Archive for 2月, 2021

Date: 2月 22nd, 2021
Cate: ディスク/ブック

Piazzolla 100(黒田恭一氏の文章)

音楽が好き、という人は大勢いる。
音楽が大好き、という人もけっこういる。

本人が、好きといっているのをこちらが疑うことはしたくないのだけれど、
ほんとうに音楽が好きなの? とおもうこともままあったりする。

だから、別項ではあえて「ほんとうの音楽好き」と書いている。

黒田先生が、「音楽への礼状」でピアソラのところで、こう書かれていた。
     *
 それからしばらくして、あなたは、ゲーリー・バートンと共演して、東京で一度だけコンサートをなさったことがありました。あのときのことを思い出すと、どうしても気持が萎えてきます。決して大きい演奏会場ではなかったにもかかわらず、客席のほぼ半分はうまらないままでした。もったいないな、こんなにいいコンサートが満員にならないなんて、と空席のままの座席をみて思いました。
 あのコンサートが満員にならなかった理由としては、宣伝不足とか、時期がよくなかったとか、あれこれいろいろあったようでしたが、事情通から、不入りの理由のひとつとして、「タンゴ」のピアソラと「ジャズ」のゲーリー・バートンの共演ということで、純潔をたっとぶ「ジャズ」ファンと「タンゴ」ファンがそれぞれそっぽをむいたこともあると説明されて、ぼくは、一瞬、ことばにつまりました。今どき、そんな、馬鹿なことが、と事情通にくってかかりそうになりました。驚き、同時に、呆れないではいられませんでした。
 その事情通の説明が正しかったのかどうかは、今もってわかりません。しかし、残念ながら、彼のいうような状況がまったくないとはいえないかもしれないな、と思わざるをえないような状況にぶつかることが、ままあります。そのことから判断すると、多くのひとが、この時代にあってもなお、自分が不自由にしか音楽がきけていないのも気づかず、レッテルによりかかって音楽をきいているようです。
     *
ほんとうの音楽好きを、言葉で表わすことはできないのかもしれない。
そんなに簡単に書けることではない、とわかっている。

それでも、ほんとうの音楽好きな人は、
純潔をたっとぶようなことはしないはずだ。

Date: 2月 22nd, 2021
Cate: 欲する

新月に出逢う(その4)

人形には、目がある。
その人形に惚れ込むということは、その人形の目に惚れ込むことなのかもしれない。

以前、別項で引用したことをもう一度、ここでも書いておく。

辻村寿三郎氏が、ある対談でこんなことを語られている。
     *
部屋に「目があるものがない」恐ろしさっていうのが、わからない方が多いですね。ものを創る人間というのは、できるだけ自己顕示欲を消す作業をするから、部屋に「目がない」方が怖かったりするんだけど。
(吉野朔実「いたいけな瞳」文庫版より)
     *
辻村氏がいわれる「目があるもの」とは、ここでは人形のことである。
つづけて、こういわれている。
     *
辻村 本当は自己顕示欲が無くなるなんてことはありえないんだけど、それが無くなったら死んでしまうようなものなんだけど。
吉野 でも、消したいという欲求が、生きるということでもある。
辻村 そうそう、消したいっていう欲求があってこそもの創りだし、創造の仕事でしょう。どうしても自分をあまやかすことが嫌なんですよね。だから厳しいものが部屋にないと落ち着かない。お人形の目が「見ているぞ」っていう感じであると安心する。
     *
人形作家の辻村氏が人形をつくる部屋に、「目があるもの」として人形をおき、
人形の目が「見ているぞ」という感じで安心される。

部屋に「見ているぞ」という目がある。
いまのところ、そういう生活を送ったことはないから、
真夜中に人形と目が合ったりしたら、恐怖するような気もする。

このことを思い出したからこそ、人形の大きさが気になってくる。

Date: 2月 22nd, 2021
Cate: 欲する

新月に出逢う(その3)

