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Date: 4月 8th, 2021
Cate: ディスク/ブック

アレクシス・ワイセンベルク(その1)

ここ数日、TIDALで集中的に聴いているのが、アレクシス・ワイセンベルクである。
これまでワイセンベルクの録音は、ほとんど聴いてこなかった、といっていい。

もちろんゼロではない。
それでも好きな演奏家の録音を聴いてきた回数からすれば、ゼロに近いといっていい。
なぜ聴かなかったかというと、カラヤンと協演しているピアニスト、
その印象が強かったからだ。

「五味オーディオ教室」の影響が大きすぎる私にとって、
カラヤンの評価も、五味先生の影響が大きい。

アンチ・カラヤンというわけではないが、
カラヤンの録音で積極的に聴いているのは、
五味先生も絶賛されていた初期のころと、
それから五味先生が聴かれていない最晩年のころの演奏(録音)である。

ワイセンベルクは、私があまり聴いてこなかった時代のカラヤンとの協演が多い。
それに、なんとなくだが、正確に演奏する人というイメージが、
決していい方向ではなく、どちらかといえばネガティヴなほうに働いてもいた。

嫌いでもない(それほど聴いていないのだから)。
好きでもない。

なのに、ここ数日は聴いている。
TIDALがあるから、聴いている。

聴くきっかけは、グレン・グールドの言葉をふと思い出したからだった。
グールドは、ワイセンベルクは、どんな曲でも聴く気にさせる、
そんなことをいっていたからだ。

それもずいぶん前に読んでいた。
そのときに、ちょっとだけワイセンベルクを聴いてみようかな、と思いもした。
けれど、他に聴きたいディスクを優先しすぎて、
誰かとの協演して録音で聴くぐらいだった。

いまは違う。
TIDALで、かなりの録音を聴ける。
ワイセンベルクのソロも聴ける。

聴いて、グールドのいっているとおりだ、と思っていた。

今回はじめて知ったのだが、
ワイセンベルクはパーキンソン病を患っていた。

Date: 4月 8th, 2021
Cate: 「ルードウィヒ・B」

「ルードウィヒ・B」(ジャズ喫茶の描写・その3)

「美味しんぼ」というマンガがあった。

マンガにあまり関心のない人でも、かなりヒットしたマンガだけに、
どこかで目にしてたり、読んだことはなくても、
「美味しんぼ」というマンガがあったということは知っていよう。

「美味しんぼ」にも、ジャズ喫茶が登場する回がある。
「SALT PEANUTS」という回がそうだ。

地下にあるジャズ喫茶で、スピーカーはJBLの4350。
Aではなく、ウーファーのコーン紙が白い4350である。

注目したいのは、ジャズ喫茶の描写ではなく、
セリフに「レコード演奏」が出てくることだ。

「美味しんぼ」は1983年から連載がスタート。
「SALT PEANUTS」の回は1986年ぐらいだ。

菅野先生が「レコード演奏家論」をステレオサウンドに発表されるよりも、
かなり前である。

レコード演奏という表現は、「美味しんぼ」が最初ではない。
菅野先生も瀬川先生も、レコード演奏、レコードを演奏する、という表現を、
1970年代から使われていた。

とはいえ、オーディオ雑誌ではないところで、「レコード演奏」が登場したのは、
おそらく「美味しんぼ」が最初ではないだろうか。

Date: 4月 7th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

CR方法(その19)

私が使っているヘッドフォンは、在庫処分だったのか、
定価の半額に近い値段で、一時期売られていた。
いまはその値段は買えなくなっている。

この値段ならば、と思い、密閉型にもかかわらず買った。
密閉型のヘッドフォンは、あまり好まない。

でも、この値段ならば、一度くらいは密閉型もいいかな、と思っての購入だった。
それに聴いてみたいブランドでもあった。

今回CR方法をヘッドフォンでもやってみて、やっぱり開放型だな、と思っている。

開放型ヘッドフォンは、いま持っていないので試していないのだが、
密閉型よりは、ハウジング内部に部品をおさめることのデメリットは軽減されるはずだ。
開放型ヘッドフォンのほうが、CR方法による音の変化は、よりはっきりと良さが出ると思う。

