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Date: 6月 26th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その2)

ステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’80」でのアルテック620Bの組合せ。
そこで、瀬川先生は述べられている。
     *
(UREIの♯813は)アメリカのプロ用のモニターのひとつで、たいへん優秀なスピーカーです。このUREI♯813の成功に刺激されて、アルテックは620Bモニターを製作したのではないか、と思えるふしがあるくらいなのです。
     *
瀬川先生の、この推測がどの程度確度が高いのか、はっきりしたことはわからない。
でもたしかに、620Bを見て聴けば、そう思えるところがあるのも確かだ。

たったこれだけの発言だが、私にとっていくつものことを結びつけてくれる。

「続コンポーネントステレオのすすめ」で、UREI 813のことを、こう書かれている。
     *
 このスピーカーの基本はアルテックの604-8Gというモニター用のユニットだが、UREIの技術によって、アルテックの音がなんと現代ふうに蘇ったことかと思う。同じ604-8Gを収めた620Aシステムでは、こういう鳴り方はしない。この813に匹敵しあるいはこれを凌ぐのは、604-8Gを超特大の平面(プレイン)バッフルにとりつけたとき、ぐらいのものだろう。
     *
813の評価としてこれ以上のものはない。
少なくとも私にとってはそうであるし、HIGH-TECHNIC SERIES 4を熱心に読み、
超特大の平面(プレイン)バッフルに憧れた者、なんとか部屋に押し込めないかと考えた者も同じはずだ。

HIGH-TECHNIC SERIES 4での604-8Gの試聴記もそうだが、
それ以上に巻末にある「大型プレーンバッフルの魅力をさぐる」での瀬川先生の発言が強く印象に残っている。

この記事はHIGH-TECHNIC SERIES 4の試聴で使用した2.1m×2.1mの平面バッフルを、
当時、西新宿にあったサンスイのショールームに持ち込んだ様子をリポートしたものだ。
     *
瀬川 わたし自身は正直いってアルテックの音はあまり好きではないのですが、この音を聴いたら考え方が変わりましたね。しびれました。近頃忘れていた音だと思います。
(中略、瀬川先生はアルテックと同じカリフォルニアのシェフィールドのダイレクトカッティング盤を二枚かけられている)
こういう音を聴くと、新しいアメリカのサウンドの魅力が実感できるでしょう。あまり素晴らしい音なのでまだまだ聴きたいところですが、タンノイも控えていますのでこの辺にしましょう。
     *
2.1m×2.1mの平面バッフルに604-8Gを取りつけた音に匹敵する音を、UREIの813は聴かせてくれる──、
813は家庭での設置がやや難しいスピーカーではあるが、
2.1m×2.1mの平面バッフルの導入に較べれば、その難易度はずっと低い。

昂奮せずにいられようか。

Date: 6月 25th, 2015
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(UREI Model 813の登場・その1)

ステレオサウンド 46号は1978年3月に、
HIGH-TECHNIC SERIES 4は1979年春に、
「続コンポーネントステレオのすすめ」は1979年秋に出ている。

46号の特集は「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質を探る」で、
17機種のモニタースピーカーが取り上げられている。

17機種の中でひときわ印象に残ったのは、K+HのOL10UREIのModel 813である。
瀬川先生は、どちらも推薦機種にされている。

試聴記を読めばわかるが、このふたつのモニタースピーカーの性格は、かなり違っている。

HIGH-TECHNIC SERIES 4は「魅力のフルレンジスピーカー その選び方使い方」で、
国内外のフルレンジユニット37機種を、
32mm厚の米松合板による2.1m×2.1mの平面バッフルでの試聴を行っている。
ここにアルテックの604-8Gが登場している。

46号の特集にもアルテックのモニタースピーカーは、612C620Aが登場している。

UREI 813にもアルテック 612C、620Aにも、アルテックの604-8Gが搭載されている。

「続コンポーネントステレオのすすめ」では、JBLの4343、KEFのModel 105、スペンドールのBCII、
ダイヤトーンの2S305、セレッションのDitton 66、ヤマハのNS1000M、テクニクスのSB8000、
ヴァイタヴォックスのCN191、アルテックのA7X、BOSEの901SeriesIV、QUADのESL、
そしてUREIのModel 813の組合せをつくられている。

