第五回audio wednesday (next decade)
第五回audio wednesday (next decade)は、2月1日。
参加する人は少ないだろうから、詳細はfacebookで。
開始時間、場所等は参加人数によって決める予定。
第五回audio wednesday (next decade)は、2月1日。
参加する人は少ないだろうから、詳細はfacebookで。
開始時間、場所等は参加人数によって決める予定。
「アキュフェーズがやって来た」に、facebookでコメントがあった。
最近、私のところにやって来るオーディオ機器たちの引きがねは、
タンノイのコーネッタ導入あたりでしょうか、という内容だった。
私としては、コーネッタより前、
2019年にヤフオク!で手に入れたKEFのModel 303からだ、と感じている。
Model 303のあとに、ヤマハのカセットデッキK1dを、
その後にサンスイのプリメインアンプAU-D607、
さらにテクニクスのアナログプレーヤーSL01と一ヵ月にほぼ一機種のペースで手に入れた。
そして2020年に、タンノイのコーネッタ、
2021年にSAEのMark 2500、2022年にGASのTHAEDRAときて、
2022年にはジャーマンフィジックスのTroubadour 40とエラックの4PI PLUS.2もやって来た。
これら以外にも、いくつかのオーディオ機器がやって来ている。
メリディアンの218がそうだし、210もそうだ。
どうしたんだろうなぁ、と自分でも不思議に思うし、
ふり返ると、やはりKEFのModel 303からだ、と感じている。
でももっと以前のことをふり返ると、岩崎先生のHarknessがやって来たこと、
そもそものきっかけであり引きがねなのだろう。
オーディオは、音楽を聴くための道具、であるとともに、
音楽を聴く「意識」でもあるわけだが、
前者の意味だけでスピーカーを捉えている人と後者の意味を含めて捉えている人とがいる。
前者の意味だけで捉えている人が選ぶスピーカーと、
後者の意味を含めて捉えている人が選ぶスピーカーが、仮に同じとなったとしても、
そのスピーカーから鳴ってくる音は、違って当然である。
最初は、新たなタイトルをつけて書き始めようと考えていたことを、
ここで書いていくことにした。
昨晩、アキュフェーズのモデルが四機種やってきたことは、すでに書いているとおりだ。
その中に、DC330がある。
DC330は、アキュフェーズが1999年に発表したデジタル・コントロールアンプだ。
DC330が、アキュフェーズ初のデジタル・コントロールアンプではない。
1996年にDC300を発表している。
私にとって、DC330は自分のモノとして使う初めてのデジタル・コントロールアンプである。
なにをもってデジタル・コントロールアンプというのか。
D/Aコンバーターを搭載していれば、そういえるのか。
デジタル入力をもつだけでも、そういえないことはないけれど、
ここでのデジタル・コントロールアンプは、
もっと積極的な意味でのデジタル・コントロールアンプとして、である。
となると、まず私が触れた最初のモデルは、
ヤマハCX10000となる。1986年に登場している。
このころは、まだステレオサウンドで働いていたから、 CX10000はじっくり触ったし、
音もけっこうな時間、聴くことができた。
けれど、その時の私の意識として、CX10000をデジタル・コントロールアンプとしては捉えていなかった。
かといってD/Aコンバーターを搭載しただけの安易な製品と感じたわけでもなかった。
CX10000は意欲作といえた。
それでも、いまふりかえってみても、やはりデジタル・コントロールアンプとは感じていない。
1986年といえば、まだSACDはなかった。
デジタルのプログラムソース機器といえば、CDプレーヤーのみで、
DATの登場は1987年である。
そういう時代のCX10000だから、
もし登場が数年あとになっていたら、コンセプトはかなり違っていたかもしれない。
先ほどアキュフェーズがやって来た。
CDトランスポートのDP100、
