潰えさろうとするものの所在(その1)
ずっと以前は、ハイエンドという言葉の使われ方は違っていた。
ハイエンドまで素直に伸びた音といった使われ方だった。
つまり高域の上限という意味だった。
だからローエンドも使われていた。
いまハイエンドといえば、そういう意味ではなく、
非常に高額な、という意味である。
辞書にも、同種の製品の中で最高の品質や価格のもの、とある。
大辞林には例として「ハイエンドのオーディオ製品」とあるくらいだ。
英語のhigh-endをひくと、高級な、高級顧客向けの〈商品·商店〉とあるから、
いまの使われ方が正しいわけだが、
私は、このハイエンドオーディオという表現がイヤである。
このハイエンドオーディオを頻繁に使う人も嫌いになってしまうほど、
ハイエンドオーディオの使われ方には、この時代のいやらしさを感じとれるからなのだろうか。
ハイエンドオーディオとは、いったいどのくらい高級(高額)であれば、そう呼べるのか。
まだハイエンドが高域の上限として使われていたころは、
スピーカーならば一本100万円をこえるモノであれば、誰もがハイエンドオーディオだと認めていた。
いまは一本100万円の価格が付けられたスピーカーシステムを、
どのくらいの人がハイエンドと認めるのだろうか。
100万円のスピーカーはミドルレンジだよ、という人も少なくないと思う。
そう言う人たちがもっと高価なスピーカーを使っていなくとも、
いまの、一部のオーディオ機器の価格は高くなりすぎている、とはっきりといえる。
以前(ステレオサウンド 56号)で、
トーレンスのリファレンスの記事の最後に、瀬川先生はこう書かれていた。
*
であるにしても、アーム2本、それに2個のカートリッジがついてくるにしても、これで〆めて358万円、と聞くと、やっぱり考え込むか、唸るか。それとも、俺には無縁、とへらへら笑うことになるのか。EMT927までは、値上げになる以前にどうやら買えたが、「リファレンス」、あるいはスレッショルドの「ステイシス1」あたりになると、近ごろの私はもう、ため息も出ない、という状態だ。おそろしいことになったものだ。
*
考え込むか、唸るか、へらへらと笑うか……。
おそろしいことになったものだ、というしかない。
こんなふうに書いていくと、ハイエンドオーディオそのものを否定するのか、と受けとめられるかもしれない。
けれど、ここで書いていこうと考えているのは、そんなことではない。
おそろしいことになっているオーディオ機器の価格の上昇、
そのことによって失われていったものがあると考えているし、
その失われていったものは、オーディオ雑誌からも見出せなくなっているし、
オーディオ評論家からも感じられなっている──、
そんなふうにおもえてくる。