オーディオの想像力の欠如が生むもの(その50)
オーディオの想像力の欠如した耳には、音への愛、音楽への愛はない。
オーディオの想像力の欠如した耳には、音への愛、音楽への愛はない。
オーディオの想像力の欠如した耳は、音楽の美を感じとれない(聴きとれない)耳のことだ。
オーディオの想像力の欠如した耳は、音の美を感じとれない(聴きとれない)耳のことだ。
オーディオの想像力の欠如した耳は、音ありき、ということすら忘れてしまうようだ。
オーディオの想像力の欠如した耳は、情報量、情報量とバカのひとつ憶えのようにくり返すだけ。
3月のaudio wednesdayは6日。
3月の新月は7日、1時5分である。
たいていaudio wednesdayは23時30分ぐらいまで音を鳴らしているから、
3月6日のaudio wednesdayは、かぎりなく新月に近い状態での音となる。
2016年8月のaudio wednesdayも、新月に近かったので、マーラーの交響曲だけを鳴らした。
今回は、2月のaudio wednesdayの続きとして、2018年にやり残したことがテーマだから、
マーラーだけ、とはならないが、最後の曲はマーラーの交響曲にすると決めている。
2月のaudio wednesdayで最後にかけたのは、
ジネット・ヌヴーのブラームスのヴァイオリン協奏曲(ライヴ録音)だった。
2月のaudio wednesdayに来てくれた人の心に、ヌヴーの演奏がどう響いたのか。
一人一人に確認したりはしなかったが、
少なくとも無反応ではなかった。
最後にかける曲が、そんなふうに鳴ってくれると、鳴らしているこちらとしては満足感がある。
2016年8月に、最後にかけたマーラーはジュリーニの九番だった。
何番にするのか、指揮者は誰なのか。
今回は、まだ決めていない。
場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。
MQAについて、ほぼ全否定といえる内容のブログを書いている人、
その人の自己紹介欄には、オーディオ&ビジュアルライター/評論家、とある。
さらにこれまでの執筆履歴もある。
その人を,私はまったく知らなかったけれど、こうなるともうオーディオ評論家であり、
アマチュアではない、といえる。
といってもオーディオ評論家(職能家)ではない。
かといってオーディオ評論家(商売屋)かというと、
いまのところなんともいえない。
たった二本の記事を読んだだけの私の予感では、
その人はオーディオ評論家(職能家)にはならない(なれない)。
オーディオ評論家(商売屋)へとなっていくのか。
二本の記事を読んで感じたのは、薄っぺらだな、ということだった。
書いている内容の薄っぺらさ、ということではなく、
読んでいる人を勇気づけることのできない、という意味での薄っぺら、である。
別に、その人だけのことではない。
いまオーディオ評論家と名乗っている人たちの書く文章、もうすべてといっていい。
どれを読んでも、勇気づけられることは、まったくない。
しつこいくらい書いているが、私は「五味オーディオ教室」から始まっている。
そして1976年末からステレオサウンドを読みはじめた。
そういう私にとって、五味先生の文章、私が先生と呼ぶ人たちの文章は、
読むことで勇気づけられることがあった。
オーディオとパーソナルコンピューターが接近し出して、
PCオーディオとかネットワークオーディオとか、そんなふうに呼ばれる時代が来た。
コンピューターに詳しい人たちが、オーディオの世界に入ってくるであろう、と予想できた。
そうなってきている。
けれど、その人たちが新しい才能をひっさげて来ている、とは、いまのところ感じない。
薄っぺらさだけが、いまのところ感じている。
勇気づけられる──、
ということ読み手は求めなくなっているのか。
「アリータ: バトル・エンジェル」を、IMAX 3Dで観た。
この映画は、マンガ「銃夢(がんむ)」が原作。
1990年代、「銃夢」が読みたくて掲載誌のビジネスジャンプを買っていた。
連載が終って数年後、ハリウッドで実写化されるというウワサがあった。
しばらくして、ジェームズ・キャメロンが手がける、というウワサも出てきた。
本当なのかな……、と疑っていたら、2000年だったか、発表になった。
けれどほとんど音沙汰なしだった。
立ち消えになったのか……、となかば諦めていた。
それが数年前に、ほんとうにやっていることがわかった。