デジタル・コントロールアンプのDC330、
パワーアンプのA20V、
デヴァイディングネットワークのDF35、
この四機種である。
運んできてくれた友人と食事していたこともあって、今日は搬入のみ。
きちんとしたセッティングは週末の予定。
それにしても、と思うことは電源コードが増えたことである。
ステレオサウンドで働いていたころは、
自宅のシステムはCDプレーヤー、アナログプレーヤー、コントロールアンプ、パワーアンプ、
電源を必要とする機器は、これだけだったから、四本で足りていた。
のちにスピーカーをQUADのESLにしたので六本に増えたけれど、それでもこれだけだった。
いまは、というと、ルーター、ハブ、Mac、メリディアンの210と218、
DP100とDC330と、ここまで、つまりデジタル再生系だけで、七本必要となる。
この他にコントロールアンプ、パワーアンプ、
その他の機器(アナログプレーヤー、カセットデッキ、チューナーなど)を含めると、
十本を超えるし、他にもいくつかの機器が待機していて、
これらをすぐに使えるように電源コードだけは挿すようにすれば、二十本ほどになる。
わかっていたことだけれども、こういう時代なのか……、と感じながらも、
iPhoneとヘッドフォンで聴くシステムは、iPhone内蔵のバッテリーのみで動作するから、
電源コードは必要としない聴き方が、一方に厳然としてあることも、
この時代なのか、と感じている。
ステレオサウンド 69号でのJr.さんのExclusive 2401twin、
というよりも、Exclusive 2401twinに搭載されているTADのユニット群へのおもいは、
深く強かったわけで、だからこそ、Jr.さんはExclusive 2401twinをとびきりよく鳴らしたい──、
そういう気持があった、と思っている。
その意味で、89号でのKHさんのマッキントッシュのXRT18へのおもいもそうである。
二人とも、そこに悪意はなかった。
けれど、Jr.さんはExclusive 2401twinを、
KHさんはXRT18を、よく鳴らしたいという気持は、
他のスピーカーよりもよく鳴らしたい、であったはずだ。
それは善意ではない。
こういう試聴におけるオーディオ雑誌の編集者の善意とは、
すべての機器をきちんと鳴らす、ということであって、
ある特定の機種をよく鳴らす、ということではない。
善意の履き違えが、69号と89号での結果を生んだ、と私はいまも思っているし、
この二つの例も、編集者の悪意につながっていくことだともおもっている。
一週間前、「あるスピーカーの述懐(その41)」を書いていて思ったことがある。
なんとなく思っただけであって、確信といえるほどではないのだが、
ここでのテーマであることと、どこかでつながっていると感じた。
ここでのテーマは、あれほどB&Wの800シリーズを絶賛しながら、
なぜステレオサウンドの評論家は誰も買わないのか──、
このことに関して、B&Wの800シリーズは、
スピーカーの音を嫌いな人のためのスピーカーなのではないか。
そんなことをふとおもった。
二日前の「編集者の悪意とは(その25)」を書いたあとステレオサウンド 69号を眺めていて、
傅 信幸氏の文章が目に留った。
「いま、気になるハイエンドオーディオの世界」というタイトルの記事で、
最後の方に、こんなことを書かれている。
*
ぼく自身ふりかえってみて、レビンソンのML7Lを手にいれたのは、このプリは中味がカラでボリュウムがついているだけじゃないかとあきれるくらい普通の音だったからだ。自分と7Lとがグッドバイヴレーションした。
*
《中味がカラでボリュウムがついているだけじゃないか》、
いま聴けば、ML7の音は、もうそう感じないのかもしれないが、
それでも約四十年ほど前、傅 信幸氏にとっては、そうだったわけだ。
だからこそ、ML7を購入されている。
オーディオの想像力の欠如した者には、
ワルター・ギーゼキングがいう《聴覚の体系的な訓練》は無理なのかもしれない。
(その10)で触れている知人。
この人に私は近寄らないようにしている。
