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Date: 5月 15th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その6)

「正しい」と「ほんとう」について考えていて、
ここに関係してくる瀬川先生の文章として思い浮かぶのは、
KEFのLS5/1Aについて書かれたものだ。

ステレオサウンド 29号「良い音とは、良いスピーカーとは?(6)」での文章だ。
     *
 BBCモニターの音は違っていた。第一にいかにも自然で柔らかい。耳を刺激するような粗い音は少しも出さず、それでいてプログラムソースに激しい音が含まれていればそのまま激しくも鳴らせるし、擦る音は擦るように、叩く音は叩くように、あたりまえの話だが、つまり全く当り前にそのまま鳴る。すべての音がそれぞれ所を得たように見事にバランスして安定に収まり、抑制を利かせすぎているように思えるほどおとなしい音なのに全く自然に弾み、よく唱う。この音に身をまかせておけばもう安心だという気持にさせてしまう。寛ぐことのできる、あるいは疲れた心を癒してくれる音けなのである。陽の照った表側よりも、その裏の翳りを鳴らすことで音楽を形造ってゆくタイプの音である。この点が、アメリカのスピーカーには殆ど望めないイギリス独特の鳴り方ともいえる。
     *
《陽の照った表側よりも、その裏の翳りを鳴らすことで音楽を形造ってゆくタイプの音》、
こここそが、「正しい(正確)」と「ほんとう」の違いを的確に表現していることに気づく。

29号は1973年12月だし、
「続コンポーネントステレオのすすめ」は1979年。

瀬川先生に、そういう意図はなかったのかもしれないが、
私には、このふたつの文章がリンクしているように思える。
50を過ぎて、そのことに気づけた。

Date: 5月 14th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その5)

セレッションのDitton 66、Ditton 25について、
瀬川先生が「続コンポーネントステレオのすすめ」で書かれていることが、
実に印象深いとともに、考えさせられる。
     *
 そういう考え方をはっきりと打ち出したイギリス人の作るスピーカーの中でも、セレッションという老舗のメーカーの、〝ディットン〟と名づけられたシリーズ、中でも66と25という、ややタテ長のいわゆるトールボーイ型(背高のっぽの意味)のスピーカーは、同じイギリスのスピーカーでも、15項のKEF105などと比較すると、KEFが隅々までピンとのよく合った写真のように、クールな響きを聴かせるのに対して、ディットンは暖色を基調にして美しく描かれた写実画、という印象で音を聴かせる。厳密な意味での正確さとは違うが、しかし、この暖かさに満ちた音の魅力にはふしぎな説得力がある。ことに声の再生の暖かさは格別で、オペラや声楽はもむろん、ポピュラーから歌謡曲に至るまで声の楽しさが満喫できる。別に音楽の枠を限定することはない。家庭で音楽を日常楽しむのには、こういう音のほうがほんとうではないかとさえ、思わせる。
 こまかいことをいえば、同じディットンでも、66よりも25のほうがいっそう、そうした色あいの濃い音がする。創られた音。しかし、ある日たしかにそういう音を聴いたことがあるような懐かしい印象。その意味でやや古めかしいといえるものの、こういう音の世界もまた、スピーカーの鳴らすひとつの魅力にちがいない。
     *
そういう考えとは、
ハイフィデリティ・リプロダクション(忠実な音の再生)に対して、
グッド・リプロダクション(快い、良い音の再生)であり、
セレッションのスピーカーシステムに限っても、
Dittonシリーズはあきらかにグッド・リプロダクションであり、
SL6以降の、SL600、SL700はハイフィデリティ・リプロダクションとなる。

どちらかのスピーカーがプログラムソースに入っている音を、
どれだけ正確に再生してくれるか、ということでは、
ハイフィデリティ・リプロダクションのスピーカーであるのは明らかだし、
そのことがオーディオの進歩においては正しい、ともいえる。

それでも……、だ。
瀬川先生は
《家庭で音楽を日常楽しむのには、こういう音のほうがほんとうではないかとさえ、思わせる》
と書かれている。
《家庭で音楽を日常楽しむのには、こういう音のほうが正しいのではないかとさえ、思わせる》
と書かれているわけではない。

