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Date: 11月 22nd, 2020
Cate: ディスク/ブック

AFRICAN RHYTHMS

四年前のaudio wednesdayで一度鳴らしたことのあるピエール=ローラン・エマールの“AFRICAN RHYTHMS”。

このディスクの二曲目に、スティーヴ・ライヒの“Clapping Music”がおさめられている。
手拍子のみ、プリミティヴな曲である。
けれど、表情豊かな曲である。

“AFRICAN RHYTHMS”というよりも、
“Clapping Music”を、MQAをきいたときから、MQAで聴きたい、と思ってきていた。

これも、過去形で書けるのが嬉しい。
e-onkyoで配信されないか、と期待していたけれど、
それほど売れそうな曲ではないだろうから、あきらめもあった。

TIDALにはあるだろうけれど、MQAではないだろう、と思っていた。
なのにMQAで、ある。

“Clapping Music”とMQA。相性はそうとうにいい。

Date: 11月 22nd, 2020
Cate: 音楽性

「音楽性」とは(映画性というだろうか・その12)

映画「鬼滅の刃」が、とてもヒットしている。
先日、仕事関係の知人が観に行っている。

彼いわく、「大ヒットの映画は映画館で観るべきではないかも」といっていた。
大ヒットしているといえる「鬼滅の刃」だけに、普段映画館に来ない人たちも大勢来る。
その人たちのなかには、ほんのわずかだがマナーがなっていない人がいるから、が理由だった。
かなりひどかった、そうだ。

「鬼滅の刃」の予告編は、「テネット」の上映の前に流されていた。
マンガとアニメを、とにかくバカにする人たちがいるけれど、
映画館での「鬼滅の刃」の予告編をみていたら、
観に行こう、と思わせるほどに、丁寧に制作された映画と感じられた。

これは映画館で観たい。
観に行くつもりでいたけれど、知人のいうのをきいて、
確かにそうかもな……、と思ってしまった。

そのマナーがひどかった人は、自分の部屋でみるのと同じ感覚だったのか。
話題になっている映画だから、映画館に行ったわけだけど、
映画のスクリーンは、家庭のテレビが大きくなっただけ、という感覚だったのだろうか。

それから、もうひとつ、今日知ったのだが、ファスト映画というのがYouTubeにある。
ファストはfastであり、ファストフードのそれである。

少し前から、Netflixに、再生速度を1.5倍にする機能がついた。
こんな機能、誰が使うんだろうか……、と私は思うのだが、
要望が多かったから、こんな機能を搭載したのだろう。

試しに、以前みた映画を、少しだけ1.5倍にした。
ストーリーを追うだけなら、1.5倍再生でみたほうが、時間の節約になる。

けれど、映画も音楽も、時間軸があってこその表現であって、
その時間を、受け手側が勝手に1.5倍にしてみることは、その映画を鑑賞したといえない。

ファスト映画は、1.5倍どころではなく、
第三者が10分程度に編集し解説をつけた動画のことである。

一時間半から二時間半ほどの映画一本を、10分程度に編集した動画をみる行為は、
1.5倍再生が、ずっとましに思えてくるほどである。

Date: 11月 21st, 2020
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その18)

別項「原音に……(コメントを読んで・その5)」で、
スピーカーのあがり的存在について、ちょっとだけ触れている。

瀬川先生にとってのスピーカーのあがりがあったとすれば、
それはAXIOM 80だったのかもしれない。

それが「我にかえる」ということにつながっていくのではないだろうか。
そういう気がしてきた。

スピーカーのあがり。
といっても、YGアコースティクスでスピーカーはあがり、
マジコでスピーカーはあがり、といっている人たちと、
瀬川先生のあがりは、決して同じなわけではない。

Date: 11月 21st, 2020
Cate: 218, MERIDIAN

218はWONDER DACをめざす(その21・追補)

