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Date: 4月 6th, 2020
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(購入後という視点・その13)

「てばなす」を私は「手離す」と書いてきている。
てばなすは、手放すであって、手離すは、私が勝手にそうしているだけである。

けれど、心情的に手放すではなく、どうしても手離すとしたいから、そうしている。
止むを得ぬ事情で、私のもとから離れていってしまったオーディオ機器、それにレコード、
それらは、私にとっては手放すではなく、手離すなのだ。

購入後には、この「てばなす」ことがある。
何ひとつてばなさずにいられる人もいる。
そうでない人もいる。

同じ「てばなす」にしても、手離すではない人もいよう。

新しいオーディオ機器を買う、
そのための購入資金の一部にするために、これまで使っていたモノを売る。
これもてばなすことだが、手放すの場合が多いのではないか。

手離すは、どこかに未練が残っている。
手放すには、未練はない。

手放すくらいのほうがいいのだろう。
それでも手離すとしたくなることが、私にはあった。
そういう私にとって、ステレオサウンドがつまらなくなったと感じるのは、
実はその点において、でもある。

五味先生の「オーディオと人生」に、こうある。
     *
 終戦後、復員してみると、我が家の附近は焼野ヵ原で、蔵書もレコードも、ご自慢のウェスターンも、すべて灰燼に帰していた。本がなくなっているというのは、文学を捨てろということではないのか、なんとなく、そんな気持になった。自分が大切にしたものを失ったとき、再びそれを見たくないと思うのが人間の自然な感情だろう。私は再びそれを取り戻そうとは思わなかった。それどころかもう二度と見たくない、という感じになっていた。音楽に対しても同じで、二十一年に復員してから、二十六年の暮まで私は音楽的なものに全く関心を向けなかった。
 小林秀雄氏が、当時来日したメニューヒンの演奏に感激して、朝日新聞に一文をしたためられたことがある。これを読んで、なんと阿呆なことを言われるのだろうと思った。メニューヒンが、それほどいいとは、私には考えられなかった。また、諏訪根自子のヴァイオリンに接して感激したという文化人の記事なども、新聞で見かけたが聴いてみたいとも思わなかった。
     *
五味先生は手離されていた。

Date: 4月 5th, 2020
Cate: 電源

スイッチング電源のこと(その10)

AC 200Vにしたメリディアンの218については、
書きたいことはけっこうあるが、
5月6日のaudio wednesdayまでは、このへんにしておく。

今回の218の音の変化を聴いた後では、
オーディオ雑誌での試聴は、AC 100Vの音だけで判断していいものだろうか、と思うようになった。

従来の電源トランスを使用した場合は、
AC入力は100Vに限定されている。

国産製品は当然だし、海外製品も100V仕様になっている。

輸入製品のなかには、内部のタップを切り替えることで200Vに変更できたりするが、
それでもユーザーが勝手にやっていいことではなく、
あくまでもAC 100Vで使用するのが前提である。

ところがスイッチング電源を搭載したオーディオ機器のなかには、
これまで書いてきているように、商用電源の電圧に幅広く対応できるモノがある。

そういう製品の場合、
100Vだけで聴くのか、それとも200Vでも聴くのか。

200Vの音を聴かずに、その製品の音を判断していいのだろうか。

一般家庭の多くは、100Vである。
だから100Vの音だけでいいじゃないか──、そういわれそうだが、
たとえばメリディアンの218の消費電力は、カタログによれば5Wである。

わずかな消費電力であれば、
200Vへの昇圧トランスもそれほど大型のモノを用意せずにすむ。

私が使っているルンダールのLL1658は、重量1.35kgである。
それでも218よりも重いのだが。

オーディオ雑誌の試聴の際には、
200Vをどうやって得るのかは、問題となる。

昇圧トランスを、消費電力に応じていくつか用意するのか。
同じ容量のトランスでも、トランスによって音は違ってくるし、
トランスを使うデメリットも生じる。

そのデメリットを、少しでも小さくするために、
LL1658には、少しばかり手を加えているが、
そういうことをオーディオ雑誌の編集者がやるのか。

試聴室だから、壁コンセントのどれかを200Vにしておくのがいい。
昇圧トランスを使っての200Vとは条件が違う、
だから読者の参考にはならない──、
そんな言い訳も出てきそうだが、現実に私以外にも、
218を200Vもしくは240Vで鳴らしている人はいる。

