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Date: 12月 24th, 2017
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(一回目・その1)

12月22日は、KK適塾 2017の一回目だった。
これまでは、KK塾、KK適塾に行った、その日のうちにブログを書いていた。

今回は二日後の今日になって書いている。
22日は、KK適塾のあとはaudio sharingの忘年会だった。
帰宅したのは1時をまわっていて、アルコールも入っていたから、
KK適塾について書くのは控えた。

23日は、喫茶茶会記の忘年会だった。
そのあとにギャラリー・ルデコにも行っていた。
23日も帰りが遅く、アルコールが少し入っていた。

アルコールが残っていても書ける文章はある。
でもアルコールが入っている(残っている)状態では書きたくない文章がある。

KK適塾については、アルコールが残っていては書きたくなかったから、
24日の今日になって、ようやく書いている。

KK適塾 2017一回目の講師は、久坂部羊氏。
医療の現場にいた人の話である。

医療を行う側の常識、考え方と、治療を受ける側の常識、考え方とは、
すべてが一致しているわけではない。

そうだろうな、と思った話と、そうだったのか、と思った話とがあった。
久坂部羊氏の話のくわしいことを書くつもりはない。

23日、ちょっと驚く話を聞いた。
東京の、よく知られているジャズ喫茶が来年2月に閉店する、ということだった。
どの店なのかは書かない。

閉店のウワサをいち早くかぎつけた人たちがいる。
その人たちの中には、そのジャズ喫茶のオーディオ機器やレコードを狙っていて、
具体的な話をもちかけた人もいる、とのこと。

そういえば秋葉原のラジオデパート二階の店も、今年閉店になっている。

Date: 12月 23rd, 2017
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(オーディオ少年よ、圧倒的であれ)

オーディオ少年だからこそ、生意気な目つきを忘れないようにしたい。
だからこそ、圧倒的であれ、とおもう。

約二年前に、
《オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ、とおもう。》と書いた。

2017年も残り少なくなって、いままで以上に強く思っている。
圧倒的であれ、と思っている。

オーディオ少年こそ、圧倒的であれ、とおもう。

Date: 12月 22nd, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その21)

JBLのControl 1を、BOSEの101の後追いしての製品、という書き方をしたが、
二番煎じ、とは書かなかった。

1978年ごろ、オーラトーンから5Cというキューブ型の小型スピーカーが登場した。
12.5cm口径のフルレンジユニットを、
外形寸法W16.5×H16.5×D14.6cmのエンクロージュアにおさめたもので、
価格は二本一組で33,000円だった。

けっこう売れていた。
類似製品も登場した。二番煎じといえる製品である。
けれど、5Cよりも売れていた、とは思えない。

成功したのは5Cのみで、二番煎じで成功といえたモノはなかった、と記憶している。

BOSEの101は101は11.5cm口径のフルレンジ。
エンクロージュアは、木製ではなく樹脂製で、
サイズも形も5Cとは違う。

後追いといえば後追いといえる101だが、5Cの二番煎じとはいえない。
そう思っていた人は少ない、と思う。

101を5Cの二番煎じだとすれば、Control 1は5Cの三番煎じということになるのか。
誰もそんなバカなことはいわないだろう。

5Cと101は、はっきりと違う。
101とControl 1も、はっきりと違う。

4301には、登場時、高校生だった私は思い入れがある。
101には思い入れはない、Control 1も同じだ。

Control 1が登場したとき、私もがっかりした。
JBLも、この手の製品を出すようになったのか、と思った。

けれど時が経ち、4301への思い入れを切り離して見ることができるようになって、
Control 1をふり返ってみれば、そうとうに考えられたスピーカーかもしれない、と思える。
安易な二番煎じとは映らない。

Date: 12月 21st, 2017
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その14)

オーディオ店に行って、そこで鳴っていた音を聴いた、とする。
試聴ディスクを持っていき、店員にかけあって音を聴かせてもらう、とかではなく、
ただふらっと店に入って、そこで鳴っていた音を聴いただけである。

それでも、オーディオマニアの中には、音を聴いた、ということにしてしまう人がいる。
そこで、その人は、どうカウントするかというと、
スピーカーで一機種、当然、アンプとプレーヤーが必要になるから、
アンプで一機種、プレーヤーで一機種、
カートリッジは付属していないプレーヤーだったりすると、
そこに取り付けてあるカートリッジで一機種、
計四機種のオーディオ機器を聴いた、と数える。

アンプがプリメインアンプではなくセパレートアンプだとしたら、二機種に増え、
トータルで五機種聴いたことに、その人の中では、なってしまう。

さらにアナログプレーヤーも、ターンテーブル単体とトーンアーム単体を組み合わせたモノだと、
カートリッジ、トーンアーム、ターンテーブルで三機種となり、
計六機種のオーディオ機器を聴いたことに、その人のなかでは、なってしまう。

