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Date: 1月 20th, 2015
Cate: 同軸型ウーファー

同軸型ウーファー(その1)

同軸型ユニットはウーファーとトゥイーターを一本のスピーカーユニットにしたモノであり、
一本のスピーカーユニットで再生音域を広くカバーするためである。

つまりは同軸型フルレンジといえる。
だからステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES 4にフルレンジユニットとして、
いくつかの同軸型ユニットが紹介され試聴されている。

いま私が考えているのは、同軸型ウーファーである。
タイトルを間違えているわけではない。
再生音域を拡げるための同軸型ではなく、
よりよい低音を得るためとしての同軸型ウーファーは、可能性としてありうるのか、である。

同軸型ウーファーについて考えるようになったきっかけは、
別項『「言葉」にとらわれて』の(その9)で書いている、ある扇風機である。

日本のメーカーであるバルミューダは、自然な風をつくり出せる扇風機を開発・販売している。
扇風機の風に長く当りすぎていると体調を崩す、と昔からいわれていた。

バルミューダの扇風機が登場する以前には、
少しでも自然な風に近づけるために1/fゆらぎを取り入れた製品もあった。
バルミューダの扇風機はまったく発想が異る。

この扇風機についての詳細はリンク先を見ていただくとして、
低音再生のウーファーにあてはめて考えるようになっていた。

もちろん扇風機とウーファーの問題点は違う。
だからバルミューダの扇風機の解決手法がそのままウーファーに取り入れて効果があるのかについては、
いまのところなんともいえない。

それでも直感として、同軸型ウーファーということが浮んだ。

Date: 1月 20th, 2015
Cate: オーディオのプロフェッショナル

モノづくりとオーディオのプロフェッショナル(その1)

はじめて真空管アンプをつくろうとしている人がいる。
彼は何を用意すべきか。

アンプを作るためには工具が必要だ。
ハンダゴテは絶対に必要である。ドライバーもいる。
シャーシー加工すべてどこかに受註するのであればいいが、
穴開け加工を自分でやるのであれば、ドリル、ヤスリもいる。
この他にもさまざまな工具がいる。

工具の用意とともに、パーツを集めなければならない。
いまではインターネット通販があるから、
昔のように秋葉原まで何度も電車で通っては、
時には重たい部品を持って帰るということもやらなくてすむようになっている。

アンプの回路は、はじめて作るのであるから、定評のある回路と配線をそのまま採用する。

部品点数が少なくて、シャーシー加工にそれほど手間どらなければ、
それほど時間を必要とせずに真空管アンプは組み上る。

ここで必要となるのが、測定器である。

自分で創意工夫をした回路ではなく、昔からある回路で、
昔ながらのレイアウトで、NFBもかけない、もしくはごくわずかだけであれば、
配線の間違いがないことをしっかりと確認すれば、
テスターだけで各部の電圧をチェックするだけでもかまわない。

テスターも測定器であり、ここて必要となる測定器はテスターだけで足りる。

けれど、最初の真空管アンプ作りがうまくいったから、気を良くして、
今度は回路も自分で考えた凝ったものにして、NFBもそこそこかけて、
レイアウトも奇抜なものにしよう……、そんなことをやると測定器はテスターだけではもう無理である。

少なくとも発振していないかどうかを確かめるための測定器は必要となる。

Date: 1月 20th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その8)

「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」には、
これを口にする人によって、違う意味をもつことになる。

黒田先生はステレオサウンド 38号の特集で八人のオーディオ評論家のリスニングルームを訪問され、
八人のオーディオ評論家それぞれに手紙を書かれている。
上杉先生への手紙は「今日は、まことに、痛快でした。」で始まっている。

黒田先生が感じた痛快さは、馬鹿げたことをする真剣さ、一途さゆえのものと書かれている。
自分にはできないことをさらりとやってくれる人に感じる痛快さがあり、
その痛快さを表現することばとして「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」がある。

その一方で、部屋の大きさに見合ったサイズのスピーカーシステムこそが理に適ったことであり、
しかも大口径の振動板に対してのアレルギーをもつ人は、
おそらく軽蔑をこめて「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」と口走る。

「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」と思わず口走るのであれば、
痛快さをそこに感じてでありたい。

