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Date: 5月 1st, 2019
Cate: audio wednesday

第100回audio wednesdayのお知らせ(メリディアン 218を聴く)

今日(5月1日)のaudio wednesdayは、
メリディアンの218を聴く、がテーマである。

218は少し前に出た新製品である。
昨年9月のaudio wednesdayでメリディアンのULTRA DACを聴いて以来、
audio wednesdayで新製品を聴けることが、私自身、とても楽しみになってきている。

新製品を聴ける場所といえばオーディオ店、それからオーディオショウの会場がある。
オーディオショウでも新製品、
しかも登場したばかりの新製品が鳴っている。

鳴っているけれど、それを聴いた、とは言い難い面もある。
だからなのか、新製品をことさら聴いたという感じを、なかなか持てない。
持てないことが続く、というか、それが当り前のようになっているから、
新製品を聴くどきどき、わくわくという感情が伴わない。

一言でいえば、それほど楽しくない。
しばらく、そういう楽しい気持をあまり持てずにいた。

それがここに来て大きく変った。
メリディアンの製品ということだけで、新製品を聴く楽しみが、私のなかに戻ってきたわけではない。
もちろん、それもあるが、
自分の手で新製品を鳴らせる、というのが、私にとっていちばん大きなところなのだろう。

新製品とは未知の製品であり、未知の音である。
なのに聴く前からわかってます的な顔をする人がいないわけではない。
そんな顔(気持)で聴いても、
目の前にあるのは確かに新製品であっても、
そんな人には、どのようなモノをもってこようと新製品になりっこない。

未知の製品、未知の音に接する楽しさを、
数時間後にたっぷりと楽しめる。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。

Date: 4月 30th, 2019
Cate: 使いこなし

続・何度でもくりかえす

二ヵ月ほど前に「何度でもくりかえす」を書いた。
そこで、瀬川先生の「My Angle いい音とは何か?」からの、
使いこなしに関する大事なことを引用した。

そのうえで、どうも伝わりにくい(理解され難い)ようでもあるから、
これからも何度でもくりかえそうと考えている、とも書いた。

そして二ヵ月が経って、
やっぱり伝わっていなかった(理解されていなかった)と感じている。

本人は伝わった、理解した、というだろうが、
私からみれば、何ひとつ伝わっていない(理解していない)としか思えない。

本人は頭では理解しているつもりなのだろう。
けれど、やってしまう。
なぜだろうか。

結局、無為に耐えられないのではないのか。
無為に耐えられないから、ついつい手を出してしまう。

ケーブルを変えてみたり、置き台を工夫してみたり、あれこれやってみる。
しかも屋上屋を重ねる的なことをやらかす。

無為に耐えられないからやらかす。

無為に耐えられないのがオーディオマニアなのかもしれないし、
無為に耐えられるようになってこそオーディオマニアだと断言できる。

Date: 4月 29th, 2019
Cate: 3D Printing

PSoC

いま書店に並んでいるトランジスタ技術 5月号で、
PSoC(ピーソック、Programmable System-on-Chip)の存在を知った。

各社のD/Aコンバーターに搭載されることが増えてきているFPGAも、
便利なモノが登場してきたな、と思っていたけれど、
PSoCは、私にとってFPGA以上の驚きである。

回路シミュレーターのSpiceが登場し、
家庭用のパソコンでも使えるようになってきたころ、
シミュレーションした回路をそのまま実際の回路としてプリントアウトできたらどんなに便利だろう、
と夢みたいなことを考えたことがある。

たとえばOPアンプ。
一般的なOPアンプのICのサイズに治まる規模の回路であれば、
未使用のフィルムのようなICがあり、
なんらかの機械を使って、シミュレーションした回路をそこに生成する。

そんなことは無理だと思ったし、
登場することはないものだと決めつけていた。

けれどいつの間にかPSoCが登場していた。
私が夢見ていた(妄想していた)レベルのモノにはいたっていない。
それでもそこへの一歩が踏み出されている、といえる。

トランジスタ技術でも、電子ブロックという表現を使っているが、
PSoCの内部にある電子ブロックを、外部からプログラミングで接ぎかえていくことで、
電子回路を構成する。
それゆえ制約も多いようだ。

