カザルスのモーツァルト(その6)
一週間前のaudio wednesdayで、
カザルスのモーツァルトを鳴らしてからというもの、
頭のなかで、カザルスのモーツァルトが流れている。
剛毅な、といいたくなるカザルスのモーツァルトは、
耳に残るし、心に残る。
それを反芻している。
意識的に、というよりも、ほぼ無意識的に、といったほうがいい。
電車に乗っていると、ほぼずっとカザルスのモーツァルトが、
頭の中に響いている。
きいたことすら記憶に残らない音楽(演奏)もある。
どちらのモーツァルトを聴くのかは、聴き手の自由である。