黒田先生の上杉先生への手紙には、こんなことを書いてある。
     *
 神戸っ子は、相手をせいいっぱいもてなす、つまりサーヴィス精神にとんでいると、よくいわれます。いかにも神戸っ子らしく、上杉さんは、あなたがたがせっかく東京からくるというもので、それに間にあわせようと思って、これをつくったんだと、巨大な、まさに巨大なスピーカーシステムを指さされておっしゃいました。当然、うかがった人間としても、その上杉さんの気持がわからぬではなく、食いしん坊が皿に山もりにつまれた饅頭を出されたようなもので、たらふくごちそうになりました。
     *
ステレオサウンドの取材班が東京から神戸に来るから、ということで、
これだけの規模のスピーカーを間に合わせた、とある。
もともと計画されていたことだったのだろうが、それでもすごい、と思う。

ちなみにこのスピーカーシステムの重量は、両チャンネルあわせて約780kg。

Date: 1月 19th, 2015
Cate: オーディオ評論

江川三郎氏のこと(その3)

なぜ私だけでなく、けっこう数の人が逆オルソンを試したのだろうか。
そして試した人がみな逆オルソンは採用していないのは、なぜか。

江川三郎氏による逆オルソンの記事には、ある図があった。
マイクロフォンとスピーカーの位置関係(相関関係)を示した図だった。

録音のときにマイクロフォンは、こう設置する、とあった。
再生ではマイクロフォンの位置と向きと同じになるようにスピーカーを設置するのが逆オルソンであり、
図はそのことを解説していた。

これにはうまくだまされた。
あえてだまされた、と書く。
完全に間違っているわけではないからだ。

確かに録音時のマイクロフォンは、その図にあるようにセッティングされることはある。
だがそれは純粋なワンポイント録音の時だけである。
それ以外の録音ではマイクロフォンの数はもっと多く、
その位置、向きもまた違っている。

ほとんどの録音はワンポイント録音ではない。
複数のマイクロフォンが使われる。

つまり逆オルソンの説明図にあったようなマイクロフォンとスピーカーの関係が実現できるのは、
ワンポイントマイクロフォンによる録音のみである。

高校生の時、そのことに気づかなかった。
気づいたとしてもワンポイント録音のレコードは、まだ持っていなかった。

これから先、逆オルソンをもう一度試すかどうかはなんともいえない。
もし試すことがあるとしたら、ワンポイント録音を用意して、である。

Date: 1月 19th, 2015
Cate: オーディオ評論

江川三郎氏のこと(その2)

江川三郎氏のことを昨夜知った時点で、江川氏について書こうとどうか迷った。
江川三郎ときいて私がまっさきに頭に浮かべることからもわかるように、
私が江川三郎氏の書かれたものを熱心に読んでいたのは1980年以前である。
1980年代もオーディオアクセサリーに書かれたものは読んでいた。
ヒントとなることがあったからだ。

1990年代にはいると、あまり読まなくなっていた。
この十年ほどはまったくといっていいほど読まなくなっていた。

そんな読み手でしかなかった私だから、江川三郎氏について何が書けるのだろうか、となる。
たいしたことは書けない。
それがわかっていても、いくつかのことは書いておこう、と思った。

まず書きたいのは、逆オルソンについてである。
私と同世代、少し上の世代のオーディオマニアの方だと、逆オルソンといえばすぐにわかってくれる。
そしてたいていの人が「やったことがある」と答えてくれる。
私も高校生のとき、逆オルソンはやってみた。

やっては元に戻し、また江川氏の記事を読んでは逆オルソンにしてみたり、
そんなことをくり返した。

逆オルソンとは、左右のスピーカーを中央にくっつかんばかりに寄せて、ハの字に向ける。
通常のスピーカーセッティングでは左右を離して、聴き手を向くように設置するが、
逆オルソンはスピーカーが聴き手ではなく壁に斜めを向くように置く。
そして左右のスピーカーのあいだに仕切り板を立てる。

最初逆オルソンを試した時、仕切り板がないままだった。
二回目は仕切り板を用意してやった。
けれど私は逆オルソンはとらなかった。

Date: 1月 19th, 2015
Cate: オーディオ評論, 訃報

江川三郎氏のこと(その1)

