Date: 4月 9th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その5)

MA7900には、プリ・パワー分離端子がついている。
1970年代の国産プリメインアンプによくついていた機能である。

プリメインアンプに、コントロールアンプとしての出力と、
パワーアンプとしての入力がついていて、
MA7900の場合、ふたつの端子をジャンパー線で結んでいる。

このジャンパー線を外せば、コントロールアンプとしても、
パワーアンプとしても使えるわけで、
入力セレクターがきかない状態でも、パワーアンプとしては問題ないようだから、
なんとか音を出せるんじゃないか、と考え、
CDプレーヤーの出力を、ポテンショメーターを介して、MA7900のパワーアンプ入力に接いだ。

SOURCE:OFFの状態では、パワーアンプの出力にプロテクションが働いているようで、
音は鳴らない。

それであきらめて、「電源に関する疑問(バッテリーについて・その3)」に書いているように、
CONSONO(コンソーノ)という、桐製Bluetoothスピーカーを聴くことになった次第だ。

いつもは23時30分ごろまでやっているaudio wednesdayだが、
4月4日は一時間ほど早くお開きになった。

帰宅して入浴して、そろそろ寝ようかとしていたところに、
喫茶茶会記の福地さんから連絡があった。

FACTORY RESET、工場出荷時の状態に戻せた、とあった。
福地さんは、入力セレクターのツマミを外したそうだ。
そうすれば入力セレクターのシャフトが露出する。
その状態だと押せたそうである。

ということは入力セレクターが押せなかった、ということは、
ツマミがなんらかの理由で通常よりも押し込まれていて、
押し込むだけの余裕がなかったことになるのだろうか。

ツマミは装着されている。
けれどやや浮し気味での装着らしい。

Date: 4月 9th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その4)

MA7900はトーンコントロールの下にディスプレイがある。
ここに選択したプログラムソースとボリュウムの大きさが表示される。

MA7900は電源コードが接っていると、スタンバイ状態になっている。
4月4日のaudio wednesdayで、スピーカーのセッティングが終り、結線もやった。
そこで電源を入れたら、ディスプレイに、SOURCE:OFFと出た。

通常ならば前回鳴らした際に選択したソース(CDなりPHONOなりが表示される)と、
ボリュウムの大きさが表示される。

あれっ? と思いながら入力セレクターをまわしてみる。
けれど表示は変らない。

レベルコントロールをまわすと、ボリュウムの値は変化する。
けれど入力セレクターはどんなにまわしてもSOURCE:OFFのまま。
当然は音は出ない。

しかもスタンバイ状態を示す赤色のLEDが点灯したままである。
なんらかのトラブルが起きている。

けれど、どんなトラブルが発生しているのかが、掴みにくい。
いろいろやっても改善しない。

取り扱い説明書を出してもらった。
英文のオリジナルの取り扱い説明書と、
それを日本に訳した取り扱い説明書とがあった。

そのどちらにもSOURCE:OFFについての記述がない。
しかたないのでリセットしようということになった。

取り扱い説明書にしたがって、何度もやってみても効果なし。
次に工場出荷時の状態に戻そう、ということになった。

入力セレクターとレベルコントロールのツマミを同時に長押しすることで、
工場出荷時に戻せるわけなのだが、これもできない。

レベルコントロールは押した、という感触があるなのに、
入力セレクターは押せない状態になっている。

最初にMA7900を鳴らしたときには、確かに入力セレクターも押せた。
それはCD2入力をUSB端子に設定したときに、必要な操作だったからだ。
なのに今回は、セレクターの不具合なのか、押せない。

押せない以上、工場出荷時の状態に戻せない。

Date: 4月 8th, 2018
Cate: 戻っていく感覚

好きな音、好きだった音(その5)

別項「日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その6)」で引用した内田光子のインタヴュー。

手元にそのレコード芸術がないので正確な引用ではないが、
そこで語られた言葉で印象に残っているのが、もうひとつある。

「人は歳をとればとるほど自由になる」
そう内田光子は語っていた。

この言葉を、内田光子は、
ベートーヴェンのピアノ協奏曲の録音で協演したザンデルリングにも言った、とあった。
ザンデルリングも同意した、と記事にはあった。
(確か2010年ごろのレコード芸術のはずだ)