「正しい」と「ほんとう」。
このふたつの使い分け、違い──、
そういったことを忘れている人が少なくないように感じられる。

Date: 5月 13th, 2018
Cate: デザイン

鍵盤のデザイン(その2)

一年前に(その1)を書いたままだった。
未来鍵盤のピアノを、菅野邦彦氏の演奏で聴きたい、と思って一年がすぎたわけだ。

GQ JAPANの記事「ピアノ300年の歴史を変える──未来鍵盤が音もデザインする」、
いったいどれだけの人が読んだのだろうか。

この記事を読んだときには、「菅野邦彦」で検索することはしなかった。
われながら不思議に思うけれど、やらなかった。

今日、やってみたら、菅野邦彦氏の公式サイトがあるのに、いまさらながら気づいた。
このサイトによると、未来鍵盤のピアノがあるのは、下田ビューホテルであるのがわかる。

ライヴスケジュールも確認できる。
東京や各地でのライヴの当日と翌日以外は、連日行われている。

菅野邦彦氏の公式サイトを見ていたら、クラウドファンディングが行われていたことを知った。
5月1日で締め切られていて、目標額には達しなかった、とある。

プロジェクトは、未来鍵盤の完成形「王様鍵盤」の製作、それによる録音(CD制作)という内容。
目標額は四百万円。1/3ほどが集まった、とある。

現在ある未来鍵盤と、その完成形の王様鍵盤とには、
どれだけの違いがあるのか、はっきりしないが、
こういうプロジェクトをやったことのない者が思うに、
なぜ、ふたつのことを、ひとつのプロジェクトでやろうとしたのか、という疑問である。

まず未来鍵盤の良さを伝えることだけに集中すべきだったのではないのか。
GQ JAPANの記事によれば、未来鍵盤は完成している、とあるのだから。

Date: 5月 13th, 2018
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その1)

セレッションのDitton 25のことを書いていて、
Ditton 25のことについてあらためて眺めていると、
そういえば、と気づくのは、私が好きな音色スピーカーには、
ほぼ必ずといっていいほどトゥイーターにセレッションのHF1300が使われていたことだ。

最初に、その音色に惚れ込んだスペンドールのBCII。
この素敵な音色のスピーカーにもHF1300が使われていた。

BCIIはカタログ上では3ウェイだから、HF1300はスコーカーではないか、といわれそうだが、
クロスオーバー周波数は3kHzと13kHzで、2ウェイ・プラス・スーパートゥイーターという構成でもある。

KEFのLS5/1A。
瀬川先生が愛された、このスピーカーにはHF1300が二本使われている。
私が中古で手に入れたのは、LS5/1。もちろんユニット構成は同じで、HF1300が二本。

HF1300は、おそらくHigh Frequency 1300Hzを表わしているはずだ。
13kHzまでを受け持つトゥイーターということだ。
いまの感覚からすれば、13kHzなんて、たいして高域がのびているわけではないと思われがちだが、
HF1300は1956年に発表されたトゥイーターであり、当時としては十分な性能の周波数特性だった。

イギリス製のトゥイーターはいえば、ソフトドーム型をイメージしてしまうが、
HF1300はアルミ製タンジェンシャルエッジの振動板に、
音響負荷をかねたディフューザーを組み合わせた構造の、
他に同様の構造のユニットが思い浮かばない独自のものである。

この独特のユニットが、Ditton 25にも使われている。
それからDitton15。
B&Wのスピーカーでは、DM4、DM2もそうだ。

Ditton 15はスーパートゥイーターはないが、
DM4、DM2はHF1300の上にスーパートゥイーターを加えている。

Date: 5月 13th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その4)

その2)で引用した瀬川先生の文章に文章について、
facebookでコメントがあった。

読んでいてワクワクした、と。
そしてこんなふうにワクワクする文章が、いまのオーディオ雑誌からなくなってしまっている、とも。

こんなことを書くと、
いや、いまのオーディオ雑誌にもワクワクするような文章が載っている──、
そう思う人もいるであろう。

でも、そのワクワクと、コメントをしてくれた人のワクワクは、同じとは私には思えない。
少なくとも私も、いまのオーディオ雑誌にはワクワクしない。
ワクワクする文章は、そこにはまったく載っていないからだ。

