オーディオの「本」(その19)
音楽(オーディオ)も映画(ホームシアター)も、
送り手側が制作した作品を、専用のハードウェアで再生して家庭で楽しむものであることは共通しているし、
どちらにも制作という現場がある。
録音にはスタジオ、それにクラシックではホールが、それにライヴ録音ではいろんな場所が現場となる。
映画となると、撮影現場はシーンによって違ってくることが当り前のことだから、
一本の映画のなかではスタジオが現場だったり、ロケ地が現場だったりする。
音楽にも映画にも、だから現場はある。
けれどオーディオとホームシアターの再生側では、ひとつ違うところがある。
映画には、映画館が存在する。
映画館で観るものもホームシアターでDVD、Blu-Ray Discを再生して観るものも、
どちらも同じ映画であって、基本的には同一のものである。
最近ではディレクターズ・カットがあり、映画館で上映されたものよりも長尺になっていたりするけれど、
あくまでも一本の映画は、映画館で上映されるものとDVDなどのパッケージメディアになるものは同じものである。
ホームシアターで映画を楽しむとき、パッケージメディアによることが、いまでも圧倒的に多いと思う。
映画館での上映も、フィルム時代ではフィルムというパッケージメディアであったわけだ。
最近では、映画館のデジタル化が進みはじめている、ときいている。
2010年の段階で日本全国の約3割の映画館がデジタル化されていて、
そこに上映のために届くのは、特別な高速デジタル回線による配信だったり、
ときにはBlu-Ray Discによるものらしい。
ずっと昔は映画館のみでしか観られなかった映画を家庭で楽しめるようになってきた。
それも非常に高いクォリティで、
それも老朽化した映画館よりはずっと高いクォリティを家庭で実現することも可能になっていても、
映画の世界には、これからも映画館と家庭の両方で同じ作品を観て楽しめる。
この映画館の存在こそが、ホームシアターの「現場」ではなかろうか、と思っている。
そして「現場」をどう読むのか、にも、このことは深く関わってくる、とも感じている。
私はオーディオの「現場」、ホームシアターの「現場」は、
「げんば」ではなくあえて「げんじょう」ではないかと考えている。