オリジナルとは(あるスピーカーの補修・その9)
コーンアッセンブリーを、たとえ純正パーツとはいえ交換したスピーカーシステムは、
もうオリジナルとは呼べないのか。
オリジナルでなければ価値が下る、などというオリジナル至上主義の人たちに対しては、
「もうそれはオリジナルではありません」と答える。
コーン紙の原材料が変っている可能性の高さ、
原材料が同じであっても工場が変っている可能性、
原材料と工場が同じでも、製造時期が違ってくれば、
工場を取り巻く環境も原材料の木々を取り巻く環境も変ってきている。
水も空気も同じではない。
さまざまなこまかなことが管理されているとはいえ、
製造時期が違えば、まったく同じモノを製造することは不可能といえる。
見た目や型番といった視覚的情報だけで判断するオリジナル至上主義者には、
だからこういったことを滔々と述べて、もうオリジナルではなくなっています、と伝えるようにしている。
オリジナル至上主義者にはそう答えているが、すべての人にそう答えているわけではない。
大切に使ってきているスピーカーシステム、鳴らしてきているスピーカーシステムに、
なんらかの不具合が生じて、修理・補修の手を加えた。
純正のコーンアッセンブリーに交換した。
コーン紙が変るのがいやだから、エッジのみを交換した。
ネットワークのコンデンサーがダメになったから交換した。
その際に、自分の求めている音のイメージが確固としてあり、
そのために必要となる修理・補修の手の加え方であれば、厳密な意味でのオリジナルではなくなっていても、
それは、その人にとっての「オリジナル」であるわけだから、私はオリジナルと答える。