その21)の最後で触れたAudirvana

今日、Audirvanaのサイトにアクセスしたら、日本語のページができていた。
すべてのページの日本語版が出来ているわけではないが、
半分くらいは日本語化されている。

日本からのアクセスが増えてきたからなのだろうか。

Date: 11月 21st, 2020
Cate: ディスク/ブック

JUSTICE LEAGUE(その2)

二年前に、“JUSTICE LEAGUE(ジャスティス・リーグ)”のサウンドトラックのことを書いた。
買ってしばらくは、audio wednesdayでもかけていた。

別項で書いているように、
メリディアンのULTRA DACで鳴らした“COME TOGETHER”は、
聴き終ってから、おもわず「かっこいい」と口に出してしまうほどだった。
それも私だけでなく、聴いていた別の一人も、「かっこいい」ともらしていたほどだった。

よく聴くのは、一曲目の“EVERYBODY KNOWS”もそうである。
SIGRIDというノルウェー出身の歌手による“COME TOGETHER”、
Gary Clark Jr. and Junkie XLによる“COME TOGETHER”、
一時期、頻繁に聴いていた。

2019年秋にメリディアンの218を導入して以来、
e-onkyoで、“JUSTICE LEAGUE”のMQAがないものかさがした。
なかった。

いつか出ないかな、と思い続けてきたけれど、二年経っても出ないのだから、
半分諦めていた。

二年経って、これを書いているということは、
TIDALに“JUSTICE LEAGUE”があった。MQAであった。

218があるからMQAで聴ける。
聴いていると、ULTRA DACでの音を思い出す。

MQAで、しかもULTRA DACで“EVERYBODY KNOWS”と“COME TOGETHER”。
この二曲を聴いてみたい。

Date: 11月 20th, 2020
Cate: オーディスト

「オーディスト」という言葉に対して(その28)

1977年秋、ステレオサウンドから別冊として「HIGH-TECHNIC SERIES-1」が出た。
マルチアンプを特集したムックである。

瀬川先生が、マルチアンプについて、かなり長い文章を書かれている。
     *
 EMTのプレーヤー、マーク・レビンソンとSAEのアンプ、それにパラゴンという組合せで音楽を楽しんでいる知人がある。この人はクラシックを聴かない。歌謡曲とポップスが大半を占める。
 はじめのころ、クラシックをかけてみるとこの装置はとてもひどいバランスで鳴った。むろんポップスでもかなりくせの強い音がした。しかし彼はここ二年あまりのあいだ、あの重いパラゴンを数ミリ刻みで前後に動かし、仰角を調整し、トゥイーターのレベルコントロールをまるでこわれものを扱うようなデリケートさで調整し、スピーカーコードを変え、アンプやプレーヤーをこまかく調整しこみ……ともかくありとあらゆる最新のコントロールを加えて、いまや、最新のDGG(ドイツ・グラモフォン)のクラシックさえも、絶妙の響きで鳴らしてわたくしを驚かせた。この調整のあいだじゅう、彼の使ったテストレコードは、ポップスと歌謡曲だけだ。小椋佳が、グラシェラ・スサーナが、山口百恵が松尾和子が、越路吹雪が、いかに情感をこめて唱うか、バックの伴奏との音の溶け合いや遠近差や立体感が、いかに自然に響くかを、あきれるほどの根気で聴き分け、調整し、それらのレコードから人の心を打つような音楽を抽き出すと共に、その状態のままで突然クラシックのレコードをかけても少しもおかしくないどころか、思わず聴き惚れるほどの美しいバランスで鳴るのだ。
     *
グラシェラ・スサーナという固有名詞が出ているのも嬉しかったのだが、
それ以上に、日本語の歌で調整しても、それが「人の心を打つような音楽」として鳴ってくれるのならば、
最新のクラシックの録音も美しいバランスで鳴る、瀬川先生が聴き惚れるほどの音で響いてくれるわけである。