昨夜、facebookで江川三郎氏が亡くなられたことを知った。
オーディオフェア、ショウの会場ですれ違ったことが二回くらいあるだけだ。

私はステレオサウンドで丸七年働いていたけれど、
そのころは江川三郎氏はステレオサウンドとの関係はまったくなかった。
ご存知ない方もいまでは増えているようだが、
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のアルテック号には、江川三郎氏が登場されている。
アルテックのユニットを使った自作スピーカー記事「アルテクラフト製作記」を担当されていた。
この記事は面白かった。

私にとって江川三郎氏ということで頭に浮ぶのは、
この「アルテクラフト製作記」に出て来た604-8Gを使用したアクロポリスがまずあり、
それからハイイナーシャプレーヤー、逆オルソン方式である。
あと思い出すのは、JBLのパラゴンを鳴らされていたことである。

パラゴンは1969年にはすでに鳴らされていた。
当時の山水電気の広告「私とJBL」にパラゴンをバックにした江川氏が登場されている。

たしかトリオの会長の中野氏が鳴らされていたパラゴンだったはずだ。
パラゴンといえば私の中では真っ先に岩崎先生が浮ぶ。
けれど江川氏が岩崎先生よりも早く、パラゴンを鳴らされていたことは忘れてはならないことだと思う。

パラゴンも最後のほうではウーファーの裏板を取り外して鳴らされていたはず。
1980年代以降の江川氏のイメージとパラゴンは結びつきにくい。
けれど山水電気の広告の写真をみていると、そんな感じはしない。

この写真を見ていると、あれこれおもってしまう。

Date: 1月 19th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その7)

上杉先生の自作スピーカーの概要はこうだ。
シーメンスのオイロダインを中心として、トゥイーターとウーファーを追加されている。

オイロダインはシアター用スピーカーで、
38cm口径のウーファーと大型ホーンを鉄製のバッフルに取り付け、エンクロージュアはもたない。
ネットワークは内蔵しているので、これを平面バッフルにとりつけるよう指定されている。
スピーカーシステムとは呼びにくいモノである。

同じコンセプトのモノはダイヤトーンにもあった。
2U208という製品で、
20cmコーン型ウーファー(PW201)と5cmコーン型トゥイーター(TW501)をバッフルに装着したモノ。
ウーファーとトゥイーターの型番が気づかれる人もいるだろう、
ダイヤトーンのスピーカーシステム2S208からエンクロージュアを取り去ったモノである。

KEFにもあった。KK3という型番で、Concertoのエンクロージュアを取り去ったモノである。

シーメンスのオイロダインも同じカテゴリーのスピーカーユニットといえよう。
このオイロダインのクロスオーバー周波数は500Hz、
これに上杉先生は8kHz以上をテクニクスのホーン型トゥイーターEAS25HH22NAに受け持たせ、
150Hz以下はエレクトロボイスの30Wで受け持たせられている。

30インチ(76cm)口径の30Wを、上杉先生は片チャンネルあたり二本、つまり両チャンネルで四本使われている。
30Wが二発横に並んでいる上にオイロダインのウーファーがあるわけだが、
38cm口径が20cm口径ぐらいに感じられる。

このシステムを目の当りにされて、
黒田先生は「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」と口走られている。
     *
 三十インチ・ウーファーが横に四本並んだところは、壮観でした。それを目のあたりにしてびっくりしたはずみに、ぼくは思わず、口ばしってしまいました、なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか。そのぼくの失礼な質問に対しての上杉さんのこたえがまた、なかなか痛快で、ぼくをひどくよろこばせました。上杉さんは、こうおっしゃいましたね──オーディオというのは趣味のものだから、こういう馬鹿げたことをする人間がひとりぐらいいてもいいと思ったんだ。
 おっしゃることに、ぼくも、まったく同感で、わが意をえたりと思ったりしました。オーディオについて、とってつけたようにもっともらしく、ことさらしかつめらしく、そして妙に精神主義的に考えることに、ぼくは,反撥を感じる方ですから、上杉さんが敢て「馬鹿げたこと」とおっしゃったことが、よくわかりました。そう敢ておっしゃりながら、しかし上杉さんが、いい音、つまり上杉さんの求める音を出すことに、大変に真剣であり、誰にもまけないぐらい真面目だということが、あきらかでした。いわずもがなのことをいうことになるかもしれませんが、上杉さんは、そういう「馬鹿げたこと」をするほど真剣だということになるでしょう。
     *
私も「なんでこんな馬鹿げたことをしたんですか」と口走ると思う。
多くの人が目の当りにすれば、同様のことを口にされるだろう。