とはいえ、これから進歩していくはずである。
私が夢見ていたモノに近い、もしくはさらに上をいくようなモノが登場してきてもおかしくない。

Date: 4月 29th, 2019
Cate: 会うこと・話すこと

会って話すと云うこと(その22)

その20)で、ヘッドフォン祭が開催される中野は、
その後が楽しいところである、と書いた。

今回も、いつもの三人で中野をぶらついていた。
食事を終えて、もう一軒、ということになった。

ヘッドフォン祭の前に少し中野をぶらついていた。
その時、ある店が、というより、JBLのバイラジアルホーンが目に入ってきた。
店の入口に、大きなホーンが一本だけ飾ってある。

これで、普通の、なんてことない店なわけがない。
それで、そこに行くことになった。
ミュージックイン(Music-IInn)という店である。

入る前から気になっていたのは、
どんなスピーカーを鳴らしているか、である。
バイラジアルホーンを飾っているくらいだから、JBLのホーン型のはずだ、と期待しつつも、
まったく違うスピーカーの場合だって考えられる。

入れば、すぐにスピーカーがある。
JBLの4430だった。
表のホーンは、4430と確かにつながっている。
どちらもバイラジアルホーンである。

ここで紹介しているからといって、
ものすごい音を期待されていくと、がっかりされるかもしれない。
アンプはアキュフェーズだ、そうだ。

これみよがしの音ではないし、
際立った特徴のある音でもない。
けれど、私たち三人は、流れてくる音楽を聴きながら、まったりしていた。

店内には、店主の好きなモノが、あちこちに飾られている。
トイレもそうである。
洗練されたおしゃれな店ではない。

昭和生れの三人は、この空間でまったりしていた。
他に客はいなかったおかげもある。
かかっている音楽も、店主の好きな音楽なんだろう、と感じる。

どこも無理していない、そんな雰囲気だからまったりできたのかもしれない。

こんな店があるから、確かに中野はいいなぁ、とまた思っていた。

Date: 4月 28th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その2)

(その1)を書いたあとにfacebookを眺めていたら、
初日にヘッドフォン祭にいかれたMさんの投稿が目に留った。

Mさんは、すごい熱気を感じた、と書かれていた。
二日目(今日)に行かれたMさんの知人と、Mさんとでは話が噛み合わなかったらしい。

昨日と今日では、そんなに会場の雰囲気が違っていたのか……、と思うとともに、
初日に熱気があるのは、即売会が理由のひとつのような気もする。

Mさんの投稿を読むと、昨日は海外からの人も多かったそうだし、
制服姿の高校生、それに出展社と来場者の女子率など、いい感じだったそうだ。
確かに、今日とはかなり違っている。

なので即売会だけが理由ではないのはわかっていても、
即売会だけを目当てに来ている人が相当数いるということなのか──、と思う。

欲しいモノを確実に手に入れたければ初日に行くしかない。
即売会には行列が出来る、ときいている。

今日も即売会はやっていた。
目ぼしいモノは、昨日売れてしまっていたのだろう(即売会は覗いていない)。

ヘッドフォン祭の主催社がどこかを考えれば、即売会をやめるべきだ、とはいえない。
けれど即売会が集客の目玉になったままでは、ヘッドフォン祭の先行きは明るいとはいえないはずだ。

Date: 4月 28th, 2019
Cate: ショウ雑感

2019年ショウ雑感(その1)

今日(4月28日)、ヘッドフォン祭に行ってきた。
今回は十連休というゴールデンウィークと重なっていたこともあるのだろうか、
これまでよりも来場者が少なくなっているように感じた。

ある出展社の方と話したけれど、やはり少なくなっているようだった。
この少なさ(といってもがらがらだったわけではない)は、
ほんとうに連休の影響なのだろうか。

ヘッドフォン祭の会場近くでは、オクトーバーフェストがやっていた。
こちらは人であふれていた。
連休中なのに……、と思うほどに人が集まっていた。

そのあとでのヘッドフォン祭だっただけに、よけいに連休のせいなのだろうか、と思う。
それに感覚的なことでしかないが、
これまでのヘッドフォン祭にあった独特の熱気みたいなものが薄れたように感じた。