そのスピーカーの鳴らし手が、ほんとうに愛している音楽であれば、
丹精込めて調整していけば、どんなジャンルの音楽でも《聴き惚れるほどの美しいバランスで鳴る》わけだ。

友人のAさんから、つい最近、ある人に、
マイケル・ジャクソンでオーディオを調整している、といったら笑われた、というメールが来た。

笑った人がどういう人なのかは、まったく知らないし、
その人についてAさんに訊ねることもしなかった。
そんな人は、どうでもいい存在だからだ。

とはいえ、いまだにそんな人がいるのか、と思うとともに、
瀬川先生の文章を思い出すだけでなく、
そういう人も、オーディストである、とあらためておもった次第。

オーディスト(audist)は、
ステレオサウンド 179号に掲載されている山口孝氏の文章に出てきている。
私はこの「オーディスト」という言葉を初めて目にしたが、
それ以前から無線と実験では使われていたようだ。

山口孝氏にはそんな意図はまったくなかったのであろうが、
ステレオサウンドの読者をオーディスト(スラングで聴覚障害者差別主義者)と呼んだのは、
上のような人がいまだいるということを考えると、すごい皮肉としかいいようがない。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その5)

カルロ・マリア・ジュリーニとシカゴ交響楽団によるマーラーの第九。
e-onkyoには、flacの192kHz、24ビットが以前からあった。

ドイツグラモフォンからは、MQAの配信がけっこうある。
いつかはジュリーニのマーラーもMQAの192kHzでの配信が始まるのだろう、と待っていた。

今年10月になって、ジュリーニのマーラーが新たに配信になった。
MQAか、と期待したけれど、DSF 2.8MHzが加わっただけだった。

これも嬉しいことと思っているが、なぜMQAにしないのか。
早く出してほしい、と思う気持は強くなるだけ。

それがTIDALにはある。
192kHz、24ビットのMQAで配信されている。
もうこれだけでTIDALに入ってよかった、と満足できるくらいにうれしい。

マーラーの九番でいえば、ワルター/ウィーンフィルハーモニーの、
あの古いライヴ録音もMQA(44.1kHz)である。

それにジャクリーヌ・デュ=プレに関しても、
e-onkyoでは未配信のタイトルだけでなく、MQAのアルバムがいくつもある。

個人的にかなり意外だったのは、
テレサ・ストラータスの「The Unknown Kurt Weill」がMQAであったことだ。
ノンサッチの初期のデジタル録音だから、期待薄だった。

44.1kHzであっても、MQAの音質的メリットはきちんとある。
MQAは決してハイサンプリングのためだけの技術ではない。
時間軸のボケをなくす技術だと捉えている私は、
44.1kHzのデジタル録音でも、できるだけMQAにしてほしい、と思っている。

だからこそストラータスのワイルのMQAは、ひじょうに嬉しい。

クラシックだけにかぎっても、他にもある。
まだまだすべてを眺めた、とはいえない段階で、けっこうあるな、と感じているところだ。

もちろん反対にTIDALにMQAはないけれど、e-onkyoにはある。
どちらかだけでいいわけではない。
TIDALとe-onkyo、両方あって、MQAでの好きな音楽が聴ける範囲が拡がりつつある。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その4)

待たされることでいえば、映画に関しては、
話題作はほとんど待たされることはなくなっている。
日米同時公開は、もう当り前になっている。

それでもひさしぶりに待たされたな、と感じたのが、
「ワンダーウーマン1984」である。

昨年12月公開予定が、11月に繰り上げになった。
喜んでいたら、延期になった。
コロナ禍のために、その後も延期になり、
10月公開が決定されたかのように思われたし、
映画雑誌もそれにあわせて「ワンダーウーマン1984」の特集を組んだり、
表紙にするなどしていた。