218だけに限らない。
スイッチング電源を搭載したオーディオ機器を、
そうやって使っている人はいるわけだ。

Date: 4月 5th, 2020
Cate: 電源

スイッチング電源のこと(その9)

別項で書いているように、
メリディアンの218は、ルンダールの絶縁トランスLL1658を介して、
AC 100Vを200Vにしている。

ほぼ一週間この状態で聴いている。
もう元(AC 100V)に戻す気はない。

どんなふうに音が変化したのかは、
4月1日にやる予定だったaudio wednesday終了後に書くつもりでいた。
audio wednesdayに来てくれた人に、何の先入観もなしに聴いてもらいたいと考えたからだ。

4月1日にやる予定だったテーマ、218+αは、5月6日に行う。

LL1658を使っての最初の音は、よかった。
それでも新品ということもあって、多少は馴らし運転の時間も必要だろうと、
一枚目と二枚目のディスクは、それぞれ二回ずつ聴いていた。

約三時間聴いたあとに、
バーンスタイン/ベルリンフィルハーモニーによるマーラーの九番を鳴らした。
MQA-CDである。

これまで通常のCD、SACD、MQA-CDで聴いてきている演奏(録音)だ。
にもかかわらず、こんなにも背景雑音が多かったことに気づいた。
バーンスタインらしき声も、そうだ。

これらはそれほど小さな音なわけではない。
これまで聴いていたときも、耳には入ってきていたはずだ。

ライヴ録音なのだから、これらの背景雑音があるのはわかっていた。
これまでも気づいていたけれど、これほどとは感じていなかった。

つまり、今回改めて気づいた背景雑音を含めて、すべてが生々しい。
だからこそ、これまで耳に入ってきていても、
気にも留めることがなかった音が、はっきりと聴きとれる。

Date: 4月 4th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるベートーヴェン 交響曲全集(その3)

バレンボイムは、カラヤンほどではないようだが、
日本にはアンチ派が少なからずいる、らしい。

私の周りにアンチ・バレンボイムといえる人はいないけれど、
そういわれてみると、バレンボイムの評価は、
海外でのそれと比較すれば、あまり高くないことは感じている。

私はアンチ・バレンボイムなわけではないが、
好きか嫌いかでいえば、嫌いな演奏家の一人だ。

嫌いだからといって、その演奏そのものが嫌いなわけではなく、
嫌いという感情が個人的なものであるのはいうまでもないことで、
私がバレンボイムが嫌いなのは、
ジャクリーヌ・デュ=プレと関係してのことだ。

バレンボイムのことが嫌いだ、
けれどバレンボイムの演奏を嫌いであったり、批判したりはしない。

積極的にバレンボイムの演奏を聴いてこなかったけれど、
それでも指揮者としても、ピアニストとしても、
特に優れた演奏家との共演者としてのバレンボイムの演奏はみごとだと感じているし、
バレンボイムが、フルトヴェングラーの信奉者であることも知っている。

そのバレンボイムが、
1999年にベートーヴェンの交響曲を短期間で録音したことは、
バレンボイム嫌いの私でも知っていた。
興味も少しはあった。

どれか一枚くらいは買ってみようかな、と思いつつも、
それでも買わなかったし、聴くこともなかった。
縁があれば、どこかで聴く機会があるだろう……、そのくらいの興味だった。

4月3日に、e-onkyoで、バレンボイムのベートーヴェンの配信が始まった。
各交響曲ごとの配信もあれば、全集もある。

全集は、クリュイタンスによる全集同様、かなり廉い価格設定である。
二枚(二曲)買うのであれば、全集のほうがお得である。

しかもMQAである。
こうなると、バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリンのベートーヴェンへの興味が、
二十年前とは比較にならないくらい強くなってくる。

バレンボイムのベートーヴェンが、MQAでなかったら、
出たんだぁ……、ぐらいの興味のままだったかもしれない。

Date: 4月 4th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるベートーヴェン 交響曲全集(その2)