歳をとるということは老化する、ということ。
体力的には衰えるし、身体も硬くなってくる。

けれど自由になっていく。
自由になっていくことを自覚していない人は、
つまりは大人になっていない、ということなのかもしれない。

この「自由」になっていくことで、はじめて鳴らせる音の領域がある、と、
ここ数年思うようになった。

内田光子のインタヴューを読んだときは、私はまだ40代だった。
いまは50なかば。
内田光子のことばを実感しつつある。

Date: 4月 8th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その3)

マッキントッシュの歴代のアンプでもっともツマミ、スイッチが多かったのは、
コントロールアンプのC32である。

C32が登場したころは、まだCDもなかったし、
AV(オーディオ・ヴィジュアル)とも騒がれていなかった。

いまではアナログ入力だけでなくデジタル入力も求められるし、
ホームシアター用にも使えることを意図したアンプでは、
マルチチャンネル再生への対応求められる。

そうなってくると、フロントパネルのツマミとスイッチには、
整理と省略が必要となってくる。
求められる機能の数だけのツマミとスイッチを増やしていけば、収拾がつかなくなってくる。

MA7900も整理と省略されたフロントパネルをもつ。
それが成功している例とはいわないが、
MA7900はそういう試みのプリメインアンプであるし、
そのために内部にプロセッサーをもち、信号を処理しているし、
それゆえに取り扱い説明書を読まなければ──、という面ももつ。

LPを再生し、CDに関してもアナログ入力とデジタル入力の両方で使う──、
そういったオーディオだけの使い方においては、
最初に取り扱い説明書を読んで、必要な設定を終えていれば、
使うたびに取り扱い説明書が必要となるわけではない。

けれどなんらかのトラブルが生じると、
取り扱い説明書をひっぱり出してこなければならないし、
それまでに培ってきたトラブル時のノウハウも、ここではあまり役に立たなかったりする。

Date: 4月 8th, 2018
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(その13)

日本オーディオ協会によるハイレゾオーディオの定義は、
アナログ領域では、次のようになっている。

 録音マイクの高域周波数性能:40kHz以上が可能であること。
 アンプ高域再生性能:40kHz以上が可能であること。
 スピーカー・ヘッドホン高域再生性能:40kHz以上が可能であること。

わかりやすいといえば、そうである。
でも、ここでも思い出すのは、瀬川先生がずっと以前に書かれたことだ。
     *
 昼間ぼんやりとテレビをみていたら、どこかのチャンネルの料理教室で辻嘉一氏が鰯料理というのをやっていた。アナウンサーが鰯の見分け方選び方等どうすればよいかと質問すると、辻氏は一瞬、言葉につまったようだったが「──つまり……。いちばん鰯らしい鰯を選ぶんですね」と言ったものだ。これは実におもしろい表現で、禅問答風の趣きさえあるが、わたくしはスピーカーについてこのらしさという表現がぴったりだとそのとき感じた。たとえば、スピーカーを手にとって仔細に眺める。いかにもスピーカーらしい、ウーファーらしいトゥイーターらしいユニット。わたしくの経験では、こうした直観に大きな過ちはなかった。わたくしは面喰いを自認しているが、しかし(単なるみせかけでなく本質的な)形の良いものに悪い音のパーツはひとつもないと断言できる。音は必ず、形ににじみ出ている。らしい形をしているのだ。
 次には音を聴いてみる。ピアノがピアノらしく、バイオリンはいかにもバイオリンらしく聴こえることが大切である。そんなことは当り前といわれるかもしれないが、ところが、ピアノがピアノに聴こえないスピーカーは、そう少なくはないとわたくしは思う。マルチ・ウェイとしたときも、聴こえてくる楽器の音を、それらしくなるように調整する。いくら調整してもらしくならなければ、それはユニットの選定のどこかがおかしい。またはアンプが、カートリッジがおかしい。
 もっと具体的に書かなくてはいけないだろうか?。たとえば多くの方は、マルチ・スピーカーを組み立てたとき、まず、どれだけレンジが延びたか、ハイが延びたか、ローが延びたか……というように、出る出ないという聴き方をしていないだろうか。しかし、いままで書いてきたことからもご理解頂けるようにマルチスピーカーは、決してレンジを広くする目的で作るのではない。帯域を拡げるのが目的ではなく、帯域の中で音のクォリティを(品位)を上げることが目的なのだ。楽器の音が最も楽器らしい、人の声が人の声らしい、ということが、クォリティのよい証明である。高音の出かた、低音の出かたに気をとられてしまうと、かえって、このらしさに注意がゆかないものだ。(音を受けとる古人によって、らしさの感じ方はすべて違う。受けとり方が違うからこそ、その人にとってらしいということが大切なのだ)
(ステレオサウンド 5号「スピーカーシステム・ユニットのすべて」より)
     *
ステレオサウンド 5号は1967年12月に出ている。
50年前に書かれているわけだ。