そうやって聴いた総数を数えて、
千機種以上のオーディオ機器の音を聴いた、とか、
もっと多くのオーディオ機器の音を聴いた、と自慢している人が、
昔いたのを知っている。

聴いた、といえば、聴いている、ということになるのか。
そんなのは聴いたうちに入らない、と考える人もいる。
どんな条件であろうと、聴いたのだから、聴いた数にかぞえる、とする人もいる。

そうなると、どれだけのオーディオ機器を聴いていたのか、
一部のラーメン・ブロガーの水増しと変らない、というよりも、
もっとひどい、といえる。

オーディオ機器は、それ単品では音を聴けない。
スピーカーがあって、アンプ、プレーヤーがあって、はじめて音が鳴ってくる。

一口でも食べたラーメンを一杯とカウントするのと、
システムを構成するオーディオ機器をひとつひとつ数えて、
三機種なり四機種……、もっと多くカウントしてするのと、
どちらが水増し感がひどいかというと、後者である。

Date: 12月 21st, 2017
Cate: ロマン

オーディオのロマン(その13)

東京にいると、ラーメン店はほんとうに多いな、と感じる。
ラーメン好きの人が多いのだろう。
私もラーメン好きである。

ラーメン好きの人の中には、ラーメンのブログを書いている人もいる。
ラーメン・ブロガーと呼ばれている人たちである。

ラーメンのことを毎日書いている人もいる。
毎日ラーメンを食べているのか、と感心する。
ラーメン・ブロガーの中には、一年で365杯は当然で、
500杯とか、それ以上食べている人もいる、という。

ラーメン・ブロガー同士でラーメン店に行くこともある、ときいている。
そのラーメン店で、それぞれが別々のラーメンを注文する。
四人で行って、そこに四種類のラーメンがあったとしたら、
みな別々のラーメンを注文する。

テーブルに置かれた四種類のラーメンを、
すこしずつもらって食べることもあるそうだ。

ラーメン・ブロガーのなかには、そうして食べたラーメンを、
四杯食べたとカウントする人がいる、らしい。

ほとんどの人は、自分が注文したラーメンのみ、
つまり一杯のラーメンを食べたと数えることだろう。
残り三種類のラーメンは、一口、二口もらっただけなのだから。

そんな数え方をすれば、年間500杯とか、それ以上のラーメンを食べた、
と書ける、といえば書けよう。

でも、どこか水増ししている感は残る。
昔、オーディオマニアにも、同じといえる人たちがいた。

Date: 12月 20th, 2017
Cate: オーディオ評論

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その7)

今年の春、新宿の東宝シネマズで「GHOST IN THE SHELL」を、IMAXで観た。
IMAXのスクリーンのある空間に入った。

まだ観客はそう多くはなかった。
ぽつんぽつんと坐っているくらいだった時に入った。
BGMも鳴っていなかった。

席について、3D上映用のメガネを取り出そうとした。
ビニール袋を破ろうとして気づいたのは、S/N比の高さだった。
とにかく静かである。
ビニール袋を破ろうとする音が、こんなにも大きく耳障りなのかと感じるほどに、
静かな空間だった。

ここまで遮音性が高く、しかもデッドな空間は、そうそうないだろう。
なにか物音をたててはいけない気持になるほどの静かさだった。

でも、それは心地よい静かさとは違う。
物理的にS/N比の高い空間であることは確かだが、
とにかく自分が立てる物音が気になるのだから、心地よい静かさなわけがない。

人が大勢入ってくれば、暗騒音のレベルが上ってくるから、
そんなことも薄らいでくるが、観客が少ないときの静かさは、
オーディオマニアならば一度は体験してみてほしい。

IMAXで3Dで、マルチチャンネル再生。
そのために必要な条件としての静かさなのだろう。

B&Wの800シリーズは、S/N比のよいスピーカーといわれている。
現在測定できる物理特性としてのS/N比は優秀であろう。

だからといって、そこに静寂さの深さがあるのかというと、
それは別問題であり、
IMAXスクリーンの空間にも、それはいえることである。

Date: 12月 20th, 2017
Cate: オーディオ評論, 選択

B&W 800シリーズとオーディオ評論家(その6)

そういえばと思い出すと、
私が知っているオーディオマニアでマルチチャンネルをやっていた人も、
その時はB&Wの800シリーズだった。

2チャンネル再生だったころは、B&Wとは性格の違うスピーカーだった。
彼の鳴らすマルチチャンネルの音を聴いていない。
だからいえることはあまりないのだが、
それまでの鳴らしていたスピーカーと同じモノを、
チャンネル数だけそろえるのではなく、
スピーカーを全面的に換えてのマルチチャンネル再生であるのを考えると、
B&Wの800シリーズは、マルチチャンネルには最適といえる性格のスピーカーなのかもしれない。

