほど、レコードの特性ではなく音楽を再生する上でマランツ7はもう十分すぎるプリアンプだ。
     *
ステレオサウンド 47号は1978年6月に出ている。
私はまだ15歳だった。
いくら「五味オーディオ教室」からオーディオに入ってきたとはいうものの、
このことに関しては、すなおに首肯けなかった。

「五味オーディオ教室」を読んだ時からの約2年間の間に、瀬川先生の文章も読んできた。
このときはまだLNP2の音を聴いたことはなかったし、マランツModel7の音も、もちろん聴いていなかった。
とはいうものの、LNP2がどういうコントロールアンプで、どういう衝撃を登場した時にオーディオ界に与えたかは、
瀬川先生の、何度もくり返し読んだ文章で知っていた。

五味先生もマランツModel7よりもマークレビンソンLNP2のほうがS/N比は優れている、と認められている。
すくなくともS/N比が優れていれば、Model7では聴こえない、とは言わないまでも聴こえ難い微妙な音は、
LNP2ならば聴き取りやすくはなっているはず。
それによく音が良くなった時の表現として、「レコードにはこんな音まで入っていたのか」というのがある。

だから、いくらなんでもそんなことはないだろう……、と15の私は、五味先生のいわれることを信じながらも、
そんなふうにも思っていた。

けれど、これは、47号が出るまでに何度も読んできた「五味オーディオ教室」に書かれている、
あることへと関連しているのに、すぐには気がつかなかった。

Date: 12月 2nd, 2011
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと

岩﨑千明(1928年12月2日 – 1977年3月24日)

Date: 12月 1st, 2011
Cate: ユニバーサルウーファー

スーパーウーファーについて(その21)

この「スーパーウーファーについて」のカテゴリーは、ユニバーサルウーファー、としている。
それにこの「スーパーウーファーについて」の他に、
同じカテゴリーとして「ユニバーサルウーファー考」も書いている。

ユニバーサルウーファーという名称を思いついたのは、菅野先生の音を聴いた体験からである。
これはしつこいくらいくり返して書いているし、これから先も書いていくだろうけど、
JBLのウーファー2205をパイオニアのエンクロージュアLE38AにおさめたモノとヤマハのYST-SW1000の組合せで、
JBLのシステムもジャーマン・フィジックスのシステムも、どちらにも対応されている。
これは見事としか言いようがないことである。
これはもう、ユニバーサルウーファーと呼んでいいのでは、と思う。

正確にはユニバーサルウーファーではなく、
Universal Bass(ユニバーサルベース、ユニバーサルバス)と呼ぶべきこと。

Universal Bassは、それが鳴らされる環境において、時間と手間と知恵をかけて形成されるものである。

Date: 11月 30th, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その29)

何かが加われば、それに起因する新たなノイズが発生することになるのは、
1982年以降、CDプレーヤーが登場し、それまでアナログだけだった再生系にデジタルが加わることによって、
ここでも新たなノイズが発生することになった。

こんなふうに書いていくと、
なんだ、アクースティック蓄音器のモノーラル再生がいちばんノイズが少ないのか……、
ということには当然だからならない。
新しい技術が加わることで改善されていくところもあるわけで、トータルとしてのノイズ量は減少に向いている。
減少に向いているからこそ、新たなノイズ(量は少ないにしても)がクローズアップされることにもなる。
そしてノイズの性質(たち)も変化している。
アナログディスクからCDになって、大きなノイズの変化はあったし、
たとえばアンプだけをとってみても、ノイズの性質は変化してきている。

大ざっぱな区分けでしかないが、トランジスター初期のころのアンプや真空管アンプのノイズと、
たとえばコントロールアンプでいえばマークレビンソンのLNP2が登場したあたり以降のノイズとでは、
量(S/N比)だけでなく、性質的にも変化してきている、といえる。

私の感覚的な捉え方だが、
以前のノイズは電気的だったのに対して、途中から電子的なものに変化していった気がする。
アナログディスクのノイズとCDのノイズの違いにも、多少そんなところがあるような気がする。

アクースティック蓄音器を除けば、オーディオは電源を必ず必要とする。
だから電化製品とも呼べるし、電子機器とも呼べる。

電気的と電子的、それから電気モノと電子モノ──、
そんなのは単なる言葉遊びに近いのではないか、といわれるかもしれないし、
その違いについて問われた時、うまく説明はできないものの、
あえて具体例をあげれば、マッキントッシュの以前のパワーアンプのMC2300は、電気モノ、と私は捉えている。

Date: 11月 30th, 2011
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(その28)

CDプレーヤーとコントロールアンプ間の接続ケーブルの片チャンネルを外す。
右チャンネルを外したとしよう。
コントロールアンプ、パワーアンプ間は通常通り両チャンネルとも接続しておく。
スピーカーは左チャンネルを外して右チャンネルだけの接続とする。

CDプレーヤーから右チャンネルの信号はコントロールアンプには、接続されていないから来ていないわけだが、
実際にはボリュウムをあげていくと左チャンネルの音が右チャンネルのスピーカーから聞こえてくる。
この状態ではコントロールアンプとパワーアンプのクロストークを聴いているわけになる。

このクロストークの出方も機種によって変ってくる。
音量は小さいながらも明瞭に音楽を聴こえてくるものもあるし、
やけに汚い音で聴こえてくるものもある。
それにクロストークで鳴ってくる音の周波数特性も広いものもあれば、狭い感じのものもある。