誰かからきいたのか、
それとも何かで読んだのか、
クリュイタンス/ベルリンフィルハーモニーのベートーヴェンは、
偶数番の曲がいい、という評判だった。

実をいうと、クリュイタンス/ベルリンフィルハーモニーのベートーヴェンを、
すべて聴いているわけではない。

四番と八番を聴いているだけだ。
六番も聴こうと思いつつも、
六番に関しては、ワルター/コロムビア交響楽団は、
昔から世評が高かった。

福永陽一郎氏だったはずだが、
ワルターを、ベートーヴェンの「田園」を指揮するために存在していた、とどこかで記していた。

そのことがどこかにあって、クリュイタンスの六番を外して、
四番と八番を聴いたものだった。

いま聴いても、いい演奏だ、とおもう。
節度ある、とか、粋な、とか、
そんな表現が使われそうなスタイルの演奏で、どこにも大仰なところを感じさせない。

その後のカラヤンとの録音とは、かなり対照的ともいえよう。

今回のリリースで、序曲をふくめて、一番から九番まですべて聴ける。
一番から順に聴いてもいけるし、
録音順に聴くことだってできる。

今日は帰宅が遅かったため、まだ聴き始めていない。
まずは四番と八番を改めて聴くことから始めようかとおもっている。

そして、今日リリースされたベートーヴェン全集は、
クリュイタンスだけではなく、
バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリンも出ている

Date: 4月 3rd, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるベートーヴェン 交響曲全集(その1)

今年(2020年)は、ベートーヴェン生誕250周年ということで、
各レコード会社から、ベートーヴェンの録音がけっこう数リリースされているし、
これからもかなりリリースされるであろう。

「MQAで聴けるベートーヴェン 交響曲全集」は、
いつか書けるかな……ぐらいには思っていた。

e-onkyoでは、
バーンスタイン/ウィーンフィルハーモニー、
カラヤン/ベルリンフィルハーモニー(二種)、
ネルソンズ/ウィーンフィルハーモニー、
クリップス/ロンドン交響楽団、
このくらいしかなかった。

なにもMQAにこだわらなければ、
flac、DSDであれば、もっと多くリリースされている。

3月下旬ごろから、クリュイタンス/ベルリンフィルハーモニーのベートーヴェンが、
ぽつぽつリリースされ始めた。
3月中にすべて(九枚)出た。

すべてを買うつもりはなかったけれど、いくつかは買おうと考えていた。
それで今日(4月3日)、日付が変ったばかりの0時すぎにe-onkyoにアクセスしてみると、
クリュイタンス/ベルリンフィルハーモニーによるベートーヴェンがまとめてリリースされていた。

単売されていたのが、すべてまとまって、かなりのお買い得な価格である。
もちろん即購入した。

いまはどうなのか知らないが、
私がクラシックに興味を持ち始めたころ、
クリュイタンスのベートーヴェンの交響曲は、
ベルリンフィルハーモニーによる初の全集録音であることはよく知られていた。

カラヤンではなく、クリュイタンスをベルリンフィルハーモニーが、
初の全集録音に選んだ理由は知らない。

いまは、この事実はどのくらい知られているのだろうか。

Date: 4月 2nd, 2020
Cate: audio wednesday

第111回audio wednesdayのお知らせ(218+α)

4月1日のaudio wednesdayは中止にしたので、
5月6日のテーマは、引き続き218+α。

ルンダールの絶縁トランスLL1658で、AC 100Vを200Vに昇圧しての218、
その他にもいくつかのアクセサリーを使って、
どこまでメリディアンの218の音が変化していくのか、
それをアバド/シカゴ交響楽団によるベルリオーズの幻想交響曲で確かめていく。

ルンダールの絶縁トランスも、そのまま使うのではなく、
少し手を加えている。

19時から21時ごろまでの二時間が第一部で、
アバドの幻想交響曲ばかりを鳴らしていく。

21時からの第二部では、さまざまなディスク(音源)をかけていく。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 4月 1st, 2020
Cate: 五味康祐

ケンプだったのかバックハウスだったのか(40年目の4月1日)

ステレオサウンド 55号の原田勲氏の編集後記には、こうある。
     *
 オーディオの〝美〟について多くの愛好家に示唆を与えつづけられた先生が、最後にお聴きになったレコードは、ケンプの弾くベートーヴェンの一一一番だった。
     *
テクニクスのアナログプレーヤーSL10とカシーバーSA-C02、
それにAKGのヘッドフォンを病室に持ち込まれていた。

これに近いシステムで、今日(40年目の4月1日)に、
ケンプの弾くベートーヴェンの作品一一一を聴いた。

iPHone、メリディアンの218、スタックスのヘッドフォンというシステムである。
五味先生はLPだったが、私はMQAで聴いた。

原田勲氏の編集後記には、こうも記してあった。
     *
先生は、AKGのヘッドフォンで聴かれ、〝ほう、テクニクスもこんなものを作れるようになったんかいな〟とほほ笑まれた。
     *
《ほう、テクニクスもこんなものを作れるようになったんかいな》には、
いい時代になったなぁ、という感慨もあったのではないだろうか。

