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Date: 2月 14th, 2019
Cate: 「本」

雑誌の楽しみ方(最近感じていること・その1)

趣味は読書です。
この場合の読書は、おもに文学作品を読むことであって、
雑誌ばかりを読んでいても、世の中はそれを読書、
それも趣味としての読書とは認めてくれないようにも感じている。

私だって、趣味は読書です、と誰かにいわれたら、
小説を読むのが好きな人なんだ、と、目の前の人のことをそう思う。

私だって、雑誌を読むことは好きだけれど、
それを誰かに、趣味です、といおうとは思っていない。

雑誌を読むことは趣味とはなりえないのか。
ここで書きたいのは、そういうことではなくて、
雑誌を読む楽しさを知っている人とそうでない人とがいる、ということである。

私は雑誌が好きなのだが、
いま、この雑誌が面白い、と感じることは少なくなってきている。
オーディオ雑誌のことだけをいっているのではない。

面白い特集をやっている雑誌は買っている。
けれど、それらの雑誌を定期購読しているかといえば、そうではない。
毎号買おう、とまでは思っていない自分に気づく。

最近、若い人たちと話して気づいたことも、雑誌に関することである。
「雑誌が好きなんだよ」という感覚が、ある世代より下にはなくなりつつあるのかもしれない。

私と同世代、上の世代の人たちであっても、雑誌を楽しんでいる人とそうでない人とがいる。
それでも、まだ雑誌を楽しんでいる人は多いように感じている。

Date: 2月 13th, 2019
Cate: Wilhelm Backhaus, ディスク/ブック

バックハウスのベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集

バックハウスは、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを二回録音している。
4月に二回目の録音が、シングルレイヤーのSACDで出る。
(29番のみ二回目の録音は未了のため、一回目のモノーラル録音が使われている)

今年はバックハウス没後50年、デッカ創立90周年ということでの限定発売のようだ。

バックハウスのベートーヴェンがSACDで聴ける日が来るとは、まったく期待していなかった。
私が20代前半のころ、
ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集はいくつかあった。
バックハウスのがあったし、
グルダ、アシュケナージ、ブレンデル、シュナーベル、ナットなどの全集があった。

シュナーベルの録音はかなり古い。
ナットの録音は、シュナーベルほど古くはないがモノーラルだった。

ステレオ録音となると、バックハウスによる全集が、
そのころの私には輝いて見えていた。

いつかはバックハウスの全集を……、そう思いつづけていた日がある。
なのに、なぜか買うことはなかった。

もちろんバックハウスのベートーヴェンの後期のソナタに関しては買った。
けれど全集となると、CDではそれほど高価でもなかったにもかかわらず、手が伸びなかった。

今回のSACD全集を逃してしまえば、
バックハウスの演奏でベートーヴェンのソナタをすべて聴くことはなかろう。
今回の最後の機会だとおもっている。

これまで頻繁に聴いてきた、とはいえないが、
それでも20代のころから聴いてきているのが、
バックハウスによるベートーヴェンの後期のソナタである。

それでもひさしく聴いていない。
だからこそおもうところがある。

Date: 2月 12th, 2019
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その9)

別項「LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化」で、
友人Aさんの友人Bさん夫妻のオーディオ選びについて書いているところ。

Bさん夫妻は、アンプは、この項で取り上げているヤマハのC5000とM5000のペアに決定。
Aさんの話では、Bさん夫妻はヤマハ以外のメーカー、
アキュフェーズ、デノン、マランツ、ラックスマンなども試聴した上での決定とのこと。

音だけでなく、ヤマハに決ったのはデザインも大きかった、とのことである。
Bさんの奥さんが友達たち(女性)に、カタログを見せたところ、
ヤマハがデザイン的に好き、と言われたそうだ。

私はここでC5000のデザインを、
コントロールアンプのデザインではなく、プリメインアンプのデザインだ、と酷評している。
仕上げはいい、それでもC5000はプリメインアンプの顔(デザイン)でしかない。

けれど、そんなことは世間一般ではどうでもいいことなのだろう……。
オーディオマニアではないBさん夫妻、
それにBさんの奥さん、友達たちの女性たちにはヤマハのデザインは好評なのだから。