けれど私はこれまでも、これからもマルチチャンネル再生をやろうとは考えていない。
それに、いまステレオサウンドに執筆している人たちで、
マルチチャンネル再生に取り組んでいる人は、誰がいるのか。
ほとんどが2チャンネル再生のはずだ。

「800シリーズ、(オーディオ評論家は)誰も使っていないよね」、
こう言ってくる人も、マルチチャンネル再生はやっていない。
2チャンネル再生のオーディオマニアの人ばかりである。

ここまで書いて、五味先生が4チャンネルについて書かれていたことをおもいだす。
     *
 いろいろなレコードを、自家製テープやら市販テープを、私は聴いた。ずいぶん聴いた。そして大変なことを発見した。疑似でも交響曲は予想以上に音に厚みを増して鳴った。逆に濁ったり、ぼけてきこえるオーケストラもあったが、ピアノは2チャンネルのときより一層グランド・ピアノの音色を響かせたように思う。バイロイトの録音テープなども2チャンネルの場合より明らかに聴衆のざわめきをリアルに聞かせる。でも、肝心のステージのジークフリートやミーメの声は張りを失う。
 試みに、ふたたびオートグラフだけに戻した。私は、いきをのんだ。その音声の清澄さ、輝き、音そのものが持つ気品、陰影の深さ。まるで比較にならない。なんというオートグラフの(2チャンネルの)素晴らしさだろう。
 私は茫然とし、あらためてピアノやオーケストラを2チャンネルで聴き直して、悟ったのである。4チャンネルの騒々しさや音の厚みとは、ふと音が歇んだときの静寂の深さが違うことを。言うなら、無音の清澄感にそれはまさっているし、音の鳴らない静けさに気品がある。
 ふつう、無音から鳴り出す音の大きさの比を、SN比であらわすそうだが、言えばSN比が違うのだ。そして高級な装置ほどこのSN比は大となる。再生装置をグレード・アップすればするほど、鳴る音より音の歇んだ沈黙が美しい。この意味でも明らかに2チャンネルは、4チャンネルより高級らしい。
     *
五味先生のころのマルチチャンネル(4チャンネル)は、アナログがプログラムソースだった。
しかも、いわゆる疑似4チャンネルであるから、
現在のデジタルをプログラムソースとするマルチチャンネルと同一視できないけれど、
マルチチャンネル再生における重要なことは、静寂さの深さであることは同じのはずだ。

Date: 12月 20th, 2017
Cate: 1年の終りに……

2017年をふりかえって(その9)

待ち遠しい日があると、子供の時のように、時間が経つのが遅く感じられる。
大人になると、それも50もすぎると、一年が短く感じられる、とは誰もがいう。

心をワクワクドキドキさせて待つ日が、年に数回あれば、
意外に一年は長く感じられるものかもしれない、ということを、
私は2002年の夏におもっていた。

今年はどうだったか。例年よりもながく感じていた。
待ち遠しいと思う日が、例年よりも多かったからである。

私にとってaudio wednesdayも、待ち遠しい日の中に入っている。
音出しをするようになって、待ち遠しい、と感じるようになった。

昨年も音出しをしていたから、そう感じてもよさそうなのに、
今年のほうが、待ち遠しく感じている。

待ち遠しく感じるようになった理由はいくつか考えられるが、
来てくれる人の反応が楽しいから、というのがある。

Date: 12月 20th, 2017
Cate: 戻っていく感覚

二度目の「20年」(オーディオ少年とMP649・その1)

オーディオ少年としての生意気な目つきを忘れないようにしたいから、
MP649をひっぱり出してかけている。

Date: 12月 19th, 2017
Cate: 1年の終りに……

2017年をふりかえって(その8)

今年の4月、メガネを替えた。
といっても、新たに買ったわけではなく、
以前かけていたメガネのレンズを交換して、ふたたびかけるようにした。

1998年に買った増永眼鏡のMP649である。
私が最初に買った川崎先生デザインのフレームである。

アンチテンションのMP690が出るまで、これをかけていた。
二年ほどかけていた。

十数年、ケースにしまったままのフレームを、おもうところあって再びかけている。

Date: 12月 19th, 2017
Cate: 素材

素材考(カーボンか鉄、塗装の下にあるもの・その2)

LaserとLaser Miaの違いについて、なぜ四年も経ったいま書いたかというと、
先月チネリから、VERY BEST OF LTDが登場したからだ。

VERY BEST OF LTD、
今年登場した数多くの自転車のフレームの中で、
これがベストだ、と見た瞬間に思った。

ベストというのは、乗ってみて、ということではなく、
見ただけで欲しくなる、という意味でのベストである。

VERY BEST OF LTDは、Laser Miaと同じカーボンである。
色もLaserと同じアズーロレーザーである。

だからLaser MiaとVERY BEST OF LTDの造形の違いが、
否応なしに伝わってくる。

Laser Miaに感じていた輪郭の甘さが、
VERY BEST OF LTDには感じられない。

VERY BEST OF LTDが、2013年に、Laser Miaとして登場していたら、
21世紀のLaser、カーボンのLaserとして、素直に受け止めていたことだろう。

