Posts Tagged オーディオ評論家は読者の代表なのか

Date: 7月 9th, 2014
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その4)

別項(オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」)でも書いているように、
私はステレオサウンドには、オーディオ評論の本という側面が、以前は確かにあった、と感じている読み手である。

私はステレオサウンドをいつのころからかそんなふうに読んできたし、
そう読んでおもしろいオーディオ雑誌であった時期がある。
だからこそ夢中になって読んできた。

だが、このことは私の勝手な読み方だったのであろう、と、
2013年の、ステレオサウンド編集長の新年の挨拶を読むと、改めて思ってしまう。

本だけに限らない。
何であれ、送り手の意図とは違う受けとめられ方をされることは、決して少なくない。
むしろ意図通りに受けとめられることのほうが少ないようにも思っている。

ステレオサウンドというオーディオ雑誌を、どう読もうと、
ステレオサウンドを手にした人の勝手が許されるともいえるし、
送り手側にしてみれば、できればそうでないことを望んでいる。

2013年の新年の挨拶は、私がステレオサウンドに期待していることは、
期待すべきことではなかった、ということをはっきりとさせてくれた。

私はいまでも、ステレオサウンドはオーディオ評論の本として読み応えのある本であってほしい、
と望んでいるけれど、2013年の新年の挨拶にあるように
「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」こそが
ステレオサウンドの創刊以来変らぬ編集方針の柱であるのなら、望むのは筋違いでしかない。

そして考えたいのは、
「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」には、
オーディオ評論家は読者の代表という意識があるのか、ということ、
ステレオサウンド編集部にもそういう意識があるのか、ということである。

Date: 7月 9th, 2014
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その3)

ステレオサウンド編集長による2013年の新年の挨拶に、こう書いてあった。
     *
創刊以来、「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」との想いはただの一度も変ったことがありません。そして、これからもこの想いはけっして変ることがありません。
     *
茶化すつもりはまったくないのだが、
これを読んで、ステレオサウンドとはそういうオーディオ雑誌だったのか、と思った。

ステレオサウンド編集部に七年いた。
七年間で、「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」、
そうおもっていたことはなかったのではないか、とふり返ってみた。

この想いは創刊以来ただの一度も変ったことがありません、とあるから、
私がいた七年間(1982年〜1988年)もそうだったことになる。

つまり私は、その想いで本づくりをしていたわけではないことになる。
そうか、そうか、と妙に納得してしまった。

ステレオサウンドを読みはじめた中学二年のころは、
どのオーディオ機器がどういうふうにいいのだろうか、を知りたかったし、
それをステレオサウンドに求めて読んでいた。

そのころのステレオサウンドも
「素晴らしい音楽を理想の音で奏でたい、演奏家の魂が聴こえるオーディオ製品を世に広く知らせたい」
という想いでつくられていたとすれば、その想い通りに読んでいた読者になる。
それでもそんな読み方をずっと続けてきたわけでもない。

Date: 4月 14th, 2014
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その2)

オーディオ評論家は読者の代表なのか──、
このテーマについては昨夜書こうと思い立っただけで、なにか自分なりの結論めいたものがあるわけではない。
何を書いていこうかとも思っている。

なにしろ私自身は、オーディオ評論家を読者の代表とこれまで考えたこともなかったのだから、
オーディオ評論家を読者の代表ととらえている人のことをあれこれ想像してみても、ピンと来ない。
なのに、昨夜も書いているように、オーディオ評論家を読者の代表ととらえている人がいる、
このことには確信がもてる(何の根拠もないけれど)。

オーディオ評論家を読者の代表と考える人とそうでない人の違いは、何に起因するのか。
そんなことを考えていた。

オーディオマニアはいい音を求めている──、
さがしている、といってもいい。

この点においてはすべてのオーディオマニアに共通していえることだと思っていた。
だが、もしかするとそうでもないのかもしれない、と昨夜から思いはじめてもいる。

つまり、いい音ではなくて、選択を求めているんじゃないのか、と。
選択というよりも選択肢といったほうがいいかもしれない。

選択と選択肢は違う。
選択肢を求めている人が、オーディオ評論家を読者の代表とするのではないだろうか。

Date: 4月 13th, 2014
Cate: オーディオ評論, ジャーナリズム

オーディオ評論家は読者の代表なのか(その1)

オーディオ評論家は読者の代表なのか、
ということはこれまで思ったことはなかった。

ステレオサウンドで本づくりに携わっていたときも、そういう考えはなかった。

いまも個人的には、オーディオ評論家が読者の代表とは思っていない。

それでもオーディオ好きの人と話したり、
インターネットであふれかえっている書き込みを読んでいると、
この人はオーディオ評論家を読者の代表と思っているんじゃないか──、
そう思えることがある。

オーディオ評論家を読者の代表とみている人とみていない人とがいる。
そう考えると納得のいくことがある。

オーディオ評論家を読者の代表と考えている人と考えていない人とでは、どちらが多いんだろうか。
そして次に考えるのは、オーディオ評論家にも、
オーディオ評論家を読者の代表と考えている人と考えていない人がいるはずだということ。