C5000のデザイナー(デザインチーム)は、
バリバリのオーディオマニアは、もしかすると無視しているのかもしれない。
むしろBさん夫妻のような人たちをターゲットとしてのC5000のデザインだとしたら、
それは商業的には成功ということになる。

しかも友人のAさんのところには、Bさん夫妻とにたような相談がいくつかきている、とのこと。
Aさんと私は同じ年齢だから、Aさんの友人たちも同世代であろう。

ヤマハのC5000、M5000のペア、
それに見合う価格のスピーカー、その他を一式まとめて買えるだけの人たちは、
特にオーディオマニアでなくともいるわけで、
そういう人たちに好評であるほうが、私のような者が絶賛するようなデザインであるよりも、
よほど重要なことであり、実際の売上げに結びつく──。

そんなことは知識として理解できても、
それでもC5000のデザインは、
コントロールアンプのデザインではなくプリメインアンプのデザインであることは、
私のなかでは一向に変らない事実である。

ここで、続けてコントロールアンプのデザイン、
プリメインアンプのデザインについて書いていく。

Date: 2月 11th, 2019
Cate: デザイン

オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その7)

埼玉県のセブン・イレブンは、東京のセブン・イレブンよりも、
導入、投入が早いようである。

弁当、おにぎりなどの新商品も埼玉のセブン・イレブンのほうが早く見かける。
埼玉で試験的に販売して、その結果をみての東京での販売なのかもしれない。

いまではコンビニエンスストアで当り前のように設置されているコーヒーマシンも、
私が最初にみかけたのは、やはり埼玉のセブン・イレブンだった。

昨日、大宮駅周辺にいた。
夜駅近くのセブン・イレブンに寄ったところ、
コーヒーマシンがまったく新しいタイプのモノが置かれていた。

ボタンはなくなっている。
いままでボタンがあったところには一面、タッチ式の液晶ディスプレイがある。
カップを置くと、色とサイズで判断して、
ホットコーヒーなのかアイスコーヒーか、
それにサイズも判断しいてるようである。
カフェラテには対応していないようである。

ホットコーヒーのレギュラーのカップを置いたら、
ホットコーヒーのレギュラーというボタンが表示される。
それを触るだけである。

もう間違いようがないし、
意図的な間違いを防ぐこともできよう。

この新しいコーヒーマシンも、
これまでのコーヒーマシンと同じデザイナーによるものなのか。

だとしたら、このデザイナーの売りである整理と省略は感じられなかった。
まだ、これまでのコーヒーマシンのほうが、未消化とはいえあったようにも思う。

新しいコーヒーマシンが、これまでのマシンの代りに設置されていくのか。
私の印象にすぎないが、どうみても新しいマシンのほうが高価なはずだ。
故障発生率はどうなのだろうか。

そんなことも考えてしまうが、
新しいコーヒーマシンは、技術の進歩は感じられるが、
デザイナーの存在はかなり稀薄にも感じた。

Date: 2月 10th, 2019
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その15)

古典が現代を裁く。

記憶に間違いがなければ黒田先生が書かれたことばである。
EMIから「The Record of Singing」という40枚組のLPが出た。
そのことについて書かれた文章のなかに出てくる(と記憶している)。

古典が現代を裁くことがある。
つねに古典が現代を裁くわけではない。

「The Record of Singing」はその後CDになっている。
「The Record of Singing」のLPは1899年からSP時代末期までの、
往年の歌手たちの歌唱がおさめられている。
CDはその後の歌唱をおさめたボックスも登場している。

SP時代末期の最後のトラックとしておさめられているのは、マリア・カラスの1954年の歌唱である。
カラスの先生であったエルヴィラ・デ・イダルゴの歌もおさられている。

「The Record of Singing」は、歌唱の古典である。
「The Record of Singing」という古典が裁く現代については、
聴いた人が考えることだ。

ここでのテーマであるアンチテーゼとしての「音」も、
現代を裁く古典としての「音」という意味もふくめてのものである。

Date: 2月 10th, 2019
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その27)

