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Date: 5月 13th, 2012
Cate: Digital Integration

Digital Integration(続DNA)

CSIを見ているとDNAをグラフィカルに表示したものがいくつか出てくる。
表示方法にもいくつかあるようで、そのうちのひとつにCDのピットを思わせるものも登場する。

これを見て、DNAはデジタルデータなんだ、と思った次第である。
そういえば映画「ジュラシックパーク」で琥珀にとじこめられた蚊が吸った恐竜の血液からDNAを取り出して、
現代に恐竜を甦らせていたことも、
DNAがデジタルデータであるからこそ可能なこと(空想可能なこと)だとも思った。

もしDNAがアナログデータであったとしたら、犯罪捜査においてこれほどDNAに役に立たないのでは、とも思う。

つまり情報伝達手段としてデジタルの優位性、それも圧倒的な、といいたくなるほどの優位性があるし、
デジタルデータのDNAの塩基配列が蛋白質のアミノ酸配列に対応して生き物の体がつくられているわけだから、
「デジタルなんて非人間的」と簡単に言い切ってしまっている発言を見かけるたびに、
ほんとうにデジタルだから非人間的なのか、デジタルだから冷たい、のかと問い返したくなる。

デジタルだから……、という気持がまったく理解できないわけではない。
ただ言いたいのは、それがほんとうにデジタルだからなのか、ということである。

CDが登場したときに、デジタルだから音が冷たい、とか、非人間的な音だ、といった否定的なこともいわれた。
それは果してデジタルだから、そういう音になったのか、ということである。
デジタルそのものの本質的なところに非人間的なものがあったり、冷たく感じさせるものがあると考えるよりも、
実は違うところにそう感じさせる問題点がひそんでいたと考えべきではないのか。

Date: 5月 12th, 2012
Cate: Digital Integration

Digital Integration(DNA)

facebookにタイムラインが導入され、3月からはfacebookページにおいてもタイムライン表示にできるようになった。
facebookページこそタイムライン表示が使えればいいのに、と思っていたから、
facebookページの「オーディオ彷徨」はすぐさまタイムライン表示へと切り換えた。

それまでは記事を公開した日付順に並んでいくだけで、
記事を年代順にするためには年代順に公開していくしかなかった。
タイムライン表示は公開順に関係なく、記事の年月日を自由に設定できるおかげで、
「オーディオ彷徨」では、いま記事の並び替えを行っている。
年代順に並び替えていくと、それまで気がつきにくかったことがはっきりとしてくる。

だから、もうひとつのブログ、the Review (in the past)も年代順に、いま並び替えているところである。
すでに公開記事が5000本を超えているので、一挙に並び替えることは無理で、
時間が空いたときにまとめて行っている。

ひとつの記事の公開日を変更するのに、こちら側の手間としては年月日を指定するだけだが、
更新ボタンをクリックしてから処理が終るまでには、Movable Typeでブログを構築している関係で、1〜2分かかる。
10秒、20秒で終るのであれば、ずっと作業効率は捗るし、
逆にもっと時間がかかればほかの作業を平行して、ということもできるけれど、
1〜2分間というのは、その意味では中途半端な間隔で、結局ほかの作業もできず日付変更だけになってしまう。

とはいっても頭を使う作業ではないので、Huluで海外ドラマを見ながらやっている。
いまはCSI:科学捜査班を横目でみながら、である。

CSI(Crime Scene Investigation)では、当然DNAという単語がよく登場する。
DNA(デオキシリボ核酸)、遺伝情報を担っている、この物質はデジタルではないか、とCSIを見ていて思った。

Date: 5月 11th, 2012
Cate: 境界線

境界線(その11)

コントロールアンプは、プリアンプとも呼ばれる。
コントロールアンプを使うのか、プリアンプを使うのかは人によってそれぞれだし、
基本的にはコントロールアンプの方を使う人でも、
トーンコントロールやフィルターなどのコントロール機能を音質向上の名目で省略してしまったアンプについては、
あえてプリアンプと呼びわけることもある。

