誰かに聴かせたい、誰かと聴きたいディスク(その2)
インターナショナルオーディオショウでは、
ふだん聴く機会のあまりないスピーカーやアンプ、それにシステムを聴ける。
そこのブースで、スタッフが鳴らしているディスクを聴くだけよりも、
愛聴盤を持参して、そのディスクで聴いた方が、音の性格はつかみやすい。
聴かせてもらったアンプやスピーカーは高価すぎて購入対象ではなくとも、
愛聴盤が、それだけのシステムであればどれだけの音で鳴ってくれるのか、
という好奇心は、オーディオマニアならば誰もが持っていよう。
だからいちばん聴きたいディスクを持っていく。
けれど、それぞれのブースは貸し切りにできるわけではない。
誰かが必ずいる。
赤の他人の誰かがいるわけだ。
愛聴盤をかけてくれたとして、見知らぬ誰かといっしょに聴く、
もしくは見知らぬ誰かに愛聴盤を聴かせる、ということである。
赤の他人だから、その人たちがどういう音楽を好み、
どういう音楽を聴かないのか──、そんなことはわかりようがない。
わかりようがないから、自分の聴きたいディスクを持っていきかけてもらう──、
ということになるのか。
それでも一定の配慮は必要となる、と私は思う。
愛聴盤の中でも、周りでいっしょに聴いている(聴かされている)人たちが、
少なくともなんらかの関心をもってくれそうなディスクを選択すべき、と思う。
(その1)で書いている、
ディスクを持参した人は、あまりにもひとりよがりすぎたのではないだろうか。
そのディスクが、その人にとって愛聴盤であって、
もっともよく音の性格をつかみやすいディスクであったとしても、だ。