Archive for 5月, 2022

Date: 5月 6th, 2022
Cate: ディスク/ブック

マーラーの交響曲第一番(一楽章のみ・その1)

ここ数日、ふと思い立って集中的に聴いていたのが、
マーラーの交響曲第一番の一楽章である。

TIDALのおかげで、いろんな指揮者の一楽章のみを聴いていた。
こんなことをやって確認できたのは、
私にとって、この曲の第一楽章のリファレンスとなっているのは、
アバドとシカゴ交響楽団とによる1981年の録音である。

1982年夏にステレオサウンド別冊として出た「サウンドコニサー(Sound Connoisseur)」の取材で、
アバド/シカゴ交響楽団の、このディスク(まだCD登場前だったからLP)をはじめて聴いた。

第一楽章出だしの緊張感、カッコウの鳴き声の象徴といわれているクラリネットが鳴りはじめるまでの、
ピーンと張りつめた、すこしひんやりした朝の清々しい空気の描写は、
アバドという指揮者の生真面目さがはっきりと伝わってきたし、
その後、いろんなマーラーの一番を聴いたのちに感じたのは、
オーケストラがヨーロッパではなく、シカゴ交響楽団だったからこそ、
いっそう、そのことが際立っていたのだろう、ということだった。

ほんとうに、アバドによる一番の一楽章は、
息がつまりそうな感じに陥ったものだった。

この時の他の試聴ディスクは、クライバーのブラームスの四番もあった。
アバドのマーラーだけで試聴が進んでいったら、ほんとうにしんどかったことだろう。

そうこともあって、マーラーの一番に関しては、
アバド/シカゴ交響楽団の演奏がしっかりと刻み込まれてしまった。
ゆえにどうしても、他の指揮者、他のオーケストラによる演奏を聴いていると、
アバド/シカゴ交響楽団にくらべて──、といった聴き方をしていることに気づく。

このことがいいことなのかどうなのかはなんともいえないが、
こうやって一楽章のみを聴いてあらためておもったのは、
アバド/シカゴ交響楽団の一楽章は素晴らしい、ということだ。

Date: 5月 6th, 2022
Cate: 録音

録音フォーマット(その5)

44.1kHz、16ビットのデジタル録音をアップコンバートすること、
さらにDSDに変換することの是非について、あれこれ書くつもりはない。

書きたいのは、エソテリックはなぜMQA-CDを出さないのか、である。
名盤復刻シリーズは、SACDだけなのだろうか。

アナログ録音の復刻であれはそれでもいいと思うが、
44.1kHz、16ビットのデジタル録音の名盤を復刻するのであれば、
MQAが、現時点ではもっとも望ましい、と私は考えているから、
エソテリックは、ぜひともMQAによる名盤復刻シリーズを展開してほしい。

エソテリックがハードウェアでMQAに対応していないのであれば、
こんなことは書かないけれど、すでにMQA対応機種を出している。
ならば、ぜひともMQA-CDも手がけてほしい。

44.1kHz、16ビットであっても、
MQAとなることでほんとうに音がよくなることは、すでにTIDALで、
いくつもの録音で確認しているのだから。

Date: 5月 5th, 2022
Cate: 録音

録音フォーマット(その4)

エソテリックの名盤復刻シリーズのSACDは、好評のようである。
オーディオマニアのなかには、
発売されたディスクすべて購入したという人も少なくないようである。

私は、というと、最初のコリン・デイヴィスのベートーヴェンの序曲集、
それから数年前に出たカルロス・クライバーの「トリスタンとイゾルデ」だけ買っている。

どちらもデジタル録音であり、しかも44.1kHz、16ビットである。
それをDSDに変換してのSACD復刻である。

元が44.1kHz、16ビットだから、そんなことをしても意味がない、という人もいる。
確かにそうではあっても、音は違ってくる。
プロセスの違いは、マスタリングの過程でもあるし、
再生側(D/Aコンバーターでの処理)でもあるわけだから、
音は変ってきて当然であり、大事なのは、自分のシステムで聴いて、
どう鳴るのか、である。

個人的には、もっとアナログ録音のSACD復刻を期待したいところだし、
アバドとポリーニによるバルトークのピアノ協奏曲を、ぜひ復刻してほしい。

44.1kHz、16ビットのデジタル録音をどういうプロセスでDSDに変換しているのか。
オーディオマニア的には、ダイレクトにDSDに変換しているものだと思いがちである。

けれど実際はそうではない。
マスターテープがドイツ・グラモフォンの場合は、
44.1kHz、16ビットのマスターを96kHz、24ビットに変換したうえでDSDにしている。

録音スタジオでは、96kHz、24ビットが標準フォーマットである。
とはいえ最終的にDSD(SACD)にするのに、88.2kHz、24ビットにしないのか、
そんな疑問が持ってしまう。