新月だった2月12日に出逢った人形。
衝動買いしたかったけれど、手が出せなかった。

出せなかったからこそ、あれこれ妄想している。

これまで人形のある生活をしたことはない。
人形を趣味としている人が周りにいるわけでもない。

もし衝動買いしていたら、この人形、どう扱っているだろうか。
まずケースに収めて飾るのだろうか。

ホコリがつかないようにするにはガラスケースにしまうのでいいのだけれど、
なんとなくそうしたくない気持が強い。

人形を趣味としている人は、この点、どうしているのだろうか。
ケースに収めないのであれば、日頃の手入れはどうしているのか。

服についた汚れはときどき洗濯するのか。
もしくは新しい服を用意するのか。

髪は梳くのか。これも知りたいことの一つである。
人形本体についた汚れはどう落とすのか。

そういった日頃の手入れについて、あれこれ妄想していたし、
人形のある生活をおくるようになったら、
ほぼ間違いなく人形相手に、毎日挨拶するようになるだろう。

起きたら、おはよう、
寝る前に、おやすみ、
出掛ける際には、いってきます、
帰宅したら、ただいま──、
少なくとも挨拶をするようになるはずだ。

人形に向って、話しかける。
その日あったできごとを人形に話す──、
これはどうだろうか。

買えないからこそ、、そんなことを妄想しているのだが、
もう一つ考えていることは、
今回私が惚れ込んだ人形が、人間と同じ大きさだったら……、である。

Date: 2月 22nd, 2021
Cate: オーディオマニア

「シャカリキ!」(その3)

音楽がほんとうに好きな人のために、
自分のオーディオの才能を使うということは、
つまるところ、自分のためなんだ、という考えもできる。

オーディオマニアよりも、
オーディオにまったく詳しくない人で、音楽がほんとうに好きな人ほど、
だましたりごまかすことはできないものだ。

その人が使っているスピーカー、そのスピーカーを鳴らしている部屋、
アンプやCDプレーヤーなど、
自分の環境とはすべてが違う。

聴いている音楽も大きく違うこともある。
つまり何もかも違うところで、
ほんとうの音楽好きの人を満足させる音にする、ということは、
自分のオーディオの才能に磨きをかけることでもある。

自分のシステム、自分の部屋、好んで聴く音楽の範囲で、
真剣にやっていても磨きがかけられない才能の領域がある。

だからこそ、自分のためなのだ。

Date: 2月 22nd, 2021
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(あらためて感じていること・その1)

ほんとうの音楽好きは、いい音で聴きたがっている。
このことは以前からそのはずだと、思っていたし、
やっぱりそうだった、とつい最近強く感じた。

いい音で聴きたがってはいても、どうやればいいのかがわからない。
オーディオ機器というモノが必要になるのだから、
ある程度の予算が必要なのはわかる。

けれど、ではいったい何を買えばいいのか。

そのためにオーディオ雑誌がある、と答えたいのだが、
そういう人がオーディオ雑誌(どれでもいい)を買って、熟読したところで、
何を得ることができようか。

何を買えばいいのか。
それぞれのオーディオ雑誌が年末の号で、賞を発表している。
ステレオサウンドだと、ステレオサウンド・グランプリとベストバイが、
冬号の特集になって久しい。

ベストバイの特集を読めば、何を買えばいいのかがわかるのか。
何にもわからない。

とりあえず、多くの人が点数を入れている機種を揃えれば、それでいいのか。
それでほんとうの音楽好きの人を納得させられる音が出てくるのであれば、
一応の答をオーディオ雑誌は提示している、といえそうなのだが、
実際のところ、オーディオ雑誌は何も答えてくれない。

昔のオーディオ雑誌には、読者相談コーナーがあった。
そこで取り上げてくれたら、答が得られるのか、といえば、
答にはなっていない回答があるだけだ。

となると、周りにオーディオに詳しい人がいるかどうかだ。

Date: 2月 21st, 2021
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MCD85・その1)

マッキントッシュのCDプレーヤーの新製品、MCD85が発表になっている。
音については聴いていないので触れない。
ここで取り上げているのは、MCD85のデザイン、
ひいては最近のマッキントッシュのデザインに関して、どうしても何かいいたくなったからだ。

MCD85の少し前に、管球式のヘッドフォンアンプMHA200が発表になっている。
MHA200の写真をみたときにも、何かをいいたくなった。

ずっと昔、こんな感じの自作アンプがオーディオ雑誌に載っていた(という記憶がある)。
既視感たっぷりのMHA200である。

しかも、それがカッコよければいいのだけれど、
お世辞にもそうはいえないどころか、どこかアマチュアのコピーのようにも感じるし、
1970年代、マッキントッシュのMC275に似たスタイルのシャーシーのキットがいくつもあった。
それらを思い出させるレベルにしか見えない。