Date: 12月 19th, 2017
Cate: 五味康祐

続・無題(その9)

五味先生と瀬川先生は、本質的に近い、と私は感じている。
それでもカラヤンに対する評価は、違ってくる。

人は一人ひとり違っているのだから、違うのが自然なことだと頭でわかっていても、
このことに関しては、昔から、そしていまもひっかかっている。

黒田先生と瀬川先生は、
ふたりとも、ある時期JBLの4343を鳴らされていて、
カラヤンの評価も高かった。

このことについて考えていくと、
「カラヤンと4343と日本人」というタイトルで、
いつか書きたい、と思っている。

まだ、いまは書けそうな気がしない。

Date: 12月 19th, 2017
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017

冬本番といえるくらいに気温が下がってきているし、
今年ものこり二週間を切っているにも関らず、年末だという感じがまったくしないのは、
今年度はKK適塾が始まっていないからだ、ということに気づいた。

2015年度は10月からだった。
2016年度は11月からだった。

秋の訪れとともにKK塾・KK適塾が始まる、という感覚があるから、
今年は、よけいにそう感じてしまっているのかも。

今年度のKK適塾が12月22日から始まる。

Date: 12月 19th, 2017
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その20)

(その19)に、facebookでコメントがあった。
4301とControl 1の違いは、製品がもつ矜恃の違いみたいなものかも……、とあった。

このコメントに同意される方もいよう。
少なくないかもしれない。

矜恃とは、自信と誇り、と辞書にはある。
さらに、自信や誇りを持って、堂々と振る舞うこと、ともある。

4301とControl 1。
どちらのスピーカーに、矜恃があるかといえば、
見方を変えればControl 1といえる。

Control 1は、それまでのJBLのラインナップにはなかった。
価格的にも、だが、それ以上に製品としてのコンセプトも、従来のJBLとは違う。

BOSEの101の成功を、JBLが後追いしての製品、という見方もできるが、
それだけで果していいのだろうか。

Control 1は成功した。
単なる後追いの製品ではなかったからだ。
だからControlシリーズが展開していった。

4301は、というと、コンシューマー用モデルのL16が、
4301の登場の数年前からある。
4301は、L16をベースにしたプロフェッショナル用ともいえる。

4331、4333といったスタジオモニターには、
L200、L300といったコンシューマー用モデルがあった。

L200、L300があっての4331、4333ではなかった。
4301は、そこが違う。

こういったところを冷静に見ていくと、製品の矜恃をどう捉えるかによっても違ってくるが、
一概にControl 1に矜恃がない、とはいえないし、
このことで4301とControl 1の違いを考えていくのは、少しばかり危険ではないだろうか。

Date: 12月 19th, 2017
Cate: 試聴/試聴曲/試聴ディスク

誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク(その2)

インターナショナルオーディオショウでは、
ふだん聴く機会のあまりないスピーカーやアンプ、それにシステムを聴ける。

そこのブースで、スタッフが鳴らしているディスクを聴くだけよりも、
愛聴盤を持参して、そのディスクで聴いた方が、音の性格はつかみやすい。

聴かせてもらったアンプやスピーカーは高価すぎて購入対象ではなくとも、
愛聴盤が、それだけのシステムであればどれだけの音で鳴ってくれるのか、
という好奇心は、オーディオマニアならば誰もが持っていよう。

だからいちばん聴きたいディスクを持っていく。
けれど、それぞれのブースは貸し切りにできるわけではない。

誰かが必ずいる。
赤の他人の誰かがいるわけだ。

愛聴盤をかけてくれたとして、見知らぬ誰かといっしょに聴く、
もしくは見知らぬ誰かに愛聴盤を聴かせる、ということである。

赤の他人だから、その人たちがどういう音楽を好み、
どういう音楽を聴かないのか──、そんなことはわかりようがない。

わかりようがないから、自分の聴きたいディスクを持っていきかけてもらう──、
ということになるのか。

それでも一定の配慮は必要となる、と私は思う。
愛聴盤の中でも、周りでいっしょに聴いている(聴かされている)人たちが、
少なくともなんらかの関心をもってくれそうなディスクを選択すべき、と思う。

その1)で書いている、
ディスクを持参した人は、あまりにもひとりよがりすぎたのではないだろうか。

そのディスクが、その人にとって愛聴盤であって、
もっともよく音の性格をつかみやすいディスクであったとしても、だ。