とはいえCR方法をやってよかった、と思っている。
別項で書いているように、ヘッドフォンで聴くのは iPhone 12 ProとFC3の組合せで、
TIDALで夜遅く場合である。

ヘッドフォンをもっといいのにすれば、もう少しいい音で聴けるようになるだろうが、
そうするとFC3ではもの足りなくなるだろう。
そこで、FC3を別のD/Aコンバーターに買い替えると、次はまたヘッドフォン……、
ということになりかねない、というか、ほぼそうなる。

ほどほどにバランスがいまのところとれているから、
この状態のまま音を良くしていくのもCR方法はぴったりである。

ヘッドフォンでCR方法をやるのであれば、
ケーブルが両出しのモデルがいいはずだ。
ハウジング内部に部品をおさめずに、ケーブルのヘッドフォン側、ぎりぎりのところにつける。

けれど、これだとCR方法をやっていることが視覚的にもバレる。
誰かに見せるわけではない。
それでも、というよりも、むしろそれだからこそ、CR方法をやっていることを、
わからないようにしたい。

このへんは人の考えはそれぞれだろうから、音を最優先しての取り付けもいいが、
私は今回のことがあっても、次回もハウジング内部におさめる。

Date: 4月 7th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

CR方法(その18)

抵抗、コンデンサーをハウジング内部に収めるには、
イヤーパッドを取り外さなければならない。

どうやるのかはヘッドフォンによって違う。
取り外し方に迷った。
迷ったときは、Googleで検索。
ヘッドフォンのブランド名、型番につづけて“replacement ear pads”と入力すれば、
すぐにやり方はわかる。

すべてのヘッドフォンのやり方がわかるかどうかまでは調べていないが、
試しにいくつかやってみたら、すべてヒットした。

動画をみてやってみると、簡単に外せた。
内部をみると、メーカーがどこにお金をかけているかがよくわかる。

私が使っているのは三万数千円ほどの普及クラスのヘッドフォンだが、
外からみえるところは、うまく作られていると感じていたが、
ハウジング内部のつくりは、イヤーパッドを外さないとみえないわけだから、
この程度なのか、という印象である。

ハウジング内部に、なんとかDALEの無誘導巻線抵抗とディップマイカコンデンサーはおさまる。
作業はすんなり終了。
イヤーパッドを取り付けて元に戻す。

どれだけ音に変化があるのか。
これまでスピーカーでは何度も試しているから、
この程度の音は変化はあるだろうと、予想はしていた。

その一方で、密閉された狭い空間に部品をおさめているだけに、
アルテックのドライバーでのことがすでにあったから、
そのことがどれだけ影響するのかは、わからないところもあった。

結果は、やっぱり効果はあった。
けれど内部にいれたことによってだろう、
音の変化が予想していたよりも小さくも感じていた。

Date: 4月 6th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その4)

昨晩は男五人の飲み会だった。
どこかの飲食店でではなく、とある事務所でだった。

大きなテーブルに酒とツマミ。
男五人が、いつのまにか二人と三人にわかれて、
二人のほうは金融関係のまじめな話を、
三人(私はこちら)のほうは、あれこれいろんなことに話題が飛ぶ内容だった。

この事務所には、オーディオのシステムがある。
特に凝ったシステムではないが、あると、やはりいいものだ。
アンプを買い替えたい、ということだった。

それからネットワークオーディオもやってみたいということだった。
でもオーディオにはまったく詳しくない、という。

アンプの置き場所は、A級アンプや真空管アンプなど、
発熱の多いモノは向かない。

そうやっていくつかの条件を満たすモノはなにかと考えていたら、
JBLのSA750が好適なアンプにおもえてきた。

G級動作で、おそらく出力の割に発熱は少ないはずだ。
それにMQA対応のD/Aコンバーターも搭載している。

価格も3,000ドルらしいから、
なんらかのD/Aコンバーターとプリメインアンプを買うよりも予算は抑えられる。

問題は、SA750のデザインを気に入ってもらえるかだ。
意外にも、というよりも、当然なのかもしれない、と今回考えを改め直した。
SA750に対して、かなり好印象のようだった。