プリアンプのプリ(pre)には、あらかじめ、とか、○○の前部に、といった意味があり、
Pre Amplifierの日本語訳は前置増幅器である。
なにかの前に置かれるアンプがプリアンプであり、
このなにかとは、パワーアンプのことである。

パワーアンプはメインアンプとも呼ばれるし、
いまではほとんど使われなくなったけれどベーシックアンプとも呼ばれていた。
ヤマハのパワーアンプのBIやB2、B3などのBはbasicの頭文字である。

パワーアンプがメインアンプ(Main Amplifier、日本語訳は主要増幅器か)やベーシックアンプと呼ばれるのは、
初期の電気蓄音器のアンプ部はボリュウム付きのパワーアンプだったからだ。

コントロールアンプと呼べるアンプは電子回路の進歩にともなって、
オーディオの系にあとから割りこんできた存在とも、だからいえよう。

私がコントロールアンプをオーディオの系の中点と考えているのは、このこととも関係している。

Date: 5月 11th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その11)

1976年に、ソニー、松下電器、ティアックの3社提唱によるエルカセット(ELCASET)が登場した。
カセットテープを文庫本サイズにまで大きくしたもので、
カセットテープの手軽さでオープンリールテープ並の音質を実現、ということを謳い文句にしていた。

いくつかの原因が語られているが、エルカセットはあっというまに消えてしまった。
1980年にはすでに市場には残っていなかったと記憶している。

エルカセットの11年後の1987年にDATが登場する。
テープのサイズはカセットテープよりも小さい。
1992年にはカセットテープのオリジネーターのフィリップスと松下電器が共同で開発したDCCが登場する。
DCC(Digital Compact Cassette)はカセットテープとほぼ同寸法の専用テープにデジタルで記録する。
カセットテープとの互換性も考慮された規格で、DCCのデッキでは通常のカセットテープの再生が可能だった。
92年にはソニーからMDも登場している。

エルカセットもDATもDCCもMDも、カセットテープに代るものとして開発されたものといえるのだが、
もっとも普及したといえるMDでもカセットテープに比べれば、広く一般に普及したとはいえない。

結局カセットテープに取って代ったのは、iPodだ、と私は思っている。
20世紀中にはカセットテープに代るものは現れなかった。
21世紀になりAppleからiPodが登場し、ものすごいスピードで広く普及していった。

ジョブスがiPodをカセットテープと同じ寸法にしたのは、
iPodを次世代の携帯音楽プレーヤーとしてではなく、21世紀のカセットテープを目指していたからだ、と、
B&OのBeolit 12を見ていても、それだけでなく量販店に並ぶ数多くの、iPodと装着できる機器を見れば見るほど、
そう思えてくる。

ここが、類似の携帯音楽プレーヤーとの決定的に異る点であり、
数年前に、ソニーが携帯音楽プレーヤー(ウォークマン)の発表会において
「半年でiPodを追い抜く」と宣言しながらいまだ達成できないのは、
携帯音楽プレーヤー「ウォークマン」を生み出しただけに、
デジタルになっても、21世紀になってもウォークマンを「ウォークマン」として捉えているせいではないだろうか。

Date: 5月 11th, 2012
Cate: iPod

「ラジカセのデザイン!」(その10)

iPod Hi-Fiにいまごろ関心をもっているし、
1週間ほど使ってみたい、とも思っているけど、自分のモノとしたいという気持は、いまのところない。

なぜかといえば、これはiPod Hi-Fiが登場した時から好きになれないところでもあるのが、
筐体上部にiPodを挿し込んで使うというところにある。
2006年には、こういう使い方、接ぎ方しかできなかったのだが、いまではAirPlayというワイヤレス技術がある。

AirPlayに対応している機器であれば接続する必要はない。
iPod touch、iPhoneとAirPlay対応機器の組合せならば、家の中だけでなく外にも持ち出せる。

この項を書き始めたのは2月23日。
ゆっくり書いていたら4月のはじめにB&OがBeolit 12を発表、発売した。
もちろんAirPlayに対応している。

すこし厚みのある弁当箱にも見えるBeolit 12。
嬉しいのは、きちんとハンドルがついていること。
正確にはハンドルではなくベルトなのだが、すっと持ち上げてどこへでも持っていけるようになっている。