二年前に、MC2152が出た時も、同じようなことを書いた。
そこで感じたことは、MHA200をみて強まり、MCD85でさらに強まった。

世の中には、マッキントッシュの製品すべてをベタ褒めするオーディオマニアがいる。
多いのか少ないのかは知らないが、いるのは知っている。
そんな彼らは、MHA200、MCD85もベタ褒めするんだろうな……、と思っているところだ。

そんな彼らは、たいてい、こんなことをいう。
マッキントッシュの良さがわからないのは、あなたが未熟だからだ、と。
おおむねそんなことをいう。

そんな彼らは、MHA200、MCD85のデザインに疑問をもつ人に対しても、
やはり同じことをいうのだろうか。

そして、ここでもオーディオ評論家はどう書くのだろうか。

Date: 2月 21st, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

CR方法(その8)

クラングフィルムのオイローパジュニアは励磁型である。
つまり一般的なスピーカーよりも、コイルを一つ多く持っている。

励磁用のコイルに、CR方法を試してみると、音は変化するのだろうか。
ボイスコイルは信号系におけるコイルであるから効果があるのは予想できる。

けれど励磁用のコイルはそうではない。
アンプにおける電源トランスの一次側、二次側のコイルとも、ちょっとワケが違う。

音が変らない、ということはないはずだ。
私の環境では励磁用のコイルで試してみることはできない。

けれど、その音を聴いてみたい。
それはCR方法による効果のあらわれかたが、
スピーカーのボイスコイルの場合と同じなのか、それとも違ってくるのか。

それによって、CR方法がどう作用しているのか、
それを少しでも解明することにつながっていく、と考えるからである。

Date: 2月 21st, 2021
Cate: Noise Control/Noise Design

CR方法(その7)

CR方法について、関心・興味をもつ人もいれば、
そんなことで音がよくなるわけがない、とまったく無関心の人もいるはずだ。

無関心の人のなかには、それだけ効果があるのならば、
なぜ多くのオーディオメーカーが採用していないのか、と、
そんな疑問をもつ人もいることだろう。

私だって、不思議に思っている。
CR方法を実際にやった人も、そう思っているはずだ。

そのくらいに音が変化する。
はっきりといえば良くなる、といっていい。

ここを読まれている方のどのくらいがCR方法を試してみようか、
と思われているのかは、私にはわからない。

それでも実際にやった方からメールが届いた。
以前、ハイドンの交響曲四九番が、La passione(受難)であり、
情熱ではない、という指摘をくださった方だ。

今回のメールは、CR方法をやってみた、ということだった。
まずワーフェデールのW15/CSで試したみた、とあった。

使用部品は、私がすすめているDALEの無誘導巻線抵抗とディップマイカコンデンサーで、
どちらも海神無線で購入されている。

このことだけでも、書いている私としては嬉しい。

ワーフェデールで、音質上の改善が認められたので、
メインスピーカーでも試されたそうだ。

この方のメインスピーカーは、クラングフィルムのオイローパジュニアとのこと。
ここでもCR方法による音質の向上が認められた、とあった。

これまでいくつかのスピーカーで実践してきている。
タイプ、年代、大きさの異るスピーカーでも、効果があった。

なのでヴィンテージスピーカーと呼ばれるモノにも効果はある、と考えていた。
それでも、実際にやる人はほとんどいないのでは──、と勝手に思ってもいた。

けれども、実践された方がいた、というのは嬉しいだけでなく、とても心強い。
実践した人はCR方法について、周りのオーディオマニアにもすすめられるだろうから。

私も、近日中にある人のところで実践してくる。

Date: 2月 20th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その2・補足)

(その2)で、Amarra PlayはApp内課金することで、
MQA再生とTIDALの利用が可能になる、と書いた。

課金は2020年11月の時点では、860円だった。
けれど現在は1,600円になっている。
ほぼ二倍になっている。

二倍になったのか、
たまたま私が購入したときがディスカウントの期間中だったのかは定かではないが、
1,600円でも課金していたはずだ。

Date: 2月 20th, 2021
Cate: オーディオマニア

「シャカリキ!」(その2)