この独特な熱気みたいなものは、いい意味も悪い意味も含んでのことなのだが、
それでも熱気みたいなものが薄れて感じたことが、
来場者が少なくなっていることよりも、これから先深刻になっていくのかもしれない。

私が話した出展社のかたは、緊張感が薄れてきている、ともいわれた。
別の出展社の方は、ヘッドフォン本体、アンプなどの価格の上昇が、
これから影響してくれるのではないか──、そんなことを話された。

ある出展社は出展を取りやめている。
理由はわからない。
もしかすると……、と思い浮ぶことはある。

ピークは終ったのかもしれない。
つまりブームは終ろうとしているのかもしれない。

Date: 4月 28th, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その7)

K+HのO500Cは、きわめて優秀なだけに留まらぬ魅力ある音を聴かせてくれるかもしれない。
そうだとしたら、私は聴き終ってどう思うだろうか。

測定データの優秀さを、そこで思い出すのかどうか、である。

(その5)へのコメントがfacebookにあった。
そこには、測定データをみていろいろ考えて、
その上でそのことを思わなくなるような音が聴ける、というの素晴らしいことだと思う、とあった。

このコメントがなくても、K+HのO500Cについて書くつもりだった。
O500Cの測定データを見て、当時、私はいろいろ考えていた。
O500Cは聴いていないからこそ、
このコメントはそうなんだよなぁ、とひとりで頷いてもいた。

コメントには、続けて、
素晴らしい音を聴いたあとで測定データをみて、
こんなだったのか、と思うのもまた楽しい、とあった。

これもそのとおりである。

ステレオサウンドは、以前スピーカーもアンプもアナログプレーヤー、カートリッジも測定をやっていた。
長島先生が、他ではやっていない測定方法を考え出しての測定もあった。

それらの測定データをみて、いろいろ考えるのも楽しい。
新技術を採用したモデルの場合だと、いろいろ考える楽しさはさらに増す。

そうなのである。
私の場合、測定データは、いろいろ考えるためにある。
音を判断するためにあるわけではない。

Date: 4月 28th, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その6)

別項「BBCモニター考(余談・K+Hのこと)」で、
K+HのモニタースピーカーO500Cのことを書いている。

O500Cは残念ながら数年前に製造中止になっているし、
どうも日本には輸入されていないようである。
聴く機会は、おそらくないであろうが、いまでも聴いてみたいスピーカーであるし、
O500Cの後継機をK+Hが出してくれることを期待もしている。

O500Cは、素っ気ない外観のスピーカーシステムである。
写真を見ただけでは、聴いてみたいと思うようなスピーカーではない。

でもO500Cの測定データを、
O500Cが開発された時点で、ここまでの性能をスピーカーで実現していたのか、
と驚くしかない。

どこに驚いたかは、「BBCモニター考(余談・K+Hのこと)」で書いているので、
そちらをお読みいただきたいが、
測定データを見て、ぜひ聴いてみたい、と思ったオーディオ機器はほとんどない。

ここ20年では、O500Cぐらいしか思い浮ばない。
そのくらいO500Cの性能はきわめて優秀である。

オーディオマニアとしては、モノとしての魅力は乏しく感じられるO500Cだが、
測定データを見れば、少なからぬ人が一度聴いてみたい、と思うのではないのか。

このO500Cを聴く機会が訪れた、としよう。
その時、どう思うだろうか。

どんな音がするのか、想像できないところがある。
きわめて優秀な音ではあるはずだ。
外観と同じような素っ気ない音なのかもしれないし、
K+Hのスピーカーといえば、ステレオサウンド 46号の特集で、
瀬川先生がOL10の音について、
《ブラームスのベルリン・フィル、ドヴォルザークNo.8のチェロ・フィル、ラヴェルのコンセルヴァトワル、バッハのザルツブルク……これらのオーケストラの固有のハーモニィと音色と特徴を、それぞれにほどよく鳴らし分ける。この意味では今回聴いた17機種中の白眉といえるかしれない》
と書かれているし、
47号では、《ほとんど完璧に近いバランス》とまで書かれている。