これらの記事をもとめて読む。
その後に「コンポーネントステレオの世界 ’80」でのアルテックの620Bの、
瀬川先生の組合せを読むと、すべてがつながっていくような気がしてくる。

Date: 6月 24th, 2015
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(マクソニックの同軸型ユニット)

同軸型ユニットは古くから存在している。
けれどウーファーとトゥイーターのボイスコイルの位置を揃えたユニットとなると、
KEFのUni-Qの登場を待たなければならなかった──、
そうだとずっと思っていた。

同軸型ユニットにはメリットもあればデメリットもある。
トゥイーターにホーン型を採用した場合、メリットとデメリットが表裏一体となる。
構造上、どうしてもトゥイーターのダイアフラムは、ウーファーのコーン紙よりも奥まった位置にくる。

タンノイもアルテックもジェンセンもRCAも、
ホーン型とコーン型の同軸型ユニットいずれもそうだった。

この構造上のデメリットを排除するためにUREIは内蔵ネットワークに工夫をこらしている。
これも解決方法のひとつであるが、
スピーカーユニットを開発するエンジニアであれば、構造そのもので解決する方法を選ぶだろう。

いまごろ気づいたのか、遅すぎるという指摘を受けそうだが、
マクソニックの同軸型ユニット、DS405は、
トゥイーターがホーン型であるにもかかわらず、
ウーファーとトゥイーターのボイスコイル位置が揃っている。

DS405は1978年5月に登場している。KEFのUni-Qよりも約10年も早い。
なぜ、このことにいままで気づかなかったのだろうか、と自分でも不思議に思う。

DS405の広告はステレオサウンド 46号に載っている。
そこに《同位相を実現した同軸型超デュアルスピーカ。》とある。
構造図もある。

確かにウーファーとトゥイーターのボイスコイルの位置は揃っている。
この広告は見た記憶はある。
けれど、当時はよく理解していなかったわけだ。

DS405は割と長く販売されていたように記憶している。
いまは製造中止になっているが、マクソニックには同軸型ユニットがふたつラインナップされている。
そのうちのひとつ、DS701はDS405を受け継ぐモノで、同位相同軸型ユニットであることを謳っている。

それにしても……、と反省している。
見ていたにも関わらず気づいていなかった。
おそらく他にも気づいていなかったことはあるだろう。

それでも、まだ気づいているだけ、いいのかもしれない。
そして気づくことで、日本のオーディオが過小評価されていたことをあらためて感じている。

いまこそ、日本のオーディオを再検証すべきだと思う。

Date: 6月 24th, 2015
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4315(その4)

JBLの4315は、ステレオサウンドに登場したという記憶はない。
けれど別冊には登場というほどの扱いではないが、瀬川先生がコメントを残されている。

「コンポーネントステレオの世界 ’80」で、予算200万円の組合せをつくられている。
選ばれたスピーカーはアルテックの620Bだが、
候補は他にもあって、ひとつはUREIの813、もうひとつがJBLの4315である。

813は耳の高さに604のユニットの位置がくるようにするためには、
かなり高い台に乗せる必要があり、ここが一般家庭ではちょっと使いにくくなるということで、
候補から外されている。

4315は、ちょっと捨てがたい感じはあるけれど、アルテックの620Bに決められている。

「コンポーネントステレオの世界 ’80」の瀬川先生の発言でわかるのは、
4315を開発したのはゲイリー・マルゴリスということ。
マルゴリスは、彼が手がけたモニタースピーカーの中でいちばん好きで自宅でも使っているのが、
どちらかといえば地味な存在の4315とのこと。