向うは私のことを嫌ってくれているようなので、会うことはまずないのだけれども、
それでも関わりは持たないようにしている。
特別扱いを暗に要求している(私はそう感じている)知人は、
被害者意識も強いように感じてもいる。
自分の望むことがかなわないと、被害者意識をすぐに持つ。
このことは、特別扱いをしてほしいということだろうし、
自分は特別扱いされるオーディオマニアという意識が、どこかにあるからなのだろう。
この人ほどではないにしても、同じような傾向のオーディオマニアは、
ソーシャルメディアを眺めていると、少なくないようにも感じる。
けれど、そんな態度だから、いろんなことがこじれてしまう。
本人がこじらせているだけなのだが、孤立していくことで、ますます悪化もするようだ。
別項「編集者の悪意とは(その25)」のために、
ステレオサウンド 69号をひさしぶりにひらいていた。
69号の編集後記でKen氏が、こんなことを書かれている。
*
それにしても衝撃だったのは、某氏に聴かせていただいたモディファイドCDプレーヤー。10数万円の機種なのですが、メカニズム部を補強して、ICやLSIへの電源の配線方法をかえ、オペアンプを終段に入れてバッファーとした、ご本人いわく「たったこれだけ。こんなことメーカーがやろうと思ったらすぐできること……」なのだそうですが、その音たるや、今回のテストリポートで音質面でベストに近い評価が与えられた20数万円のものと一対比較しても、明らかにこちらの方が良かったのには驚きました。
*
某氏とは、長島先生のことで、
10数万円の機種とは、Lo-DのDAD800(159,000円)のことだ。
69号の第二特集は、「最新CDプレーヤーテスト」だった。
なので元のDAD800と長島先生モディファイドDAD800と比較することもできた。
20数万円のCDプレーヤーとの比較もできた。
たしかに、モディファイドDAD800の音は良かった。
明らかにローレベルの明瞭度に優れていた。
ここで一つの例として挙げているステレオサウンド 87号での、
マッキントッシュのXRT18のヴォイシングの失敗。
これによく似た例が、もう一つあった。
69号の特集「超大型スピーカーの魅力的世界」であったことだ。
この特集は、タンノイのウェストミンスター、
エレクトロボイスのパトリシアンII、JBLの4355、UREIのModel 813B、
ダイヤトーンのDS5000、パイオニアのExclusive 2401twinを集めての、
試聴と組合せの記事だ。
XRT18と同じようなことはExclusive 2401twinの時に起った。
このときの編集者で、Jr.さん(Nさん)はTADのユニットにベタ惚れだった。
それまでJBLの高能率型ユニットにぞっこんだった人が、TADのユニット、
そして設計者の木下正三氏に急速に惹かれていった。
Exclusive 2401twinの番になったとき、
Jr.さんの心境は、89号のKHさんの心境に近かったのかもしれない。
なのに鳴ってきた音は奇妙な音だった。
1983年のころだから、こまかいことがすこしあやしくなってきているが、
最初にExclusive 2401twinに接続したパワーアンプは、
ソニー・エスプリのTA-N902だったと記憶している。
TA-N902は130W+130Wのステレオパワーアンプだが、モノーラル接続で400Wになる。
この時、なぜかTA-N902の背面のスイッチがMONOポジションになっていた。
たしかスピーカーケーブルの接続はJr.さんだった。
彼が意図的に、こんな接続をするわけがない。
それでもなぜかそうなっていた。
その音が第一声だった。
間違った接続で鳴らしたわけだから、奇妙な音になって当然。
すぐさまどこか間違っているはず、ということで接続をチェックして、試聴が再開した。
89号のXRT18とは違い、その後の試聴は問題なく進んだ。
けれどJr.さんの落ち込みようは、いまもはっきり憶えている。
(その19)でも書いているように、
音楽を聴くのに、TIDALなどのインターネットを介しての聴き方を、
