終のスピーカーがやって来る(その3)
11月20日にやって来る終のスピーカーのことを、
ちょっとでも時間があると、ついつい考えている。
ステレオサウンド 130号、勝見洋一氏の連載「硝子の視た音」の最後に、こうある。
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そしてフェリーニ氏は最後に言った。
「記憶のような物語、記憶のような光景、記憶のような音しか映画は必要としていないんだよ。本当だぜ、信じろよ」
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フェデリコ・フェリーニの、この言葉が映画の本質を見事言い表しているとすれば、
記録のような物語、記録のような光景、記録のような音を、映画は必要としていない、となるし、
記憶のような物語、記憶のような光景、記憶のような音しかオーディオは必要としていない──、
となるのだろうか。
そして記録のような物語、記録のような光景、記録のような音を、
オーディオは必要としていない、といえるのか。
私にとって、今回やって来る終のスピーカーは、
記録のようなではなく、
記憶のような、である。
こんなことを思いながら、11月20日を待っている。