ベートーヴェンの「第九」(その9)
五味先生が書かれている。
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ベートーヴェンのやさしさは、再生音を優美にしないと断じてわからぬ性質のものだと今は言える。以前にも多少そんな感じは抱いたが、更めて知った。ベートーヴェンに飽きが来るならそれは再生装置が至らぬからだ。ベートーヴェンはシューベルトなんかよりずっと、かなしい位やさしい人である。後期の作品はそうである。ゲーテの言う、粗暴で荒々しいベートーヴェンしか聴こえて来ないなら、断言する、演奏か、装置がわるい。
(「エリートのための音楽」より)
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これは、ほんとうにそうである。
20代よりも30代、30代よりも40代、
そして50になってみると、「今は言える」と書かれた五味先生の気持がわかってくる。
優美な再生音を、だからといって勘違いしないでほしい。
軟弱な、なよなよとした音が優美であるわけがない。
優美な再生音で「第九」を聴いてほしい。
ただそれだけだ。