どこか味気ない、空虚だ、と否定する人が、少なからずいる。
そういう人たちは、大人ならば大人らしい音楽の聴き方をすべき──、
そんなことをいってきそうだ。
パッケージメディアにこだわって音楽を聴くのが、
ほんとうに大人らしい音楽の聴き方なのだろうか。
それしか大人らしい音楽の聴き方はないのだろうか。
安き(低き)に流れるのは、大人らしい音楽の聴き方ではない、と私も思う。
だからといって、TIDALで音楽を聴くことが安き(低き)に流れた音楽の聴き方、
大人らしくない音楽の聴き方とは、まったく感じていない。
むしろ、パッケージメディアにこだわりすぎてしまうことで、
新しい聴き方に関心の目(耳)を向けようとしない聴き方こそ、
大人らしくない音楽の聴き方ではないのか。
こだわるということは、一種の甘えだったり、楽であることに陥ってしまう。
こだわることがすべてそうだとはいわないが、
自分の殻に閉じ籠もってしまうことのいいわけにしか聞こえないことがあるのも事実だ。
大人らしい音楽の聴き方は、どういうメディアで聴くか、ということで決ることではない。
その先にあることのはずだ。
「続・再生音とは……(その33)」で、
自己模倣という純化の沼にはまってしまったら、
永遠に花を咲かすことはできない、と書いた。
自己模倣という純化の沼にはまってしまった人は、つぼみのままの音を聴き続ける。
音という花を咲かせることはできない。
そのこと、書いた二年前よりも、強く感じるようになってきているし、
つぼみのままの音を愛でることから脱却できない人は、
たがやさせない人でもある。
これも以前書いていることなのだが、
たがやすは、cultivateである。
cultivateには、
〈才能·品性·習慣などを〉養う、磨く、洗練する、
〈印象を〉築く、創り出す、
という意味もある。
「アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その6)」で書いたことと関係してくるのだが、
真空管アンプも、部屋が冷え切った状態での電源投入は避けるべきである。
真空管のヒーターは温度によって、内部抵抗が変化する。
冷たい時が抵抗値は低く、温まって熱くなってくると、抵抗値は大きくなる。
真空管のヒーターにかかる電圧は、温度が低い時もそうでない時も同じである。
ということは、温度が低いとき、つまり抵抗値が低いときには、
オームの法則からわかるように電流が多く流れる。
それは規定値よりも大きな電流である。
ラッシュカレントが生じることになる。
これが真空管のヒーターに大きなダメージを与える。
何回もくり返せば、ヒーターの寿命は短くなる、といっていい。
昔から、機器の金属部を触ってひんやりしていたら、
まず部屋を十分に暖めること、といわれていた。
いまはどうなのだろうか。
「アナログプレーヤーのセッティングの実例と老い(その6)」では、
10度よりも低い温度でアナログプレーヤーを使用する人がいることに触れている。
そんなに低い温度では、レコードそのものがまず硬くなっているし、
カートリッジのダンパーやスピーカーのエッジ、ダンパーなどもそうである。
そういう状態で満足な動作は期待できない。
そのことがわからない使い手が増えてきているのだろうか。
同じように低い温度で、真空管アンプの電源を投入すれば、
その度に真空管のヒーターに規定値よりも大きな電流が流れることも、
いまでは忘れられつつあるのだろうか。
とにかく真空管を大事に使いたければ、部屋の温度が十分高くなってから電源投入したほうがいい。
(その3)で、ジャーマン・フィジックスのHRS130を、
MQAで聴いてみたかった、
それもできればメリディアンのULTRA DACを使っての音を聴いてみたかった、と書いた。
聴いてみたい、と書かなかったのは、実現の可能性がとても低いと感じていたからだ。
けれど、HRS130が、サウンドクリエイトに常設されたということは、
今後、その可能性は昨年の9月よりもずっと高くなっている。
一週間ぐらいでもいいから、
MQAとULTRA DACで聴くHRS130という試聴会をやってくれないだろうか、と切に願う。