この話をマルゴリス本人から聞いて、
《いっそう興味がでて、最近の新しい♯4315を聴きなおして見よう》と思われたそうだ。

つまりそれ以前の4315は、瀬川先生にとってそれほどいい音のスピーカーシステムであったわけではない。
こんなことを話されている。
     *
この♯4315は4ウェイですが、ウーファー、ミドルバス、ミドルハイ、トゥイーターという構成のなかの、ミドルは医に5インチつまり13cmのコーン型が使われていることです。JBLの13cmのコーン型のミドルレンジ・スピーカーというのは、JBLのなかでいちばん駄作だという印象を、ぼくはもっています。事実、これがついているシステムは、どれを聴いてもこの音域に不満がのこるんですね。
ところが、詳しいことはわかりませんけれど、この1年ほどのあいだに、JBLではこのユニットに改良を加えたらしいのです。
     *
「コンポーネントステレオの世界 ’80」は1979年暮に出ているから、
1978年ごろからの4315の音は音が良くなっている可能性が高い。

新しい4315の音はどうだったのか。
     *
かつての製品は、ミドルハイに粗さがあって、それが全体の音の印象をそこなっていたわけですが、最近のものはなめらかさがでてきているのです。ごく大ざっぱにいえば、♯4343の弟分とでもいった印象で、スペースファクターのよさもあって、なかなか魅力的なスピーカーになったと思います。
     *
瀬川先生は予算400万円の組合せで4343を選ばれている。
4343を400万円の組合せで使われていなければ、200万円の組合せのスピーカーは4315になっていたかもしれない。

Date: 6月 23rd, 2015
Cate:

音を生み育てるもの(その1)

別項「BBCモニター、復権か(音の品位)」の中で、
ステレオサウンド 60号での瀬川先生の発言を書き写しながら、
そういえばオルトフォンのSPUとEMTのTSD15の音の違いにも、同じことがあてはまる、と思っていた。

EMTのプレーヤーにはずっと以前はオルトフォンのトーンアームがついていた。
カートリッジはオルトフォンだった。
EMTのカートリッジの初期はオルトフォンが製造していた。

そんなこともあってEMTのカートリッジはSPUと共通しているところが多い。
もちろん細部を比較していくと違う点もいくつもある。

音も共通しているところもあるし、そうでないところもある。
EMTのカートリッジとのつきあいが長い私には、
SPUの音は、特にSPU-Goldが登場する以前のSPUの音は、
地味ともいえるし渋いともいえる。

SPUにはEMTのカートリッジで同じレコードをかけた時に感じとれる艶が、あまりないように感じてしまう。
私はEMTのカートリッジの音になじんでいるからそう感じるのであって、
SPUを選びSPUの音になじんでいる人からすれば、EMTのカートリッジは派手とか過剰気味ということになる。

瀬川先生が語られていた
《そのシャープさから生まれてくる一種の輝き、それがJBLをキラッと魅力的に鳴らす部分》、
これと近い性質がEMTのカートリッジにある。

なぜこんなことを書いているからというと、
今日twitterでデンマークの風土について書かれたものを読んだからだ。

北緯55度、そういうところにあるデンマークでは真昼でも太陽は地を這うようだ、とあった。
年によって快晴の日が一日もないこともある、とデンマークに住んだ経験のある人が書いていた。

これを読んで私はSPUの音のことを思い出していた。
デンマークはそういう風土の国だからこそ、SPUの音が生れてきたのだ、とひとり合点した。

Date: 6月 22nd, 2015
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(違う意味での原音・その2)

UREIの813の音を、瀬川先生は《まるでコダカラーのような色あいのあざやかさ》と表現されているが、
これが岡先生となるとどうなるのか。

瀬川先生と岡先生の音の聴き方はずいぶん違っているところがあるのは、
ステレオサウンドを熱心に読んできた読み手であれば承知のこと。

UREI 813が登場したステレオサウンド 46号の特集記事に岡先生も参加されている。
解説と試聴記を担当されている。

その試聴記には音の色合いに関しては、特に書かれていなかった。
46号は1978年3月に出ている。この年暮に出た「コンポーネントステレオの世界 ’79」で、
岡先生は813を使った組合せをつくられている。