瀬川先生の文章にワクワクしない人で、
いまのオーディオ雑誌に載っている文章にワクワクする人は、
勝手な想像ではあるが、おそらく自分の持っているオーディオ機器、
欲しいと思っているオーディオ機器について、称賛されている文章が載っていれば、
それだけでワクワクできる人なのかもしれない。

瀬川先生の文章はそれだけではない。
瀬川先生の書かれるものには、俯瞰という視点がはっきりとある。

オーディオ評論家(商売屋)の人たちには、その視点がまずない。
現在のオーディオを広く見廻しての俯瞰もあれば、
オーディオの歴史を見ての俯瞰もある。

それらの俯瞰という視点を持たない人の書くものには、深みも広がりもない。
そんな文章にワクワクすることは、絶対にない。

そんな文章しかかけない人たちが何人いても、
オーディオ入門にふさわしい本は出来てこない。

Date: 5月 12th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その3)

セレッションのこれまでのスピーカーシステムのなかで、
Dittonシリーズがベスト、などというつもりはない。

それに私自身、SL600を鳴らしていた。
欠点はあれどユニークなスピーカーであったし、
巷でいわれるほど駆動力の高いアンプを要求するスピーカーでもない。

SL600、SL700について語られるとき、決って「アンプの駆動力が……」的なことが出てくる。
駆動力の高いアンプとはいったいどういうものか、
そこから話をしていくつもりはないが、
SL600が特別に駆動力の高いアンプを必要としているわけではない。

SUMOのThe GoldでSL600を鳴らしていた。
けれどその前はアキュフェーズのP300Lだった。
The Goldが故障して修理に出しているあいだは、国産のプリメインアンプでも鳴らしていたことがある。

もちろんステレオサウンドの試聴室では、いくつものアンプで鳴らしたSL600の音を聴いてきている。
その経験からいわせてもらえれば、使い手の力量の不足を、
アンプの駆動力に転換していたのではないのか。

SL600にはサブウーファーを追加したSystem 6000が後に登場した。
これも興味深いシステムで、もう一台The Goldを持っていたら(入手できるのであったなら)、
System 6000に手を伸ばしていた。

このころのセレッションは、おもしろかった。
System 6000はそのコンセプトを基に新たに挑戦したいと、いまも思うくらいだが、
SL600、System 6000の時代から30年以上、
いまセレッションの数あるスピーカーシステムで無性に聴きたくなるのは、
Ditton 66、Ditton 25であり、DEDHAMだ。

菅野先生がいわれている
《スピーカーの音をどうしたら、人の感覚に美しく響かせることが出来るかをよく心得たセレッション》、
それはSL600、System 6000では稀薄になっている。
ゆえに高く評価し、Dittonなんて……、という人を生んだのかもしれない。

SL600、System 6000ではなく、Dittonを思い出すのは、そのためかもしれないし、
いまDittonのようなスピーカーがあるだろうか、とふり返ってみるわけだ。

Date: 5月 11th, 2018
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(Dittonというスピーカー・その2)

ステレオサウンド 43号で、菅野先生が書かれている
《スピーカーの音をどうしたら、人の感覚に美しく響かせることが出来るかをよく心得たセレッション》。

このころのセレッションのスピーカーシステムはDittonシリーズが主力であり、
UL6という新しいスピーカーシステムが登場したころである。

UL6とだけ書いてしまったが、こちらもシリーズで、
UL6のうえにUL8、UL10があったが、
日本ではUL6がいちばんよく知られていて、評価も高かった。
それにUL6は見た目が魅力的でもあった。

菅野先生が書かれていることはおもにDittonシリーズを指している、と捉えてもいい。

私にとってのDittonシリーズは、トップ機種の66がまず浮ぶ。
その次は25である。

Ditton 25だけが、トゥイーターを二本パラレルで使っている。
しかも、そのトゥイーターはセレッションのHF1300/IIである。
HF1300は、BBCモニター系のスピーカーにひところよく使われていたトゥイーターであり、
LS5/1にも、スペンドールのBCII、BCIIIにも搭載されている。

