MQAのこと、オーディオ評論のこと
MQAについて、ほぼ全否定といえる内容のブログを書いている人、
その人の自己紹介欄には、オーディオ&ビジュアルライター/評論家、とある。
さらにこれまでの執筆履歴もある。
その人を,私はまったく知らなかったけれど、こうなるともうオーディオ評論家であり、
アマチュアではない、といえる。
といってもオーディオ評論家(職能家)ではない。
かといってオーディオ評論家(商売屋)かというと、
いまのところなんともいえない。
たった二本の記事を読んだだけの私の予感では、
その人はオーディオ評論家(職能家)にはならない(なれない)。
オーディオ評論家(商売屋)へとなっていくのか。
二本の記事を読んで感じたのは、薄っぺらだな、ということだった。
書いている内容の薄っぺらさ、ということではなく、
読んでいる人を勇気づけることのできない、という意味での薄っぺら、である。
別に、その人だけのことではない。
いまオーディオ評論家と名乗っている人たちの書く文章、もうすべてといっていい。
どれを読んでも、勇気づけられることは、まったくない。
しつこいくらい書いているが、私は「五味オーディオ教室」から始まっている。
そして1976年末からステレオサウンドを読みはじめた。
そういう私にとって、五味先生の文章、私が先生と呼ぶ人たちの文章は、
読むことで勇気づけられることがあった。
オーディオとパーソナルコンピューターが接近し出して、
PCオーディオとかネットワークオーディオとか、そんなふうに呼ばれる時代が来た。
コンピューターに詳しい人たちが、オーディオの世界に入ってくるであろう、と予想できた。
そうなってきている。
けれど、その人たちが新しい才能をひっさげて来ている、とは、いまのところ感じない。
薄っぺらさだけが、いまのところ感じている。
勇気づけられる──、
ということ読み手は求めなくなっているのか。