そして昨年、予告編が見られるようになった。
まだ日本語字幕のついていない予告編を、iPadで見た。
期待外れかも……、と思うところもあった。
iPadだから、そんなに画面が大きいわけではない。
音はイヤフォンで聴いた。
それでも面白い映画は、そうやって見た予告編でも、観に行きたい、と思わせる。
「アリータ: バトル・エンジェル」は、そこまでの気持にはなれなかった。
なのに22日公開の映画を、三日後に観た。
二年前に「GHOST IN THE SHELL」が公開になった。
「GHOST IN THE SHELL」に関しても、インターネットでの予告編でがっかりしながらも、
IMAX 3Dで観た。
観て驚いた。
そのことがあったから、
今回も「GHOST IN THE SHELL」と同じように感じるのかも──、という期待をもっていた。
「アリータ: バトル・エンジェル」も観て驚いた。
その驚きは、「GHOST IN THE SHELL」よりも大きかった。
ミッドタウン日比谷の二階に、THE NORTH FACEの店舗がある。
今日、この店舗の前を通ったら、レジのところに意外なモノがあった。
こんなところに、こんなモノが! と多くの人が思うはずだ。
マッキントッシュのC22が、そこにあった。
飾られていたわけではなく、電源は入っていた。
店内には音楽が流れていたから、
C22はそのためのコントロールアンプである。
パワーアンプは見えなかったけれど、
スピーカーはタンノイのIIILZだった(グリルが多少違っていたけれど、そのはずだ)。
THE NORTH FACEのブランドイメージと、
これらのオーディオ機器とが、私のなかでは結びつかないだけに、
映画やドラマのなかに、意外なオーディオ機器が登場してくるのに近い感じを受けた。
MQAについてとにかく否定的な人がいるのは、
ULTRA DACを聴く以前から知っていた。
その人たちは口を揃えて、MQAには非可逆圧縮が使われている、という。
どうも非可逆圧縮が使われているようである(このことを含めてMQAの詳細を知りたい)。
非可逆圧縮はロッシー(ロスレスではない)だから、
DSDやハイレゾリューションのPCMにある情報量が欠如する──、
そんな音源は認められない、らしい。
そういう人は、まず音を聴かないのか、と問いたくなる。
そして、「音は耳に聴こえるから音……」という記事(ステレオサウンド 31号掲載)を思い出す。
岡原勝氏と瀬川先生による実験を交えながらの問題提起である。
この対話を、MQA否定派の人たちに読んでほしい、と思うし、
そうでない人たちにも読んでもらいたい。
*
瀬川 最近特に感じるのですが、受け取る側も作る側も科学というものの認識が根本から間違っているのではないでしょうか。
これはことオーディオに限らないと思いますが、一般的に言って日本人はあらゆるものごとに白黒をつけないと納得しないわけですよ。ふつう一般には、科学というものは数字で正しく割り切れるもので、たとえば歪みは極小、f特はあくまでフラットでなくては……というように短絡的に理解してしまっている。そのようには割り切れないものだという言い方には大変な不信感を抱くようなのですね。
寺田寅彦や中谷宇吉郎らの、日本の本物の科学者というのは、科学を真に突き詰めた結果、科学さえも最後は人間の情念と結びつくというところまで到達していると思うのですが。
岡原 それで思い出したのですが、JISでスピーカーの規格を選定する時、大変困ってしまいまして、八木(秀次)先生にご意見を伺いにいったのです。
すると『音響製品の規格を決めようとしているのでしょう。それならば聴いて良いものが良い製品だという規格を作ればいいのではないですか。』と仰るのですよ。
瀬川 さすがに本当の科学者ですね。しかし、八木先生のような現代日本最高の科学者にして初めて言える言葉ですね。
ところが、今の科学というのは先に何か条件が決まっていて──しかもそれさえ誰が決めたのだか分らないようなものですが──まだ欠けたところが沢山あるが数字だけは整っているような条件にきちんと合わせてものをつくりさえすれば、それがいいはずで、それが良くないというのは聴いている人の方が悪いと言いかねない。それが今の大多数にとっての科学のような気がするのですが。
岡原 それは現在の科学は仮定の上に成り立っている学問だからなのですよ。
ある境界条件を与え、その中だけならばそれでいいのかもしれないが、その条件の与え方そのせのが間違っているのですよ。