このことからもわかるように、Dittonシリーズの中でも古くからある。
1969年発売のスピーカーである。

瀬川先生がステレオサウンド 17号に書かれた文章を読むと、
Ditton 25に興味を持つ人も出てこよう。
     *
 16号のテストの際、たったひとつだけ、おそろしく澄んだ、涼しいように透明な高音を再生するスピーカーがあった。弱々しくどこか腺病質的なか細い音なのに、中域から高域にかけての格調の高い美しさに、永いあいだ忘れていたAXIOM80の音の美しさと同質の鉱脈を見つけ出した。それがフィリップスで、テストが終るのを待ちかねて、一も二もなく買い込んでしまった。
 我家で鳴らしてみると、聴き込んでゆくにつれて、上記の判断があやまりでなかったばかりか、一見不足ぎみの低音も、トーンコントロールなどでバランスをとり直してみると、か細いくせに人の声など実に温かく血が通って、オーケストラも柔らかく広がって、ややおさえかげんの音量で鳴らすかぎり、音質について吟味しようなどという態度も忘れて、ただぽかんと音楽に聴きほれてしまえる安心感がある。
 むろんこの安心感とは、大型スピーカーのいかにもゆったりと鷹揚に鳴るゆとりとは全然別質の、いわば精巧なミニアチュールを眺めるような楽しさで、もともと一台二万円の、つまり欧州で買えば一万円そこそこのローコストのスピーカーに、大型の同質の音など、はじめから望んではいない。けれど、大型で忘れていたかげろうのようなはかないほどの繊細さに、大型への反動もあって、いっときのあいだ、我を忘れて他愛もなく聴き惚れてしまったという次第なのだ。
(フィリップスとはやや異なるがダイナコのA25も圧迫感のないさわやかな音質が印象的だったが、ご承知のようにこれはデンマークで作っているスピーカーだ。アメリカ製のスピーカーとは異質の音がして当然だが、最近コンシュマーリポートに上位にランクされて以来、飛ぶような売れゆきに目下大増産という噂で、品質が低下するようなことがなければよいがと、ちょっと心配している。)
 フィリップスを聴いてまもないころ、イギリス・ヴァイタヴォックスの〝クリプシュホーン〟システムを聴く機会を得た。タンノイ・オートグラフを枯淡の味とすれば、これはもう少し脂の乗った音だ。脆弱さのみじんもない、すわりの良い低音の上に、豊かに艶めいた中高域がぴたり収まっている。あえていえば、たいそう色っぽい。中年の色気を感じさせる音だ。人を溺れさせるシレネエの声音だ。広いヘヤが欲しいなあと、つくづく思う。
 さらに今回の組み合わせテストの、ブックシェルフから大型スピーカーまでを同じ部屋に集めて同一条件で鳴らすという前例のない実験に参加してみて、改めて、上記の各スピーカーに加えて、ディットン25やタンノイのレクタンギュラー・ヨーク、ヴァイタヴォックスのバイトーン・メイジァに、何か共通の鍵のようなものを見出したように思った。
 音色の上ではむろん、一つ一つみな違うのに、たとえばレクタンギュラー・ヨークはまるでディットン15の延長にあるような、あるいはディットン25はフィリップスの延長にあるような錯覚をおぼえさせるほど、音楽の表現に共通の何かがある。そのことに思い当ったとき、音楽の伝統と音への感性という点で、ヨーロッパの良識に裏打ちされた音造りというものが、少しも衰えていないことに気づいた。
     *
《ディットン25はフィリップスの延長にあるような錯覚をおぼえさせる》、
もうこれだけで私には充分だ。

Date: 5月 10th, 2018
Cate:

野上眞宏 写真展「BLUE:Tokyo 1968-1972」(詳細)

野上眞宏さんの写真展「BLUE:Tokyo 1968-1972」の詳細が、
BIOTOPのサイトで公開されている

野上さんのインタヴューも公開されている。
写真を始めたきっかけ、そして再開したきっかけ、
はっぴいえんどの結成などについて語られている。

インタヴューの中に、六本木のハンバーガーインのことも出てくる。
そうか、野上さんも行かれていたのか(私もステレオサウンド時代に何度か行っている)。

Date: 5月 10th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その6)