そこでは、こう述べられている。
     *
UREIモデル813というスピーカーは、かなりコントラストのついた音をもっています。たとえていえば、カラー写真のコントラストというよりも、黒と白のシャープなコントラストをもった写真のような、そんな感じの再生音を出してくるんです。
     *
《まるでコダカラーのような色あいのあざやかさ》と《黒と白のシャープなコントラスト》、
瀬川先生の評価と岡先生の評価、
それぞれをどう受けとめるか。

私は、というと、実のところ813は聴く機会がなかった。
ステレオサウンドの試聴室で聴いた813は813Bになっていた。
輸入元も河村電気研究所からオタリテックに変っていた。

メインとなるユニットもアルテックの604-8Gから、
PAS社製ウーファーとJBLの2425Hを組み合わせた同軸型に変っていた。

オリジナルの813の音は聴けなかった。
いまも、ぜひとも聴いてみたいスピーカーのひとつである。

おそらく私の耳には、《まるでコダカラーのような色あいのあざやかさ》と聴こえるだろう。
だからといって、《黒と白のシャープなコントラスト》と聴こえる人の耳を疑ったりはしない。

ここに音の色の、人によっての感じ方の違いがあるからだ。

Date: 6月 22nd, 2015
Cate: 十牛図

十牛図(その3)

オーディオマニアである以上、十牛図の牛を「音」として、
それが無理なことであっても、そうとらえてみる。

「音」であるとすれば、
その音は、それまでの人生で得たものによる「音」なのか、
失ってきたものによる「音」なのか、
得たものと失ってきたものとが均衡している「音」なのか。

どれがしあわせなことなのか、どれがいい音なのかはわからない。
ふりかえり、自分の音が、どの「音」なのかがわかる日はくればいい、と思う。

Date: 6月 22nd, 2015
Cate: 「オーディオ」考

潰えさろうとするものの所在(その1)

ずっと以前は、ハイエンドという言葉の使われ方は違っていた。

ハイエンドまで素直に伸びた音といった使われ方だった。
つまり高域の上限という意味だった。
だからローエンドも使われていた。

いまハイエンドといえば、そういう意味ではなく、
非常に高額な、という意味である。
辞書にも、同種の製品の中で最高の品質や価格のもの、とある。
大辞林には例として「ハイエンドのオーディオ製品」とあるくらいだ。

英語のhigh-endをひくと、高級な、高級顧客向けの〈商品·商店〉とあるから、
いまの使われ方が正しいわけだが、
私は、このハイエンドオーディオという表現がイヤである。

このハイエンドオーディオを頻繁に使う人も嫌いになってしまうほど、
ハイエンドオーディオの使われ方には、この時代のいやらしさを感じとれるからなのだろうか。

ハイエンドオーディオとは、いったいどのくらい高級(高額)であれば、そう呼べるのか。
まだハイエンドが高域の上限として使われていたころは、
スピーカーならば一本100万円をこえるモノであれば、誰もがハイエンドオーディオだと認めていた。

いまは一本100万円の価格が付けられたスピーカーシステムを、
どのくらいの人がハイエンドと認めるのだろうか。

100万円のスピーカーはミドルレンジだよ、という人も少なくないと思う。
そう言う人たちがもっと高価なスピーカーを使っていなくとも、
いまの、一部のオーディオ機器の価格は高くなりすぎている、とはっきりといえる。

以前(ステレオサウンド 56号)で、
トーレンスのリファレンスの記事の最後に、瀬川先生はこう書かれていた。
     *
 であるにしても、アーム2本、それに2個のカートリッジがついてくるにしても、これで〆めて358万円、と聞くと、やっぱり考え込むか、唸るか。それとも、俺には無縁、とへらへら笑うことになるのか。EMT927までは、値上げになる以前にどうやら買えたが、「リファレンス」、あるいはスレッショルドの「ステイシス1」あたりになると、近ごろの私はもう、ため息も出ない、という状態だ。おそろしいことになったものだ。
     *
考え込むか、唸るか、へらへらと笑うか……。
おそろしいことになったものだ、というしかない。

