Date: 6月 6th, 2024
Cate: audio wednesday, ディスク/ブック
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二年ぶりに聴くBrahmus: Symphony No.1(Last Movement, Berlin 23.01.1945)

二年前の9月に、フルトヴェングラーのブラームスの交響曲第一番のことを書いた。

五味先生の「レコードと指揮者」からの引用をもう一度しておく。
     *
 もっとも、こういうことはあるのだ、ベルリンが日夜、空襲され、それでも人々は、生きるために欠くことのできぬ「力の源泉」としてフルトヴェングラーの音楽を切望していた時代──くわしくは一九四五年一月二十三日に、それは起った。カルラ・ヘッカーのその日を偲ぶ回想文を薗田宗人氏の名訳のままに引用してみる──
「フルトヴェングラーの幾多の演奏会の中でも、最後の演奏会くらい強烈に、恐ろしいほど強烈に、記憶に焼きついているものはない。それは一九四五年一月二十三日──かつての豪華劇場で、赤いビロードを敷きつめたアドミラル館で行なわれた。毎晩空襲があったので、演奏会は午後三時に始まった。始まってまもなく、モーツァルトの変ホ長調交響曲の第二楽章の最中、はっと息をのむようなことが起った。突如明りが消えたのである。ただ数個の非常ランプだけが、弱い青っぽい光を音楽家たちと静かに指揮しつづけるフルトヴェングラーの上に投げていた。音楽家たちは弾き続けた。二小節、四小節、六小節、そして響はしだいに抜けていった。ただ第一ヴァイオリンだけが、なお少し先まで弾けた。痛ましげに、先をさぐりながら、とうとう優しいヴァイオリンの旋律も絶え果てた。フルトヴェングラーは振り向いた。彼のまなざしは聴衆と沈黙したオーケストラの上を迷った。そしてゆっくりと指揮棒をおろした。戦争、この血なまぐさい現実が、今やはっきりと精神的なものを打ち負かしたのだ。団員がためらいながらステージを降りた。フルトヴェングラーが続いた。しばらくしてからやっと案内があって、不慮の停電が起りいつまで続くか不明とのことであった。ところが、この曖昧な見込みのない通知を聞いても、聴衆はただの一人も帰ろうとはしなかった。凍えながら人びとは、薄暗い廊下や、やりきれない陰気な中庭に立って、タバコを吸ったり、小声で話し合ったりしていた。舞台の裏では、団員たちが控えていた。彼らも、いつものようにはちりぢりにならず、奇妙な形の舞台道具のあいだに固まっていた。まるでこうしていっしょにいることが、彼らに何か安全さか保護か、あるいは少なくとも慰めを与えてくれるかのように。フルトヴェングラーは、毅然と彼らのあいだに立っていた。顔には深い憂慮が現われていた。これが最後の演奏会であることは、もうはっきりしていた。こんな事態の行きつく先は明瞭だった。もうこれ以上演奏会がないとすれば、いったいオーケストラはどうなるというのだ。」
 このあと一時間ほどで、待ちかねた演奏会は再開される。ふつう演奏が中断されると、その曲の最初からくりかえし始められるのがしきたりだが、フルトヴェングラーはプログラムの最後に予定されたブラームスの交響曲から始めた、それを誰ひとり不思議とは思わなかった。あのモーツァルトの「清らかな喜びに満ちて」優美な音楽は、もうこの都市では無縁のものになったから、とカルラ・ヘッカーは書きついでいるが、何と感動的な光景だろうか。おそらく百年に一度、かぎられた人だけが立会えた感動場面だったと思う。こればかりはレコードでは味わえぬものである。脱帽だ。
     *
この日のブラームスの交響曲第一番の最終楽章のみ録音が残っている。
CDで初めて聴いたのは、三十年以上前。

そうそう頻繁に聴く演奏ではない。
2022年にひさびさに聴いた時、二十年近く経っていた。

今回、昨晩のaudio wednesdayで、このフルトヴェングラーのブラームスをかけた。
ウェスターン・エレクトリックの757Aでかけた。
TIDALでメリディアンのULTRA DACを通して、アンプはマッキントッシュのMC275。

このラインナップでどういう音を想像されるか。
想像できないという人もいるだろうし、
757Aはそんな組合せで鳴らすスピーカーではない、という人がいてもいい。

人の想像力なんて、かぎられたものだ。
そんなことを実感した。

昨日は、まだ明るいうちから757Aを鳴らしていた。
いろんな曲をかけていた。
だから、このぐらいの音で鳴るであろう、という予測はついていた。
誰かが鳴らしているわけじゃない。
ほかならぬ自分で鳴らしているのだから、それが大きく外れることはないのだが、
このフルトヴェングラーのブラームスは大きく違った。

五味先生は
《何と感動的な光景だろうか。おそらく百年に一度、かぎられた人だけが立会えた感動場面だったと思う》
と書かれている。

そうだと私だって思っていた。
けれど昨晩の音は、《レコードでは味わえぬ》領域に一歩踏み出していた。

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