いまさら、といわれるかもしれないが、
ほんとうに「いまさら」だろうか。

日本オーディオ協会のハイレゾオーディオの定義と運用には、
「聴感に関わること」の項目があるのはわかったうえで、これを書いている。

同時に「らしさ」ということで、
少し前に書いた「Hi-Resについて(山下達郎と中島みゆき)」とも関係してくる。

Date: 4月 7th, 2018
Cate: 書く

毎日書くということ(答えではなく……・その4)

デザイン(design)は、そのまま日本語に訳されることなくとけ込んで使われている。
無理に訳す必要はないのではないか、と藤崎圭一郎氏はいわれた。
私もそう思う。

けれど、デザイナー(designer)を、どう日本語に訳すのか。
これは考えていかなければならないと思うし、
デザイナーをどう訳すのかを考えることが、
なんらかの答につながっていくように感じている。

Date: 4月 6th, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(四回目・その4)

藤崎圭一郎氏が講師の五回目について書いているのに、
ここで石黒浩氏が講師の四回目について書くのは、
往年の女優のモノクロ写真を十枚ほど見る機会があったからだ。
そして色と構図について、思い出していた。

別項で「音の色と構図の関係」を書いた。
まだ(その1)だけで、続きを先延ばしにしているが、
色と構図は、今年一年の、個人的なテーマである。

KK適塾以前に「音の色と構図の関係」は書いていたけれど、
四回目のときに、このことを思い出すことはなかった。

アンドロイドには色がついている。
人間に酷似しているタイプ(ジェミノイド)は、
人間と同じに色をもっている。

けれど、この色をすべて廃して、モノクロ写真のようにしてしまったら、
それを見て、人はどう感じるのだろうか、と考えてしまった。

モノクロ写真的色調のジェミノイド。
そこに独自のリアリティはあるのだろうか。

Date: 4月 5th, 2018
Cate: 電源

電源に関する疑問(バッテリーについて・その3)

昨晩(4月4日)のaudio wednesdayは、アンプのトラブルにみまわれたわけだが、
音がまったくなかったわけではない。

デザイナーの坂野博行さんが、あるスピーカーをもちこんでくれたおかげである。

CONSONO(コンソーノ)という、桐製Bluetoothスピーカーである。
このスピーカーについては、いずれ書く予定。

CONSONOの音を聴いては、あれこれ話していた。
一時間以上経ったころだろうか、音はあきらかに変化した。
いわばアンプのウォーミングアップが終ったような音の変化である。

音がやっと目覚めてきた、という感じの音へと変った。
内蔵のアンプのウォーミングアップが終ったのかと、最初は思ったが、
内蔵アンプはDクラスで、そこに使われているチップは小指の爪よりも小さなサイズ。
このサイズのアンプのウォーミングアップとは思えなかった。

となるとバッテリーなのか。
CONSONOのなかには、電源としてモバイル用バッテリーがある。
このバッテリーのウォーミングアップを経ての音の、明らかな変化だったのか。

バッテリーにウォーミングアップがあっても、別に不思議ではない。
それによる音の変化が生ずるのも避けようのないこと。

それにしても、かなりの音の変化である。

Date: 4月 5th, 2018
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その2)

マッキントッシュのプリメインアンプMA7900のフロントパネルには、
それほど多くのツマミがあるわけではない。

入力セレクターとレベルコントロールがあって、
そのあいだに5バンドのトーンコントロールのツマミが並ぶ。
あとはいくつかのプッシュスイッチぐらいである。

トーンコントロールが充実しているくらいで、
それ以外はさほど機能重視とはいえないパネルレイアウトにみえるが、
それまでのマッキントッシュのプリメインアンプが備えていた機能は省略されていないし、
別売の機種との併用することで、かなり多機能なプリメインアンプともいえる。