その人はSA600のことはまったく知らない。
SA750だけを見ての印象である。

SA750のデザインについて、あれこれいっている人は、
私を含めて、SA600に思い入れがあるからだ。
それゆえに、ついSA600とSA750を比較する。

Date: 4月 6th, 2021
Cate: 映画

シン・エヴァンゲリオン劇場版:||(その1)

今年最初の映画館での映画は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」だった。
平日の昼間、さほど混んでいなかった。

映画の出来、内容については人それぞれで賛否あったり、好き嫌いもあるようだ。
でも観ていると、これだけ時間をふくめて心血注いでつくられた作品は、
そう多くないと思っていた。

これだけだったら、ここでは書かないのだが、
「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」も、「願い」だった。

昨年12月にみた「ワンダーウーマン1984」もそうだった。
願いの成就には、高い代償をともなう。

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」では、「願いと報い」だった。

昨年最後に観た映画と今年最初に観た映画で、
「願いと報い」である。

Date: 4月 5th, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

CR方法(その17)

手持ちのヘッドフォンに試そう、とは前から考えていた。
すでにボイスコイルの直流抵抗は測定し、
必要な抵抗とコンデンサーは購入していた。

なのに迷っていたのは、どこにこれらの部品をとりつけるかである。

私が使っているヘッドフォンは左チャンネルからの片出しである。
左チャンネルに関しては、ケーブルの根元に取り付ければいいが、
右チャンネルとなるとヘッドバンドを経由する分だけ、
ボイスコイルとコンデンサーと抵抗の距離が増えることになる。

CR方法を実行することによる音の変化のほうが大きいであろうから、
それは些細な差なのかもしれない──と自分に言い聞かせても、
やっぱり精神衛生上しっくりこない。

それにどうしても部品の大きさの分だけ、ケーブルがふくれてしまう。
いかにもCR方法をやっています、とアピールする外観になってしまうのもイヤだった。

となるとイヤーパッドを取り外して、ハウジング内部におさめるしかない。
とはいえ、喫茶茶会記のアルテックのドライバーで同じことをすでにやっている。

それまでドライバーの端子に取り付けていた部品を、
バックカバーを外して内部に収めた。

内部にしてしまうことによるデメリットも小さくないとやる前から思っていたけれど、
以前書いているように、喫茶茶会記で演劇をやる人たちのスピーカーの扱いがひどい。
なので、通常はCR方法は外した状態で、audio wednesdayの時だけ取り付けていた。

そのままでもよかったのだが、通常の状態でもCR方法の音で聴いてもらいたいわけで、
そのためにもドライバー内部に収めたわけだ。

それまで使っていた部品をそのまま内部に収めた。
音は予想通り、芳しくない面も出てくる。
それでもないのに比べれば、ずっといい。

このことがあったからヘッドフォンのハウジング内部に部品を収めるのは、
二の足を踏んでいた。

Date: 4月 4th, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その66)

オーディオの想像力の欠如のままでは、
High Fidelity ReproductionとHigh Fidelity Play backとを、
一緒くたに考えてしまうのかもしれない。

Date: 4月 4th, 2021
Cate: ディスク/ブック

ホロヴィッツのトロイメライ

アルゲリッチのシューマンのアルバムが出たころだった、と記憶している。
ラジオ技術で、西条卓夫氏が、「子供の情景」のトロイメライはホロヴィッツに限る、
それも1965年、カーネギーホールでの演奏ということを書かれていた。

アルゲリッチの「子供の情景」はよく聴いた。
ステレオサウンドでの試聴ディスクとしても聴いていた。

サウンドボーイ編集長のOさんは、「ハスキルもいいぞ」ということだった。
ハスキルもよかった。
それもあって、なんとなくだが、
「子供の情景」、「クライスレリアーナ」は閨秀ピアニストがいい、というふうになっていた。