こんなふうに書いていくと、ハイエンドオーディオそのものを否定するのか、と受けとめられるかもしれない。
けれど、ここで書いていこうと考えているのは、そんなことではない。

おそろしいことになっているオーディオ機器の価格の上昇、
そのことによって失われていったものがあると考えているし、
その失われていったものは、オーディオ雑誌からも見出せなくなっているし、
オーディオ評論家からも感じられなっている──、
そんなふうにおもえてくる。

Date: 6月 22nd, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その10)

つきあいの長い音は、同時に聴き手の感覚を調整していく音でもある。

Date: 6月 22nd, 2015
Cate: オーディオマニア

つきあいの長い音(その9)

つきあいの長い音には、聴き手の感覚に合せることのできる柔軟性がある。

Date: 6月 21st, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位について書いていて)

音の品位について書いている。
音の品位を言葉で表していくことは確かに難しい。

例えば試聴記に「品位」がどの程度出てきて、
どういう意味で使われているのかを探ろうとしても、
さまざまな試聴記を読めば読むほど、わからなくなってしまうという人がいても不思議ではないし、
実のところ、よくわからないという人の方が多いのかも知れない、とも思えてくる。

私のもうひとつのブログ、the re:View (in the past)で、「品位」で検索してみると、
かなりの数が表示される。

文字だけで音の品位について理解しようと思っても、それはそうとうに困難というか無理なことではないのか、
そう思えてくる。

Date: 6月 21st, 2015
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(音の品位・その4)

ステレオサウンド60号で瀬川先生が発言された「何か」については、
菅野先生なりに、JBLの4345とマッキントッシュのXRT20の違いについて語られている。
長くなるので引用は控えておくが、ひとことで言えば、音の輪郭のシャープさである。
ただそれもはっきりとわかる違いとしてではなく、
《ほんの紙一重の違いの輪郭の鮮かさの部分》としてである。

瀬川先生も、このことにはほぼ同意されている。
     *
瀬川 ぼくが口に出すとオーバーになりかねないと言ったところは、ほぼ菅野さんのいうところと似ていますね。確かに輪郭のシャープさ、そこでしょう。
 ぼくに言わせれば、そのシャープさから生まれてくる一種の輝き──同じことかもしれないんですが──それがJBLをキラッと魅力的に鳴らす部分なんですね。それがあった方がいいとかない方がいいとかいう問題じゃない。JBLはあくまでもそういう音なんだし、マッキントッシュはあくまでもあの音なんで、そこがとにかく違いだと。
     *
「何か」のひとつは、音の輪郭のシャープさで間違いない。
けれど、あくまでも「何か」のひとつであって、すべてではない。
他の「何か」とはについて、瀬川先生の発言を拾ってみよう。
     *
瀬川 それから、菅野さんが指摘された弦、木管、これは、4345のところでも言ったように、弦のウッドの音が4345まで良くなって、やはりそれ以上のスピーカーがあるということを思い知らされた。ただ、ぼくにとって、特に弦といっても室内楽の、比較的インティメイトな弦の鳴り方、あるいは木管でもそこに管が加わったりクラリネットの五重奏とか、要するにオーケストラまでいったってそれは構わない、とにかく弦なり木管のインティメートな温かい感じね──なめらかな奥行きを伴った──それは、ぼくはマッキントッシュじゃ不満なんですよ。どっちみちぼくはアメリカのスピーカーじゃその辺が鳴らないという偏見──偏見とはっきり言っておきますが──を持っていますので。ぼくのイメージの中ではそれはイギリス(ないしはヨーロッパ)のスピーカーでなくては鳴らせない音なのです。どうせJBLで鳴らせない音なら、マッキントッシュへいくよりは海を渡っちゃおうという気がする。
     *
この弦の音。
ここにマッキントッシュのXRT20に対する菅野先生と瀬川先生の評価の違いがある。
後少しステレオサウンド 60号から世が和戦瀬戸菅野先生の発言を引用しておく。
     *
瀬川 あなたの家で「これ、弦がいいんだ」とヴァイオリンを聴かせてくれましたね。ところが、ぼくはやっぱりあのヴァイオリンの音はだめなんだ。
菅野 ぼくがいままで、ぼくの装置だけじゃない、常にずうっとJBLを好きでいろいろなところで聴いてきているでしょう。しかし、どうしてもJBLではあそこへはいかないわけ。
瀬川 JBLじゃ絶対いかない。だから、ぼくはそれがJBLで出ると言っているのじゃなくて、いっそのことヨーロッパへいってしまおうと思う。
菅野 確かにヨーロッパにはマッキントッシュに近いものがあるね(笑い)。それと同時に、ヨーロッパのスピーカーで不満なのは、ぼくは絶対的にジャズ、ロック、フュージョンが十全に鳴らせないことなんだ。ところが、マッキントッシュは、一台でその両方が出せる。これが、総合的にマッキントッシュに点数がたくさんついちゃう原因なんですね。
     *
菅野先生と瀬川先生の、音の品位に関して違っているところが、まさにここである。