Date: 1月 19th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その6)

ミッドバスに15インチ口径のフルレンジをもってくることはバカげていることと思う人もいるだろう。
そんなことをすればシステムが非常に大がかりになる。

いつのころからか、スピーカーシステムの大きさは部屋の大きさに見合ったほうがいい、と考える人、
主張する人が多くなってきた。

でも小さな部屋で、そのエアーボリュウムに見合う小さなスピーカーシステム。
1970年代ごろの、そういった小型スピーカーシステムと違い、
現在の小型スピーカーシステムはパワーもはいるし、音圧もとれる。
だから同列に考えることには多少の無理があるのはわかっているけれど、
小型スピーカーはエアーボリュウムがあり響きの豊かな部屋の方がうまく鳴ってくれることがある。

小さな部屋こそ、私はできるかぎり大きなスピーカーシステムを置きたい、と考える。
そんなのは古すぎる考え方だといわれようが、音量を絞っても音の豊かさを失わないのは、
やはり大型スピーカーシステムであることが多い。

だから私はD130をミッドバスという、バカげたことを真剣に考える。
でも、これは本当にバカげたことなのだろうか、と思う。

たとえばBBCモニターのLS5/1は、
中域の特性を重視して、12インチ口径ではなく15インチ口径を選択している。
低域の特性の間違いではない。

それから……、と書き始めて思い出したのが、ステレオサウンド 38号である。
「オーディオ評論家 そのサウンドとサウンドロジィ」が特集の号だった。
そこに上杉先生のリスニングルームの訪問記がある。

1976年、上杉先生が鳴らされていたスピーカーシステムはタンノイのオートグラフ、
それに自作のモノだった。

Date: 1月 18th, 2015
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その5)

JBLの4350のミッドバスは2202である。
コーン型の30cm口径ウーファーである。

このユニットは2220の30cm版といえるし、
2220は130Aのプロ用版であり、130AはD130のウーファー版といえる。

4350では2202をミッドバスに、
2231を二発ウーファーとして搭載している。
これにならえばD130をミッドバスとするのであれば、
ウーファーは18インチ(46cm)口径のモノを二発使うということになる。

もうひとつの案としては、より大口径のウーファーを使うこと。
例をあげればエレクトロボイスの30W(76cm)、ハートレイの224HS(60cm)だ。

どちらにしてもそうとうに大がかりなシステムになる。
規模のことはまったく考慮しないということであれば、どちらも案でもかまわない。
どちらも同程度になるからだ。

ならば上の帯域を受け持つユニットがすべてJBLだから、
JBLの18インチ口径ウーファーのダブル使用に心情的に傾く。

JBLの過去のラインナップをふくめて該当するウーファーとなると、K151、2240H、2245Hがある。
2245Hは4345に採用されたウーファー、K151は楽器用ウーファーである。
K151のダブルとなると、「コンポーネントステレオの世界 ’78」での井上先生の組合せを思い出す。

そこでの井上先生の組合せはK151をダブルで使い、2440にラジアルホーン2355の組合せ、
トゥイーターは2402の複数使用という、驚くほどのシステムだった。
キズだらけの大型のエンクロージュアにおさめられたK151が15インチくらいに見えていた。

こういうウーファーを最低域にもってくるのも面白いのだけれども、
私の志向する音からはかなりはずれてしまう。
となるとウーファーは2245Hか2240Hということになるのだろうか。

Date: 1月 18th, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その8)

ワディアのPower DACは、オーディオ機器としてパワーアンプなのか、D/Aコンバーターなのか。
ワディアはPower DACと呼んでいるのだから、D/Aコンバーターの一種として開発したモノともいえる。

ステレオサウンド 133号のベストバイでは、Wadia 390 + Wadia 790はパワーアンプとして扱われている。
コンポーネンツ・オブ・ザ・イヤー賞でもパワーアンプとして受賞している。

ということはPower DACはD/Aコンバーター内蔵パワーアンプということになり、
そう捉えてみると、類似のオーディオ機器は以前からあることになる。

アルパイン・ラックスマンがD/Aコンバーター内蔵のプリメインアンプLV109を1986年に出している。
LV109にはフォノイコライザーは搭載されていなかった。
アナログディスク再生用にLE109が用意されていた。