けれどそれらの映画雑誌が発売になるころに、12月に延期の発表。
その12月の公開すら、来年に延期になるのでは、というウワサが流れ始めていた。

今日やっと正式に年内に公開されることが決定。
しかもアメリカよりも日本やいくつかの国のほうが一週間早くの公開である。
12月18日である。

ひさびさに「待った」という感じを味わった。
ほんとうに昔は、よく待っていた。

クラシックの録音のニュースがレコード雑誌に載っても、
発売されるまではけっこうな時間がかかることが多かった。

クラシックでは、ニューイヤーコンサートが録音されてから、もっとも早くの発売だったが、
それでも以前は数ヵ月は待っていた。
いまや、そんなに待たない。
というか、昔の感覚だと待ったという気すらしないほどに早く発売になる。

待つことが当り前の時代をおくってきた者には、
待たないですむということが、ありがたいことでもあるし、うれしくもある。

けれど、そんな待たない時代が最初から当り前の世代には、
それが当り前のことでしかないのだろうか。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その3)

アナログディスク、CDといったパッケージメディア以外で、
音楽を聴くオーディオマニアを蔑視するオーディオマニアがいる。

多いのか少ないのかはわからないけれど、確実にいることは知っている。
そんな人とは、もう接することがなくなっているから、
いまさら確かめる気もないのだが、
そんな人だって、最初に音楽を聴き始めたのは、ラジオだった、という人がいるはずだ。

これは少なくないはずだ。
私と同世代、上の世代となると、ラジオが最初の音楽体験だった、という人はけっこういる。
そういう人でも、なぜかオーディオ歴がながくなると、
アナログディスク、CDといったパッケージメディア以外で音楽を聴く人を蔑視する。

アナログディスク、CDで聴くのが好きというのなら、いい。
けれど、配信で音楽を聴く人を、なぜ蔑視するのだろうか。

TIDALにアクセスすると、ものすごい数のアルバムが表示される。
検索機能があるから、好きな演奏家、音楽をさがすのは、そう大変なことではないが、
検索せずに表示されるアルバムを眺めていると、
中高生のころ、FM誌の番組欄をマーカーをもって丹念にみていたことを思い出した。

といっても、そのころ住んでいた熊本ではFMはNHKしかなかった。
なので、それほど大変なことでもなかったのだが、
番組欄は、文字だけの情報しかない。

TIDALやe-onkyoなどではジャケット写真が、まず表示される。
もちろんカラーである。そのためずっとラクに感じる。

しかも、オッと感じた音楽を、すぐに聴ける。
放送日をじっと待つことはない。

若いころは待つのも楽しかったといえば、そうである。
あのころは映画に関しても、洋画の公開はけっこうまたされたものだった。

TIDALで聴いていると、そんなことも思い出す。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: 映画

私は、マリア・カラス(追補)

2018年12月に公開された映画「私は、マリア・カラス(MARIA BY CALLAS)」。
DVDは2019年9月に発売になっている。

今日からAmazon Prime Videoでの配信が始まった。

Date: 11月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その2)

TIDALのアカウントは問題なく作れた。
それでもiPhoneにTIDALのアプリをインストールすることは、
日本からだとできないわけではないようだが、手間がかかる。

やろうかな、と思ってみたけれど、
iPhone 12 ProにAmarra Playというアプリをインストールしていたことを思い出した。
iPhone単体でMQA再生を行えるのは、いまのところ、このアプリぐらいである。

Amarra Playは無料で使えるが、MQA再生には課金(860円)が必要になる。
iPhone単体でのMQA再生、
iPhoneにイヤフォンを挿してMQA再生をしようとは、これまで思っていなかった。

なのでこれまで課金することなく、数回試用(他のアプリとの比較)しただけだった。
TIDALのアカウントを作ってから思い出した。
課金することで、MQA再生が可能になるだけでなく、
TIDAL、Qobuzのサービスも利用できるようになる。