「私のオーディオの才能は、私のためだけに使う。」

二十数年前の私は、知人にこんなことをいっていた。
以前書いたことのくり返しなのだが、
オーディオ好きの知人は、私のオーディオの才能を認めてくれていて、
それだからこそ、何回も、私に、
「せっかくの才能なんだからオーディオの仕事をしたらどうですか」
「何か書いたらどうですか」
そういってくれていた。

ありがたいことなのに、当時の私は、
本気で、自分のオーディオの才能は自分のためだけに使うことこそ、
いちばんの贅沢だ、と思っていた──、
というか、そう思い込もうとしていたのかもしれない。

そんな私がいまは、誰かの家に行って、
オーディオのセッティング・チューニングをしている。

仕事としてやっているのではない。
親しい人、音楽好きの人の音をきちんとしていく。

高価なケーブルやアクセサリー類を持っていくわけではない。
やってくることといえば、なんだー、そんなことか、と思われることだろう。

たいしたことやっていないな、といわれるぐらいのことだ。
そんなことであっても、意外ときちんとなされていないことが多い。

昨晩もやっていた。
どんなことをやったのか、どんなふうに音が変化したのかは、
ここで書くようなことではない。

とても喜んでくれていたから、それでいい。
音楽がほんとうに好きな人のために、才能を使うということは、そうとうに楽しい。

そういうことをやって、私は、誰かに何かを伝えられているのだろうか。
その1)で、《オーディオでしか伝えられない》ことを持っているからオーディオマニアのはずだ、
と書いている。

《オーディオでしか伝えられない》までには到っていないかもしれないが、
《オーディオで伝える》ことはできるようになったかもしれない。

Date: 2月 20th, 2021
Cate: High Fidelity

音の断捨離(その1)

音の断捨離。
昨晩、オーディオのこと、音のことを話していて、
ふと思いついたことばだ。

何を書いていこうか、ほとんど考えていない。
これからぽつぽつ書いていくつもりだ。

Date: 2月 19th, 2021
Cate: 所有と存在, 欲する

「芋粥」再読(その10)

別項「background…」で書いている安部公房の「他人の顔」の主人公〈ぼく〉。

「他人の顔」の主人公〈ぼく〉の時代には、
CDもなかったし、TIDAL(ストリーミング)もない。

〈ぼく〉が聴くことができる音楽の量は、いまよりもずっと少なかった。
音楽のジャンルに関してだけでなく、演奏の数も少なかった。

その〈ぼく〉が、いまの時代に生きていたら、どうなのか。
そんなことを想像してみたくなる。

〈ぼく〉は、音楽の利用法について語っている。
     *
その夜、家に戻ったぼくは、珍しくバッハを聴いてみようという気をおこしていた。べつに、バッハでなければならないというわけではなかったが、この振幅の短くなった、ささくれだった気分には、ジャズでもないし、モーツァルトでもなく、やはりバッハがいちばん適しているように思われたのだ。ぼくは決して、音楽のよき鑑賞者ではないが、たぶんよき利用者ではあるだろう。仕事がうまくはかどってくれないようなとき、そのはかどらなさに応じて、必要な音楽を選びだすのだ。思考を一時中断させようと思うときには、刺戟的なジャズ、跳躍のバネを与えたいときには、思弁的なバルトーク、自在感を得たいときには、ベートーベンの弦楽四重奏曲、一点に集中させたいときには、螺旋運動的なモーツァルト、そしてバッハは、なによりも精神の均衡を必要とするときである。
     *
〈ぼく〉は音楽のよき鑑賞者ではないことを自覚している。
だからこそ、音楽のよき利用者なのかもしれないわけなのだが、
音楽のよき利用者であるためには、さまざまな音楽を聴いていることが必要になるし、
それぞれの音楽の特質を捉えることができていなければ、よき利用者にはなれない。

刺戟的なジャズ、思弁的なバルトーク、螺旋運動的なモーツァルトなどとある。
世の中には刺戟的でないジャズもあるし、
思弁的な演奏ではないバルトークもある。

「他人の顔」が発表された時代、バルトークは現代音楽であった。
そんなことも思ってみるのだが、
いまの時代、バルトークが現代音楽だったころに録音された演奏も聴けるし、
現代音楽でなくなった時代に演奏された録音も聴ける。

