Date: 7月 30th, 2018
Cate: 複雑な幼稚性
Tags:

「複雑な幼稚性」が生む「物分りのいい人」(その55)

ステレオサウンドの記事は、どういう読み方であっても、
すべての読者に対してまったく同じ記事である。

今回の207号にしても、私が買った207号と別の人が買った207号とで、
記事の一部が、書いてあることが微妙に違っているということは絶対にない。

同じ内容の記事を読んでいても、読む人によって受けとめ方は違ってくるということは、
今回の染谷一編集長の謝罪の件については、
人によって読んでいるものが違っているのだから、受けとめ方はさらに違っているのではないか。

私以外にも、今回の謝罪の件を取り上げている人はいる、と聞いている。
twitterでツイートしている人もいるようだし、
自身のブログで書いている人もいる。

私はある人から教えてもらったブログをひとつだけ読んでいる。
そこにリンクしようかと思ったけれど、そのブログを書かれている人は、
あえて固有名詞を出さずの書き方なので、リンクはしない。

でもステレオサウンド 207号の写真は載っているから、
わかる人には、今回の謝罪の件だとわかる。

おそらく、この人以外に書いている人はいるだろう。
ということは、人によって、今回の染谷一編集長の謝罪の件は、
読んでいることに違いが生じている。

すべての人がavcat氏のツイートを遡って読んでいるとはかぎらない。

雑誌掲載の同じ記事を読んでもそうなのに、
読んでいるものが微妙に違ってきては、受けとめ方は記事以上に違ってきても不思議ではない。

読み手がどれを信じ信じないのか、どれに共感するのかしないのか、
そういったことが微妙に違ってきていることの怖さを、編集者ならば想像してみてほしい。

今回の件に沈黙してしまうということは、そういうことなのだ。

Leave a Reply

 Name

 Mail

 Home

[Name and Mail is required. Mail won't be published.]