いいな、と思っている。

Date: 5月 10th, 2012
Cate: 使いこなし

使いこなしのこと(その36)

数年前にステレオサウンドがひさしぶりにスピーカーシステムの測定を行っていた。
そこにソナス・ファベールのスピーカーシステムも含まれていて、
私のまわりでも、その測定結果を見た何人かが
「ソナス・ファベールって、特性もいいんですね」といった感想をもらしていた。

私は、というと、実はその少し前に傅さんから、
ソナス・ファベールのセルブリンのスピーカーづくりについて、聞いていたことがあったので、驚きはなかった。
傅さんから聞いた話はこうだった。
セルブリンは開発中のスピーカーシステムのどこかを変えたら、まず音を聴く。
そしてその後、マイクロフォンをセッティングして、その場ですぐに測定をする。
細部はすこし曖昧になっているが、こんな話を聞いていた。

こういう開発を行っているのだから、
スピーカーシステムとしての基本的な物理特性はしっかりしている、と予想できていたから、
ステレオサウンドに掲載された測定結果を見て、驚きはなかった。

そういうセルブリンのいう「スピーカーは楽器だ」なのだから、
そのままスピーカー楽器論と結びつけていくのではなく、
もう少し違うニュアンスがここには含まれていると考えるべきではないだろうか。

これは私の勝手な想像だが、セルブリンはスピーカーは忠実な変換器であるべき、と考えているのだ、と思う。
そして「スピーカーは楽器だ」は、その忠実な変換器であるスピーカーシステムを、
楽器のごとく鳴らす、ということだと解釈している。

Date: 5月 9th, 2012
Cate: 理由

「理由」(その27)

この項の(その25)ではインドの古典「バカヴァッド・ギーター」の一節、
「真の自己にとって浄化された自己は友であるが、浄化されていない自己は敵である」を、
その26)ではシモーヌ・ヴェイユの「純粋さとは、汚れをじっとみつめる力」を、引用した。

浄化されていない自己が敵であるのならば、
「音は人なり」をオーディオの真理と信じている私にとっては、
スピーカーから、浄化されていない自分が音として出てくる、と考えることもできる。
つまりその音は敵ということになる。

それを聴く(耳をすます)力が、求められる音楽とそうでない音楽とあるような気がする。
その力が求められる音楽を聴く、という行為は、音と対決する、ということではないのか。

音楽に涙したから、といって浄化された、と思えるほど、そこまでおめでたくはない。
結局、対決しなければ、と思う。

Date: 5月 9th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(1977年3月24日)

その日のことを、岩崎綾さんがご自身のブログに書かれている。
タイトルは「昭和52年3月24日」。

Date: 5月 8th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その8)

この項の終りとして、多くの人が気になっていることについて少しだけ書いておこう。
岩崎先生のオーディオ機器について、である。

現在岩崎先生のお宅にあるのはJBLのハークネスとエレクトロボイスのエアリーズである。
ハークネスの上に、2440と2397の組合せはのっていない。
このことは1987年発行のスイングジャーナルの掲載の岩崎千明・没後10年の記事にも出ている。

アメリカ建国200周年のときに手に入れられたエレクトロボイスのパトリシアンは、
小学館のレコパル編集部が引き取られた、ときいた。
しばらくはレコパルの試聴室に置いてあった、とのこと。
岩崎先生は、このパトリシアンでトスカニーニ指揮のドヴォルザークの「新世界より」を聴かれたのだろうか。
アメリカの星条旗とチェロの国旗が描かれたジャケットのトスカニーニの「新世界より」を見つけ出されたのか。
レコパルの編集部は、試聴室に運びこまれたパトリシアンで「新世界より」を鳴らされたのではないか、と思う。