〈ぼく〉が思弁的と捉えているバルトークは、曲そのものであって、
演奏をふくめての話ではないのかもしれない。

それでも〈ぼく〉の時代のころは、バルトークはまだ現代音楽だった。

Date: 2月 18th, 2021
Cate: オーディオ入門

オーディオ入門・考(ラジオ技術 2021年3月号)

ラジオ技術 3月号を買ってきた。
2月号に続き、「これからオーディオを始める方へ筆者からのメッセージ」が載っていて、
そこに五十嵐一郎氏の名前があったからだ。

五十嵐一郎氏の章には「オーディオから得たこと、伝えたいこと」とついている。

数年前、五十嵐一郎氏が病で倒れられた──、ということはきいていた。
はっきりとしたことは知らなかった。
ひどい人になると、もう亡くなったのでは……、といってたりしていた。

五十嵐一郎氏は、小林秀雄氏の三つのことばを挙げられている。

「君は君自身でいたまえ」
「我は聞けり死鎖の音」
「君は僕にdonneé(与件)ということを教えてくれた人なんだ」

それぞれについて、どんなことを書かれているのかは、
ラジオ技術 3月号を買って読んでほしい。

Date: 2月 17th, 2021
Cate: plain sounding high thinking

plain sounding, high thinking(その14)

GRFメモリー以降の、タンノイのPrestigeシリーズに、
私がスター性を身につけようとしていると感じてしまうのは、
タンノイはPrestigeシリーズにおいて、
《クラシカルなものに淫している》ように思えてしまうからだ。

1993年ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」の中で、田中一光氏が語られている。
《伝統のあるオーディオメーカーって止まってしまっているところが多いでしょう。クラシカルなものに淫しているように思う。》

田中一光氏は、どのブランドのことなのかは発言されていない。
発言されたのかもしれない。
編集部がまとめた段階で、その部分は削られたのかもしれない。

どちらなのかはわからないが、
それでも《クラシカルなものに淫している》《伝統あるオーディオメーカー》は、
タンノイのことだと確信している。

JBLの4343の成功、
そして4343がまとっていたスター性と、
タンノイのPrestigeシリーズが身につけようとしているスター性は、
ここのところでずいぶん違っているように感じてしまう。

その1)は、約五年前に書いている。
“plain sounding, high thinking”は、
ワーズワースの有名な詩句 “plain living, high thinking” をもとに思いついた。

そして、タンノイのコーネッタのことも思い浮べての(その1)だった。
(その1)からの四年半後、タンノイのコーネッタを手に入れた。

自分でタンノイを鳴らしてまだ一年も経っていない。
それでもあれこれおもうことは、いくつもある。

別項で書いているいぶし銀という表現に関してもそうなのだが、
音色的な意味でのいぶし銀とは違う意味で、
“plain sounding, high thinking”こそ、私にとっての「いぶし銀」な音である。

Date: 2月 16th, 2021
Cate: ディスク/ブック

Piazzolla 100 (PIAZZOLA REFLECTIONS)

クセーニャ・シドロワの名前だけは知っていた。
四年ほど前に、ドイツ・グラモフォンからアルバムが出たからだ。

Bizet: Carmen(ヨアヒム・シュマイサーによるアコーディオンのための編曲版)である。
興味はあったけれどディスクを買って聴くまでにはいたらなかった。

2月26日に、シドロワの新譜“PIAZZOLA REFLECTIONS”が出る。
TIDALでは少し前から聴ける。
カルメンの編曲版も聴ける。

カルメンの編曲版を買わなかったくらいなので、
それほど期待していたわけではなかった。

1990年代ごろ、クラシックの演奏家がピアソラを積極的に録音していた時期がある。
いいアルバムもあったし、これがピアソラの音楽? といいたくなるのもあった。

私が、これがピアソラの音楽? と感じた演奏を、
まさにピアソラの音楽! と感じる人もいるとは思う。

シドロワの“PIAZZOLA REFLECTIONS”は、ピアソラの音楽だと感じている。