Date: 6月 21st, 2015
Cate: High Fidelity

ハイ・フィデリティ再考(違う意味での原音・その1)

オーディオの世界で原音といえば、
その定義は生の音、もしくはマイクロフォンがとらえた音、マスターテープに記録された音、
さらにはアナログディスクやCDとなって聴き手に提供されるメディアにおさめられた音、
こんなふうになる。

色の世界で原色といえば、辞書には三つの意味が書かれている。
①混合することによって最も広い範囲の色をつくり出せるように選んだ基本的な色。絵の具では赤紫(マゼンダ)・青緑(シアン)・黄,光では赤・緑・青。
②色合いのはっきりした強い色。まじり気のない色。刺激的な,派手な色。
③絵画や写真の複製で,もとの色。

つまりオーディオの世界での原音は、三番目の意味の原色にあたる。
ならば一番目、二番目の意味の原音はあるのだろうか。
あるとしたら、それはどういう音なのだろうか。

例えばUREIの813というモニタースピーカーがある。
ステレオサウンド 46号で、その存在を知った。

UREI 813のスタイルは、少なくとも私には初めて見るスタイルであった。
ウーファーが上に、中高域のユニットが下にあるのはJBLの4311もそうなのだが、
UREI 813は迫力が違った。

音はどうだったのか。
瀬川先生は46号の試聴記の冒頭に、《永いこと忘れかけていた音、実にユニークな音》と書かれている。
そしてこうも書かれている。
     *
たとえばブラームスのP協のスケールの雄大な独特な人工的な響き。アメリカのスピーカーでしか鳴らすことのできない豪華で華麗な音の饗宴。そしてラヴェル。「パリのアメリカ人」ではなくて「パリジャン・イン・アメリカ」とでも言いたい、まるでコダカラーのような色あいのあざやかさ。だがそれを不自然と言いきってしまうには、たとえばバッハのV協のフランチェスカッティのヴァイオリンで、自分でヴァイオリンを弾くときのようなあの耳もとで鳴る胴鳴りの生々しさ。このスピーカーにはそうしたリアルな部分がある。アルゲリチのピアノのタッチなど、箱の共鳴音が皆無とはいえず、ユニット自体も中域がかなり張り出していながらも、しかしグランドピアノの打鍵音のビインと伸びきる響きの生々しさに、一種の快感をさえおぼえて思わず口もとがほころんだりする。だが何といっても、クラシックのオーケストラや室内楽を、ことに弦の繊細な美しさを、しみじみ聴こうという気持にはとうていなれない。何しろ音がいかにも楽天的で享楽的であっけらかんとしている。スペンドールの枯淡の境地とはまるで正反対だ。
     *
《「パリのアメリカ人」ではなくて「パリジャン・イン・アメリカ」》、
《まるでコダカラーのような色あいのあざやかさ》、
こういう音は、二番目の意味の原色的原音といえるのではないのか。

Date: 6月 20th, 2015
Cate: JBL, Studio Monitor

JBL 4315(その3)