ホロヴィッツがいい──、
それはわかる。
でもこちらの感覚的には避けていたところがあった。

ホロヴィッツのほかのディスクは買って聴いていた。
でも、1965年のカーネギーホールのディスクだけは避けてしまっていた。

1986年のモスクワでのコンサート。
ドイツ・グラモフォン盤は聴いた。
ここでもトロイメライは聴ける。

トロイメライという曲は、
コンサートホールという、大勢の人を相手に聴かせる曲なのだろうか。
そんなふうに思うところが私にはあるから、
トロイメライのような曲は、スタジオ録音がいい。

アルゲリッチのシューマンのころは、頻繁に聴いていたけれど、
ぷっつりと聴かなくなった。

ホロヴィッツのモスクワのライヴ録音のように、収録曲として含まれていたら聴いていたけれど、
あえて「子供の情景」、「トロイメライ」を聴きたい、とは思わなくなっていたので、
どこかで耳にする以外は、これまでずっと聴いてこなかった。

もしかすると、もう聴くことはなかったかもしれない。
けれど、TIDALで、ふと興味半分で検索してみたら、やっぱりあった。
ホロヴィッツの1965年のトロイメライを、初めて聴いた。

西条卓夫氏が、1965年の演奏を推されるのか。
聴けば、直感的に理解できる。

会場のざわめきはある。
けれど、静まりかえっている。
へんないいかただが、公開スタジオ録音のようにも感じられる。

今回も、落穂拾い的な聴き方といえばそうなのだが、
拾っていかなければならない落穂が、私にはまだまだあることを感じていた。

Date: 4月 3rd, 2021
Cate: ヘッドフォン

ヘッドフォン考(その10)

三年半ほど前に、ヤマハのヘッドフォンの現在のデザインについて、
少しだけ書いている。

そこで書いていることのくり返しになるが、私にとってのヤマハのヘッドフォンといえば、
マリオ・ベリーニによるデザインのHP1、
ポルシェ・デザインのYHL003である。

現在のヤマハのヘッドフォンが、HP1やYHL003と違うデザインだから、
とやかくいいたいのではなく、
左右のハウジングに、大きくヤマハのマーク(音叉を三つ組み合わせたもの)が入っているからである。
ここに違和感をおぼえた。

そういうヘッドフォンは、ヤマハだけではない。
ほかのブランドからもけっこうな数出ている。

でも、ヤマハの以前のヘッドフォンのデザインを知っているだけに、
ヤマハの場合は、特に気になってしまう。

でも、このことはいまやヘッドフォンは、
屋内だけでなく屋外、
つまり人にみられる空間での使用が当り前になってきているわけで、
そこにおいて自社のブランドをはっきりとアピールすることは、
そのブランドにとってだけでなく、そのヘッドフォンを選んだユーザーにとっても、
重要なことなのだろう。

それでも私は、ヘッドフォンを外に持ち出すことはしない。
あくまでも、スピーカーで聴く音楽も、
ヘッドフォンで聴く音楽も、ひとりで、のものであるからだ。

Date: 4月 3rd, 2021
Cate: audio wednesday

喫茶茶会記とaudio wednesday(その3)

「音で遊ぶ」オーディオマニアなのか、
「音と遊ぶ」オーディオマニアなのか。

そんなことを以前書いた。
世間一般では「音で遊ぶ」のもオーディオマニアということになるだろうが、
私は「音と遊ぶ」ことを楽しめてこそオーディオマニアだと確信するようになった。

「音で遊ぶ」ようなことはaudio wednesdayではしたくない。
「音と遊ぶ」audio wednesdayを、新しい喫茶茶会記でやっていく。

Date: 4月 3rd, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その65)

オーディオの想像力の欠如とは、
原音再生という考えを捨て去れない、ということだ。

Date: 4月 2nd, 2021
Cate: ディスク/ブック

Hallelujah(その2)