そう思うのは、The Music誌1976年11月号の「パトリシアンIVがないている」を読めばわかる。

5月2日に知り得たこと、そこから感じたこと、考えていることは、
これから先、このブログの複数の別項にて書いていくことになろう。

──5月2日、もう午前0時近い電車の中でひとりおもっていたのは、
ステレオサウンドを離れて、ほんとうに良かった、ということである。

ステレオサウンドにずっといたら、audio sharingはやっていない。
このブログも始めていない──。
岩崎綾さん、岩崎宰守さんと会うことも話をすることもなかった。
岩崎先生の万年筆が、いま目の前にあるということも、ない。

離れたことによって大変なことがけっこうあった。
いまも大変ではあるけれど、それでも離れたからこそ、といえることがいくつもある。
ここで、そのひとつひとつをあげていくことはしないけれど、
それらのこともあわせて思い出して、
「ステレオサウンドを離れて、ほんとうに良かった」というのが実感があり、本音である。

Date: 5月 8th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その7)

スイングジャーナルの1972年11月号の録音評のところに、こんなことを書かれている。
     *
オレ自身では44年から49年にわたって録音された「バード・オン・サヴォイ」をベストにと思うのだが読者の誤解、あいつかぶれてるなとか、演奏評にまで口を出すな、とかいわれそうなので、一応ロルフ&ヨアヒムの「変容」にすべきか結論は編集者まかせにした。
     *
スイングジャーナルの古いバックナンバーを提供してくださった方のおかげで、
昨年から岩崎先生の文章の入力を頻繁に行っている。
作業しながらいつも思っていることは、なぜ、当時のスイングジャーナルの編集者はジャズのレコードについて、
岩崎先生に書かせなかったのか、ということ。
スイングジャーナル後半のオーディオのページでは活躍されていても、
レコードについては毎月の短い録音評と、ときどき(ほんとうにときどき)単発で書かれているぐらい。

当時のスイングジャーナルには書き手が揃っていた、ということも関係しているとは思っていたが、
もしかすると上で引用した文章からうかがえることも関係していたのかもしれないと思う。

岩崎先生がジャズについて語られているものを読みたい、と思っている。
スイングジャーナルでは無理でも、他の雑誌、ジャズやジャズランドにもこれから先、目を通していきたい。

岩崎先生が亡くなられたとき所有されていたレコードの枚数は1万枚ほどあった、と今回きいた。
いまでこそこのくらいの枚数を所有されている方は多いとはいわないまでも、珍しくはない。
でも、1977年当時にこの枚数は、やはりすごいと思う。
それだけレコードで音楽を聴いてこられた岩崎千明の音楽についての文章を読んでいきたい。
なにもジャズだけに限らない、音楽について書かれているものを読みたい。

どのくらいあるのかはまだわからない。
とにかく岩崎先生の文章を、これからも探していくつもりである。

Date: 5月 8th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明のこと(2012年5月2日・その6)

五味先生、岩崎先生、ベートーヴェンについて書いていこうと思ったとき、
ひとつ、どうしてやってくれなかったんだろう……と思っていることがある。
五味先生のオーディオ巡礼に関することだ。

ステレオサウンド 16号で五味先生は山中先生、菅野先生、瀬川先生のリスニングルームを訪問されている。
その後に上杉先生のところにも行かれている。
岩崎先生のところには行かれていない。

16号は1970年発行の号だから、私が実際に読んだのはステレオサウンドで働くようになってからだ。
そのときは、この人選について不満はなかった。
でも、いまは違う。

五味先生はクラシック、岩崎先生はジャズ……だからというのは理由にはならない、と思う。
なにか別の理由があったのだろうか。

元編集者として言わせてもらうと、岩崎先生のところに行かれていたら、
どちらにどうころぶか予想はできないけれど、どちらに行ったとしても非常に面白いことになったはずだ。

このことを5月2日に話したところ、当日来てくださった方から、
スイングジャーナルの別冊で五味先生がジャズ喫茶めぐりをされている記事がある、という情報をいただいた。
そこで岩崎先生のジャズオーディオにも行かれた、らしい。
近々図書館に行って、調べるつもりである。
どういう内容の記事なのか、まったく想像できない。それにしても、すごい企画だな、と思う。

Date: 5月 7th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その5)