そういうスピーカーだから、つまらない音のスピーカーであるはずがない、とも思っている。

Date: 4月 27th, 2019
Cate: オーディオ評論

オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(サービス業なのか・その5)

メリディアンのULTRA DACを2018年9月にはじめて聴いて、
特に通常のCD再生時のDSPによるフィルターの切り替え、
それによる音の変化は、さまざまな録音を聴く音楽好きにとっては有用な機能と感じるとともに、
short、medium、longの三つのフィルターは測定してみると、
いったいどういう特性なのか──、
そのことに関心がわいた。

昨年12月に検索してみると、
海外のオーディオ雑誌のサイトにULTRA DACの測定データが公開されていた。
見つけた時は、おっ、と思ったし、日本とは違うな、とも思っていた。

フィルターの切り替えで特性がどう変化するのかが、おおよそわかった。
けれど、だからといって、その測定データを見て、
聴きなれたディスクを鳴らす際、どのフィルターを選択したらいいのか、
それが聴く前にわかるわけではない。

正直、まったく役に立たない。
結局、short、medium、long、三つの音を聴いて選ぶしかない。

測定データを見たあとでもULTRA DACは聴いている。
フィルターの切り替えもやっている。
その時に、私の頭のなかには、測定データのことはまったくなかった。
フィルターによる音の違いを聴いているときも、測定データのことなんかすっかり忘れていた。

たとえばshortフィルターの音を聴いているときに、
ああいう特性のshortフィルターだから、こういう音になるんだなぁ……、
なんてことは微塵もなかった。

ほとんどの人がそうなのではないだろうか。
測定データが音の何を語ってくれるというのか。

日本のオーディオ雑誌には測定がない──、と不満をいう。
けれど、この時代、インターネットで海外のオーディオ雑誌のサイトもすぐに見ることができる。
そこには測定データがあったりする。

それを見ればいいじゃないか、と思う。

なにも測定する必要がないとはまったく思っていない。
MQA再生時におけるノイズがいったいどうなのか、
どこか測定してくれないか、と思っている。

DSD、MQA、それからWAV、FLACなど、
それぞれの再生時にノイズはいったいどのくらいの量で、どういう分布をしているのか。
いま一番知りたいことである。

それでも、どこかが測定してくれた、としよう。
その結果を見たとしても、そうなのかと納得したとしても、
次の機会に音を聴いた時にはすっかり忘れている。

Date: 4月 27th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その5)

東芝クレーマー事件の数年前あたりから、
マルチメディアという言葉がよく使われるようになっていた。
CD-ROMが登場してからである。

しばらくしてパーソナルメディアという言葉を、何かで目にした。
アメリカの女性による言葉だった、と記憶している。

マルチメディアにはピンとこなかった私だったが、
パーソナルメディアは、確かにそうかも、と頷けた。

とはいっても、具体的にどういうものがパーソナルメディアなのか、
パーソナルメディアといっても、個人が作れるものなのか、
そんな疑問ももっていた。

そこに東芝クレーマー事件があった。
それまでにも個人サイトはいくつもあった。

それは趣味のことを書いたものであったり、
専門家の個人サイトでは、専門分野のことであったりした。

そこに東芝クレーマー事件の個人サイトが登場した。
東芝クレーマー事件の真相がどうだったのかは、実のところはっきりしないところもある。

それでも東芝クレーマー事件の個人サイトは、
それまで公開されていた個人サイトとは、はっきりと毛色が違っていた。

私にとって、東芝クレーマー事件の個人サイトは、パーソナルメディアの具体例、
それも最初の具体例であった。

東芝クレーマー事件の一年以上前から、
オーディオのウェブサイトをつくろう、と思ってきていた。

ただつくろう、つくりたい、と思っていただけで、
具体的な内容についてはほとんど考えていなかった時期に、
東芝クレーマー事件のサイトの登場であったわけだ。

Date: 4月 27th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(Good Reproductionの和訳・その2)