瀬川先生は、ネットワークについて、こんなことを書かれている。
     *
 LCネットワークひとつとりあげてみても、こうした多くの問題が現実にたくさん待ち受けているのだ。それらをひとつひとつ正しく解決するためには、相当に高度の理論を身につけた上で、周波数特性やインピーダンス特性や位相特性や、さらに音響エネルギー特性など、多くの項目にわたる精密な測定設備をもたなくてはとうてい無理だ。測定器ばかりでなく無響室や残響室が必要で、つまたは個人の力ではとうてい無理、という結論になる。
 だからスピーカーなどアマチュアがいじるな……などと単純かつ乱暴な結論を言いたいのではない。全くその逆を私は言いたい。
 測定設備を持たないアマチュアでも、基本的な原則を一応守った上で、長い年月をかけて聴きながら、少しずつカットアンドトライしてまとめ上げたスピーカーシステムから、現実に素晴らしい音が再生されるのを、私は過去にも現在にも、多くの例で知っている。大切なことは、理論値を実現させることではなく、自分であれこれと計画を立て、実行に移し、年月をかけ模索しながら、自分独自の音の世界を築きあげること、ではないか。自分の努力で完成させたスピーカーシステム(に限らず再生装置ぜんたい)こそ、既製品では得られないかけがえのない満足感を与えてくれるのではないか。そのためにこそ、目先の一面のみの理論にとらわれたり迷わされたりせず、失敗を怖れず、まず実行してみるところにこそ、価値がある。ハイテクニックシリーズの刊行の真の意図もそこにある。……などとステレオサウンド編集部の代弁みたいになってしまったが、ともかく私の言いたかったのは、理論を一面からだけとらえる愚かさを避け、現実をしっかり踏まえた上で、自分の耳を研ぎ澄まして、自分ひとりのための良い音を目ざして、大胆にスピーカーシステムにトライしよう、ということだ。
     *
マルチウェイにすると、どうしてもネットワークが介在し、
そのことによる問題が生じてくる。

マルチウェイなどにせずに、フルレンジでやっていれば……、という意見もある。
確かにフルレンジならば、ネットワークは要らない。
要らない存在に頭を悩ます必要はない。

フルレンジにはフルレンジの良さがあり、
マルチウェイにはマルチウェイならではの世界があって、
優劣をつける必要はない、と私は考えている。

マルチウェイでも、LCネットワークではなしにマルチアンプシステムにすれば……、という声もある。
確かにマルチアンプシステムは、LCネットワークに起因する問題は、ほぼ解消する。
けれどだからといって理想のシステムかというと、必ずしもそうとは言い切れないし、
すべての人にとってそうだともいえないのが、マルチアンプである。

スピーカー(システム)は、ある種のからくり(ギミック)である。
LCネットワークは、その仕掛けのひとつであり、要ともいえよう。

Date: 5月 9th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その5)

ボリュウムは、いつもの「THE DIALOGUE」の音量よりも絞っていた。
といってもほんのわずかなのだが、それでも絞っていたのだから、
わずかとはいえ、スピーカーからの音量は厳密には下っているのに、
聴感上はむしろ少し大きく聴こえてきた。

直列型の場合、並列型とは違い、
配線上、ウーファーとトゥイーター、どちらを上にするのか下にするのか、でも、
音は違ってくる。

スピーカーの教科書的な書籍で、直列型ネットワークの回路図を載せている例でも、
ウーファーが上の例もあれば、トゥイーターが上の例もある。

何度か試して結果からいえば、ウーファーを下側にしたほうがいい。
さらに今回試した配線方法では、それまでの配線とは違ってきて、
ある一点で三本の配線を集中させるようにしている。

本来ならば従来の配線での直列型ネットワークの音を聴いた後で、
新しい配線での直列型ネットワークにすべきなのだが、
並列型ネットワークの音を聴いていて、それがひとつの比較の基準になっているともいえ、
時間も都合も考えて、やってはいない。

このへんによる音の違いは、直列型ネットワークに興味を持った人が、
実際に自身で試して、自身の耳で確認したらいいことでもある。

三本の配線を集中させた一点は、もう一箇所、別のところでも動作する。
試していないが、音は変ってくるはずだ。
これに関しては、audio wednesdayで、黙って実験してみようと思っている。