ここでの組合せは、カラヤンの「パルジファル」を聴くためだけのシステムである。
このことを、コントロールアンプ選びに迷っているときに思い出した。

ならばコントロールアンプはなくてもいいじゃないか。
マッキントッシュのMC2301にぴったりと合うコントロールアンプは、
私の感覚ではマッキントッシュのラインナップにはない。

他社製のコントロールアンプも、あれこれ思い浮べてみた。
帯に短し襷に長し、という感じがどうしても残る。

実際に試聴してみれば、そんな感じは消えてしまうのかもしれないが、
MC2301すら聴く機会がないのだから、コントロールアンプをあれこれ替えての試聴は期待できない。

ではどうするのか。
ここでのCDプレーヤーには、
オラクルのCD2000 mkⅢとメリディアンのULTRA DACの組合せをもってきたい。

ULTRA DACを聴く以前は、別のD/Aコンバーターを考えていた。
その場合はコントロールアンプがどうしても必要になる。

ULTRA DACは内蔵のDSPで、ボリュウムコントロールとともにトーンコントロールも可能になっている。
ULTRA DACの、この機能を使えばいい。

これで組合せがまとまった。
スピーカーシステムはBrodmann AcousticsのVC7(以前のベーゼンドルファーのVC7)、
パワーアンプはマッキントッシュのMC2301、
CDトランスポートがオラクルのCD2000 mkⅢに、
D/AコンバーターがメリディアンのULTRA DAC。

このシステムで、カラヤンの「パルジファル」を聴きたい。
この組合せで、カラヤンの「パルジファル」を聴く機会はおそらく訪れない。

にも関らず、ここでの組合せをまじめに考えて、ここまで書いてきた。
無駄なことだ、と思う人もいるだろうけれど、
私は無駄とは思わない人間だ。

Date: 2月 9th, 2019
Cate: ラック, 広告

LOUIS VUITTONの広告とオーディオの家具化(その5)

Bさんが購入しようとしているオーディオは、けっこうな価格である。
ヤマハのセパレートアンプは、コントロールアンプもパワーアンプも90万円(税抜き)する。

スピーカーもB&Wならば、どのモデルになるのかは知らないが、
同程度の価格のモノになるはずだ。

それにアナログプレーヤー、CDプレーヤー、チューナーと一式揃えるわけだから、
数百万円ほどになる。

そこにラックには、どの程度の予算を割くのだろうか。
ここがとても気になる。

オーディオマニアならば、高価なラックも当り前のように購入することになるだろう。
けれどBさんもBさんの奥さんもオーディオマニアではないのだ。

そういう人からみて、いまのオーディオ用ラックの値段はどうなのか。
高いと感じてしまうように思う。

ラックによって音が大きく変るんです──、
そんなふうにオーディオ店の店員は、Bさん夫妻に説明することだろう。
その説明を、どう受け止めるのか。

音は変ることは理解したとしても、
家具としてラックをみた場合に、どう判断するのだろうか。

ヤマハには、GTR1000というラックがある。
1980年代からあるGTR1の後継である。
ブラウンバーチとブラック、二つの仕上げがある。

武骨なラックではある。
けれどいまとなっては、とても良心的な価格のラックである。

Bさん夫妻は、GTR1000を選ぶのかもしれない。
そんな気もしている。

Date: 2月 9th, 2019
Cate: ワーグナー, 組合せ

妄想組合せの楽しみ(カラヤンの「パルジファル」・その26)

