日本のオーディオ、これまで(上原晋氏のこと・その5)
上原晋氏のリスニングルームは、ちょっと変形なため広さをややつかみにくいが、
20畳はあろう。
私だったら、これだけのスペースがあればためらうことなくSuper Red Monitor(SRM)を入れる。
もっと狭いスペースでも、SRMを鳴らしたいと思ったなら入れる。
たとえ六畳間であっても、SRMを設置できるのだから、SRM12Xを含めて、
SRMシリーズの他の機種はもう目に入らない、とでもいったほうがいい。
結局、欲しいと思えたスピーカーの大きさなんて、ほとんど気にしない。
もちろん物理的に部屋に入らないほどの大きなモノならば、あきらめるが、
部屋に入る以上は、そこを、それを目指す。
上原晋氏がSRM12Xを選ばれたのか、その理由はわからない。
リスニングルームの片隅には、いまは鳴らされていないQUADのESLがあった。
おそらくSRM12X導入前は、このESLを鳴らされていたのだろう。
リスニングルームの完成は前にも書いているように1978年だから、
SRM12Xもちょうどその頃からなのだろう。
となるとESLは以前のリスニングルームに鳴らされていたのか。
そのときの部屋の広さはどのくらいだったのだろうか。
狭くはなかったように勝手に思っている。
おそらく空間の広さに応じてのスピーカーの選択ということ、
つまりバランスを重視しての選択をされていたのではないのか。
私もESLを鳴らしていた。
六畳弱の狭い部屋で鳴らしていた。
しかも部屋は横長に使っていた(長辺側にスピーカーを置いていた)。
ESLと私との距離は、ごく短い。
手を伸ばせば、誇張でなくもう少しでESLに届くほどだった。
ESLと壁との距離も最低限しか確保できなかった。
アンプはSUMOのThe Goldだった。
そんな極端なアンバランスな環境のもとで、私はESLを鳴らしていた。
上原晋氏は、こんなことは決してやらない人なのだろう。