岩崎先生の息子さんの宰守さんは、
音楽を聴いている時、気がつくと椅子の上であぐらをかいていることがあるそうだ。

岩崎先生の写真で、私がつねにまっ先に思い浮べるのも椅子の上であぐらをかかれているものだ。
「オーディオ彷徨」でも、ステレオサウンド 38号でもパラゴンを背にした岩崎先生は椅子の上であぐら、である。
しかも素足。

椅子の上であぐらで思い出す人物がいる。五味先生だ。
ステレオサウンド 47号のオーディオ巡礼の扉の使われている写真。
煙草を手に持ち椅子の上であぐら。

私も椅子の上であぐら、ということが多い。
だから五味先生の、岩崎先生のあぐらは、うんうん、と勝手に思っていた。
私のことはどうでもいいのだが、五味先生と岩崎先生にはあぐら以外に共通するところがある。

岩崎先生は12月4日、五味先生は12月20日うまれ。
ふたりとも射手座である。
そして岩崎先生は1977年3月24日、五味先生は1980年4月1日に亡くなられている。
3月24日、4月1日はどちらも牡羊座にあたる。

射手座の季節に生を受け、牡羊座の季節に亡くなられている。
単なる偶然と片づけることもできる。
でも、ここには単なる偶然とは片づけられない不思議な一致があるような気がする。

そして、もうひとり、ベートーヴェンがいる。
ベートーヴェンもまた1770年12月16日ごろ、射手座に生れ、1827年3月26日、牡羊座の季節に亡くなっている。

ずいぶん前からこのことには気がついていて、
この共通することから何か書いていける気もしているのだが、
まだ書き始めていないし書き続けられるのか……、ということろで止っていたけれど、
5月2日、岩崎綾さん、宰守さんによる岩崎先生の話をきいていて、書ける気がしている。

Date: 5月 6th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その4)

岩崎先生の文章は、ジャズを聴いてきた人の文章だ。

だからといって、ジャズを聴いていれば、岩崎先生のような文章が書けるようになるとはいえないけれど、
ジャズを真剣に聴いてこなければ書けない文章、そう以前から思っている。

ジャズをあまり聴いてこなかった私でさえつき動かされるわけだから、
ジャズを熱心に聴いてきた人は、私なんかよりももっと早い時期から、もっと強くつき動かされてきたはず。
そういう人は少なくないと思う。

オーディオ業界の中では、細谷信二さんと朝沼予史宏さんがそうだ。
きっとメーカーや輸入商社に勤めている人の中にもつき動かされた人はいるはずだが、
オーディオ雑誌に名前が出てくる人では、細谷さんと朝沼さんのふたりが、いる。

ステレオサウンドから出た遺稿集「オーディオ彷徨」は、
当時ステレオサウンド編集部にいた細谷さんがまとめられた、ときいている。
それだけでなく岩崎先生が亡くなられた後も、
たびたび岩崎先生のお宅を訪ねてはオーディオ機器の手入れをされていた、ともきいている。

岩崎先生が愛用されていたエレクトロボイスのエアリーズ。
ウーファーのエッジがダメになってしまったのを元通りにされたのも細谷さん。
ジャズオーディオで使われていたトーレンスのTD224のチェンジャー機構は壊れてしまってそのままだったのを、
レコパルでの撮影のため借り受けたときにきちんと動作するように手配したのも細谷さんである。

朝沼さんは、まだ編集者だったころ(つまり本名の沼田さんとして仕事をされていたころ)、
なかば居候といえるくらい、岩崎先生のお宅で夜を明かされていた、そうだ。

そういえば朝沼さんはダルキストのスピーカーシステムDQ10を使われていたことがある。

DQ10はQUADのESLによく似た外観の、しかしダイナミック型スピーカーユニットによる5ウェイ。
DQ10は、岩崎先生も新しいタイプのスピーカーシステムとして注目され、評価も高かった。
DQ10はESLを意識したスピーカーシステムで、そのESLを岩崎先生も朝沼さんも使われていた。