シャーシから独立したモノーラル仕様にすればクロストークは発生しないけれど、
ステレオ仕様であるかぎり大なり小なり発生している。

きれいな感じで聴こえてくるといっても、
もともとは反対チャンネルの信号であって、本来聴こえてきてはまずい音である。
いわゆるサーッとかジャーッとか、そういう類のノイズではないけれども、これもノイズである。

これは左右チャンネル間のクロストークであるが、
クロストークは各入力間でも発生する。
例えばアナログディスクを再生している時、
接続されているCDプレーヤーなりチューナーからの信号が
コントロールアンプのライン入力に送りこまれていると、アナログディスク再生に悪影響を与える。
もちろんその逆も起る。
これも簡単な操作で確認できる。

CDプレーヤーを再生しておいて、入力セレクターをPHONOにしてみたり、他のライン入力にしてみる。
そしてボリュウムをあげていくと、アンプの残留ノイズ以外は聴こえてこないはずなのに、
実際にはCDの再生音が聴こえてくる。
この聴こえ方も、機種によってそうとうに違っている。

これも、つまり入力端子が増えているからこそ発生するノイズである。

Date: 11月 30th, 2011
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その16)

秋はオーディオのショウが東京でも、各地でも開かれる。
冬になると、各オーディオ雑誌では賞が発表される号が出る。

賞をはやくから始めていたのはラジオ技術のコンポ・グランプリとステレオサウンドのState of the art賞だろう。
ステレオサウンドのほうは名称が変り、いまはステレオサウンド・グランプリとなっている。
どちらも、もう30年以上続いている。

30年前といまとではオーディオ界そのものが変化している。
その変化のなかで、各出版社がやっている賞は、どう対応しているのだろうか。
これについては、私自身、各オーディオ雑誌の賞にほとんど関心をもてなくなってしまっているから、
何かを語れるだけのものはもっていないのだが、
ただ感じるのは、すべてオーディオ機器というモノに賞が与えられている、ということだ。

人に賞が与えられたことは、ない(はずだ)。
10年ほど前からなんとなく思っていた、このことが、
この2、3年、各オーディオ雑誌の冬号が出るたびに、つよく思うようになっている。
なぜなのか。
結局、オーディオの「現場」がどこにあるのか。ここにたどりつく気がしてならない。

自転車の世界では、レースという「現場」がはっきりと存在している。
その「現場」は厳しく、だからこそ魅力的な「現場」でもある。

以前も書いたが、オーディオの「現場」となると、私はすぐに答えられない。
秋のオーディオショウが現場といえば、いえなくもないが、「現場」ではない、ともいいたくなる。

自転車の世界とオーディオの世界を一緒くたにはできないのはわかっていても、
オーディオの「現場」は、いったいどこにあるのか。

Date: 11月 30th, 2011
Cate: 「本」

オーディオの「本」(その15)

オーディオの雑誌が平積みでなくなっているのは、定期刊行物である。
その一方で、オーディオ関係のムックは以前よりも増えている。
ヘッドフォン、イヤフォン関連の本もみかけるし、PCオーディオ関係の本もいくつか出てきている。
だからオーディオ関連の本全体としてみれば、必ずしも減ってきているとは言い難いのかもしれないけれど、
それでも、いままでずっと平積みされてきた定期刊行物が棚置きになってしまうのは、
オーディオそのものに勢いがなくなりはじめていることを現しているのだ、と感じる。

本の勢いといえば、私の趣味である自転車の雑誌は、数年前から勢いに乗っている。
私が自転車に興味を持ちはじめたころから出版されていたサイクルスポーツは、
当時中綴だったのがページ数が増えてきて中綴では製本できないほどの厚さになってしまった。
数ヵ月前に出たサイクルスポーツは、月刊誌なのにステレオサウンドに近い厚さがあった。
雑誌も増えている。

自転車という趣味は、オーディオと似ているところもある。
自転車というメカニズムそのものの魅力に惹かれるところは、オーディオと同じといってよい。
だからなのか、自転車の雑誌はどうしても自転車というモノ中心になりがちである。
だが、自転車には、スポーツだからレースが行われている。
日本でも行われているし、ヨーロッパでは日本とは比較にならないほど頻繁に行われている。
いわば自転車の「現場」が、ここにある。
そして、この「現場」だけを取り扱う雑誌が自転車にはある。
CICLISSIMO(チクリッシモ)という本だ。
おもに、というかほとんどヨーロッパのレースを取材している。
ここでは、人が主役だ。

サイクルスポーツやバイシクルクラブといった、従来からある雑誌もレースはとりあげている。
ツール・ド・フランス、それにジロ・デ・イタリアはけっこうなページ数を割いているものの、
それ以外のクラシックレースとなると、ページ数という物理的な制約のため、
扱いはツール・ド・フランスに較べるとずっと小さくなる。
それはやむを得ないことだとわかっているし、だからサイクルスポーツを出している出版社からCICLISSIMOが出た。

Date: 11月 29th, 2011
Cate: よもやま

アナログプレーヤー好きの方へ

今朝、iPhoneのFancyというアプリで見つけたモノ(指輪)
アナログプレイヤー好きの方、アナログディスクの好きな方へのプレゼントにいいかも。