なのでさっそく課金した。
Amarra PlayのMQAは、96kHzまでのコアデコードである。
それでも聴いてみれば、MQAの良さが伝わってくる。

MQA対応のポータブルD/Aコンバーターは、すでにある。
オーディオクエストのDragonflyがある。

興味がないわけではないが、それでもDragonflyを使うには、
Lightning-USBカメラアダプタが必要になる。
Lightning-USBカメラアダプタは持っているけれど、
これとDragonflyをもって外出するかといえば、私はしない。

イヤフォンだけ、つまりiPhone単体でMQA再生できるのであれば、それでいい。
Amarra Playはぴったりのアプリといえる。
しかもTIDALのサービスも使えるようになった。

iPhoneのイヤフォンの組合せで音を追求するのであれば、
オーディオクエストのDragonflyということになるだろうが、
私はいまのところiPhoneとイヤフォンだけの組合せで、いい。

聴いていると、じんわりとすごい時代になった、と実感できる。

Date: 11月 18th, 2020
Cate: 所有と存在, 欲する

「芋粥」再読(その5)

半年ほど前、ソニークラシカルから1994年ごろに発売になっていたCDボックスを買った。
中古である。

CDボックスといっても、単売されていたCDを五枚をまとめたものだから、
ボックスには、五枚分のCDケースが入っている。
しかもそれぞれのディスクがパッケージされている。

二十数年前のCDボックスにも関らず、
開封されていたのは一枚だけだった。
残り四枚は封が切られてなかった。

このカザルスのCDボックスを最初に購入した人は、どういう聴き方をしていたのだろうか。
五枚すべてを、買った当初は聴くつもりだったはずだ。
けれど、一枚だけで終ってしまっている。

人にはいろんな事情があるから、あれこれ詮索したところで、
ほんとうのところが、まったく見知らぬ人についてわかるわけなどない。

私としては、新品同様に近いカザルスのCDボックスが格安で買えたわけで、
前の所有者が封も切らなかったことを喜んでもいいわけだ。

これはそんなに珍しいことではない。
クラシックのCDボックスを購入した人には、わりとあることのはずだ。
しかも、いまのCDボックスは、もっと枚数が多い。

しかも価格も安い。一度に複数のCDボックスを購入することもある。
昔は店に行って買っていたから、荷物になるから、と控えることもあっただろうが、
インターネットの通信販売を利用すれば、そんなことを気にする必要はない。

一度に複数のCDボックスを注文したことのある人は、けっこう多いと思う。
それだけの枚数のCDが届けば、それなりの満足(満腹)感が得られるだろう。

どんなに空腹であっても、目の前に一度では食べきれない量の料理を出されたら──。
いまだ封すら切っていないCDボックスが、目の前に積み上げられていく。

その人は、ディスクの購入者ではある。
けれど音楽を聴く権利を行使しないままでいるということは、
どこまでいっても、ディスクの購入者(所有者)でしかなく、
音楽の聴き手とはいえない。

Date: 11月 18th, 2020
Cate: 所有と存在, 欲する

「芋粥」再読(その4)

オーディオマニアのなかには、パッケージメディア、
つまりアナログディスク、CD、ミュージックテープなどといった購入したメディアでのみ、
音楽を聴くことにこだわる人がいる。

そういう人は、パソコンやiPhoneなどで音楽を聴くことは視界にすら入っていないのだろう。
趣味の世界ととらえれば、それはそれでいい。

けれど、これだけネットワークが普及して、
音楽を聴くために必要なことがずいぶん変化してきた時代において思うのは、
ここで何度も引用していることである。

黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」のなかの
「ききたいレコードはやまほどあるが、一度にきけるのは一枚のレコード」に、
フィリップス・インターナショナルの副社長の話だ。
     *
ディスク、つまり円盤になっているレコードの将来についてどう思いますか? とたずねたところ、彼はこたえて、こういった──そのようなことは考えたこともない、なぜならわが社は音楽を売る会社で、ディスクという物を売る会社ではないからだ。なるほどなあ、と思った。そのなるほどなあには、さまざまなおもいがこめられていたのだが、いわれてみればもっともなことだ。
     *
レコード(録音物)でも本でもいいのだが、
それを購入した人は、ディスクというモノ、紙の本というモノを所有していることになる。
けれど、それらを聴かず読まずであれば、どうだろうか。