そのために入力セレクターとレベルコントロールのツマミは回転だけでなく、
押すことができるようになっている。

ふつうに使えば入力セレクターであり、レベルコントロールなのだが、
そこになんらかのアクションを加えることで、さまざまなコントロールが可能になる。

その1)でモードセレクターがなくなったようにみえる、と書いたが、
省略されることなく装備されている。

USB端子によるデジタル入力も、そうである。
入力セレクターをまわしているだけでは使えない。
入力セレクターのツマミを押すことで、これらの設定が表示されるようになる。

つまり取り扱い説明書がなければ、MA7900の機能を知ること(使うこと)はできない。

機能の数だけツマミやスイッチがパネルにあれば、
取り扱い説明書を見なくとも(なくても)触っていけば使える。
けれどその分フロントパネルにはツマミ、スイッチが多くなり、
それらをどう整理してレイアウトするのか──、メーカーにとってはかなりの手間のはずだ。

それをMA7900のように処理してしまえば、フロントパネルはすっきりする。
マッキントッシュのようにガラスパネルを採用するメーカーにとっては、
ツマミやスイッチの数が減ることは、
フロントパネル(ガラス)の加工の手間が減るというである。

Date: 4月 5th, 2018
Cate: ロマン

オーディオのロマン(ふとおもったこと)

EIICHI OHTAKI Song Book Ⅲ 大瀧詠一作品集Vol.3 「夢で逢えたら」(1976~2018)』も、
昨晩のaudio wednesdayでは、だから聴けなかった(鳴らせなかった)。

店主の福地さんに頼んで、喫茶室のスピーカーで鳴らしてもらった。
こちらの部屋に漏れてくる歌を聴いていて、ふとおもったことがある。

JBLで音楽を聴いている人は、ロマンティストなんだ、と。
もちろんJBLで聴いている人すべてがそうだとはいわないし、
現在のJBLのラインナップのすべてを、ここに含める気もさらさらないが、
私がJBLときいてイメージするスピーカーシステムで聴いている人は、
やはりロマンティストだ。

Date: 4月 5th, 2018
Cate: audio wednesday

第88回audio wednesdayのお知らせ

昨晩のaudio wednesdayは、アンプにトラブルが発生して音を出せなかった。
ネットワークの試みは、今回もできなかった。

5月は2日(水曜日)で、音出しの予定である。
スピーカーのホーン周辺が少し変化している予定である。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時開始です。

Date: 4月 4th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性

SNSが顕にする「複雑な幼稚性」(その3)

とんかつは、洋食屋、とんかつ屋、どちらにも共通するメニューである。
洋食屋ととんかつ屋は、どう違うのか。

箸で食すのがとんかつ屋で、ナイフとフォーク、スプーンで、なのが洋食屋という人もいるが、
とんかつ好きの私としては、
とんかつを自分で切って食すのが洋食屋であり、
調理人が包丁で切って客に出すのがとんかつ屋である。

洋食屋のとんかつは、自分で切るのだから、
SNSがこれほど一般的に普及しても変化はないが、
とんかつ屋の場合はそうではない。

インスタ映えという言葉が、SNSとともに広がってきた。
Instagram(インスタグラム)で公開する写真が映えるように、というのが、インスタ映えだ。

とんかつ屋のとんかつは切って出されるが、昔は切って出されるだけだった。
ところがインスタ映えのために、客の中にはとんかつの一切れを90度回転させ、
切った断面を上にして写真を撮る人があらわれてきた。

その影響からなのか、
とんかつ屋側で、最近では一切れ、断面を上に向けて客に出すところがあらわれてきた。
インスタ映えのために、そのことを考えている客にとっては、
そちらのほうが一手間が省けて、すぐに写真がとれる。

客への配慮ともいえるし、
うちはこれだけの良い肉を使っている、揚げ方も自信がある、
そんなことを客に暗に示すためなのかもしれないが、
昭和の洋食屋、昭和のとんかつ屋が好きな私は、
店側はそんなことをしなくてもいいのに……、と思う。

