オーディオの罠(その3)
自己模倣という純化の沼こそ、オーディオの罠だ、といまははっきりといえる。
(その1)を三年前に書いたころは、
オーディオの罠は存在しない、と思う──、
そのぐらいに思っていた。
二年前の(その2)で、この自己模倣という純化の沼を、
オーディオの罠のように錯覚しているだけなのだろう、と書いた。
やはりオーディオの罠というのはない、といまは断言する。
オーディオの罠がある、と錯覚しているだけにすぎないし、
そうしていたほうがラクだからかもしれない。
そして、その、錯覚しているオーディオの罠は、自己模倣の純化の沼であり、
その、自己模倣の純化の沼を作り出しているのは、
「オーディオには罠がある」とか
「オーディオ沼」とかいって自虐的に喜んで言っている本人でしかない。