そのディスクにおさめられている音楽、その本におさめられている小説、論文などを、
自分のものにした、とはいえない。

つまりディスクや本を買ったということは、そのディスク、本におさられている内容を、
聴いたり読んだりする権利を買ったわけで、その権利を行使するかのか、
それとも買っただけで、いわゆるツンドクのままにしておくのか。

そんなふうに考えていくと、レコード会社も出版社も、
ディスクや本といった物を売る会社ではなく、聴いたり読んだりする権利を売る会社といえる。

もっといえば、聴いたり読んだりする機会を売る会社でもある。

クラシックでは、CDボックスが、どのレコード会社からも毎月のように発売になる。
それらの多くは、CD一枚あたり数百円か、それ以下の価格で売られる。

なので、つい購入する。
購入すれば、一度十枚、二十枚、それ以上のCDが手元に来る。
一度にそれだけのCDが届いたからといって、それらをすべて聴くとはかぎらない。

Date: 11月 17th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その1)

MQAのエヴァンジェリストを名乗るのであれば、TIDALを無視できない。
TIDALについては、オーディオマニアならばどこかできいたりみたりしているだろうし、
すでに始めている人もいる。検索すれば、いくつもの記事が表示される。
説明はばっさり省く。

TIDALのサービスは、日本では始まっていない。
いつ始まるのかのアナウンスすらない。

「TIDAL 日本」で検索すれば、日本からでもサービスを利用する方法がわかる。
けれど、Windowsでのやり方のみである。

Macの場合、Apple IDとの関係で難しい、とある。
TIDALを使いたい、けれどWindowsは持っていない。

どうするか。
MacのBootCamp機能を使ってWindowsで起動するか。
それにはWindows OSを入手しなければならない。
もしくは格安のWindows機を購入してやるか。

あとはWindowsを使っている友人に頼むか。

けれど、Macだけでやれそうな気がした。
さっき試したら、すんなりできた。
あっけなかった。

もちろん、そのままだったらTIDALに拒否される。
VPNを使うこと、それからSafariでユーザエージェント機能を使うことである。

どちらも無料でできる。
手間もかからない。拍子抜けするほどだった。

Date: 11月 17th, 2020
Cate: アクセサリー

D/Dコンバーターという存在(その11)

X-SPDIF2は昨晩注文したばかりなので、まだ手元には届いていない。
数日から一週間ほどかかるそうだ。

中国からの購入、ということで、ここでも躊躇う人はいよう。
支払いはPayPalで行った。
PayPalの登録を含めて、すべてiPhoneから行った。特に難しいことはなく、すんなりできた。

まだ使っていない、つまり実物を見ていないけれど、
写真どおりのモノであれば、文句はない。

X-SPDIF2を三万円ほどで購入できたということは、
先日ヤフオク!で落札したMac mini(Late 2014)も、ほぼ同じくらいだったし、
その前に購入したネットギアのNighthawk Pro Gaming SX10もそうだ。

十万円ほどで、いわばトランスポートに相当するモノを集められた。
Mac mini(Late 2014)+Nighthawk Pro Gaming SX10+X-SPDIF2で構成する
デジタルトランスポート。

価格的にもサイズ的にも、メリディアンの218とのバランスがとれている、と思っている。
実験として、218と不釣合いな高価格のトランスポートをもってきて、
218の実力の限界は、どのあたりなのかを試してみるのは興味があるし、面白いとは思う。

けれど自分の環境において、それをやる気はない。
あくまでも218との組合せを、バランス良く構築したいのであって、
そのルール(制約)のなかで、あれこれ楽しみたいのである。

X-SPDIF2は、間に合えば12月のaudio wednesdayに持っていくつもりだ。