Date: 2月 22nd, 2021
Cate: 欲する
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新月に出逢う(その4)

人形には、目がある。
その人形に惚れ込むということは、その人形の目に惚れ込むことなのかもしれない。

以前、別項で引用したことをもう一度、ここでも書いておく。

辻村寿三郎氏が、ある対談でこんなことを語られている。
     *
部屋に「目があるものがない」恐ろしさっていうのが、わからない方が多いですね。ものを創る人間というのは、できるだけ自己顕示欲を消す作業をするから、部屋に「目がない」方が怖かったりするんだけど。
(吉野朔実「いたいけな瞳」文庫版より)
     *
辻村氏がいわれる「目があるもの」とは、ここでは人形のことである。
つづけて、こういわれている。
     *
辻村 本当は自己顕示欲が無くなるなんてことはありえないんだけど、それが無くなったら死んでしまうようなものなんだけど。
吉野 でも、消したいという欲求が、生きるということでもある。
辻村 そうそう、消したいっていう欲求があってこそもの創りだし、創造の仕事でしょう。どうしても自分をあまやかすことが嫌なんですよね。だから厳しいものが部屋にないと落ち着かない。お人形の目が「見ているぞ」っていう感じであると安心する。
     *
人形作家の辻村氏が人形をつくる部屋に、「目があるもの」として人形をおき、
人形の目が「見ているぞ」という感じで安心される。

部屋に「見ているぞ」という目がある。
いまのところ、そういう生活を送ったことはないから、
真夜中に人形と目が合ったりしたら、恐怖するような気もする。

このことを思い出したからこそ、人形の大きさが気になってくる。

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