Piazzolla 100(黒田恭一氏の文章)
音楽が好き、という人は大勢いる。
音楽が大好き、という人もけっこういる。
本人が、好きといっているのをこちらが疑うことはしたくないのだけれど、
ほんとうに音楽が好きなの? とおもうこともままあったりする。
だから、別項ではあえて「ほんとうの音楽好き」と書いている。
黒田先生が、「音楽への礼状」でピアソラのところで、こう書かれていた。
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それからしばらくして、あなたは、ゲーリー・バートンと共演して、東京で一度だけコンサートをなさったことがありました。あのときのことを思い出すと、どうしても気持が萎えてきます。決して大きい演奏会場ではなかったにもかかわらず、客席のほぼ半分はうまらないままでした。もったいないな、こんなにいいコンサートが満員にならないなんて、と空席のままの座席をみて思いました。
あのコンサートが満員にならなかった理由としては、宣伝不足とか、時期がよくなかったとか、あれこれいろいろあったようでしたが、事情通から、不入りの理由のひとつとして、「タンゴ」のピアソラと「ジャズ」のゲーリー・バートンの共演ということで、純潔をたっとぶ「ジャズ」ファンと「タンゴ」ファンがそれぞれそっぽをむいたこともあると説明されて、ぼくは、一瞬、ことばにつまりました。今どき、そんな、馬鹿なことが、と事情通にくってかかりそうになりました。驚き、同時に、呆れないではいられませんでした。
その事情通の説明が正しかったのかどうかは、今もってわかりません。しかし、残念ながら、彼のいうような状況がまったくないとはいえないかもしれないな、と思わざるをえないような状況にぶつかることが、ままあります。そのことから判断すると、多くのひとが、この時代にあってもなお、自分が不自由にしか音楽がきけていないのも気づかず、レッテルによりかかって音楽をきいているようです。
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ほんとうの音楽好きを、言葉で表わすことはできないのかもしれない。
そんなに簡単に書けることではない、とわかっている。
それでも、ほんとうの音楽好きな人は、
純潔をたっとぶようなことはしないはずだ。