4315の概要がわかっても、なぜ型番が4315なのかと疑問だった。
価格的には4331よりわずかに安いだけにも関わらず、型番は4315という、
4311と同じブックシェルフを思わせる型番であるのは、なぜだろう、と。

4315のミッドハイの2105は、LE5のプロフェッショナル版であることに気づけば、答は簡単だった。
LE5は、4311のミッドレンジに採用されているユニットである。

4311もウーファーは4315と同じ12インチ口径。
つまりは4311にミッドバスを加えて4ウェイ化したモデルが4315なのではないか。
そう考えると、4315という、やや中途半端な印象の型番に納得がいく。

3ウェイの4333にミッドバスを加えたのが4341であり、その改良版が4343という捉え方もできる。
ならば4315は4311が、その開発の出発点であったと仮定してもいいのではないか。

ステレオサウンド 60号の特集の座談会で菅野先生が、JBLの4ウェイについて発言されている。
     *
 4ウェイ・システムは、確かに非常にむずかしいと思う。瀬川さんが以前「3ウェイで必ずどこか抜けてしまうところを、JBLはさすがにミッドバスで補った」という発言をされたことがあるように記憶しているんですが、卓見ですな。
     *
4315も3ウェイでどこか抜けてしまうところをミッドバスで補ったということになるのか。
そうだとしたら、この場合の3ウェイとは、4311ということになる。

抜けてしまうところを補ったからこそ、トゥイーターが2405に変更されたのではないのか。
4311のトゥイーターはコーン型のLE25。
そのままではエネルギーバランス的に不足があったのかもしれない。

とはいえ設計コンセプトは4311と4315は異る。
ネットワークをの回路図を比べてみれば、すぐにわかる。
4315のネットワークは基本的に12dB/oct減衰である。
2405のみ18dB/octとなっている。

この視点から捉えれば、4315はコンシューマーモデルのL65をベースに4ウェイ化したともみれなくはない。
どこかで以前4343と4315が並んでいる写真を見たこともある。
となると4315は4343のスケールダウン版なのか、とも思える。

はっきりと正体の掴めないところのあるスピーカーシステムともいえる4315の音は、どんなだったのか。
できれば4311、L65と比較してみたい。

いまも不思議と気になるスピーカーシステムである。

Date: 6月 19th, 2015
Cate: audio wednesday

第54回audio sharing例会のお知らせ(日本のオーディオと平面振動板スピーカー)

7月のaudio sharing例会は、1日(水曜日)です。

テーマを何にしようかと迷っていた。
いくつか候補はあった。
その中で選んだのは、1970年代の終りごろから流行となっていった平面振動板スピーカーである。

いまモニタースピーカーについて書いている中で、エスプリ(ソニー)のAPM6を取り上げている。
いま改めてAPM6を見直していると、当時は気づかなかったことがいくつも出てくる。
当然といえば当然である。

APM6が登場したころ、私は18だった。いまは52。
あのころと同じ見方しかできなかったら、バカである。

平面振動板が流行りだしたころ、
日本のメーカーはすぐに流行に飛びつく、といった批判があった。
たしかにいくつものメーカーが平面振動板スピーカーを出してきた。

だが改めて、これらの平面振動板スピーカーを見直すと、
むしろ通常のコーン型、ドーム型を使ったスピーカーよりも、
ずっとメーカーならではの特色が出ている、といえる。

コーン型ユニットならば、
振動板の材質や頂角、カーヴドコーンかストレートコーンか、エッジの種類はなにか、
そういった細かな違いはある。

それでもコーン型ユニットの基本的構造はどのメーカーも同じである。
けれど平面振動板のスピーカーは違っていた。
表から見ているだけでは、どれも平面振動板であっても、
ユニットの裏側を見れば、コーン型ユニットよりも、構造の違いがはっきりとしている。

残念なことに日本のオーディオメーカーは平面振動板をやめてしまったといえる。
もしあと10年続いていたら……、といまごろおもっている。
遅すぎるのはわかっていても、
それでもあの時代の平面振動板スピーカーと日本のオーディオについては、
きちんと捉えなおし考え直す必要がある。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。