Good Reproductionを、居心地のよい音、響きとすれば、
居心地のよい部屋というものを考えてみれば、
居心地のよい音、響きがどういうことなのか浮んでくる。

居心地のよい部屋といっても、たとえば真夏と真冬では、
ベースとなる部屋は同じ空間であっても、
何から何まで、真夏と真冬が同じままでは、居心地のよい空間(部屋)とはいえない。

カーテンひとつにしても、真夏と真冬とでは色を変えたくなるし、
花瓶に挿いた花にしても、季節によって変ってくる。

こまかなところが、四季によって変化していってこそ、
居心地のよい部屋へと近づいていくのであれば、
居心地のよい音というものも、そうであるはずだ。

以前書いているように、井上先生は四季によって聴きたい音は変っていく、といわれた。
真冬は真空管アンプ、それもマッキントッシュの真空管アンプの音が恋しくても、
真夏になるとすっきりとした音のトランジスターアンプに切り替える──、
そんな話をよくされていた。

音の季節感について話されていたわけだが、
実のところ、井上先生が話されていたのは、
Good Reproductionについてだったのか、と、いまごろ気づいている。

Date: 4月 26th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(Good Reproductionの和訳・その1)

300Bのプッシュプルアンプについて書いてきていて、
グッドリプロダクション(Good Reproduction)のことに触れ始めている。

グッドリプロダクションについては、これまで何度か書いてきている。
Good Reproductionを心地よい音、としてきた。

たしかに心地よい音、響きである。
でも、それだけでは何か足りないような気も、ずっとしていた。

無理に日本語にすることなく、グッドリプロダクションでいいではないか──、
とも思うけれど、それでももっとぴったりとくる言葉はないものかと、
これを書きながらも思っている。

最近おもうようになったのは、
Good Reproductionとは、居心地のよい音、響きだということだ。

Date: 4月 25th, 2019
Cate: オーディオマニア

「シャカリキ!」(その1)

今日、24年ぶりに少年チャンピオンを買った。
今日発売の21+22号は、創刊50周年の特別企画として、
以前掲載されていたマンガを再掲載している。

21+22号には、曽田正人氏の「シャカリキ!」である。
1992年から1995年まで、私はこの「シャカリキ!」に胸を熱くしていた。

もう30になっていたのに、まだ少年マンガ雑誌を買っていたのか、とバカにされようが、
なんとも思わない。

「シャカリキ!」によってロードバイクに興味を持った。
オーディオもそうだが、自転車も、私の周りにやっている人はいなかった。

オーディオは「五味オーディオ教室」、
自転車は「シャカリキ!」から始まっている。

今回再掲載されたエピソードは、第134話の「坂の求道者」である。
どのエピソードが再掲載されているのかは、買ってみるまでわからなかった。
ページをめくって、やっぱりこのエピソードか、とおもう。

「坂の求道者」で、主人公の野々村輝の母親が、心の中で呟いている。
《自転車でしか伝えられない
 この子はそういう子なんだわ》

当時、何度も読み返していた。
一度目、二度目と読み、
三度目くらいで、ふと己をふり返った。

《オーディオでしか伝えられない》ことを持っているだろうか、と。

三年ほど前「会って話すと云うこと(その8)」で書いたころとは、
この時期でもある。

そのころの私は、
「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」

こんなことをいっていた。
ある知人が、せっかくの才能なんだからオーディオの仕事をしたらどうですか、
何か書いたらどうですか、
そんなことを何度もいっていたから、
それに対して、こう言って返した。

けっこう本気でそう思っていた。
これこそがいちばん贅沢かもしれない、とも思っていた。

そう思い込もうとしていただけかもしれないが……。

「会って話すと云うこと(その8)」でも書いてるが、
「シャカリキ!」とともに、このころ川崎先生のDesign Talkを読んでいた。

読んでいなかったら、そのままでいまもいたかもしれない。
こんなふうに毎日ブログを書くことはやっていない。

《オーディオでしか伝えられない》ことを持っているからオーディオマニアのはずだ。

Date: 4月 24th, 2019
Cate: 真空管アンプ

Western Electric 300-B(その17)