それより先にもっと大切なことがあるのに、それを無視して境界条件を決めてしまい、その中で完全なものができたと言っても仕様がない。
*
八木秀次氏の
『音響製品の規格を決めようとしているのでしょう。それならば聴いて良いものが良い製品だという規格を作ればいいのではないですか。』、
これこそがオーディオの科学の根本のはずだ。
「Hi-Fiヘッドフォンのすべて」に載っている「糸川英夫のヘッドフォン未来雑学」。
ここで、糸川英夫氏が語られている「空間のマルチ化」とは違う意味で、
この「空間のマルチ化」を捉えると、それは「空間のレイヤー化」ではないかと思う。
とはいっても「空間のレイヤー化」を説明できるわけではない。
それでも「空間のレイヤー化」こそが、
「空間のマルチ化」につながっていくと確信はしている。
ダンホンをエンクロージュアがわりとする自作スピーカーのプランは、
まず予算を決めた方が楽しい。
制約のないスピーカー作りは、もっと別の方向があり、
ここでのスピーカー作りは、限られたなかでの楽しみ方である。
ダンホン自体が高価ではないから、
ここに一本数万円もするフルレンジユニットを選択する人はいない、と思う。
そのくらいの価格のフルレンジユニットを使うのが悪いわけではない。
ただ純セレブスピーカーとダンホンを、同時期に知ったからゆえの自作プランであって、
私としては、ダンホンの価格と見合ったユニットから選択したい。
どのユニットと、どのダンホンを組み合わせるか。
色はどうするか、吸音材のたぐいはどうするのか、
そういったことを考えるのと同時に、
妄想カタログ、妄想取り扱い説明書も考えていく。
妄想カタログを考える。
妄想なのだから、あまり現実的ではなく、あれこれ妄想してみるのがいいと思う。
もちろん現実的なカタログを妄想する。
しかも、ここで忘れてはならないのは、
スピーカーができあがってのカタログではなく、
自作スピーカーの構想、細部を検討している段階でのカタログだから、
妄想カタログだ、ということだ。
妄想カタログをある程度考えたら、妄想取り扱い説明書も考える。
もちろんここでの取り扱い説明書も、スピーカーができあがっての取り扱い説明書ではない。
どういう使い方を考えているのか。
どういう使い方ができるのか。
作る前に考えることで、どういうスピーカーを作りたいのかが、
少しずつはっきりとしてくるかもしれないし、一気に見えてくるかもしれない。
それに妄想カタログ、妄想取り扱い説明書を考えるという楽しみがここにはあり、
仲の良いオーディオマニア同士で、競作(もしくは協作)するのもより楽しいはずだ。
複数で、妄想カタログ、妄想取り扱い説明書を考えていく。
自作は、アンプやスピーカーを作っていくことだけではない。
自分で使うスピーカーやアンプであっても、
カタログや取り扱い説明書を考えていく。
しかも、いまの時代、スマートフォンで写真をとり、
パソコンでカタログや取り扱い説明書を制作することは、そう難しいことではない。
facebookで、ある人がMQAについて、
ほぼ全否定といえることを書かれているというのを知った。
最初に書いてあった名前で検索しても、誰なのかわからなかった。
コメント欄に、現在使われている名前(ペンネーム)があった。
それで検索すれば、その人のブログが見つかった。
フルネームもわかった、ブログの名前もわかっているが、
その人がどんな人なのかまったく知らないし、初めて読むブログであり、
MQAに関する二本だけを読んだだけなので、あれこれ言うのは控えておく。
ただ、この人はオーディオ評論家なのだろうか。
アマチュアの方なのだろうか。
その人はハイレゾFLACとMQAを、自身のシステムで比較試聴された結果、
ハイレゾFLACの方が、MQAよりも音がいい、と判断されている。
そのことに異を唱える気はない。
その人のシステムで、その人が聴くかぎりでは、そう聴こえたのであろうから。
ただ、その人のMQAの音の印象を読んでいると、
まったく私と感じ方が真逆だな、と感じた。
どうして、そう聴こえる(感じる)のかと思った。
その人がどういう人なのかまったく知らないから、
その人の耳がどうなのか、そんなことをいいたいのではない。
その人はあくまでも自身のシステムで聴いてのことである。
そして、その人は MQAに対して、好印象をもっていない。
いいたいのはここで、ある。