Date: 4月 3rd, 2018
Cate: 川崎和男

KK適塾 2017(五回目・その2)

藤崎圭一郎氏の話は、解像度と変異体ということで、
変化朝顔の写真から始まった。

変化朝顔については説明しない。
Googleで検索してみればわかることだから。

そのあとスクリーンに映し出されたのは、機動戦士ガンダムだった。
ガンダムについても説明しない。

そこでガンダムシリーズに登場するモビルスーツのいくつかが大映しされる。
ガンダムはこれまではいったい何作つくられてきたのか、
すべてを見るほどのガンダムのファンでないため知らないが、
いくつかは見ているし、けっこうハマったシリーズもある。

そのひとつが機動戦士ガンダムSEEDと機動戦士ガンダムSEED DESTINYである。
そのSEEDシリーズに登場しているモビルスーツが、スクリーンに映された。

解像度と変異体にぴったりの例であるからこそなのだが、
藤崎圭一郎氏は、SEEDシリーズを見られていたのか、と勝手に思っていた。

変化朝顔につづいてのガンダム。
首をかしげたくなる人もいたかもしれないが、
藤崎圭一郎氏と同世代(ともに1963年生れ)の私は、共感がもてるつながりである。

解像度と変異体の話をききながら、
私が思っていたのは、石森章太郎のマンガと、日本のオーディオ(製品)のことだった。

Date: 4月 3rd, 2018
Cate: ジャーナリズム

ステレオ時代 vol.11

ステレオ時代というオーディオ雑誌がある。
1970年代、1980年代にオーディオに夢中になっていた世代をターゲットにしている、といえる。
だから、私もターゲットのひとりなのだが、
私は、ステレオ時代を面白いとは思っていなかったし、
記事の内容についても、なにかいいたくなることのほうが多い。

もう書店でみかけても手にとることもなくなっていた。
でも今日は違った。
いま書店に並んでいるステレオ時代 vol.11の表紙に「ありがとう中島平太郎先生」とあったからだ。

雑誌も人も、すべてが変っていく──、
そのことはわかっていても、
どうもそれはネガティヴな方向へ変っていくことが多過ぎるためか、
なかなかポジティヴな方向へ変っていくとは思いにくい──、
そうおもっているのは私だけなのか。

「ありがとう中島平太郎先生」という記事のタイトルは、ストレートすぎるな、と感じる。
でも、妙に凝りすぎたタイトルよりは、好感がもてる。

他のオーディオ雑誌は、どこもやらなかった。
ステレオ時代だけが「ありがとう中島平太郎先生」をやった。
広告にはまったく結びつかない内容の記事をつくっている。

「ありがとう中島平太郎先生」で、私はステレオ時代への認識を少し改めた。

Date: 4月 2nd, 2018
Cate: ディスク/ブック

Hotel California(その5)

“Hotel California”だけではない、と(その4)で書いた。
ここでは“Hotel California”だけだ、と書く。

“Children of Sanchez”、「孤独のスケッチ」、「火の鳥」、
その他にも“THE DIALOGUE”、“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”もそうだ。

“THE DIALOGUE”は4343、さらには4350Aで聴いた音が、
“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”は、
ステレオサウンドの試聴室でアクースタットのModel 3で聴いた音が、
リファレンス(基準)として残るほどに、印象深い音を聴かせてくれた。

そしてこれらのディスクは、LPやCD、SACDで買って聴いている。
けれど“Hotel California”だけは、LPもCDになってからも買うことはなかった。

ここに挙げたディスクのなかでは、“Hotel California”が圧倒的に売れているし、
音楽好きの人ならば、どんなジャンルの音楽を好きであっても、
“Hotel California”は聴いたことがあるだろうし、知られているということでは、
他のディスクの比ではない。

売れているから買わなかった──、
そんな理由ではない。
なぜ買わなかったのか、いまでは憶えていない。

買わなかったから、自分の音で聴いていない。
そうなると、あの時聴いた音(リファレンスとなる音)のイメージが、
他のディスクのように確固たるものではなくなっている。

最初に出たCDの音は、いま手に入るリマスター盤の音とはずいぶん違うようだ。
まずレベルが違う、らしい。