オーディオ評論家の「役割」、そして「役目」(あるオーディオ評論家のこと・その2)
一流、二流というのは、いわば格付けでもある。
そして、それまで一流と呼ばれてきた人たちがみないなくなったからといって、
それまで二流と呼ばれてきた人たちが、一流になるものではない。
けれど、実際のところどうだろうか。
少なくともオーディオ評論の世界では、
一流と呼ばれていた人たちがみないなくなって、
それまで二流だった人たちが、自動的に一流に繰り上げになっている。
プロ野球の世界ならば、一軍の選手がなんらかの理由で全員いなくなれば、
二軍の選手が一軍にあがることになる。
でも、オーディオ評論の世界は、ほんらいそういうものではない。
なのに、私の目には、そう映ってしまう。
キャリアがながいから一流なわけではないし、
システム・トータルの金額が高価だから、といっても一流なわけでもない。
「私は二流のオーディオ評論家ですから」の人は、
くり返しになるが、一流ぶることをしない。
「私は二流のオーディオ評論家ですから」の人は、なぜ一流を目指さないのか──、
そう思う人もいるだろう。
その人も、最初の頃は、一流のオーディオ評論家を目指していたのかもしれない。
勉強し、努力してもなれない人はなれないものだ。
そのことを認めざるをえない日があったのかもしれない。
その人と面識があるわけではないし、あったとしても、そんなことを訊けるわけがない。
「私は二流のオーディオ評論家ですから」の人は、一流ぶることもできたはずだ。
けれど、その人はそんなことをしなかった、選ばなかった。