ここまで読まれた方の中には、直列型の方がいいのか、と思われるかもしれない。
確かに6dBスロープで、2ウェイという限られた枠内では、好結果が得られた。

これが3ウェイ、4ウェイ、
さらには12dBスロープとなってくるとどうなるのかは、試してないのでなんともいえない。
それに並列型だから、やれることもある。

だから決めつけはしない。
それでも、自作スピーカーで自作ネットワークで鳴らされている方は、
一度直列型ネットワークに興味をもってほしい、と思う。

Date: 5月 9th, 2018
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(ラックスCL32・その11)

ラックスは、オーディオ機器のデザインに、
少なくとも高い関心をもっていた会社だった、はずだ。

もちろんすべてのデザインが優れていたとはいわないが、
デザインに無関心な会社ではなかった。

けれど1980年のCL34、同時期に出てきたアナログプレーヤーのPD555などに、
首を傾げたくなるところが見受けられるようになってきた。

CL34について、この項で以前書いている。
PD555は、それ以前の製品PD444とよく似た外観である。
PD444がダイレクトドライヴ型に対し、PD555はベルトドライヴになっているし、
バキューム機構も搭載している。

これらの違いが関係してのことだろうが、PD555を正面からみると、
臓物(モーターなど)がキャビネット下部に丸見えになっている。

トーンアーム取付ベースに、オーバーハング修整用の目盛りをつけるなどして、
こまかなところに配慮しているだけに、よけいに上記のちぐはぐさが目につく。

PD444と似た外観にする必要はなかったのではないか。
デザインを新たにして、臓物が露出しないようにしておくべきだったのに、なぜかやっていない。

1980年頃のことだというのは、承知している。
そのころのデザイナーは、いまのラックスにはいないはずだし、
ラックスという会社もいろいろあって、いまに至っている。

なのに、こういうところだけは引き継がれているように感じる。

Date: 5月 8th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その4)

同じコンデンサーとコイルを使って並列型から直列型へと変更する。
二年前に試したときよりも、直列型の音の印象がいい。

それに音量がわずかとはいえ増したよう聴こえる。
二年前の直列型とは、配線の仕方を変更している。
スピーカーケーブルは同じカナレのスターカッド型を使っている。

音量が増したように聴こえるのは、音のピントが以前よりも合っているからかもしれない。
二年前の音だし、アンプも二年前とは違っているし、CDプレーヤーも違う。
それでも並列型と直列型の比較をして、直列型の音を私はとる。

厳密な意味では、並列型と直列型の正しい比較試聴とはいえない面もある。
本来ならば並列型であっても直列型であっても、
微調整をしていき最適化していったうえで比較試聴であるべき、とは思っている。

とはいえ、それだけの時間をかけてやれるのは自分のシステムにおいてであって、
こういう場での実験としての音出しでは、そこまでは無理である。

なので細部の比較ではなく、素姓の比較といえる聴き方だ。

ただ最初から今回の直列型がうまく鳴ったわけではない。
試したことのない配線ということもあって、こちらの頭がすこしこんがらがった。
そのため手間どった。
そのあいだアンプの電源は落したままである。

その影響が、直列型ネットワークにした際にモロに音に出てきた。
音場があまり拡がらないのだ。
常連のHさんは不思議がって、珍しく席を移動して音を確認されていた。

私は待つしかないことがわかっていたので、アンプが目覚めてくれるのを待っていた。
それまで鳴らしていたわけだから、それほど時間は必要としない。
数分経ったころから、音は拡がりはじめた。

アンプがきちんと目覚めたな、と思えたところで、「THE DIALOGUE」を鳴らす。
黙っていたけれど、実はいつもよりほんの少しだけボリュウムは絞っていた。

Date: 5月 8th, 2018
Cate: 「ネットワーク」

ネットワークの試み(その3)

直列型ネットワークは、2016年に数回試している。
並列型6dBスロープと直列型6dBスロープの比較も行っている。

なのでコイズミ無線の12dBスロープネットワークから、
いきなり直列型6dBスロープにしてみてもよかったし、その方が手間も省けるが、
やはり確認の意味をこめて並列型6dBスロープの音も出すことにした。