健康な心を持った聴き手のため、というアンプの選択。
スピーカーを現行製品から選んでいるから、
アンプも現行製品から選びたい。

現行製品で、そういうアンプ(ここではパワーアンプ)はあるだろうか。
前回(その25)は二年前。
二年間、アンプを何にするか考えていたわけではない。

割とすんなり見つけた。
ただ、そのアンプの音を聴く機会がなかった。
聴いてから続きを書こうと思っていたら、二年間が過ぎていた。

けれど、その二年の間に聴く機会はなかった。
そのアンプはいまも現行製品である。
新製品ではもちろんない。
二年前でも、すでに新製品ではなかった。

私が、ここでの組合せで選んだのは、マッキントッシュのMC2301である。
KT88の4パラレルプッシュプルで300Wの出力をもつ。

しかもMC2301は以前まとめて書いているように、
それまでのマッキントッシュのパワーアンプのコンストラクションを一新している。

発売になって約十年。
いまも現行製品である。

いいアンプに違いない、といまも思っている。
正直300Wという出力は要らない、と思っている。

半分の出力にしてくれて、コンストラクションはそのまま、
出力管のKT88の本数を半分の四本にしてくれたら、いいのになぁ、と思っている。

でも300Wの出力を、そこまで必要とはしないけれど、
ぐっと音量を絞った状態で、VC7を鳴らしたい。
底知れぬ余裕を秘めた鳴り方をしてくれるのではないだろうか。

MC2301には決めていても、
コントロールアンプもマッキントッシュにしたい、とは思っていない。
コントロールアンプを何にするか、決めかねていたのも、
(その25)から、ここまで間があいた理由でもある。

Date: 2月 9th, 2019
Cate: 「ルードウィヒ・B」

「ルードウィヒ・B」(1989年2月9日)

30年前の2月9日。
手塚治虫が亡くなった日。

私には、1989年1月7日よりも、昭和が終ったと感じた日であった。
そう感じた人は少なくないようである。

30年経つ。
あと三ヵ月たらずで平成も終る。

手塚治虫は自身のマンガについて、こう語っている。
     *
僕のマンガというのは教科書なんですよ。教科書というのは、読んでワクワクするほど面白いもんじゃないし、面白すぎても困るわけ。若い連中がそれに肉付けして、素晴らしい作品を作ってくれることが望ましい。
     *
小学生のころ、手塚治虫のマンガと出逢った。
ブラック・ジャックとも出逢った。

手塚治虫はすごい、と小学生ながら思っていた。
それでも、当時のマンガのいくつかが、手塚治虫のマンガよりも面白く感じられた。
そのことが癪だった。

手塚治虫のマンガより、それらのマンガのほうが人気があるのが癪だったわけではない。
私自身が、手塚治虫のマンガよりも、それらのマンガを面白く感じたことが癪だった。

スマートフォンが普及して、スマートフォンでマンガを読めるようになった。
手塚治虫のマンガも読める時代である。

少年チャンピオンに連載されていたブラック・ジャックは毎週買って読んでいた。
単行本も買って読んでいた。

四十年ほど経って、いまもブラック・ジャックを読んでいる。
ここにきて、手塚治虫のマンガが教科書という意味がわかる。
同時に、ブラック・ジャックというマンガのすごさがわかる。
手塚治虫のすごさがわかる。

Date: 2月 8th, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その12)

ことオーディオに限って、には、
オーディオを通して聴く音楽もふくめてのことだ。

狭く・浅いままの世界で、好きな演奏家、歌手を一流と思い込んでしまう。
時には超一流とも思い込んでしまう。

それが趣味の世界だろう、という人がいるのはわかっている。
けれど、それが本当に趣味の世界なのだろうか。
少なくとも、オーディオという趣味の世界ではない。

好きな演奏家、歌手を超一流と思い込み続けるためには、
狭く・浅い世界に囚われたままでいるしかない。

Date: 2月 8th, 2019
Cate: 老い

老いとオーディオ(齢を実感するとき・その11)

ことオーディオに限っても、若いは狭い(浅い)と、いまはいえる。
狭く・浅いからこそ、確信が持てることがある。

でも、それは狭く・浅いからこその確信であって、
その確信に囚われてしまっては、狭く・浅いままである。

狭く・浅いままの世界は、居心地がいいのかもしれない。
趣味の世界だから──、という人もいよう。

オーディオの世界に限っていえば、狭く・浅いままでいいとは私はまったく思っていない。
趣味の世界であってもだ。

そういう人は、狭く・浅いまま老いていくのか。

Date: 2月 8th, 2019
Cate: audio wednesday

新月とaudio wednesday

2月のaudio wednesdayは6日だった。
前日の5日、6時4分が新月だった。

3月のaudio wednesdayも6日。
3月の新月は7日、1時5分である。

たいていaudio wednesdayは23時30分ぐらいまで音を鳴らしている。
3月6日のaudio wednesdayは、ほぼ新月に近い状態での音となる。

なので3月6日にかける最後の曲はマーラーにしようとおもっているところ。
2016年8月のaudio wednesday同様、照明をすべて落したなかでのマーラーを、
喫茶茶会記の空間がきしむほどに大音量で鳴らす。