入力はライン入力とデジタル入力のみのLV109は、
アルパイン・ラックスマンがもしPower DACだと呼んでいれば、Power DACと受けとめただろうか。
そんなことはなかったはず。
アルパイン・ラックスマンがどう呼称しようと、LV109はプリメインアンプであった。
デジタル入力を備えるプリメインアンプである。

ならばワディアのWadia 5はD/Aコンバーター内蔵のパワーアンプとして認識すべきである。
Wadia 390 + Wadia 790はコントローラーが別筐体ではあるものの、
やはりD/Aコンバーター内蔵のパワーアンプということになり、
ステレオサウンドのベストバイ、コンポーネンツ・オブ・ザ・イヤーのジャンル分けは間違っていない。

このことはWadia 5がステレオサウンド誌上に現れた時に考えたことだ。
アナログ入力のない、デジタル入力だけのパワーアンプである、と。

それでも私のなかでは、Power DACという認識である。
つまり8Ω負荷で200Wの出力をもつD/Aコンバーターである。

このことがシンプルについて考えていく上で、ずっと引っかかっていることであり、
シンプル(simple)とミニマル(minimal)の違いを、
オーディオにおいてよりはっきりさせていくように感じている。

Date: 1月 18th, 2015
Cate: 単純(simple)

シンプルであるために(ミニマルなシステム・その7)

プロトタイプであったWadia 5、製品として登場したWadia 390 + Wadia 790。
私がミニマルなシステムだと感じるのは、Wadia 5である。

コントローラーとしてWadia 390が加わったとはいえ、基本構想はどちらも同じである。
けれどWadia 390 + Wadia 790には、Wadia 5には感じたミニマルな印象が後退している、と感じた。

なぜなのだろうか。
Wadia 5では円筒形の筐体がふたつだったのが、
Wadia 390 + Wadia 790では筐体の形状・大きさが変り、三筐体になったからだろうか。
たしかにWadia 390 + Wadia 790の本体はかなり大きい。

それでも充分なスペースのリスニングルームであれば、
その大きさも問題にならないはず。

私には大きさではなく、形状に、そう感じさせるところがあるよう思っている。
Wadia 5の筐体は円筒形。
円筒形のアンプはそれ以前にもあった。
イギリスのレクソンのパワーアンプは1977年には登場していたし、
日本のNIROのパワーアンプも基本的には円筒形だった。
円筒形のパワーアンプは目新しいわけではなかった。

Wadia 390 + Wadia 790の筐体の形状は言葉では表現しづらい。
誰かがいっていたけれど、
Wadia 790の筐体はスターウォーズのダースベイダーのマスクを思わせるようなところがある。
つまり威圧感がある。実物を見ていないけれど、存在感もどうだ、といわんばかりに写真から伝わってくる。

それに対してWadia 5の円筒形の筐体には、そういった要素は感じられない。

Date: 1月 18th, 2015
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その17)

トーレンスの101 Limitedを使っていた時、
EMTの930st用のガラスターンテーブルと927Dst用のスタビライザーを手に入れた。

930st(101 Limited)はアルミ製のターンテーブルプラッターの上に、
プレクシグラス製のサブターンテーブルがのっている。
これを927Dstのそれと同じつくりのガラス製のモノに変え、
927Dst用のスタビライザーも併用する。

しばらくこの状態で聴いていた。
ガラス製ターンテーブルはそのまま使い続けた。
スタビライザーはというと、レーベルの上に乗せるという使い方はしなくなった。
けれど使わなくなったわけではない。

101 Limitedはトーンアームの真横に、45回転アダプターをおけるようになっている。
927Dstのスタビライザーは上下反対にすれば45回転アダプターになる。
だからスタビライザーは、この位置に置いていた。
つまりトーンアームとターンテーブルプラッターのあいだにスタビライザーがある。

ここにスタビライザーがあるとないとでは、音が違う。
私はここにスタビライザーを置く音をとった。
たいていはこの状態で聴いていた。
ときどき気が向けばスタビライザー本来の使い方をして聴いた。

このスタビライザーが二個あれば、トーンアームの真横に置きながら、
レコードの上にのせるかのせないかという使い分けもできたのだが、一個しか持っていなかった。

スタビライザーはなにもレコードの上にのせるだけが使い方ではない。
こういう使い方もある。

Date: 1月 18th, 2015
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーのアクセサリーのこと(その16)