いい時代になったなぁ、と私はしみじみ感じていた。
私が、今日聴いたシステムも、病室に持ち込める規模だ。
それでいて、どこにも薄っぺらさのない音で、ケンプのベートーヴェンを聴かせてくれる。

ケンプというピアニストの奏でる音と、MQAの本質的なよさは、
互いにソッポを向きあうわけではない。
むしろ、同じ方向の音と響きのようにも感じるから、
よけいにケンプのベートーヴェンが美しくきこえてくる。

いい時代になったものだ。

Date: 3月 31st, 2020
Cate: 五味康祐

ケンプだったのかバックハウスだったのか(番外)

予定していた4月1日のaudio wednesdayの最後にかける曲は、
ケンプのベートーヴェンのピアノソナタにしようと考えていた。

バックハウスにするか、ケンプにするか、迷っていた。
ケンプに決めたのは、MQAでリリースされているからだ。

バックハウスの演奏は、SACDが発売になっているし、
e-onkyoではDSFでリリースされている。

ケンプはflacとMQA(どちらも96kHz、24ビット)である。

MQAがある、
これだけの理由で、ケンプのベートーヴェンの後期のピアノソナタのどれかをかける予定でいた。

結局、明日のaudio wednesdayは止めにしたので、かけることはなくなった。

2026年の4月1日は、水曜日だ。
あと六年、audio wednesdayを続けていたら、この日にケンプのベートーヴェンをかけたい。

Date: 3月 31st, 2020
Cate: audio wednesday

第111回audio wednesdayのお知らせ(延期)

明日(4月1日)のaudio wednesdayは、やるつもりでいた。
テーマは「218+α」。楽しみにしている、という人がいたのは知っている。

私自身も、実際の音の変化・違いを聴いてほしい、と思っていたから、
楽しみにしていた。

それに4月1日、五味先生の命日でもある。

来られる人はかなり少ないだろう、
といってもいつも小人数の集まりだから、
そんなふうに思っていたが、今夕のテレビから流れるニュース速報をみて、
それに家族の強い反対で、明日行けなくなりました、という連絡も、
今朝あったから、少し迷っていたが、今回は止めにする。

今回のテーマは、5月6日のaudio wednesdayに延期の予定。
とはいっても、5月がどういう状況になっているのかはなんともいえない。
あくまでも5月に延期の予定ということになる。

Date: 3月 30th, 2020
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その6)

(その3)で《LS5/1Aまでは期待しないものの、LS5/5は復刻されないものか》と書いたところ、
その一年後、イギリスのグラハムオーディオがLS5/5の復刻を発表した。
2019年のことである。

こうなると、LS5/1の復刻を期待したくなる。
まぁ、でも無理だろうな……、と思っていた。

先ほどグラハムオーディオのfacebbokに、
LS5/1用のエンクロージュアが届いた、という写真が公開されていた。

バスレフポートの形状と数は違うが、
ウーファーは15インチ口径を、ストロットを採用している。
トゥイーターは、二つ取り付けられるようになっている。

ユニットの写真は、まだない。
どんなユニットが搭載されるのかを含めて、非常に楽しみである。

Date: 3月 30th, 2020
Cate: Glenn Gould, 録音

録音は未来/recoding = studio product(「コンサートは死んだ」のか・その2)

(その1)へのコメントがfacebookにあった。
録り直しを気が済むまでできる演奏と、
やり直しがきかない演奏とでは、
そこにマイクロフォンがたてられていても違うのではないか……、
という趣旨のことだった。

録音は確かに何度でも録れる。
グレン・グールドは、“non-take-two-ness”(テイク2がない)と言っている。
それにテープ編集での新たな創造についても、具体例を語っている。

録音の歴史をふりかえってみれば、
録音も、そう簡単に何度もやり直せるわけではなかった。

エジソンの時代、
いわゆるダイレクトカッティングで録音れさていた。
ちょっとでもミスがあったら、最初からやり直すしかない。

蝋管の時代から円盤の時代に移行しても、変らない。
ドイツがテープ録音を発明し、
アメリカで第二次大戦以降に実用化されて、録り直しが当り前のとこになってきたし、
テープ編集も生れてきた。

それでも1970年代には、音を追求してのダイレクトカッティングが、
いくつかのレコード会社で行われてきた。

最近では、2014年に、ドイツ・グラモフォンが、
サイモン・ラトル/ベルリン・フィルハーモニーによるブラームス交響曲全集を、
ダイレクトカッティングで録音している。