伊藤先生は、無線と実験の349Aのプッシュプルアンプの記事に、こう書かれている。
     *
 他人の作ったものばかり食べている人にはわかりますまいが、本当の食通は他人に嘲笑わても厨房に入りたがるものです。
 一番大切なことをいいましょう。「誰がこれを食べるのか」ということなのです。若い人か、年寄りか、肉体労働をしている人か、どんな条件(部屋)の雰囲気で食べるのか、とそれまで考えてやるべきでしょう。アンプにしてみればスピーカーとの組合わせなのです。プリ・アンプもカートリッジももちろん大切には違いありまんが、それにも増してスピーカーとの関係を大切にしなければなりません。
 測定ではわからないのです……というと、学識のある方に嘲笑われますが、こればかりは如何にもなりません。
 それはスピーカーというものは前述したように不思議なもので、アンプに較べて完璧なものが存在しないのです。あるスピーカーを捉えて、こんなアンプならいい音がするだろうなどと極めて無責任な考え方で音を出すのです。私にはそうしか方法がないのです。スピーカーの気嫌を取結ぶためにアンプを組んでいるのです。
 そして、スピーカーからきめてかかるのが一番良い音を出す途への近道なのです。
 良いスピーカーほど癖のあるもので、どんなアンプでも良く鳴るものにはろくなものはありません。
 ここでいう癖は忌(いや)な音というのではありません。誤解しないでください。
     *
349Aのアンプを作りたい、ということを伊藤先生に話したことがある。
「349Aはいい球だよ」といってくださった。
そしてアンプを自作するのならば、まず一時間自炊をしなさい、ともいわれた。

この時のことは別項「伊藤喜多男氏の言葉」に書いている。

平成の三十年間は、夕食に関しては、毎日とまではいかないけれど、自炊してきた。
「誰がこれを食べるのか」も、
三十年間ということは20代の私から50代の私まで、となる。
若い私から初老の私ということになる。

贅沢な自炊をしてきたわけではない。
伊藤先生は、こうもいわれた。
「いきなり300Bにいっても、300Bという球のほんとうの良さはわからないよ」
「349Aから始めるのはいいことだよ」

贅沢な自炊をしたくてもできない時期がけっこう続いた。
でも、それでよかったのだろう、たぶん。

Date: 4月 24th, 2019
Cate: オーディオマニア

平成をふり返って(その4)

東芝クレーマー事件についての詳細は、検索していただきたい。
私が書きたいのは、
この事件(なのか)の中心人物の個人サイトで公開された音声に関して、である。

東芝の渉外管理室の担当者の電話対応の録音は、衝撃的だった。
暴言を吐かれた、といったことが、そのサイトには書かれていた。
音声を公開しました、ともあった。

最初は聞く気はなかった。
当時はダイヤルアップ回線でインターネットに接続していた。
従量制だったから、そんなものを聞くのに、わざわざ接続するのもなぁ……ぐらいだった。

それに大袈裟に書いてあるものだとばかり思っていた。
先に聞いた友人から、驚くよ、という連絡があった。

ほんとうかなぁ、と疑いつつも聞いてみると驚く。
東芝のビデオデッキを購入し、修理を依頼し、個人サイトを公開した人物と、
東芝のどちらに非があるのか、そういうことは全部吹き飛ぶほどに暴言(恫喝に近い)だった。

この人物が東芝に対して要求していたことは、
クレームだったのか、コンプレイントだったのか。

別項『「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その56)』で書いているように、
クレーム(claim)とは、原語では、正当な主張、もしくは請求の意味であり、
いまの日本で一般的に通用しているクレーム、
つまり英語のclaimではなく、日本語のクレームは、英語のコンプレイント(complaint)である。

コンプレイントは、苦情、不平である。

東芝クレーマー事件の「クレーマー」は、
コンプレイントのほうであろう。
けれど渉外管理室の担当者の暴言によって、
コンプレイントはクレームへとなっていったのか。

東芝クレーマー事件以前にも、同じようなことは、各メーカーでもあったのかもしれない。
けれど、それらは表に出てこなかった。
関係のない人たちが知ることはまずなかった。

けれどインターネットの普及は、そこを変えた。