Date: 2月 7th, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(昨晩のaudio wednesday)

昨晩のaudio wednesdayは、常連の方ふたりは仕事や旅行で参加されず。
21時半すぎに別の常連のKさんが来られたが、
それまでは私をいれて三人だった。

三人だったけれど、楽しかった。

喫茶茶会記に「John Coltrane & Johnny Hartman」のSACDがある。
借りて鳴らした。

一曲目から、いい感じで鳴ってくれる。
三人とも聴き入っていた。

1963年録音であるから、私と同じ歳(年)ということになる。
男三人が、50数年前の演奏(録音)をしんみりと聴いている。

「男三人で聴くのもなんですね……」といってみた。
「男三人だからいいんだよ」と返ってきた。
「女にはわからない音楽なんだから」とも。

こんなことを書くと、女性蔑視とか、あれこれいわれるだろうが、
昨晩、喫茶茶会記の空間で鳴り響いていた歌は、男のための音楽とおもえた。

三人の年齢は、20代、50代(私)、70代である。
世代ははっきりと違う三人、
世代だけではなく、いろんなことが違っている男三人が、
(たぶん)同じおもいで、ジョニー・ハートマンの歌を聴いていた。

オーディオは素晴らしい、とこういうときしみじみとおもう。

Date: 2月 7th, 2019
Cate: audio wednesday

第98回audio wednesdayのお知らせ(続2018年のやり残しをなくす)

2月は28日(四週間)しかないから、3月のaudio wednesdayも同じ6日。
というわけでもないが、3月のテーマも2月(昨晩)と同じである。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 2月 6th, 2019
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(を考えていて思い出したこと・その1)

音楽性という、時にはほんとうに都合のいいことば。
それだけに徹底的に考える必要のあることば。

音楽性に関係することで、五味先生の書かれていた文章を思い出した。
     *
 ステレオになった当座、電信柱や溝に放尿するのを自分で録音・再生して、おォ、小便から湯気が立ち昇るのが見える!……と、その音の高忠実度性に狂喜したマニアを私は知っている。しつこく誘いにくるので、一度、彼の部屋へ聴きに行き、なるほどモヤモヤと湯気の立ちのぼる放尿感が如実に出ているのには驚いた。モノーラルしか聴き馴れぬ耳には、ほんとうに、シャーと小便の落ちる其所に湯気が立っていたのである。
 このあいだ何年ぶりかに彼と会って、あのテープはどうした? とたずねたら、何のことだと問い返す。放尿さ、と言ったら、ふーん、そんなこともあったっけなあ……まるで遠い出来事のような顔をした。彼は今でもオーディオ・マニアだが、別段とぼけてみせたわけではないだろう。
 録音の嶄新さなどというものは、この湯気の立つ放尿感と大同小異、録音された内容がつまらなければしょせんは、一時のもので、すぐ飽きる。喜んだこと自体がばからしくなる。オーディオ技術の進歩は、まことにめざましいものがあり、ちかごろ拙宅で鳴っている音を私自身が二十年前に聴いたら、恐らく失神したろう。これがレコードか?……わが耳を疑い茫然自失しただろう。(「名盤のコレクション」より)
     *
放尿の音だから、そこに音楽性があるわけではない。
では鈴虫の鳴声は? 蒸気機関車の走る音は?
生録が盛んだったころ、音楽だけではなく、ジェット機のエンジン音なども録音の対象であった。

生録がブームだったころはとっくに過ぎ去っている。
そんないまの時代にみかける生録といえば、鉄道マニアの人たちだ。
それも日常的にみかけたりする。

ホームで電車をまっていると、
長い棒の先っぽにマイクロフォンをとりつけて、
ホームの天井近くに設置してあるスピーカーまで、マイクロフォンを接近させて、
アナウンスを録音している人を、年に数回みかける。

何も特別なアナウンスではない。
電車がまいります、黄色い線までお下がりください、
そういったアナウンスである。