ならば、現在聴ける最高のMQA再生のシステム、
つまり具体的にはメリディアンのULTRA DACで聴いて欲しかった、と思う。
新しい方式が登場する。
技術的な謳い文句が、そこにはついてくる。
それを読んで、納得することもあれば、そうでないこともある。
MQAについて懐疑的であってもいい。
正直、私も知りたいことがけっこうある。
そういう方式を聴くときこそ、最上のシステムで聴くようにしたい。
その人のシステムにケチをつけたいわけではない。
ただMQAの再生システムとして、その人の機器がどのレベルにあったのか。
その人は、ハイレゾFLACとMQAの比較試聴の記事のタイトルに、
決戦とつけているし、
本文中には、白黒つけよう、とか、白黒ついた、とある。
それはあくまでも、その人のシステムと音においてである、ということだ。
私は、その人と反対で、MQAの音を高く評価している。
ただ、いまのところメリディアンのULTRA DACでしか聴いていない。
ULTRA DAC以外のMQAの音は、いまのところ聴いていない。
私は、このことは幸運だった、と感じている。
もしかすると、その人のシステムでMQAを聴いたら、
その人と同じように感じたかもしれない。
そんなことはまったくない、とは言い切れない。
だから最高(最上)と思えるモノで、初めての接触は体験したい。
ダンボールのエンクロージュアに小口径のフルレンジユニット、
エンクロージュア内部に一般的な吸音材を詰めるのか、
純セレブスピーカーと同じく、紙を詰めていくのか、
どちらを選んだとしても、既製品の高価なスピーカーと同じ世界の音が出てくるわけではない。
ダンホンをエンクロージュアかわりにしても、
ユニットを安価で抑えれば、製作費用は一万円かからないくらいで済む。
純セレブスピーカーをそっくりコピーするのであれば、さらに費用は少なくて済む。
いくら安くても、いま鳴らしているスピーカーよりもいい音なんて出せっこない、
そんなモノを作るだけ時間の無駄、
時間の無駄こそ金のムダ──、
そういう捉え方の人には、どうでもいい世界のどうでもいいスピーカーでしかない。
そういう人はそういう人でいいし、
そういう人を説得しようとは思っていない。
ここのタイトルは「オーディオの楽しみ方」である。
「オーディオの楽しみ」ではない。
楽しみ方としたから、こんなことを書いているともいえる。
ダンホンとフルレンジユニットの組合せ。
エンクロージュア内部に何を詰めるのかは音を聴いて決めればいい。
ユニットの固定方法もいくつか考えられるし、
あれこれ試してみるほうがいい。
ここでユニットに対して、以前書いているCR方法を試してみるのもいい。
他にもいろいろあるけれど、
楽しみ方として、ひとつ書きたいのは、
「オーディオのデザイン、オーディオとデザイン(整理と省略・その9)」で書いたことだ。
妄想カタログ、妄想取り扱い説明書のことだ。
純セレブスピーカーと聞いて、どんなスピーカーをイメージするか。
そのイメージと、実際の純セレブスピーカーとがぴったり一致する人は、
ほとんどいないのではないだろうか。
純セレブスピーカーが、どんなスピーカーなのかは、検索してみてほしい。
ダンボールをエンクロージュアに使い、
吸音材のかわりに紙をちぎっては軽くまるめて詰める。
詳しい作り方は検索すれば、すぐに見つかる。
フルレンジのスピーカーユニットさえ手元にあれば、
ほとんどの家庭にダンボール箱はあるだろうから、すぐにも作れる。
高橋健太郎氏も100円ショップのダイソーであれこれ購入し、
純セレブスピーカーを製作、その音についてもツイートされているし、
YouTubeでも、純セレブスピーカーの音を公開されている。
昨年末にカホンをエンクロージュアかわりにしたら面白いかもしれない──、
そんなことを書いた。
カホンを使って、内部を純セレブスピーカーに従うというのもアリかな、と考えていたら、
ダンホンというのを、島村楽器の店頭でみかけた。
ダンホン。
ダンボール+カホンの略語である。
島村楽器のオリジナル製品のようだ。
木製のカホンよりも安価だ。
梱包用とし使われるダンボールには、会社名が印刷されてたりする。
純セレブスピーカーがうまく鳴ってくれたとしても、
見た目は好ましくない。
ならば、このダンホンを使う。
安価とはいえ、数千円はかかる。
純セレブスピーカーの意図からすれば、そんなにお金をかけるのかと……、となりそうだが、
私はダンホンを使ってみたい、と考えている。