オーディオの罠(その2)
一年前に、(その1)を書いた。
そこで、オーディオの罠は存在しない、と思うように変った、と書いた。
それまでは、オーディオの罠といえるものが、存在しているように感じていた。
それを人は泥沼と呼んでたりしている。
そう書いた一ヵ月くらい後に、
自己模倣という純化の沼と書いた。
結局、この自己模倣という純化の沼を、
オーディオの罠のように錯覚しているだけなのだろう。
それをオーディオの泥沼と思っているだけなのだろう。
自己模倣という純化の沼を楽しみたければ、それもいい。
やめたほうがいいですよ、とは、もう言わないことにした。