Date: 5月 5th, 2022
Cate: 「かたち」

音の姿勢、音の姿静(その3)

指揮者アンドレ・コステラネッツが、こんなことを語っている。
     *
誰もが自分の音を持つべきだ。
自分を元気づけ、溌剌とさせる音を、
あるいは落ち着かせ、穏やかにする音を……。
そのなかでももっとも素晴らしい音のひとつは、
まったく完全な静寂である。
(音楽之友社刊「音楽という魔法」より)
     *
その1)で引用している五味先生の文章にも、
コステラネッツがいっていることがつながっていく。

コステラネッツは《まったく完全な静寂》といっている。
この《まったく完全な静寂》こそが、音の姿静なのだろうか。

Date: 5月 4th, 2022
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(THAEDRAとJC-2・その3)

水を得た魚のように、という表現がある。
GASのTHAEDRAと接いだSUMOのThe Goldはまさにそうだった。

SUMOのThe Powerがステレオサウンドの新製品紹介の記事に登場したとき、
コントロールアンプをTHAEDRAにしたら、鳴り方が大きく変った──、
そんなことが書かれていたことは、常に頭のなかにあった。

とはいうものの、ここまで変るのか、と驚いてしまった。

JC2を友人に譲ってからは、
エッグミラーのW85(H型アッテネーター)を使っていた。

アナログプレーヤーはトーレンスの101 Limited、
CDプレーヤーはスチューダーのA727を使っていたので、
どちらのモデルも出力にライントランスを介している。
バランス出力である。

だからW85を介してThe Goldのバランス入力に接続していた。

JC2、THAEDRAにはバランス出力はない。
アンバランス出力のみだから、The Goldのアンバランス入力に接ぐことになる。

The Goldの場合、アンバランス入力だと、
アンバランス/バランスの変換回路を通ることになる。
信号経路が長くなり、信号が通過する素子数も多くなる。

そのことがあったから、THAEDRAの音にそれほど期待していたわけではなかった。
理屈の上では、THAEDRAを介すことで音が良くなることはない。

でも、そんな理屈は実際に鳴ってきた音を、
ほんのわずかな時間聴いただけで消し飛んでしまう。

Date: 5月 3rd, 2022
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(THAEDRAとJC-2・その2)

ジョン・カール・モディファイJC2以前に、
JC2の音は聴いたことがなかった。

私がオーディオに興味を持ちはじめて数ヵ月後には、
LNP2、JC2の入出力端子がLEMO端子に変更され、
その他、内部も変更されたことで、型番の末尾にLがつくようになった。

もっともLがつくのは日本だけの型番であって、
並行輸入対策であった。

JC2Lは、すぐさまML1(L)となった。

ML1の音は聴いていた。
でもJC2、それも初期の、ツマミが細長いタイプの音は、
「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の’76年版を読んでは、
それまで聴いたマークレビンソンの音から想像するしかなかった。

そうやって頭のなかに描いてきたJC2の音と、
実際に自分のシステムに組み込んで鳴ってきたJC2(モディファイ版)の音は、
大きく違うことはなかった。

なので満足していたといえばそうだった。
けれど、その音に衝撃を、もしくはそれに近いものを受けたわけではなかった。

JC2は使い続けてもよかったのだが、友人がどうしても欲しい、ということで、
譲ってしまった。

それからしばらくしてGASのTHAEDRAを手にいれた。
THAEDRAには、さほど期待していなかった。
ただSUMOのThe Goldを使っていたから、
それに別項で書いているように、The Goldを手にいれた時、
THAEDRAもそこにあったけれど、予算が足りずに諦めたことも重なって、
一度はボンジョルノの意図した音を確認しておきたかった──、
そのぐらいの気持であった。

なのに鳴ってきた音は、衝撃といえるレベルだった。

Date: 5月 2nd, 2022
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(THAEDRAとJC-2・その1)

THAEDRAはGASのコントロールアンプとしてフラッグシップモデルだった。
JC2(ML1)は、上級機としてLNP2があったことから、フラッグシップモデルとはいえなかった。

けれどマーク・レヴィンソン自身は、自家用として使っていたのはJC2だった、
と当時のオーディオ雑誌には書いてあった。

THAEDRAもJC2も同時代のコントロールアンプである。
価格もほど近い。同価格といってもいい。

それだけに、この二つのコントロールアンプは、
ジェームズ・ボンジョルノとマーク・レヴィンソンと同じくらいに実に対照的存在である。

JC2は一時期使っていた。
1980年代なかばごろ、ジョン・カールがJC2をモディファイしている──、
そういう情報が入ってきた。

なので、とある輸入元の社長にお願いして、JC2のモディファイ版を輸入してもらった。
JC1SMが搭載されていて、ツマミが細長い初期型のJC2であった。

初期のJC2ということもあって外部電源は型番なしのタイプ。
なのでハーマンインターナショナルからPLSを購入。
そうやって聴いていた時期があった。

THAEDRAを手に入れたのはJC2の後である。

Date: 5月 2nd, 2022
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その32)

