終のスピーカーがやって来る(その5)
11月20日まであと十日。
時間にすれば240時間を切っている。
(その3)で、記録のような、と書いた。
書いた後で、すぐに記録のような、ではなく、最近のオーディオ機器のなかには、
記録そのもののような、そちらの方向に進んでいるモノ(音)が少なくない。
録音技術から再生技術のすべてが完璧なモノ(技術)で構成されるようになれば、
記録そのものといえる音が家庭で聴けるようになるであろう。
それでも、それはあくまでも録音に関しても完璧なモノ(技術)でなされていなければならない。
そういった完璧な録音しか聴かない、と断言できる人は、それでいいい。
けれど何を聴くのか。何を好んで聴くのか。
そのことを考えれば、なにも完璧な録音ばかりではない。
完璧どころか、完璧に近いともいえない録音を聴いている。
だからこそ記録ではなく記憶のような、ということが大切にしなければならないことのはずだ。
私にとって、終のスピーカーとはなんなのか。
もうここに書きたくて書きたくて、その衝動を抑えているところ。