“JUSTICE LEAGUE(ジャスティス・リーグ)”は、2017年に公開された映画だが、
最初の監督、ザック・スナイダーが降板したため、別の監督に途中で交代している。

そのため、ザック・スナイダー版“JUSTICE LEAGUE”の公開を求めて、
アメリカで署名運動が起き、今年HBO Maxで配信公開されている。

サウンドトラックも、2017年版があり、
今回のザック・スナイダー版とがある。

CDはまだ発売になっていないようだが、
というよりもCDが出るのかどうかも、ちょっとあやしい。

TIDALで最近聴けるようになったのだけれども、
収録曲数54で、トータル4時間と表示される。

なのでCDの発売はないのかもしれない。

ザック・スナイダー版サウンドトラックには、“Hallelujah”がある。
レナード・コーエンのHallelujahである。
歌っているのは、Alison Crowe(アリソン・クロウ)。
ピアノの弾き語りだ。

この“Hallelujah”も、いい。

Date: 4月 2nd, 2021
Cate: 真空管アンプ

現代真空管アンプ考(その30)

QUADの22+IIの組合せを聴く機会には恵まれなかったけれど、
ステレオサウンドで働いていたから、QUADのトランジスター式のアンプをよく聴いた。

QUADのペアで聴くことも多かったし、
それぞれ単独で、他のメーカーのアンプとの組合せでも、何度も聴いている。

そうやってQUADのアンプの音のイメージが、私のなかでできあがっていった。
このことが、QUAD IIの真価をすぐには見抜けなかったことにつながっていったように、
いまとなっては思っている。

QUAD IIは22との組合せで、とある個人宅で聴いている。
他のアンプと比較試聴をしたわけではない。
あくまでも、その人の音を聴かせてもらうなかで、
アンプがQUADの22+IIであった、というわけだから、
その時の音の印象が、QUAD IIの音の印象となるわけではない。

それは十分承知していても、
私がQUAD IIを聴いたのは、このときとあと一回ぐらいだ。
どちらも22との組合せである。

22との組合せこそ、もっともQUADの音なのだが、
こうやってQUAD IIのことを書き始めると、QUAD II単体の音というのを、
無性に聴いてみたくなる。

おそらくなのだが、かなりいい音なのではないだろうか。
出力は公称で15Wである。
実際はもう少し出ているそうだが、
その出力の小ささとコンパクトにまとめられた構成、
そしてQUADのその後のアンプの音の印象から、
なんとなくスケール感は小さい、とどうしても思いがちだ。

実際に大きくはないだろう。
際立ったすごみのような音も出ないだろう。

それでも、フレキシビリティの高い音のような気がする。
このことはQUAD IIのアンプとしてのつくりとともに、
現代真空管アンプとしての重要な要素と考えている。

Date: 4月 1st, 2021
Cate: 夢物語

20代のころの夢もしくは妄想(その5)

四十年前の春、東京で暮すようになった。
10代のころの夢、20代のころの夢が違ってきたのは、
このこともけっこう大きく影響しているのだろう。

10代の大半は実家で、であった。
そのころは純粋に趣味としてのオーディオのことだけを考えていた時期でもあった。
高校一年ぐらいまでは、ずっと実家で暮していくものだと思っていた。

弟と妹がいる。
つまり長男である。
そうなのだが、これまで長男だ、というと、えっ、と驚かれるだけだった。
長男には、まったく見えないらしい。

でも長男なので、一時、実家を離れても戻ることを当り前のこととして捉えていた。
こんな私でも、長男だから……、という意識はもっていた。

オーディオを趣味としてやるのであれば、実家にいたほうが有利だ。
広い空間が使えるし、AC電源に関しても60Hzである。
それに田舎なので、静かだし、オーディオをとりまくノイズも少ない。

それが高校三年になる前くらいから変っていった。
思い出そうとしても、なにがきっかけだったのかははっきりとしない。

1980年の秋が深まったころには、東京に行かなければ、となぜか思うようになっていた。