菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉
18日に出たのはわかっていながら、書店に寄ったのは今日だった。
「菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」を買った。
最初は買うつもりはなかった。
選集だから、というのが理由だ。
この選集に載っているレコード演奏家訪問が掲載された号は持っている。
それを読めばいい──、
そんなふうに思っていたところがあった。
でも書店で手にしてパラパラめくっているうちに、
こみあげてくるものを感じていた。
おそらく菅野先生と会われた方はみなそうではないのか。
亡くなられて一年が経つ。
この本を手にして、ふたたびそのことを強く意識していた。
もう菅野先生とは会えない、どうやってもあえない。
そう感じない人がいると思えない。
菅野先生と話す機会のあった人、
幸運にも菅野先生のリスニングルームで音を聴かれた人、
その人たちは、この本を手にして何かを感じているはず、と信じている。
選集だから、初めて見る・読む記事は一本もない。
それでも、こうやって一冊にまとまっていると、
菅野先生の存在と不在を、強く感じざるをえない。
これまでも菅野先生について触れてきている。
これからもそうである。
それでも書いていることよりも書いていなことの方が多い。
これから書いていくこともあれば、書かないこともある。
誰か親しい人と、菅野先生について語ることがあれば、その時は話すかもしれないが、
そういうことは書かない。
そしてあれはどういう意味だったのか、と思い出すこともある。
「菅野沖彦のレコード演奏家訪問〈選集〉」は、よい本だ。