トロフィーは飾っておくものだ。
スピーカーシステムにしろ、アンプにしろ、
トロフィーオーディオとして扱われた(買われた)モノは、
その部屋の主にとっては、トロフィー(飾りもの)なのだろう、
勝ち誇るための、そのことを再確認するためになるのだろう。

スピーカーシステムにしても、アンプにしても、
音・音楽を聴くためのモノである。

トロフィーオーディオは、部屋をデコレーションするためにあるともいえる。
そこにオーディオとしてのデザインはない、と思う。

Date: 5月 1st, 2022
Cate: Jacqueline du Pré

Jacqueline du Pré(その3)

三浦淳史氏の「20世紀の名演奏家」に、ビアトリス・ハリスンが載っている。
私は、ビアトリス・ハリスンを、この本で知った。

ビアトリス・ハリスンのことは、あとがきにも書かれている。
     *
 わが国に、ほとんど馴染みのない女流チェリストのビアトリス・ハリスンを選んだのは他でもない──「国際的な名女流チェリストは一世紀にひとりか、ふたりしか生まれない」というジンクスがその通りになったからである。戦前にビアトリス・ハリスン、戦後のジャクリーヌ・デュ・プレがそうである。ふたり共イギリスの生んだ女流チェリストであるのも、不思議といえば不思議である。
 エルガーの名作「チェロ協奏曲」はハリスンによって、その真価が発揮され、これをデュ・プレが引き継いだ形になっている。「エルガーのチェロ・コンは女流に限る」というジンクスも破られていない。
     *
ビアトリス・ハリスンは1892年12月9日に生れ、1965年3月10日に没している。
録音は少ない。

デュ=プレもそれほど多いわけではないが、ハリスンはもっと少ない。
「20世紀の名演奏家」のハリスンの章には、
エルガーのチェロ協奏曲はPearl盤とEMI盤、二種の復刻盤がある、と書かれている。

聴きたい、と思ったけれど、どちらも見つけることができなかったのは、
探し方が悪かったのか。
「20世紀の名演奏家」は、出てすぐに買って読んでいる。
それでも聴く機会はなかった。

いつか聴く機会が訪れるだろう──、とその時は思っていたけれど、
いつしか忘れかけていた。

「20世紀の名演奏家」は1987年に出ている。
なのでずいぶん月日は経ってしまったけれど、思い出して、
TIDALで検束してみると、ある(聴ける)。

しかもMQA(44.1kHz)で聴ける。

Date: 5月 1st, 2022
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その11)

別項「陰翳なき音色」で、
マルティン・フレストのクラリネットについて少しだけ触れている。

TIDALで、MQA Studioで聴いたマルティン・フレストの“Night Passages”は、
MQAの特長を伝えてくれる録音だといえる。

こう書いてしまうと、人の声ばかりなのだろう、と誤解されてしまいがちなのだが、
MQAで聴く人の声は、ほんとうにいい。
だからといって、人の声ばかりがよく再現されるということではなく、
特に人の声は素晴らしい。

同じことをフレストのクラリネットを聴いていて感じていた。
思うに、どちらも人の息づかいだからなのだろうか。

人の息は決して乾いているわけではない。
ハスキーヴォイスといわれる声であっても、そこには湿り気がある。
湿り気があるだけではなく、人には体温があるように、
その息づかいにも温もりがある。

息づかいのそういうところをMQAは聴き手に強く感じさせる。
そこで思い出すのが、ドイツの民俗音楽学者、マリウス・シュナイダーのことばだ。
     *
息、すなわち生命の力を、
身体の奥底から流れ出る音の捧げものとして、
みずからの意志で、すすんで放つ人は、
自分の人生を歌っているのだ。
なぜなら歌うことは、人生を肯定し、
みずから開放するものだからであり、
人に、そしてその仲間たちに、
幸福と繁栄をもたらすものだからだ。
(音楽之友社刊「音楽という魔法」より)
     *
MQAがもたすら恩恵とは、ここにつながっていくように感じている。

Date: 5月 1st, 2022
Cate: ショウ雑感

2022年ショウ雑感(その3)

今年は三年ぶりにOTOTENが開催される予定である。
事前登録が始まっている。

今年のフロアマップをみると、
ガラス棟七階のG701はイベント・セミナールームとして使われることになっている。
そこに音楽之友社、音元出版、ステレオサウンド、誠文堂新光社とともに、
MQA Limitedとある。

MQAのイベントかセミナーが予定されている。
まだ具体的な内容が発表になっていないけれど、ボブ・スチュアートは来日するのだろうか。