私の中にある6dBスロープのネットワークらしい音がしてくる。
この音は、ひとつの標準になりうる音だと思っている。

自作スピーカーであれば、なんらかの形でネットワークも自作しなければならない。
計算通りに作って、それでうまくいくという保証はどこにもない。

カットアンドトライをくり返しやっていくしかない。
その場合、泥沼にハマってしまわぬように、リファレンスとなるネットワークをひとつ作っておいたほうがいい。
なにも最高のモノである必要はない。

私なら、しっかり巻かれた空芯コイルとASCのコンデンサーの、
並列型6dBスロープを基準(リファレンス)とする。

ネットワークをいじっているといろいろと思いつくことが出てくるだろう。
あれをやってみたら、あれに交換してみたら、といろいろと出てくるはずだ。
試していくのは実におもしろい。

目的の音に近づいたかと思うと、遠ざかっていることもある。
判断に迷うことだってある。
そういうときに基準となるネットワークがあれば、
その音と常に比較することで、方向の修正ができよう。

6dBスロープで2ウェイなら、片チャンネルあたりコンデンサーとコイルがひとつずつで済む。
実際にはコンデンサーの容量を調整するために、
いくつかのコンデンサーを並列接続することになるが、
12dBや、それ以上の高次のスロープとは違い、部品は最低限でいいということは、
部品配置に特に頭を悩ます必要もない。

いろいろ試したあとで6dBスロープに戻ってきてしまうことだってある。
そのときでも、クロスオーバー周波数のカットアンドトライをすることになる。
基準があれば、その判断もしやすくなるし、しっかりしたものになる。

今回も並列型6dBスロープの音を聴いた後に、
直列型、それも以前試したのとは違う配線による直列型ネットワークに移って、
ひとつ確認できたことがあった。

Date: 5月 8th, 2018
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(左右されるブランドイメージ)

海外オーディオブランドが日本に輸入されることになったとき、
輸入元がどこなのかは、そのブランドイメージに少なからぬ影響を与える。

長いこと輸入されていて、ブランドイメージができあがっているところならばいいが、
日本に初めて輸入されるブランドだと、輸入元がどこなのかによって、
その時点でブランドイメージが少しばかりとはいえ、決ってしまう──、
というか、その輸入元のイメージによって染まってしまうところがある。

おもしろそうなブランドが輸入されることになっても、
輸入元によっては「なんだ、あそこなのか……」と思うわけだ。

それで聴く気が失せるほどではないにしても、
音を聴いて、それがいいモノであればあるほど、
別の輸入元だったら、もっと良かったのに……、とやはり思う。

つい最近もあった。
どのブランドなのか、どの輸入元なのか、
具体的なことは書かないが、好ましからぬウワサを聞く人が関係している輸入元の扱い、
たったそれだけのことではあっても、たったそれだけのことと無視できるわけでもない。

Date: 5月 8th, 2018
Cate: ディスク/ブック

LEONARD BERNSTEIN’S CONCERT FOR PEACE

LEONARD BERNSTEIN’S CONCERT FOR PEACE。
手塚治虫の「雨のコンダクター」で描かれている二人の指揮者のひとり、
バーンスタインによるハイドンの「戦時のミサ」。

1973年1月19日、ワシントン大聖堂でのベトナム反戦コンサートで、
バーンスタインは「戦時のミサ」を振っている。

数年前に出ているバーンスタインのハイドン集(12枚組)に、
「戦時のミサ」が収められているのは知っていた。

1月19日の演奏ではなく、翌20日に同じ場所での録音である。
12枚で、当時の売価は2000円くらいだった。
なぜか買わなかった。

安すぎると思ったことも関係している。
それだけが理由ではないのだろうが、なぜか買う気になれなかった。

いつか聴きたい、と思いながらも、なぜか買わない。
バーンスタインはフィリップスにも「戦時のミサ」を残している。
フィリップス盤もながらく廃盤だったはずだ。

先週末、新宿のタワーレコードをなんとはなしに見ていたら、
SACDのコーナーに、バーンスタインの「戦時のミサ」が置いてあった。
DUTTONから、2017年11月に出ていた、ようだ。

この登場を、待っていたのだろうか──、と自分でも思ってしまった。