したり顔でスタビライザーを使うとレコードの鳴きを抑えてしまう、だからダメ、という人がいる。
スタビライザーはレコードのレーベル部にいわば重りを乗せるものであるからといって、
レコードの鳴きを抑えているといえるのだろうか。

レコード(LP)の直径は12インチ。スタビライザーの直径は7〜8cmのモノが多かった。
これだけのモノでレコードの鳴きを抑えることができるのならば、すごいことである。

それにスタビライザーはたいていの物が金属製だった。
金属といっても真鍮、銅、ステンレスなどがあった。
ガラス製もあった。
ゴムでダンプしてあるモノもあった。

どんなスタビライザーであっても、スタビライザー固有の音(鳴き)がある。
スタビライザーを使うと、スタビライザー固有の音も大なり小なり再生音に附帯して出てくることになる。

スタビライザーはレコードの鳴きの一部を抑えることはできているだろうが、
完全に抑えることなんて無理である。
なのに、スタビライザーの使用に徹底的に否定的な人は、レコードの鳴きを抑えるから、だという。

なぜ、こうも強引な理由をつけて、スタビライザーを使うことに対して白黒つけたがるのか。
音を聴いて瞬時にどちらがいいかを判断する。
これがカッコいいことだと思っているから、ではないのか。

スタビライザーはひじょうにプリミティヴなアクセサリーである。
使い方も簡単である。
だからこそもっともっと気楽につきあえばいいではないか。

その時の自分の感覚が使った方がいいと判断すれば使えばいいだけのことだし、
このレコードでは使わない方がいいと判断したのであるならばそうすればいい。

スタビライザーを使うこと(使わないこと)を楽しめばいいのに……、と思う。

Date: 1月 17th, 2015
Cate: オーディオの「美」

オーディオの「美」(コメントへの返信・その4)

上野晃一様のコメントは、16日にもあった。
そこに、オーディオ評論の「美」とある。

いますぐというわけではないが、オーディオ評論の「美」もテーマになる。
何か書いていける予感がした。

オーディオ評論の「美」は、オーディオの「美」のひとつでもあるかもしれない。

Date: 1月 17th, 2015
Cate: オーディオの「美」

オーディオの「美」(コメントへの返信・その3)

オーディオ評論家とオーディオ雑誌の編集者。
一般的にはオーディオ評論家の方が編集者よりもオーディオのプロフェッショナルであるように思われている。
当事者たちもそう思っているのかもしれない。

けれど本来はどちらがオーディオのプロフェッショナルとして上ということではなくて、
同等にオーディオ・エンジニアリングに長けていて、
その上でオーディオ評論家とオーディオ雑誌の編集者とでは役割が違うだけのはずだ。

だが実際には……。
この人(たち)は、オーディオのプロフェッショナルなのだろうか、
オーディオ・エンジニアリングに長けているのだろうか。

私はオーディオ評論家、オーディオ雑誌の編集者はオーディオ業界の中心にいると考える。
オーディオ評論家とオーディオ雑誌の編集者がオーディオ業界の主人公というわけではなく、
あくまでも業界の中心にいると見ている。

だから、くり返すが、彼らはオーディオ・エンジニアリングに長けていなければならない。
オーディオのプロフェッショナルとして、である。
つまり圧倒的であってほしいのだ。

圧倒的といえるほど長けている人たちがオーディオ業界の中心にいれば、
彼らに接しているオーディオ業界の人たちも感化・触発・挑発されていくのではないのか。

私がグールドの演奏が残酷だという話をした知人も、オーディオ業界にいた人だった。
彼はいまも自身のことをオーディオのプロフェッショナルと自認・自称している。

私は自称であれ他称であれ、オーディオのプロフェッショナルを名乗っている人に対しては、
はっきりというようにしている。
オーディオマニアの中には、キャリアの短い人やシステムの総額がそれほどでない人を、
オーディオの素人という人もいる。

誰かをオーディオの素人というのであれば、
その人はオーディオの玄人(プロフェッショナル)といっているのと同じである。

認めるところは認める。
けれど、あまりにもいいかげんなことを言っている人(オーディオのプロフェッショナルであるべき人)には、
「あまりにたやすく他者の異論を一蹴する」と思われてしまうことでも書いていく。

オーディオ業界がよくなれば、オーディオの世界はより広くより深く楽しく素晴らしくなっていくはずだ。
なのに、いまのオーディオ業界にははっきりと欠けている「もの」がある。