いまはテープ録音からハードディスクへの記録に変っている。
編集は、テープよりもより簡単に、正確に行える時代になってきているのは確かだ。

だからといって、演奏家はいいかげんな気持で録音に臨んでいるわけではないはずだ。

Date: 3月 29th, 2020
Cate: 電源

モバイルバッテリーという電源(その7)

DC 5Vの出力のモバイルバッテリーが手元に三つあるわけだが、
低電流モードに対応しているのは一つだけだから、そればかり使っている。

残り二つのうち一つは、auの長期利用者ということで、
十年ほど前に貰ったものだ。

もう一つが、低電流モード対応の製品の二日前に買っている。
これを無駄にしておくのはもったいない、と考えていたら、思いついたことがある。

モバイルバッテリーは充電しなければならない。
これまではiPhone用のアダプターを使って充電していた。
つまりAC電源をスイッチング電源でDC 5Vにしての充電である。

バッテリーとは化学反応だ。
充電する電源の質(ノイズの多い少ない)によって、なんらかの影響を受けるのか。

なので試してみた。
低電流モード非対応のバッテリーから低電流モード対応のバッテリーに充電した。
モバイルバッテリーからモバイルバッテリーへの充電である。

非対応のバッテリーのほうが容量が小さいため、
低電流モード対応のバッテリーをフル充電するには、
非対応のバッテリーを、ACアダプターで二回充電しなければならなかった。

それにせっかくだから、低電流モード対応機バッテリーも、
できるかぎり使い切って充電にしたかったので、試すにもけっこうな時間がかかる。

試みようと思って実際に音が聴けるようになるまで、一日半ほどかかった。
そういう事情があってのことだから、
比較試聴というには、あいだが開きすぎている。

厳密な比較試聴とはとうていいえないのだが、
音は変ったように聴こえたのかといえば、けっこう変ったように感じた。

追試をするにも、また時間がかかる。
バッテリーへの充電はバッテリーから、と断言はしないが、
モバイルバッテリーを複数持っている人ならば、試してみてもいいのではないだろうか。

Date: 3月 29th, 2020
Cate: audio wednesday

第111回audio wednesdayのお知らせ(218+α)

2015年4月のaudio wednesdayは1日だった。
2020年4月のaudio wednesdayも1日になる。

いうまでもなく4月1日は、五味先生の命日である。
1980年4月1日に亡くなられている。
まる四十年経つ。

だから、4月1日のaudio wednesdayの最後の曲は、
五味先生にちなんだ選曲にしたい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

19時開始です。

Date: 3月 28th, 2020
Cate: フルレンジユニット

シングルボイスコイル型フルレンジユニットのいまにおける魅力(次なるステップは……・その3)

よくできたフルレンジユニット、
それも小口径のフルレンジユニットで、
ヴォーカルものを鳴らすと、いわゆる口の小さな再生が得られやすい。

ヴォーカルの再生において、その口が小さいことは、
よい音への絶対条件のように、昔からいわれ続けてきている。

カバの口みたいに大きさ──、
こういわれたら、ひどい音ということでもある。

高校生のころ、瀬川先生が鳴らしてくれたKEFの105の音は、
見事に口が小さかった。

女性ヴォーカルを、とにかくいい音で聴きたい──、
ということを瀬川先生にいったところ、
そのオーディオ店にあった105を、手際よく調整され「ここで聴いてごらん」といわれた。

バルバラのレコードだった。
バルバラの口が、左右のスピーカーの中央に、ぴたっと定位していた。
薄気味悪いほどで、唇の動きまでわかる、といいたくなるほどだった。

口の小さな再生は、確かに魅力的である。
この105の話は、これまでも何度か書いてきているが、
あえて書かなかったことがある。

それはバルバラの口が、そこに浮んでいた、ということである。
表現をかえれば、バルバラの肉体は、そこには感じられなかった。

おそろしくリアルな口だけが、何もない空間にあらわれて歌っている。
これは、オーディオ再生のひとつの快感ともいえよう。

このことにあえて触れなかったのは、
オーディオ店での、わずか数分の調整での音であるからだ。

「ヴォーカルの口が大きくなるくらいなら、低音はいらない」、
こう言った人がいる。

その人の気持はわからないわけではない。
それでも、低音がすぱっとあきらめてしまったら、
歌手の肉体は再現され難い。