岩崎先生も、朝沼さんも細谷さんも小学館が発行していたFMレコパル、サウンドレコパルで仕事をされている。

朝沼さんは2002年12月に、細谷さんは2011年2月に亡くなられた。
細谷さんと朝沼さんとはステレオサウンドで何度も会っていた。
岩崎先生のことを訊いておけば……、と思っている。

Date: 5月 5th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その3)

岩崎先生の万年筆を手にしたからといって、ああいう文章が書けるようになるわけではない。
そんなことはわかっている。
そして、岩崎先生の文章の魅力は?、ときかれたら、読む人を惹きつけるところにある、とまず感じている。

私はこれまでにも書いているとおり、岩崎先生に関しては「遅れてきた読者」である。
しかもジャズよりも、圧倒的にクラシックを聴いている時間が長い。
にも関わらず、深夜ひとりで「オーディオ彷徨」を読んでいると、
無性にジャズが聴きたくなってくる。

ステレオサウンドを辞めて、すぐに就職したわけではない。
しばらくぶらぶらしていた時期がある。
冬の寒い時期であった。「オーディオ彷徨」を読んでいた。
それ以前にも「オーディオ彷徨」を読みたいところから読むことはしていたが、
最初から最後まで読み通すことははじめてやったのは、実はこのころのことだった。

そういう心理的なものも作用してのことだったのかもしれない。
でも「オーディオ彷徨」を読んだ友人も、まったく同じことを言っていたから、私だけのことでは決してない。
近所に深夜までやっているレコード店がもしあったら、
すぐさま駆け込んで、
いま読んだばかりの「オーディオ彷徨」の章に出てくるジャズのレコードを買いに行きたくなる。
読み手を駆り立てるものが、岩崎先生の文章にはある。

いま岩崎先生の文章を集中的に入力している。
レコード(ジャズ)についての文章だけでなく、オーディオ機器についての文章を読み入力していると、
昨日まではほとんど関心をもてなかったカートリッジなりアンプなりスピーカーシステムなりが、気になってくる。
聴いたことのあるオーディオ機器はもう一度聴いてみたい、と思うし、
かなり古く聴いたことのなかったオーディオ機器は、一度聴いてみたい、と思ってしまう。

岩崎先生が書かれたオーディオ機器すべてではないけれど、
岩崎先生の文章によって気になってきたオーディオ機器がいくつも、すくなからず浮上してきている。

岩崎先生の文章には、読む者をつき動かす衝動(impulse)がある。

Date: 5月 4th, 2012
Cate: 岩崎千明

岩崎千明氏のこと(2012年5月2日・その2)

audio sharingの公開当初は、瀬川先生の文章と岩崎先生の文章は、いわば無断公開していた。
本来なら許諾を得ての公開なのだが、ご家族の連絡先がわからず、ことわりをいれた上での公開だった。

だから岩崎綾さんのメールを届いたとき、
本文を読むのは、半分不安だった。もし公開しないでほしい、と書かれてあったら……。
でもクリックしてメールを読むと、嬉しい内容のメールだった。
メールの最後に、「母も喜んでいます」と書いてあった。
公開の許諾をきちんといただけたこと以上、この最後の行が嬉しかった。

このメールが届いた日から、ほぼ12年。
何度かメールのやりとりはあったものの、お会いしたことも電話で話したこともなかった。
だから5月2日が初対面だった。

5月2日の夜は楽しかった。
楽しかったうえに、「おみやげがあります」といって万年筆をいただいた。
岩崎先生が使われていたパーカーの万年筆を、2本も。

そういえば、深夜、検問で止められたとき「職業は?」ときかれ、
ひと言「物書き」と岩崎先生は答えられた、という話が、ジャズ・オーディオに通い、
岩崎先生の運転する車に同乗されたこともある方からのメールにあった。

岩崎先生は、小学校のとき担任から「いい文章を書くから、物書きになったらいい」といわれたとのこと。
担任の名前は角川源義氏。
角川書店の創立者の角川氏からそう言われた岩崎少年は、物書きを夢見ていたのか、目ざしていたのか──、
はっきりとしたことはわからないけれど、「物書き」と答えられたのだから……、と思ってしまう。

そんな岩崎先生の万年筆が、いま手もとにある。